7 ガラス越しの殺人劇
六時間目の授業が終わったのは、いつも通りの15時10分だった。
運よくホームルームがすぐに済んだので、私といっきと愛子は急いで阿武戸先輩の教室に向かった。
「いっき、愛子、ここで待っててね」
下級生がゾロゾロ行くと目立つので、二人を階段の所で待たせて私だけが様子を見に行った。
「あ、庵先輩――」
三年四組の教室前には、既に庵先輩がいた。
「――ひねりか。阿武戸の奴はもういないぜ」
庵先輩は苦々しげに言う。
「えっ、もう行っちゃったんですか?」
「ああ。俺が昼休みに見に来た時はいたんだけどな。今このクラスの奴に聞いたら、どうやら六時間目はサボったらしい。どこに行ったかもわからねえそうだ」
――だとすると、今から当てもなく待ち合わせ場所を探すのは難しいかもしれない。
私と庵先輩は慌てていっきと愛子の所に駆け戻った。さいわいリコ先輩とユイさんももうそこに来ていたので、私達は手分けして阿武戸先輩を探す事にした。
その後、私はひとり校内を駆け回って捜索を続けたが、阿武戸先輩は見つからなかった。
「うーん……人目をはばかる用事っぽいし、人気のない場所のが可能性が高いかな……」
捜索開始からもうすぐ一時間近くにはなるだろうか――依然として阿武戸先輩の足取りはつかめなかった。あるいはもう密会も終わってしまったかもしれない。
「まだ待ち合わせ時間が来てない事を祈るしかないか――」
私は最後の望みをかけ、人の少ない方へ少ない方へと走った。そしてとうとう屋外プールの脇までたどり着く。
「日根野さん、こんな所で何をしているんですか!?」
だがそこで、まずいことに見回り中らしい
ここで不審尋問を受けている余裕はないので、私は質問に質問をかぶせてごまかすことにした。
「先生、阿武戸先輩を見ませんでしたか!?」
「三年の阿武戸くん? それならしばらく前に、あっちの特別教室が集まった校舎の辺りをうろついてるのを見たけど――」
「ありがとうございます!」
一方的にお礼だけ告げて、柴皮先生には有無を言わせずその場を走り去った。
思いもよらぬ目撃証言を得て、私は少し離れた所にある校舎を目指した。
「ここだ――!」
荒い息を吐きながら、私は三階建の校舎を見上げる。
この中は特別教室が多く集まっているため、ここで普段の授業を行っているクラスはなかった。
――確かにここなら密会には適しているはず――。
「うわああああああ!」
そう考えた瞬間、何かが崩れるような激しい物音と共に、裏返った男の人の悲鳴が響き渡った。
私は反射的に入口から校舎内に飛びこんだ。
――音と悲鳴の響き具合から考えると、音源はこの一階のどこかの可能性が高い。
私は廊下を走りつつ、扉の窓から各部屋を流し見ていった。
と、廊下の向こうからも、悲鳴を聞きつけたらしいリコ先輩が同じようにこっちに駆けてきていた。
そして私達が廊下の中央付近で鉢合わせる寸前、リコ先輩は急停止して近くの扉に張りついた。そのまま息をひそめて窓ガラスから中を窺いつつ、私に向かって手招きする。
「――あっ! 待ちなさい!」
突然リコ先輩が、覗いていた部屋の中に向かって叫んだ。
ほぼ同時に駆けつけた私が中を見ると、窓を乗り越えて外に逃げ出そうとしている学ラン男の後ろ姿が見えた。
だがそれは一瞬の事で、校舎裏に飛び出したらしい学ラン男の背中はすぐに消えてしまった。
私は先回りをするため、廊下を抜けて校舎裏に回りこもうと走りかけた。が、すぐにリコ先輩がそれを制止する。
「待って、すぐそこに誰か倒れてるわ! 助けるのが先よ!」
しかし教室の扉は両方とも鍵がかかっていた。
私は扉と扉の間にある曇りガラスの窓を開けようと、わずかな窓の隙間に無理矢理指を差しこんで力をこめた。
「あれ……開かない!?」
「あ、そういえばここは開かずの窓なのよ」
私の呟きに、リコ先輩が思い出したように言う。
――どうやらここは窓枠がゆがんでいて動かないらしい。私が全体重をかけてもびくともしなかった。
私は開かずの窓の上にある、天井際の開いた小窓をふと見上げた。
――窓枠を足場にして、ここから入ろうか?
しかしすぐにそれは愚策だと気付く。
小さくてくぐれるかどうかさえ疑問だし、こんな高い所から入ろうと試みるくらいなら校舎裏に回って窓から入ったほうが安全で早い。
と、そこでリコ先輩がもっと早い方法を提案した。
「扉をぶち破るわよ。ひねり、私が蹴倒すから離れてなさい」
そう言って後ろに下がり、助走をつけて蹴飛ばそうとする構えを見せた。
「こらぁっ! あなたたち何してるの!」
だがその時、柴皮先生が血相を変えて駆けつけてきた。
「――日根野さん、あなたやっぱり怪しい事しようとしてたのね!? 今の騒音と悲鳴は一体何?」
どうやら柴皮先生は、わざわざ私の様子を見に追って来たらしい。
リコ先輩は横から私をかばうように言った。
「今のは私達じゃありません。この中で誰か倒れてるんです。早くその鍵で扉を開けてください」
柴皮先生はまだ疑いの目を向けながらも、しぶしぶ持っていた鍵束から鍵を探して扉を開けた。
それと同時に、私とリコ先輩は肩を並べて中に踏みこんだ。
――どうやらここは倉庫変わりの、使われていない教室らしい。そこら中に生徒用の机と椅子が山積みされていた。
さっきの激しい音は、この山の一部が崩れたためらしく、床にはたくさんの机と椅子が散らばっていた。そして、それに埋もれるように倒れた一人の男子生徒。
「――阿武戸先輩!」
私は思わず叫んで、傍にしゃがみこんだ。
阿武戸先輩にのしかかった机を押しのけ、急いでまだ息があるか調べる。
だが――。
「ひねり、まさか……死んでるの?」
リコ先輩がおそるおそる尋ねてくる。
私は言葉が出ず、代わりに力なく頷いた。
そのまま呆然とうつむいていると、ふと阿武戸先輩の死体の脇に紙が落ちているのに気付いた。
――どこかで見た、切り貼りのちぐはぐな大きさの文字。
手に取ると、そこには文字が四つだけ貼られていた。
『あと一人』
……ああ、これは例の『首盗り鬼』の挑戦状――いや、『あと一人殺す』という予告状なのだろうか?
ぼんやりとそう思った時、入口から柴皮先生を押しのけてどかどかと見慣れた顔触れがなだれこんできた。
「あ……いっき、愛子、ユイさん――」
三人の到着で、私はやっと我に返った。
――そうだ、ぼけっとしてる場合じゃなかった。犯人はたった今逃げたばかりなのだ。
みんなの顔を見て力を取り戻した私は、すぐに捜査を開始することにした。
柴皮先生は警察を呼びに職員室へ。ユイさんはここで現場保存兼見張り。残る全員で逃げた男を追跡することに決めた。
リコ先輩は私といっきと愛子に向かって言う。
「私は今から急いで木刀を取ってきて、そのまま捜索に入るわ。まだ犯人が近くにいたら格闘になるだろうし。危ないからあなたたち三人は、ひとかたまりになって行動した方がいいわ」
全速力で走り去るリコ先輩に続いて、私達三人も犯人を追跡すべく校舎の外まで走り出た。
「あっ、庵先輩!」
こちらに駆けてくる庵先輩を見つけ、私は声をかけた。そして阿武戸先輩が殺された事、たった今犯人が逃げ去った事を説明する。
「え、じゃあまさかあいつが犯人だったのか……」
庵先輩が驚いたように呟く。
「『あいつ』って誰ですか?」
私が尋ねると――。
「
「それで栗栖先輩は?」
私のその質問に答える前に、庵先輩はポケットからしわくちゃの紙を取り出した。
「栗栖の奴があんまり慌てふためいてたんで、俺も怪しいと思って『何かあったのか?』って訊いたんだ。そしたらあいつ、『違う! 僕はただ――』って言いかけて逃げちまった。――この手紙を落としてな」
私は庵先輩からその手紙を受け取ると、いっきと愛子にも聞こえるように読み上げた。
『犯人がわかりました。26日16時20分、人目につかないよう校舎裏から例の倉庫に来てください』
差出人は……『真理亜』と書かれている。
――現在の時間から逆算すると、事件が起こったのはこの手紙で指定しているのと同じ16時20分か、その数分くらい前だろう。ちょうどその時間に悲鳴が聞こえたし。 「逃げた犯人と謎の手紙……一体どういう秘密があるのかな」
いっきが腕組みをしてうなりながら言う。だが庵先輩はちょっと考えて口を挟んだ。
「まあ待て。確かに栗栖も逃げてはいたみたいだが、正直あいつがひねりの見た犯人と同一人物なのかはわからねえぜ。タイミング的にまず間違いないとは思うがな」
そこへ愛子が冷静に口を出す。
「とにかく今は犯人の追跡が先決かと。推理は後でもできますし」
私達は庵先輩も加えて、栗栖先輩が逃げたという方向を探した。
やがてパトカーのサイレンが聞こえてきたので、私はみんなに向けて言う。
「私、第一発見者だから殺害現場に戻って警察の聴取を受けないと――」
「いいよそんなの。冷酷非情な警察なんかに協力したって、どうせひねりが犯人扱いされちゃうよ。それより犯人の追跡のが重要なんだから!」
いっきが力強く言うと、庵先輩もそれに同調して言う。
「そうそう。探偵が国家権力の犬になったらおしまいだぜ。警察なんかクソくらえだ」
「い、一応私のお父さんも警察職員なんだけど……」
――まあそうは言ったものの、犯人追跡の方が緊急性があるのは確かだ。聴取はいつでも受けられるし。
結局私達はそのまましばらく捜索を続けたが、栗栖先輩の行方は一向につかめなかった。
「うーん……だいぶ突き進んできた気がするけど、なんかあたしたち迷子になってない?」
――いっきの言う通り、分岐点が多かったため私達はもはや栗栖先輩が逃げた方角すら見失っていた。
それでも探し続けるうちに、私達は体育館の横にある部室棟付近に出た。
「お、なんか人が集まってるぜ」
庵先輩がそう言って前方を指差す。
見ると部室棟の一階で、数人の人だかりができて何か騒いでいた。ユニフォームからすると、男子バドミントン部員だろうか?
「どうかしたんですか?」
私が尋ねると、部室の扉の前に集まっていたユニフォーム姿の部員の一人が答えた。
「いや……パトカーが来たらしいんで俺達も部活を中断して野次馬といこう、ってことになって部室に戻ってきたら――制服が一着盗まれてるんだ」
「えっ、鍵が外されたんですか?」
私の質問にその人は首を振る。
「鍵どころか扉さえ開けっ放しだったんだよ。そしたらイスにかけといた学ランがなくなってた。――まあ今日はどの部も活動自粛して人がいないからって油断してた俺達も悪いんだけどな」
「けど同じイスに置いといた俺のカバンとサイフの方は無事なんだよな……多くないとはいえ金も入ったのに」
盗難被害者らしい人がぽつりと言う。
「あんたたち、どうかしたの!?」
そこへ木刀を手にしたリコ先輩が駆けつけてきた。
庵先輩は手早く状況を説明して、私達に言った。
「まあ学ラン盗難なんてせこいヤマなんてどうでもいいさ。それより早く行こうぜ」
私達は木刀を持っているリコ先輩を先頭にして、そのまま体育館裏を回ろうと奥へ進んだ。
が、その途中で愛子がいきなり足を止めて言う。
「待ってください。あそこ――」
愛子が部室棟から少し離れた所にある焼却炉を指差した。
言われて目を凝らすと、ふたが開いたままの焼却炉の口から、人間の腕らしきものが突き出ていた。
私達は慌てて駆け寄って中を確認する。
だが……焼却炉から突き出ていたのは、単なる学ランの袖だった。
「なあんだ、肝心の中身がない抜け殻じゃん」
いっきが拍子抜けしたように言う。
――いや、中身が入ってたら大変なんだけど。
いっきは無造作に袖を引っ張り、学ランを焼却炉から引きずり出した。
その勢いで、学ランの上に乗っていた何かがころりと地面に落ちる。
「これ……上履き?」
私は呟いてそれを拾い上げた。
その一対の上履きには、弱々しい字で持ち主の名前が記されていた。
――『3の3 真理亜』と。
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