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 天羽は公安総務課で自分のデスクから人事二課に電話を入れた。『向島一号』が出所した後に行動確認を行った当時の公安総務課係員3名の現所属を確認するためだった。1人がすでに定年で退官していたが、2人は所轄の課長代理になっているとのことだった。

 警察電話帳でデスク番号を調べた後、直接電話を掛けて確認した。1人は四部制の交替勤務で当日は非番だったが、もう1人は在籍していた。

「『向島一号』?ずいぶんと懐かしい話だなぁ」

「5年前、『向島一号』は半島に出てますが、そちらに縁故があるんでしょうか?」

「いや・・・これはおれの勘なんだが、奴さんは華僑やキョッポじゃないね。間違いなく日本人だよ」

「それには何か理由でも?」

「ああ。奴さんは必ず神社に行くんだ。それも、二拝二拍手一拝をきちんとやる。別に右翼という訳じゃないと思うが。それから、飯を食う時は手を合わせて『いただきます』とやる。向こうの連中は絶対にやらない。それと奴さんは毎月1日に必ず誰かに電話してた。それから数日のうちに郵便局の奴さんの口座に金が振り込まれる。振込人は特定できなかった。台湾の銀行から為替で送られてくるんだ」

「台湾ですか・・・」

「調べようがなかった」

「協力者がいるようですが」

「そうだ。奴さんが消息を経った時の口座には550万円もの残高があった。それを全て現金化してソウルへ飛んだ。それ以降、消息は分からない」

 何とも不思議な事件だった。公務執行妨害罪の現行犯がどこの誰とも分からないまま実刑を受け、刑期満了から2年後、忽然と姿を消している。特に大した仕事をした訳でもないにも関わらず、550万もの資産を抱えていたことから、背後に何らかの組織が関与していることは自ずと感じられた。

「『向島一号』には、何か特徴は?友人などはいませんか?」

 数十分後、天羽は歌舞伎町二丁目の風林会館の裏手に立っていた。8階建てのエンゼルクエストビルに入り、7階でエレベーターを降りる。薄暗い一フロアに4軒の店が並んでいる。店の看板のひとつに《牡丹江》とあった。安斎英道が通訳として雇われていたクラブだった。

「安斎っスかぁ?あいつは2か月前、求人誌の広告見たって言うんで来たんですよ。中国語も韓国語をイケるんで、ちょうどいいやってことで、その日から店に出しました」

 クラブの奥にある狭い事務所で、店長代理が天羽に対して気だるそうに話した。

「言葉はどこで習ったと話していたの?」

「自分は脱北者で、本名は安なんとかって感じで、中国との国境沿いに住んでたことがあるから、どっちもイケるみたいなことを言ってました」

「何か、こう・・・癖みたいのは?」

「そうッスねぇ。右手の肘の裏側って言うんスか、そこをボリボリ掻くんですよ。やめろって言うと、子どもの頃に出来た傷があって、それが疼いてすぐ痒くなるんだって、何回言っても止めなかった」

 天羽は確信を得たと思った。『向島一号』を行確していた係員と証言が一致する。

「友だちとかはいなかったの?」

「いなかったみたいッスけど」

「そう。どうもありがとう」

 話を聞き終わった天羽は本庁鑑識課に連絡して、『向島一号』の逮捕時の指紋データと富久町の殺害現場から採取された安斎英道の指紋の照合を依頼した。指紋照合は違ったとしても、掌紋で過去のデータと一致する可能性もある。その旨を貫井に報告すると、思いがけない話が飛びだしてきた。

「有明の十号地埠に、白の乗用車が沈んでいるのが見つかった。さっき上がってきた報告だと、中国人らしき男の遺体があるそうだ。呉徳聖かもしれないから、確認するんだ」

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