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 目白の屋敷に貫井と天羽、佐渡と作業班の面々が集まった。佐渡が話し始める。

「昨夜、《フィリス》が何者かと接触しました。これがその時に撮影した写真です。時刻は午後9時15分」

 佐渡は数枚の写真を手渡した。淡い照明の中で、《フィリス》と男が接触している様子が撮影されていた。粒子が粗い写真に映る男の風貌は曖昧だった。

《フィリス》は男と接触した場所は銀座二丁目のクラブ「伽羅」。その際、《フィリス》はテーブルの下でA4サイズの封筒を手渡し、男から小型の封筒を受け取った。男とクラブで別れた後、《フィリス》は雑踏の片隅で封筒を取り出し、中身を確認し始めた。通行人を装った作業班の1人が《フィリス》の背後に立ち、封筒の中に1万円札の束を視認した。

「《フィリス》が手渡してたのは、おそらくは何等かの資料かと思われます」

「分かりやすい話ではあるが」貫井は言った。「《フィリス》は金に困ってると?」

 作業班の1人、石川が報告を始める。《フィリス》の経済状況の調査を担当している。

「《フィリス》の家の家計は正に火の車です。《フィリス》は息子の他に、自分の両親を特養の介護施設に入れてます。老人ホームの費用、息子の治療費、宗教団体への御布施その他もろもろ・・・」

「宗教団体?」天羽は聞いた。

「真言密教が母体だそうで、特異な点や背景はありません。病気に効くからという触れ込みで、怪しい札やらお守りやらを売り付けてる程度のかわいいものです」

 佐渡が補足を入れる。吐き捨てるような口調だった。

「要はいいカモにされて、《フィリス》は団体に多額の御布施をつぎこんでる。奥さんと御布施を巡って喧嘩しまくって、家庭内の雰囲気はサイアク」

 死期が迫った難病の息子に対して何を為すべきか。《フィリス》はそのことを真剣に考えた末に判断したのだろう。天羽はそう考えた。貫井が接触相手の尾行を担当した作業班の平間に質問した。

「《フィリス》に接触した男も尾行したんだろう?その人定は?」

「男はクラブの常連客のようです。氏名は高村紘一。クラブのママは高村の職業を知りませんでした」

 天羽は心臓に楔を打ち込まれたような衝撃で体が強張った。富久町の銃撃事件の重要参考人が《フィリス》の接触相手と同名とは。この偶然をどう捉えたらいいのか。天羽は貫井の表情を窺ったが、特に変化は見られなかった。

「高村の風体は冴えない中年男です。年齢は40~50代。秘匿追尾しましたが、途中でまかれました」

「まかれた?」

 天羽は思わず訊きかえした。平間が顔を赤くしている。

「要するに」佐渡が言った。「高村は何か訓練を受けてる可能性があるってことです」

 貫井が顔をしかめている。作業班の尾行がまかれるというのは由々しき事態だった。天羽は尋ねる。

「《フィリス》の接触相手であり、諜報術の訓練を受けていると思われる人物は?」

「ご存知の通り、《フィリス》は本庁所属の公安捜査員です。本庁では公安総務課の他に、外事二課に勤務歴があります。所轄では地域課や交通課などですが」

「公総だと鑑が広すぎるな」佐渡が言った。「外事二課では、何を担当してた?」

「朝鮮半島です。特に総連を担当してたようです」

「では、まずは《フィリス》が外事二課で従事した工作の関係者や協力者エスに網をかけて相手を絞り込みます」

「捜査に関わった警察・司法関係者。宗教団体の関係者。血縁者。これは妻も含めてだ。息子が通ってた学校、病院関係者。両親の介護施設の職員。《フィリス》に関わるあらゆる人物を検討対象とせよ」

 貫井は通常、接触相手として考えられない対象も即座に挙げてみせた。天羽は素直に感服というところだった。貫井が続けて言った。

「天羽君、君からは何かないか?」

「まずは、この写真の人物が高村紘一かどうかです」

 天羽は写真を指で弾いた。

 それから佐渡の作業班から手の空いている数名の捜査員と一緒に、宝町のセンターホテルのラウンジで撮影された防犯カメラの映像をノートPCで再生して確認した。高村紘一の顔貌を唯一知っていたのは殺された山辺だけだったので、複数人で映像を確認して人物の見当をつけるしかなかった。

 2時間ほど掛かってようやく映像の確認を終えた。事件当日の午前11時25分に回転ドアからホテルに入り、48分ごろに遅れてホテルに入って来た山辺と接触した後、58分に出た男を高村紘一だろうという意見で一致した。拡大してプリントしたが、画質は悪かった。《フィリス》が接触した男の写真を見比べても、高村紘一の特定に役立ちそうになかった。

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