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天羽は目白の屋敷から警視庁に向かった。ひとまず富川には何か手が必要になったら連絡すると伝えて目白で別れた。本庁14階に居を構える公安部のオフィスで、事件指導班を訪ねた。事件指導班は所轄の公安係に事件や各種作業を指導するセクションである。
「青柳キャップ。ちょっとご相談が」
「おお、アモッちゃんじゃないか。珍しいね、このシマに来るのは」
青柳勇次はあと3年で定年を迎える警部補だったが、公安部の中でも数少ない生き字引のような存在だった。
「実は参事官に呼ばれまして、新宿の件なんですが」
「あのヤマって、ウチが絡むようなややこしい筋があるの?」
「そうかも知れないんです。この写真を見てくれますか?」
天羽は病院で撮影された安斎英道の顔写真を差し出した。最古参の青柳は写真を見るなり、何か考え込むような仕草を見せる。途端に思わぬ話を口にし始めた。
「うーん、10年くらい前にウチがあった『向島一号』に似てるかなぁ」
貫井が公安総務課で管理官だったころと時期が重なる。
「『向島一号』というのは?」
「何だ、知らないのか?」
「僕はまだ学生でした」
「なら、仕方ないな。向島署で公安の私服警官が公妨(公務執行妨害)にあってね。現場で逮捕したんだが、こいつが完黙でさ。結局、『向島一号』で起訴され、結審したんだ」
貫井の証言との一致を確認しながら、天羽は言った。
「それでどうなったんですか?」
「7年くらい前に刑期満了で出獄して、3年の間は公総が行確してたんだけど、結局、飛ばれたという話だったな」
「飛ばれた?」
「四課に行けば資料が残ってるんじゃない?気になるの?」
公安四課は警視庁だけでなく、全国の公安情報の集積地でもある。
「分かりました。ありがとうございます。四課に行ってみます」
天羽は電話で公安四課に『向島一号』のデータ閲覧の申し入れを行った。階段を上がり、15階に向かう。庶務で身分確認をした後、係官が天羽に頭を下げる。
「どうも申し訳ありません。公総の天羽です」
「話は聞いております。ちょっと資料が膨大なものですから、こちらの閲覧室を用意しておきました」
天羽は指定された閲覧室に入った。部屋の中に1台のPCと厚さ10センチほどの捜査資料簿冊が十数冊積み重なっていた。PCの検索目次に『向島一号』と打ち込む。画面に事案概要が表示された。
『被疑者は平成十×年6月3日午後2時43分ごろ、東京都墨田区立花七丁目の荒川河川敷において開催されていた極左ブント系集会を視察中の警視庁向島警察署警備課警察官Xに対して、Xが公務に従事する警察官であることを認識しながら、「この野郎」と一言告げるやXの顔面を1発殴打し、同人に全治1週間の負傷を負わせる傷害を与え、もっと同人の公務の執行を妨害したものである』
捜査記録に眼を通す。
『向島一号』が当日のデモ集会の参加者であったかどうかは明らかになっていない。また当時現場に応援で派遣された機動隊員が被疑者を制圧し、現行犯逮捕した際にも他のデモ参加者がこれを阻止しようとした形跡もない。現場では逮捕に素直に応じている。しかし、その後は完全黙秘を公判終了まで続け、黙秘は国選弁護士にさえ同様だったとなっている。
東京地裁は被告人に対して懲役3年を言い渡し、『向島一号』は平成十×年10月20日に栃木県の刑務所を出所している。入所中に文書の受発はない。最後まで氏名等は称さなかったという。出所時から、警視庁公安部公安総務課が視察を開始している。
『向島一号』は懲役刑で得た現金約30万円を持って東京に戻り、台東区の山谷にある簡易宿泊施設に入った。その後は日雇いの仕事をしていたが、仕事仲間とはほとんど会話をしていない。2度ほど公衆電話から架電。電話をかけた相手の特定には至っていない。
1か月後、『向島一号』は「寺門昌彦」という偽名で浅草にある北朝鮮系のパチンコ店で働くようになった。2年間そのパチンコ店で働いた後、韓国に出国。その後の行方は不明。
天羽は必要な箇所をメモし、『向島一号』の指紋番号を確認して14階に戻った。
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