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 車は内堀通りに連なった渋滞につかまり、10センチずつのろのろと動いていた。久しぶりの運転で緊張している天羽に、隣の助手席から貫井が声をかける。

「そういえば、新潟の銃撃事件はどうなってる?」

「富川が新潟で行方不明になってる細貝を探してます」

 公安部に配属された天羽は最初、1年ほど貫井が乗る公用車の運転手を務めた。当時、天羽は運転免許を取ったばかりで運転は急発進、急ブレーキを繰り返してお世辞にも褒められたものではなかったが、貫井は「他人が転がす車に乗ってると眠くてしょうがないんだが、君の運転だと身体がガクンガクン揺れるから眼が覚めていいな」と言った。今から思い返せば、無事故で務め上げることが出来たのが信じられない。

「細貝を探し出してどうする?」

「銃撃事件の聴取で、細貝は現場のスナックで会ってた霜山の名前を伏せて虚偽の報告をしたんです。その理由が気になります」

「君の口ぶりから察するに、銃撃事件の真相が霜山と地方議員がスナックで密会してたというだけではすまないということか?」

「ご想像にお任せします」

 貫井が言外に《2人だけで話がしたい》ということで公用車を回すように言った理由はこれか。先程の回答に不満があったらしい貫井はぶつぶつと言い続けた。

「銃撃事件における君の本命は何かね?」

「今はまだ話せる段階ではありません」

 天羽は前方に眼を向けたまま答えた。貫井は口が軽い人間ではないが、個人的に天羽は銃撃事件の捜査は慎重に事を進める段階に来ていると判断していた。

「君が新潟から帰って来た時の報告では、細貝が霜山と現場のスナックで会ってた以上のことは無いように思えるがね」

 天羽が伏せたのは新潟県警警備部長の証言だった。

 細貝が県警の公安捜査員でありながら、東京の指示で動いていたという点。スナックで細貝らと一緒に襲撃された細貝の当時の上司が今は警視庁にいるという点。この2点から天羽の脳裏に浮かぶ単語は一つだった。

《ゼロ》。

《ゼロ》とは、長らく存在を秘匿されていた警察庁警備局のウラ部隊である。中野の警察大学校に拠点を置き、各都道府県の公安部門にある「C班(中央直轄班)」の特殊作業を直接指揮している。C班は県警本部長の権限も及ばない特別な存在で、所属する公安捜査員は秘密保持のために巡査部長から警視になるまで人事異動もないと言われている。

 細貝は《ゼロ》所属の公安捜査員。細貝の当時の上司もおそらくは同様。

 天羽は警備部長の証言からその可能性を感じ取っていた。そして、スナックにおける接触も《ゼロ》が行う業務の一環である可能性が高い。《ゼロ》の指導で行うC班の業務は協力者獲得工作や「追及作業」と称する盗聴や居宅侵入などの非合法活動がある。

「そういえば、佐渡が報告したいことというのは何です?」天羽は言った。

「《フィリス》が何者かと接触したそうだ」

 監視開始から1週間。いずれこれあると予想していたことだったが、天羽には特に何の感慨も無かった。

 いっそのこと、貫井に細貝が《ゼロ》の捜査員である可能性を話してみようか。貫井はどんな反応を示すだろうか。キャリアとはいえ、公安警察の旧態依然とした点に時おり辟易しているように見える貫井なら笑い飛ばすだろうか。冷戦終結後の情勢の変化により、以前は《サクラ》と呼ばれた非公然部隊は存在価値を失ったかのように見えた。だが、今も《ゼロ》と名前を変えて存在し続けている。

 この件を貫井に話すことは出来ない。藪を突いたら、蛇が飛び出してくることになりかねない。慎重に捜査を進めなければ、明日の生活も保身も危うい。貫井はキャリアとして公安部参事官という立場にいる以上、《ゼロ》に近い場所にいる。《ゼロ》は警察庁警備局警備企画課の情報第二担当理事官という肩書きを持つキャリアに率いられている。

 天羽は屋敷の地下にある車庫に車を滑り込ませて、あらためてそう思った。

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