第2部:ゼロ

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 ひどく寒い日だった。東の方角にわずかな青空がのぞくだけで、新潟の市街地はいくつもの灰色の薄い雲が覆っていた。天羽は新潟駅前でタクシーに乗り、新潟東署に向かった。3年前の銃撃事件の継続捜査班が置かれている所轄だった。

 新潟東署は変哲のない、薄汚れたコンクリートの四階建てビルだった。1階の総務課カウンターに行き、天羽は身分を告げた。「署長さんをお願いします」と言うなり、太った女職員が慌てた様子で奥へと走った。

 ロビーのベンチに所在なく座って待つ。数分後に2人の男が出て来た。50歳前後の長身の男は髪型からシャツの襟、靴の先に至るまで気を使っているのが一目で分かった。署長だという。もう1人の小柄な若い警官が継続捜査班の巡査。川村達彦と名乗った。緊張しているのか、川村はしきりに唇を舐めていた。

「刑事部屋では落ち着かないでしょう」署長が言った。

 天羽は1階総務課奥の署長室に案内された。デザインの古めかしい応接セットに座り、名刺を交換した。天羽は久しぶりに警視庁公安部公安総務課庶務係の名刺を出した。

「新宿の事件の概要はご存じですね」

 天羽は正面のソファで背中を丸めている川村に切り出した。

「報道された程度ですが」川村がか細い声で答えた。

「被害者の氏名は安斎英道と瑤子。この2人は偽名を使っていました。それにも関わらず、2人が住んでいたアパートを犯行グループがどういうルートで知ったかを調べてます」

 署長が卓上の漆黒の木箱を開けて、タバコをすすめてきた。天羽が断った。

「警視庁麻布署の生安が安斎瑤子の過去を調べる目的でこちらに調書を請求し、そこに情報の流れがあったのではないかと疑うのは、まあ自然な見方でしょう」

「はい」

「11月17日、麻布署の生安が銃撃事件の調書をこちらの署から取り寄せました。同じ日の夜8時45分ごろ、川村さんは麻布署の生安に問い合わせの電話をかけています。その辺りの経緯を話してもらえますか」

 川村はぎこちない手つきで手帳を開いた。声が少し震えている。

「夜8時すぎに署に帰ってきましたら、主任から『3年前に起きた銃撃事件の調書請求が警視庁からあった。とりあえず書類をいくつか送っておいたが、どういうことなのか問い合わせてみろ』と言われまして」

 天羽は「主任」という言葉に思わず緊張した。だが、声音に出さずに言った。

「その主任というのは?」

「内山誠一巡査部長です」

 天羽は名前をメモした。

「継続捜査班には、あなたと主任の内山巡査部長の他に誰が?」

「内山と川村だけです」署長が答えた。

「高村紘一という名前に、心当たりは?」

 署長と川村は首を横に振った。高村紘一は警察官を装った。天羽はそう直感した。

「内山巡査部長の話も聞きたいのですが」

 川村の話を聞く限り、内山は部下に仕事を放り投げた。内山は銃撃事件に関心が無かったように思える。

「今ここに呼んでよろしいですか」

 天羽はうなづいた。署長はのっそりソファから立ち上がり、デスクの電話を取る。

「内山主任を署長室へ」

 天羽は川村に質問を続けた。

「川村さんは麻布署に電話をかけた」

「まず調書をざっと読みました。それから麻布署の山辺係長と電話で話を。向こうが掴んでいるのは不確かな情報でした。旦那が若い頃に日本海側の港町で殺しをやったという噂のある女がいる程度のことで。こちらの方も、調書を読んでもらえればお分かりになりますが、銃撃事件は公安の案件でして、刑事部は手を引いた状態にあるんです。新しい捜査資料は何もありません。念のために、山辺係長の電話が終わった後で、細貝に探りを入れました」

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