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 半蔵門のホテルを出て新宿通りに向かって歩いている時だった。天羽は背後から追ってくる者の足音に気付いた。足取りが同業者のそれとは感じられず、天羽は歩調を緩めた。尾行者は隣に並んで声をかけてきた。

「天羽さんですね?東都日報社会部の三上と言います」

 40代とおぼしき男の声。天羽は前を向いたまま尋ねる。

「担当はどちらですか?」

「一応、公安です。そうそう、貫井参事官にはお世話になってます。あなたのことは参事官から聞いてまして。お噂はかねがね・・・」

 天羽はコンビニの手前で右折して小学校の通学路に入った。街灯が少ない路地で足を止めて男に振り向いた。天羽は初めて社会部記者を名乗る三上の顔を見たが、本庁の記者クラブで見かけた記憶は無かった。

「私に何か?」

「ちょっと歩きましょうか」

 立ち話は目立つとでも言う風だった。三上と一緒に天羽は歩き出した。

「富久町と上野の現場にいましたよね?」

「・・・」

「まあ、銃撃や狙撃事件となれば一課ネタなので、私は担当が違いますが、現場には顔を出します」三上は話し出した。「牛込署は先週から目立った動きがないようですが、何か知ってます?」

「いえ」

 牛込署は新宿の富久町で起きた銃撃事件の特捜本部が置かれている所轄だ。

「本部は実質的な解散状態ですよ。本庁の連中は全員、すでに引き揚げてます。一課の若いキャリアが本部から下ろされたっていう話もちらほら」

 天羽は阪元の顔を脳裏に思い浮かべる。貫井への情報提供がどこかに洩れたのだ。

「上野の方も捜査は進展せず、会議は連日お通夜みたいな感じだそうで」

 三上は言外に「何かあったんですか?」と執拗に問いかけてきた。公安総務課とはいえ、庶務係である自分は二年も現場から遠ざかっている。情報の提供元として仮にリストに上がっていても、ランクとしてはCクラスがいいところだろう。そんな自分になぜ、この記者は接近してきたのか。

 今回の一連の事件では、貫井は三上に何も話していないのではないか。三上は不安なのだろう。先が見えない不安を抱えているのは自分も同じだと思いながら、天羽は逆に問いかける。

「上野で狙撃事件があった日も、参事官に尾いてたんですか?」

 三上はしぶしぶうなづいた。

「では、ぼくが小料理屋で参事官と会ったのを見たはずです」

「ええ」

「参事官がぼくと会う前に、小料理屋で誰と話してたか把握してますよね?黒いセダンの運転手です」

「一応は・・・」

「誰ですか?」

「捜査二課、企業犯罪担当の理事官です」

 車がすれ違った時、運転手の顔がとっさに思い出せなかったのは相手が刑事部の人間だからか。素早く考えをまとめてから、天羽は話を打ち切るように言った。

「何か分かったらあなたにお伝えします。お役に立てなくてすみません」

「いえ、こちらこそ。何か必要がおありになりましたら、いつでもご連絡ください」

 三上はくるりと方向を変えて立ち去った。たった今まで隣にいた記者の気配が消えてしまった後も、天羽はしばらく暗い路地に立ち尽くしていた。

《捜査二課の理事官だって?》

 静かなショックを受けていた。脳裏に目白の屋敷で別れた佐渡の台詞が過ぎった。これから再び対象の監視に向かう佐渡はヴァンに乗り込む前、地下の駐車場でこう言った。

「お前から言われてた、新潟県警から本庁に異動して来たキャリアのことだが」

「該当するのは何人いる?」

「1人だけ」

「役職は?」

「捜査二課の理事官だ」

 いつの間にか立っていた新宿通りの交差点にあるキャリアの影がまず一つ、のたりと横たわった。そのキャリアはおそらく《ゼロ》に所属し、3年前は新潟で銃撃事件に遭い、今は警視庁で捜査二課の理事官を務めている。二課の理事官と貫井の接触は何を意味するだろうか。やはり貫井は最初からこの事件の背景を把握していたのか。

 その日の夜、天羽は自宅のマンションに帰ってもまんじりもせず、千々に乱れた思考を整理していた。

「眠くないの?」

 思考がゆかりの低い声で断ち切れた。リビングのソファに座り、ゆかりが入れてくれたハーブティーを2人で飲んだ。熱いカップにふうふうと息を吹きかけて口に含む。神経が少しずつ緩んでくるのを感じる。

「ちょっと眠くなってきた」

 ゆかりはソファに寝そべり、兄の太腿に頭を乗せた。楽な姿勢を見つけようとして、もぞもぞと動いた後、そのまま眼を閉じた。まるで猫みたいだな。天羽は苦笑を浮かべてゆかりの髪をそっと撫でる。しばらく経ってからゆかりの安らかな寝息が微かに聞こえた。

 天羽も眼を閉じる。いつ眠りに落ちたのか自分でも分からなくなった。

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