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 天羽は《エホバ》と別れた後、メモに書かれていた入谷のアパートに向かった。まずは該当のアパートを管理している不動産会社を訪れ、寺門昌彦がそのアパートに2年ほど暮らしていたことを掴んだ。その後でアパートの大家である土肥芳枝を聴取した。

 寺門昌彦こと安斎英道について聴取するつもりが、アパートに夫婦で暮らしていたとは予想していなかった。寺門昌彦の妻とされる女性の名前は寺門多恵。確信は無かったが、天羽が確認のために大家に見せた顔写真は安斎瑤子の物だった。大家の反応から寺門多恵が安斎瑤子と同一人物であると見て間違いない。

 安斎英道と安斎瑤子の接点が3年前よりも以前からあることを踏まえて、天羽は浅草の繁華街を巡った。大家の証言から寺門多恵は水商売をしていたようであり、六区周辺のクラブなどで痕跡を探した。二十数軒目のクラブで店のママから「この子、あそこにいたんじゃない?」という話があり、名指しされた店で天羽はオーナーから安斎瑤子が客と写った写真を手に入れた。

 当たる時は当たる。天羽は胸をひとつ撫でおろした。背広の懐に入れていた携帯端末が震える。貫井からの連絡だった。

「四課の資料から『高村紘一』の名前でヒットがあった」

 天羽は警視庁に戻った。14階の会議室で、貫井と一緒に待っていたのは公安四課の管理官だった。天羽が腰を下ろし、貫井が口を開いた。

「四課の資料に高村紘一の名前があったということだが、どんな人物なのか教えてもらえるかな?」

 四課の管理官が資料を手に話を始めた。

「はい。毎朝新聞の外信部に公総の協力者エスの記者がおります。名前は芹澤恭弘。北朝鮮問題の担当デスクでソウル支局に2回、派遣されてます。その芹澤が使っていた情報源が金鉄泰キム・チョルテ。金の日本名が高村紘一。その芹澤が2度目のソウル特派員をしていたのと同じ時期、金はソウルの日本大使館に勤務していました」

「大使館で勤務?どういう名目で?」天羽が言った。

「在外公館専門調査員という肩書きです。期間は2年。その間に前政権に対して種々の工作活動をしていたようです」

「金の経歴は?」

「資料によると、金はれっきとした文学修士です。生まれは大阪の在日ですが、国立大を大学院まで卒業。当然ですがハングルは達者、北朝鮮に関する専門的な知識も豊富」

 貫井は苦笑を浮かべて言った。

「芹澤が騙されるのは仕方ないとして、外務省までもがなあ」

 天羽が管理官に尋ねる。

「具体的に、金はどんな工作活動を?」

「芹澤の協力を得ながら、前政権の拉致問題担当大臣周辺にアプローチしています」

「どんな話を持ちかけてきたんです?」

「朝鮮労働党の幹部からあるメッセージを託されたという話です。メッセージは『最高司令官の意向で、たとえ敵対関係にある国家とも外交ルート以外で接触する用意がある』という内容でこちらは実物を確認しておりませんが、総書記直筆のサインが記されており、真正だという触れ込みでした」

「それで、大臣はその話に関心を示したんですか?」

「ええ、かなり乗り気になっていた。そのように聞いております」

 公安四課の管理官が会議室を出る。貫井は天羽に思わしげな視線を向けた。

「拉致問題担当の前大臣というのは・・・」

「霜山のことですね」天羽は言った。

「その通りだ」

「先程の総書記のメッセージですが、霜山は何か応答したんでしょうか?」

「どうだったかな。霜山は在任中よりも大臣を辞める時が目立ったからなあ。大臣を下ろされたのはたしか、極声会に絡んだ汚職がマスコミに表ざたになった頃だったな」

 天羽はうなづいた。

「そうそう、四課の芹澤記者に関する付属資料では、高村紘一をよく知る在日ジャーナリストがいる。青柳さんも知ってるそうだ。高村紘一の人定はどうなってる?」

「あまり進んではいません。高村の顔を見た山辺は殺害されましたし」

「2人が会ってた宝町のホテルから防犯カメラの映像は?」

「回収済みです」

「そのジャーナリストに高村紘一について聴取するんだ。防犯カメラの映像も見せて確認させろ。敵の正体は早く知るに越したことはない」

 天羽はうなづいた。

 刹那、貫井がスーツから携帯端末を取り出して通話を始める。天羽が会議室を出ようと腰を上げたが、貫井から「佐渡からだ。ちょっと待て」と呼び止められる。短い通話を終えてから、貫井が言った。

「佐渡が目白の屋敷で報告することがあるそうだ。公用車を回してきてくれるか?」

「ぼくが運転するんですか?」

「当たり前だろう」

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