1.13 妖精の国の危機

いつも通りの昼下がり。

いつも通り暇な私は、いつも通り高台に来て、後ろで組んだ手に頭を乗せて寝転がり、いつも通り空に浮かぶ雲をボーッと眺めていた。

その雲に、百年以上前に助けた可愛い妖精さんの顔が浮かぶ。

ケア・カーリング。

彼女が作ったクッキーの味は今でも忘れられない。そして思い出すだけで唾液が止まらない。

あれから連絡は一度もない。寂しい気持ちもあるけれども、私を頼らないといけないような事件が起こっていないということだ。

それに何回も救援要請が来たらそれはそれで面倒くさいし、妖精の国に行くってことは巨人族の領土に行くってことだから、敵対している魔族の私が何度も行き来するのはあまりよろしくない。

ケアの料理が食べられないのは残念だけど、なにもない方が良いに決まっている。

そんなことを考えながら、目を閉じてお昼寝。今日は日差しが緩くて、風もあるからとても心地いい。絶好のお昼寝日和だ。

私は大きく深呼吸して、そのまま深い眠りに……


(寝られないわね……)


妙な胸騒ぎがする。

私は起き上がり、自分の胸に手を当てる。


(当たらなければ良いけれども……)






私の予感が当たったのは三日後の深夜だった。


「ノワエさん!! ノワエさん!!」


「ん……。だれ……?」


目をこすりながら体を起こす。箪笥の上に置いてある水晶を見ると、緑色の髪の毛をした女の子が映っている。


「ケアです!! 夜中にすいません、助けてください!!」


「ケア……。え、どうしたの?!」


ケアの名前を聞いて、頭が一気に覚醒する。


「そ、それが、魔族たちが……きゃあっ!!」


「ちょっとケア! 返事をしなさい!!」


しかし返事はない。どうやら事態は一刻を争うようだ。

私は枕元に置いてある剣を掴むと、空間に少しだけ切れ目を入れて、ケアに渡した水晶の位置を探す。


(見つけた!)


前にケアと別れたところからさほど遠くなかったので、すぐに見つかった。私は空間を裂き、自分の部屋を後にする。


(どこだろう、ここ……)


ケアが住んでいる森の中ということはわかるけれども、霧が濃くて一メートル先もまともに見えない。

辺りからは妖精どころか生き物の気配を感じない。繋ぐ先を間違えたかと思ったが、足下にケアに渡した水晶が落ちている。


(とにかく探ってみるか……)


それを拾い上げて、辺りを探る。濃い霧は魔力を吸収するのでかなり探しにくかったが、ほどなくしてケアの魔力を見つける。どうやら魔物に追われているようだ。

他にも二十人ほどの妖精が、散り散りになって逃げている。

とにかく魔物をして妖精さんを助けるのが先だ。私は剣を大地に突き刺し、闇魔法を唱える。

私を中心に赤黒い魔方陣が浮かび上がり、周りの地面を黒く染めていく。黒い地面からは真っ黒な手がゆらゆらと伸びる。その闇の手が一定以上の魔力を持つ生物を掴んでいく。そして頭の中に掴んだ生物の姿が浮かぶ。それが魔物なら握り潰し、妖精なら解放する。


「ふぅ……」


その作業を繰り返し、辺りに魔物がいなくなったので一息。

この魔法、色々なことに使えて便利なのだが、魔力の消費が激しいのと、情報量が多すぎるせいでかなり疲れるのだ。

雰囲気は夜にぴったりだけれど、夜中に叩き起こされてすぐに使う魔法ではない。少しくらくらする頭を振ってシャキッとさせてから、私は声を張り上げる。


「ケア! どこにいるの?!」


私の声は霧が吸収してしまったのか、誰にも届くことはなかった。

こう霧が深いと歩き回って探すことは出来ない。どうしたものかと悩んでいると、後ろから殺気を感じる。

刹那、何かが飛んできて、寝間着の脇腹あたりがスパッと切れる。


(……なんだろ?)


霧の向こうから、妖精さんと同じ大きさの魔力と、隠そうともしない殺意を感じる。妖精さんが攻撃してきたのかと思ったけれども、彼女たちはこんなに速く動けない。人形かな、と思って、私の顔めがけて飛んできた物体を捕まえる。

当たり。目だけが異様にリアルな、深紅のドレスを着た人形が私目の前で暴れている。

そして……


「きゃっ!」


人形が爆発する。咄嗟に防御壁を張ったから無傷だったけれども、人形だからとはいえ油断しすぎだ。

続けて二体目、三体目と突撃してくるけど、人形ごときでは私にかすり傷一つ付けられない。五体目を打ち落としたところで、ぴたりと攻撃がやむ。

私は真っ二つになって、地面に転がっている人形を手に取る。私の体温が伝わると起爆する仕組みなのか、また私の手の中で爆発する。手には布すら残らなかった。

斬っても消滅しないということは魔物じゃない。魔族が操っているのだろう。

たかが人形だけど、使い捨てのように爆破するのって悪趣味だなって思う。人形は魂が宿るっていうしね。やりすぎると地獄行きになるよ。あ、どうあがいても魔族はみんな地獄行きか。


「それよりも早く妖精たちを確保しないと」


魔族がいるってことは妖精を捕まえに来ているってことだから、のんびりとしているわけにはいかない。私は少々荒っぽい手段を執ることにした。

先ほどと同じ闇魔法を使い、身を隠している妖精さんたちを掴んで確保する。そして私の元に連れてくる。その中にはケアもいた。


「ケア」


闇の手の中でもがくケアはすごく怯えた顔をしていたが、私の顔を見て胸をなで下ろした。


「ノワエさん!」


「どうやら無事みたいね。仲間はこれで全部?」


ケアだけを解放して、仲間を数えてもらう。他の妖精達はまだ何が起こったのか理解できておらず、必死に闇の手から逃れようとしている。


「全員います。でも女王様たちが……」


「どのくらい前の話?」


「ノワエさんに連絡する少し前です」


「ならそんなに遠くまで逃げてないでしょうね……」


「ノワエさん、女王様を」


「わかってるわ。とりあえずあんたたちは、私の館に避難しなさい」


そう言って空間を裂こうとした時、妖精から声が上がる。


「ケア、どういうことなのか説明して」


「この魔族は誰なの?」


「私たちはどこに連れて行かれるの?」


一人が声を上げると次々に声が上がる。すぐに蛙の合唱のように騒がしくなった。


「みなさん落ち着いてください。とにかく今は、ノワエさんの言う通りにしてください」


ケアが必死に声を上げるが、妖精達には届かない。

誰かが「ケアが仕組んだ罠だ」と言いだし、ケアに罵声を浴びせ始める。

みんなから責められるケアの目に、うっすらと涙が浮かぶ。


「はいはい! 落ち着きなさい!」


私が手を叩きながら大きな声を出すと、妖精達は黙る。


「私はあんたらをどうこうするつもりはないけど、信じてくれって言うのも無理な話だと思うわ。でもあんたらの命は私が握っているも同然なんだから、とりあえず大人しく捕まってきなさい」


「くそっ、離しなさいよ、薄汚い魔族め!!」


「はいはい。ディース! ちょっと良いかしら?」


私は水晶を使ってディースを起こす。


「どうしました、ノワエ様?」


深夜だというのに、すぐにディースの顔が映る。その顔に眠さや怠さを一切感じない。まるでずっと起きていたかのようだ。

ディースっていつ寝ているんだろうって思うことが多々ある。実は魔法生物だったりしないよね。


「今から、客間に妖精さんたちを送るわ。もてなしてあげて」


「かしこまりました。ノワエ様はいかがなさいますか」


「私はさらわれた妖精を助けてくるわ」


「はい。お気をつけて」


ディースとの通信を切り、私は空間を裂いて客間に繋げる。


「な、なによこの魔法……」


「すごい……」


ケア以外の妖精達がガヤガヤと騒ぎ出す。

私はさっさと妖精さん達を移動させて、空間を閉じる。後はディースが何とかしてくれるだろう。


「みなさん、大丈夫でしょうか……」


「たぶん大丈夫よ。それよりケア、ちょっと耳を持って」


「はい。……前と同じことをするんですか?」


「ええ。……じゃあいくわよ」


ケアにもわかるように辺り一帯を捜索するが、妖精の魔力は一切感じない。

範囲を徐々に広くしていくと、南南東の方角に妖精の魔力を感じる。ケアに確認すると「間違いありません」と返してくれる。思っていたよりも遠くまで逃げられている。


「ケア、しっかりつかまってね」


それを聞いたケアが、少し悩んでから私の胸元に入ってくる。ちょっとくすぐったい。


「ノワエさん、オッケーです」


「了解。行くわよ!」


私は地面を蹴って、跳ねるように霧の森を駆け抜ける。濃霧のせいで木が目の前まで来ないと見えないけれども、このくらいなら難なく避けられる。仮に当たっても、木が粉々になるだけで私にはダメージはないだろうけど。

五分ほど走ると目的地に着く。

不思議なことにこの辺りはまったく霧がない。


「し、死ぬかと思いました……」


胸元からひょっこりと顔を出すケア。その顔は血の気が引いて、全く動いていないはずなのに荒い息を吐いている。


「大丈夫よ。当たらない速度で走ってるから。さて、どこにいるのかしら……」


もう一度辺りに魔力を張り巡らせて捜索する。私から見て左斜め前、五百メートルほどの所に妖精と魔族の魔力を感じる。

敵の数は四人。魔力の量が多いから、四人とも上級魔族だろう。

変なことをされると困るので、気配を消して慎重に距離を詰める。

いた。龍人族、鬼人族、獣人族、亜人族。見事に種族の違う四人は、大きな声で笑いながら歩いている。立派な二本角を生やした鬼人族が持っている白い布袋の中に、妖精さんたちは詰め込まれているようだ。

ケアに防御魔法をかけてから、私は彼らを大きく飛び越えて、目の前に降り立つ。突然の事に驚き身構えた男達は、私の格好を見て笑い出した。


「なんだコイツ? 寝間着だぜ」


「さぁ、娼婦じゃねーのか」


「娼婦にしては貧相すぎるだろ。もっとボインじゃねーと」


「俺はこのくらいの体系の方が好きだぜ」


「お前ロリコンかよ」


「わかってねーな。こういう小さい体のヤツの方が……」


ああ、忘れてた。寝間着のままだったんだ。しかも一部裂けてるやつ。そりゃそういう風に見られても仕方ない。

……いや、そういう風に見られるのは良いけど、こんな深い森に娼婦がいたら、魔王も真っ青なくらい怖いと思うんだけど。

あれかな、達成感とか緊張感とか、色々な感情が混じって正常な判断が出来ないのかな。もしかしたら禁欲生活が長いからかもしれない。まぁどちらにせよ、お子様に見せられないシーンを作るわけにはいかない。


「とりあえず、妖精さん達を返してね」


私は拘束魔法を使って、四人の動きを止める。


「き、貴様、何をした!!」


一番強そうな竜人族の男が声を上げる。すごい。口だけとは言え、私の拘束魔法を食らっても体を動かせるなんて。でも残念。もう一段階威力を上げたら、口すら動かせなくなるから。

私はちょっと格好つけて、指をパチンと鳴らす。竜人族が完全に動けなくなったのを確認してから、鬼人族から妖精さんが入った袋を奪い取る。


「はい、妖精さん回収。じゃあお休み。夢の中で私を犯せると良いわね」


強力な睡眠魔法をかけると、男達はその場に倒れ、寝息を立て始める。


「あ、相変わらずですね……」


「まぁ一応、強い部類の魔族だしね。それより、早く妖精さんたちを救出しましょう」


白い布袋を開けると、中には縛られた妖精さんたちがすし詰めにされていた。


「女王様!!」


一番上にいた妖精を見て、ケアが大きな声を出す。


「ケア、無事だったのね」


「はい! お迎えに上がりました」


ケアの瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。


「……はいはい。感動の再開は全員解放してからにして」


私は袋の中に入った妖精達を取り出して並べる。彼女たちの腕と足を縛る縄には、簡単な拘束魔法がかかっている。かなり弱い魔法だけれど、魔力に乏しい妖精さんを捕まえるには十分だ。

私がそっと縄に触れると、小枝が折れるような音がして魔法が解ける。

ケアと私で手分けして縄をほどく。ケアは女王様たちに事情を説明しながら、手際よく縄をほどいていく。

対する私は、ケアが六人目に取りかかり始めて、やっと一人終わった。もう後は任せる。私に細かい作業は無理だ。

全員の縄がほどけたところで、私は回復魔法を使う。柔らかい光が妖精さん達を包み、手足に付いた縄の痕を綺麗に消す。


「ノワエさん、こちらが女王様です」


「ノワエさん、はじめまして。この度は助けていただきありがとうございます」


少しつり目の、整った顔をした女王様が頭を下げる。

妖精独特の不思議な魔力を濃く感じる。


「気にしなくても良いわよ。困っている友達を助けただけだから」


私が笑うと、女王様がまた頭を下げる。


「さてと、館に帰りましょうか」


「ノワエさん、あの男たちはどうするんですか?」


女王様が心配そうに、ぐっすりと眠った男達を指さす。


「とりあえず明日の昼間まで起きないと思うわ」


「トドメは刺さないんですか?」


「あ~。……殺してしまうのは簡単だけど、私、そういうことはあんまりしたくないのよね」


「ですが、また襲われるかもしれません……」


「私がなんとかするわ」


「で、ですが……」


「……女王様、ノワエさんを信じましょう」


「ケア……」


「まぁ悪いようにはしないから。ほら、とりあえず帰りましょう」


私は空間を裂いてボロ洋館の前に繋げる。

ケアは慣れたのか空間の裂け目をさっと通ったが、女王様たちはおそるおそる空間を越える。

私は幼い頃から何度も空間を越えているから感じたことが無いけれども、空間を越えるのって結構怖いらしい。


「おかえりなさいませ、ノワエ様」


ボロ洋館に入ると、給仕服に着替えたディースが出迎えてくれる。


「おかえりぃ~。ノワエ様……」


その後ろから、眠そうなルルカもやってくる。こちらは寝間着のままだ。


「うん二人ともただいま。ごめんね、夜中に起こして」


「いえ、大丈夫です」


「だいじょうぶ~。イレアナのドンドンよりマシだから」


ルルカは大きな欠伸をしながらそう言う。

故意に壁を叩いているわけではないが、激しくなるとどうしても音が出てしまうのだ。


「他の妖精たちは無事?」


「はい。みなさん客間にいます。今日はどうされるのですか?」


「泊まってもらうわ。大丈夫?」


「はい、すぐに準備いたします。ルルカ、案内をお願い」


「はいは~い。ふぁ~あ。こちらで~す……」


欠伸を何度もしながら客間に案内してくれるルルカ。

客間に入ると、先ほど連れてきた妖精たちが一か所に固まってこちらを睨んでいた。

しかし女王様の顔を見るなり、全員が安堵の表情を浮かべる。中には泣き出す者もいた。

しばらく再会を喜び合ってから、女王様とケアが他の妖精さんたちに事情を説明する。俄には信じがたいといった顔をしている者がほとんどだが、女王様の話ということもあり、とりあえずまとまったようだ。


「ノワエさん、妖精の国の代表としてお礼を致します。本当にありがとうございます」


「そんな何回も頭を下げなくて良いわよ。明日の朝ごはんが美味しくなるならお安い御用よ」


「はい、精一杯準備させていただきます」


私が「よろしく」と言うのと、扉がノックされるのがほぼ同時だった。「失礼します」と言って入ってきたディースは、大量のハンカチを持っている。


「申し訳ありません。布団の代わりになる物を探したのですが、このようなものしかありませんでした……」


「いえ、十分です。本当に何から何までありがとうございます」


また頭を下げる女王様。その横でルルカが大きな欠伸をする。仮にもお客さんの前だというのに、相変わらずだ。


「何かあれば、こちらを鳴らしてください。すぐにお伺いします」


そう言って五センチほどの小さなベルを渡すディース。


「じゃあ、もう夜も遅いし、さっさと寝ましょうか。ちゃんとした自己紹介は明日するわ」


「はい。ノワエさん、ディースさん、ルルカさん、おやすみなさい」


一斉に頭を下げた妖精さん達に手を振って、客間を後にする。


「ディース、このままお願いできるかしら?」


「かしこまりました」


嫌な顔一つせずに頭を下げるディース。メイドの鏡だ。それに比べてルルカは、ずっと欠伸をしている。


「本当にごめん。私が起きたら、休んでくれて構わないから」


「お心遣いありがとうございます」


「ふぁ~あ。じゃあディース、私は遅めに起きていい?」


「……そうね。私が休んでいる間をお願いするわ」


「うぃ~」


もう何度目かわからない、大きな欠伸をするルルカ。それにつられて私も大きな欠伸が出る。


「朝食の準備が出来ましたら、起こしに行きます」


「うん、よろしく」


一段落して気が緩んだのか、忘れていた眠気が一気に襲いかかってくる。


「じゃあ二人ともお休み」


「お休みなさいませ」


「おやすみぃ……」


二人と別れて自室に入り、ベッドにダイブする。

先ほどまで暖かかった布団は、すっかり冷えていた。


「眠い……」


ベッドに横になるとすぐに瞼が落ちてきて、私を深い睡眠に誘う。

私はそれに逆らうことなく、甘い睡眠に身をゆだねた。






見えるもの全てがセピア色の世界。ああ、これは夢の世界だ。と思う。

目の前には短針だけで私の体の二倍以上はある、古びた大きな時計が、音もなく時を刻んでいる。

その前に佇む白髪の女性がこちらをじっと見ている。


「……だれ?」


私が問いかけても、女性はこちらをじっと見ているだけで動きはない。

いや、よく見ると小さく口を動かしている。


「お、……か、え……り……?」


口の動きに合わせて声を出すと。女性が笑顔で頷く。そしてその状態で、石化したように固まってしまう。

私、こんな場所知らないけどな。と思いつつ、もう一度大きな時計を見上げる。

音もなく動く時計を観察していると、この時計が正確に時を刻んでいないことに気が付く。

一秒で動く時もあれば、三秒以上かかっている時もある。いったい、どの世界の時を刻んでいる時計なのだろうか……。

時計の秒針がてっぺんに来ると、生暖かい、でもどこか寂しい風が吹く

大きな時計が、黄土色の霧に包まれて消えていく。どうやら夢が終わるようだ。

女性の方を見ると、また口を小さく動かし、「またね」と言ったような気がした。

濃い霧に包まれて、時計と女性が、まるで初めからそこになかったかのように消える。

辺りにはなにも無い。大理石のような床と、黄土色の霧が私を囲んでいるだけだ。

私は霧の中に行こうか迷ったけれども、あの向こうに行くのはまだ早い気がする。


「ノワエ様、ノワエ様……」


ディースの声が聞こえる。そろそろ起きなければならないようだ。

私は意識を現世に繋いで、本当の目をゆっくりと開ける。


「ノワエ様、おはようございます」


「う、ん……。おはようディース」


目を擦りながら上半身を起こし、扉の前にいるディースに挨拶する。


「もうみなさん起きられました。ノワエ様もそろそろ」


「ああ、うん……」


凝り固まった体をほぐすために、大きく伸びをする。


「……ノワエ様、その服はどうなされたんですか?」


「ん? あ……」


そうだ。昨日人形に襲われて寝間着の横腹あたりが切れたのを忘れていた。

怒られると思うと同時に、一つ疑問が浮かぶ。


(昨日の連中に人形遣いは……。いなかったわよね)


あの男四人はいずれも武器を持っていたし、人形を持っている様子もなかった。


(ってことはもう一組いたってことか……)


何が目的なのかは知らないけど、人形遣いがあの森にいたのは間違いない。目的はあの男達と同じだろう。


「……ノワエ様、聞いていますか?」


「あ、ごめん。聞いてない」


「まったく……。寝間着の件は良いですから、早くお着替えになってください」


「わかったわ」


渡された服に着替えて姿見の前に座り、髪を梳かしてもらう。こうしてディースに髪を梳かしてもらうのは、本当に久しぶりだ。

ルルカに梳かしてもらうこともあるんだけど、同じ道具を使って同じように梳かしているはずなのに、出来上がりがディースとは全然違う。

ディースは私の髪を自然に見えるように梳かして、ルルカは私の髪を綺麗に見せるように梳かす。

どっちの方が良いのかはわからないけど、二人とも丁寧に梳かしてくれるから、髪が喜んで生き生きするようになる。

十分ほどかけて梳かし終わった髪を、ディースがさっと撫でる。


「羨ましい?」


「はい」


体はちんちくりんだし、胸は真っ平らだし、性格も顔も悪い私が唯一自慢できるのがこの黒髪。

全ての女性の頂点ともいえる、淫魔の王が羨ましがる至高の黒髪。

私が無い胸を張ると、ディースがクスクスと笑う。


「あら、笑うなんて失礼ね」


「笑わせようとしたのは、ノワエ様ではありませんか」


「ふふっ。ディースが笑ってくれて良かったわ。さ、妖精さんのご飯を食べに行くわよ」


リビングに入ると妖精さん達が一斉にこちらを見て頭を下げる。

その数は三十に満たないくらいだけれど、この館がこんなに賑わうなんて初めてのことだ。


「おはようございます。ノワエさん」


「おはよう、ケア。女王様は?」


「今、台所でお食事を取られています」


「あらそう。で、今日はどんなご馳走にありつけるのかしら?」


「こちらでございます」


ディースが持ってきてくれたのは野菜がたっぷり入ったスープ。

野菜の大きさがバラバラで不格好だが、これが最も美味しくなる切り方だったのだろう。

私は手を合わせて挨拶をしてからスープを飲む。

あっさりとしたスープは、それぞれの野菜が協力して出した、自然な甘みで味覚を満たしてくれる。

サイズが不揃いな野菜達は、口の中で蕩けて喉を通り、優しくお腹を満たしてくれる。

そして一口食べる度に、柚子の香りがスッと鼻を抜ける。

シンプルだけど、心まですっきりする一品だった。


「おっはよ~」


食事を終えた私が上機嫌で一服していると、ようやくルルカが起きてくる。昨日とは打って変わってテンションが高い。まぁ、深夜にたたき起こされてこのテンションを維持しろという方が無理か。


「おはようございます、ルルカさん」


「うぃ~っす」


「こらルルカ。お客様なんですから、ちゃんと挨拶をしなさい」


「さっきしたじゃん。あ、私の分は? 台所?」


「……そうです。女王様もまだいらっしゃいますから、ちゃんと挨拶をするのですよ」


「ほいほ~い」


そう言って台所に入っていくルルカ。


「まったく、あの子は……」


ルルカは本当に女王様に挨拶をしたのだろうか。と思うほどすぐにスープを持って出てきた。

そして大きなジャガイモを口に含んで歓喜の声を上げる。


「ルルカ、お楽しみのところ悪いんだけど、ディースと変わってあげて」


「あ、うん。ディース、なに引き継いだら良い?」


野菜スープを食べながらディースの話を聞くルルカ。


「え~っと。ってことは朝食の準備以外はなにもやってないわけか……」


「ごめんなさい。夜中だったから、あまり動かない方が良いかと……」


「謝らなくても良いって。夜中に物音で起こされる方が嫌だから」


そう言って私を見るルルカ。


「なによ?」


「なんでもありませ~ん。んじゃごちそうさま」


そう言って私の食器と自分の食器を持って台所に入るルルカ。


「ではノワエ様、申し訳ありませんが、失礼致します」


「うん、ありがとう。ゆっくり休んでね」


頭を下げると、ディースはリビングを後にする。


「ケア、これからどうするの?」


「女王様とノワエさんと私で、町の様子を確認しに行こうと思います。その後、移住の計画を練ろうかと思っています」


「移住先は決まってるの?」


「いくつか候補地があるので、その中から決めようと思います」


「了解。じゃあ女王様のご飯が終わったら、行きましょうか」


「はい」


残される妖精さん達は、何も言わずに私たちを見ていた。






女王様と軽く打ち合わせをした後、私たちは半壊した町にやってきた。

妖精さんは大きな木に穴を空けてそこを家にする。

見かけでは荒らされた様子は無かったが、中を覗くと燃やされていたり、無数の切り傷が付けられていたり、何か得体の知れない液体がまかれていたりしている。

女王様とケアは穴を一つずつ確認して、その度に深いため息を吐く。中にはまだ使えそうな穴もあったが、場所もばれているから、素直に移住した方が良いだろう。


「ノワエさん、寄りたい所があるのですが……」


確認を一通り終えると、女王様がおずおずと話しかけてくる。


「ん? いいけど」


この後は移住の詳細を打ち合わせするだけだから、時間はいくらでもある。


「では、付いてきてください」


そう言って女王様とケアが先導する。

濃霧に覆われてほとんど前が見えないというのに、二人はすいすいと進んでいく。

私は二人を見失わないようにしながら、ここに来る前に女王様と話していた内容を振り返る。

妖精の国をどう守るか。いくつか案があったけれども、基本に忠実に、防御壁を張ることにした。

これなら魔族は当然として魔物も入ってこられない。私が防御壁を張るのだから、その強さは折り紙付きだ。

条件をどのように設定するかを考えながら三十分ほど歩くと、複数の妖精の魔力を感じる。


「もしかして……」


「はい、私たちとは別の国です」


深い深い霧のせいでなにも見えないが、移住の候補地って、もしかして別の妖精の国なのだろうか。っていうか、私を使って乗っ取るとか考えてないよね。いくらお願いされても、それは聞けない。

私たちの姿を確認すると、ここに住む妖精たちが飛び出てくる。武器を持っている者はいないが、とても仲が良さそうには見えない。

この町の妖精たちは魔族である私をだいぶ警戒しているようだ。一触即発といった雰囲気に包まれる。そりゃ他の町の妖精が魔族なんて連れてきたら、侵略だと思うわよね。警戒して当然だ。


「ねぇケア、女王様は何をするつもりなの?」


「合併しようとしているんです」


「合併?」


ケアが頷く。


「そんな簡単に合併できるものなの?」


私が防御壁を張るのだから安全は保証できる。だからといって、他の場所に住む妖精がそれを信じて、一緒に生活しようとはならないと思う。

それにそういう話になったとしても、そんな簡単に移住できるとは思えない。まぁ物理的なことは、私が手伝えばすぐに終わるだろうけど。


「わかりません。もともと妖精たちは一つの場所に住んでいましたが、よく襲われるようになって、種族の根絶を防ぐためにいくつかに分かれて生活するようになりました。女王様の元を離れていったのは女王様を良く思っていない者や、自らが王になりたいと野心を燃やしていた者ばかりです。上手くまとまるのかどうか……」


五分ほどすると、妙に化粧の濃い、高慢な感じがする妖精が現れる。悪の女王というあだ名がぴったりの妖精だ。


「どうしたのですか元女王様。魔族なんて連れてきて、侵略にでも来たのでしょうか」


“元“の部分を妙に強調する悪の女王。いや、別に悪者ってわけじゃないんだけどね。雰囲気がそれっぽいだけで。


「ご無沙汰しております。今日は良いお話を持ってきました」


女王様が昨日襲われたことと、私が女王様達を助けたこと、そしてこれから私が防御壁を張ることを説明し、合併の話を持ちかける。

悪の女王は、呆れたような顔を作り、ため息を吐いた。


「……信用できませんね。どこの馬の骨ともわからない魔族の防御壁に頼って生活をするなど」


「ノワエさんは強力な魔族です。それは私が保証致します」


「あなたがそう言い切るのであれば、間違いなく強力なのでしょう。ですがその魔族が私たちを連れ去らない確証はありませんわ」


「ノワエさんはあなたが思うようなことは一切しません」


「本当にそうなのですか。今こうして助けているのだって、私たちを一網打尽にするためかもしれません。そもそも、その襲ってきた男四人組に止めを刺さないということは、グルなのではないのですか?」


「そんなことはありません。ノワエさんは、深夜にもかかわらず私たちを助けに来てくれました。あの四人組の男とは違います」


「本当にそうなのかしら」


「私は恩人を信じます」


「ふふっ。あなたたちにとっては恩人かもしれませんが、私たちにとっては憎き魔族です。私たちはその怪しい魔族が使う怪しい魔法など信じません」


「……わかりました。致し方ありません。ですが、何かあったら迷わずに連絡をください。私たちは、同じ妖精なのですから」


「お心遣い感謝いたします。それでは失礼致しますわ」


スカートの裾を少しあげて、悪の女王が引き上げる。一瞬、勝ち誇ったような、嫌らしい笑みが見えた。

しばらくしてから女王様が振り向き、頭を下げる。


「ノワエさん、気分を害してしまい、申し訳ありません」


「気にしてないわよ。向こうの言うことだってもっともだしね」


今まで襲われてきたというのに、助けてもらったから魔族を信用しろ。なんて無理に決まっている。


「昔から、その、彼女とは仲が悪いのです。別れて生活しようと言いだしたのも彼女でした」


ばつの悪そうな顔をする女王様。ケアは悪の女王のことが気に入らないのか、険しい顔で町の方を睨んでいる。でもケアってとても愛らしい顔をしているから、全くと言って良いほど怖さを感じない。


「当時の状況を考えれば間違った判断ではないと思うわ。ま、もし防御壁が必要なら、いつでも気軽に連絡をちょうだい」


「はい。その際は料理をお作りします」


「よし、何回でも言ってくれ」


その後も三つほど国を回ったけれども、どれも同じような答えが返ってきた。

試しに私が能力を見せても、怖がるばかりで効果は無かった。


「ノワエさん、本当に申し訳ありません。とんだ無駄足でしたね……」


力の無い笑顔を浮かべる女王様。自分の求心力のなさに打ちひしがれているように見える。


「そうでもないと思うわよ。周知さえしておけば、何かあった時に絶対に頼ってくるはずよ。焦らずにじっくりやるしかないわ」


「はい……」


「さて、今日は帰りましょうか」


「はい。またお世話になります」


「いいわよ。美味しい料理が食べられるならそれで」


なんならずっといてくれても構わない。むしろそっちの方が嬉しい。

食いぶちが増えるけれども、森に入れば果物はいくらでも手に入るし、妖精さんは食べる量も少ないから、食費なんてあってないようなものだ。それで美味しいご飯が食べられるのなら最高だ。客間を使うような客人も来ないしね。定期的に来る唯一の客人は、私の部屋と体を使うし。

空間を裂いてボロ洋館に戻ると、すっきりした顔のディースが出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ」


「ただいまディース。よく寝られた?」


「はい、お陰様で。先ほど起きたところです」


「よかったわ。妖精さんたちは?」


「全員無事です」


「ありがとう。ご飯にしましょう」


「はい。今晩も妖精たちが手伝ってくれたので、とても美味しいと思いますよ」


「あら嬉しいわね。ディース、少しは技術を盗めたかしら?」


「お恥ずかしながらまったく……」


「でしょうね。でもディースの料理もとっても美味しいから文句はないわ」


「ありがとうございます」


リビングに入ると、ルルカと、一列に並んだ妖精さん達が私を迎えてくれる。

突然のことに面食らったけど、なんか一国の王になったようでいい気分だ。ちょっと偉そうにして席に着くと、ルルカがすぐに食事を持ってきてくれる。

夕食はソーセージが入ったポトフだ。匂いだけでわかる、これ、絶対に美味しい。


「ルルカ、なんか雰囲気が違わない?」


「違うって? 私、いつも通りだと思うけど」


「いや、妖精さん達のことよ。なんか余所余所しさが無くなったというか、遠慮がなくなったというか……」


「あ~……」


バツの悪そうな顔をして、ディースをちらちらと見るルルカ。


「怒らないから、話してみなさい」


「絶対だよ?」


ディースは眉をひそめてから頷く。


「いやぁ~。やることが午前中で終わっちゃったから、その、お昼からずっと妖精さんと遊んでました……」


ディースがため息を吐く。


「思っていたよりはまともだったわ」


「女王様、ルルカさんってすごいですよ。リビングの掃除もお洋服の洗濯も食べ物の在庫チェックも、すぐに終わらせてしまうのです」


妖精の一人が声を上げる。


「あら、ちゃんと働いてたのね」


「珍しく気合い入ってたからねぇ。あ、でもディースが寝てたから、廊下はやってないよ」


ディースが「それは仕方ないわ」と呟いてから、


「それでも午前中で終わらせるのは流石ね」


と、珍しくルルカを褒めた。


「ま、メイド業務はまかせんしゃい。プロですから」


そう言って胸を張るルルカ。たわわに実った果実がたぱんたぱんと揺れ動く。これは故意じゃない。と思いつつも、やはり見せつけているような気がして腹が立ってくる。

ちなみにルルカがその気になると、本当に信じられない速度で、このボロ洋館を綺麗にしていく。敬語さえ使えれば本当に優秀なメイドだと思う。そして何より、彼女が人の世話をすることが好きだ。


「でも、ルルカさんみたいに、優しくて楽しい魔族もいるんだなって思いました」


妖精の一人がそう言うと、みんなが頷く。


「あ、嬉しい。ありがとね」


ルルカが笑顔を作ると、妖精さん達も笑顔になり、わいわいと話を始める。

あまりの変わりように、私は当然として、女王様とケアも驚いた顔をしている。

ルルカの友達を作る能力は、やはり群を抜いているようだ。






「さて、やりますか」


私は腕まくりをして、木の箱の中に入った、私の顔よりも大きい水晶を机の上に置く。

当然このボロ洋館にあるものじゃ無くて、姉さんに頼んで持ってきてもらった物だ。

この大きさだとかなりお高いはずだけど、姉さんは嫌な顔一つせずに譲ってくれた。後が怖いけど、どうせおもちゃにされる運命は変わらないから問題はない。

今からこの水晶に、入れられるだけの魔力を注入する。

防御壁の魔法を維持するためには魔力がいる。それはどんな魔法でも一緒で、館の周りに張ってある防御壁も、定期的に私が魔力の補充をしている。私の数少ない仕事だ。

といっても館の周りの防御壁はそんなに強くないから消費する魔力は少ないし、私が定期的に補充できるから大きな容量も必要ない。

でも妖精の国はそういうわけにはいかない。高消費かつ定期的に補充できないとなると、容量が大きくて頑丈な水晶が必要不可欠だ。


(これだけ大きいのなら、一年近く持ちそうね……)


ちょっと集中。

これだけ大きければ大丈夫だとは思うけど、水晶に魔力を入れる時は慎重にやらないと割れてしまう。かといってちまちま入れていたら朝になっても終わらない。私は水晶の状態を感じ取りながら、魔力を注入していく。

五分ほど経つと水晶が安定する。一度安定してしまえば一定の力で魔力を注入するだけだから、とても暇になる。

私は魔法で魔道書を取り寄せて読み始める。最近新しい魔法の研究というか、ずっとできない植物を回復させる魔法を本気で取り組み始めた。カーラが出来て私が出来ないなんて許されないしね。まぁ私、回復魔法は苦手だから仕方ないと言えば仕方ないんだけど。

でもカーラは、攻撃魔法はともかくそれ以外の魔法なんてからっしきだ。でもカーラは植物を回復させる魔法を自由自在に使える。やっぱり愛ゆえに習得できたのかな。

一時間ほどで水晶に魔力が溜まる。これだけあれば十分だ。


「じゃあ寝るか」


やり残したことが無いか、忘れていることが無いかを確認してからベッドにダイブする。ルルカが干してくれたから、今日もふかふかで気持ちいい。

私は大きな欠伸をしてから、目を閉じた。






次の日、昨日の残りのポトフを食べてから、霧の森へと向かう。

連日空間を裂いているから、空間の裂け目がちょっと不安定になってきた。帰りは遠くまで歩いてから空間を繋げよう。

前にも言ったけど、空間がねじれたらどうしようもないし、その影響は計り知れないしね。面倒くさいけど、出来ることはちゃんとやっておかないと。

町に着いた妖精さんたちは、使える家財道具を持って、持ちきれない分は私が宙に浮かせて、新天地を目指す。

相変わらず一里先も見えない森の中を、妖精さん達はすいすいと進んでいく。今回は妖精さんが後ろにもいてくれるから、慌てて後を追う必要は無い。

休憩を何回か挟みながら、ようやく新天地に辿り着く。


「ここです」


「まぁ。素敵なところですね」


女王様が感嘆の声を上げる。

ここも変わらず深い霧が邪魔して辺りがほとんど見えないから、何が素敵なのか私にはわからないけど、他の妖精達も口々に歓喜の声を上げているから、よっぽど素敵な場所なのだろう。

家財道具を地面において、妖精達が仕事を始める。

木を細かくチェックしながら、自分たちの住む穴を慎重に空けていく。そこら中から木を削る音が聞こえる。深い霧の中から不気味に響くその音は、森に入ってきた愚か者をあざ笑うかのようだった。

それにしてもこの森は木が大きい。幹の直径が十メートルを超える木もざらにある。こうなるのに何百年かかったのだろう。

普通じゃ考えられない大きさだけれども、巨人族の領土は何もかもが大きいから、この辺りではこれが普通なのだ。同じ魔界なのに、これだけ差があるのって不思議だよね。

妖精たちが住み家を作っている間に、私は辺りを探索する。

防御壁を張る際に障害になる物、例えば分散石がないかの確認。あとは川や砂場があると魔力の流れが変わるから、地形も確認しておく。

幸いなことにこの辺りに障害になるような物も、特殊な地形もなかったので、戻って妖精さんたちの作業を見守る。


「ノワエさん、お暇じゃないですか?」


ケアがやってくる。彼女はどうやら、穴を空ける作業には加わらないようだ。


「いつもこんな感じだから大丈夫よ」


むしろ雲を眺めているよりは有意義だ。


「じゃあノワエさん、今から果物を取りに行くのですか、ご一緒にどうですか?」


「いいわね。っとその前に」


私は目の前に小さな円を描いて、魔力を込める。刹那、大きな防御壁が展開する。


「ん? どうしたの?」


「……防御壁ってこんなに簡単に張れるものなんですね」


「いや、まぁ私だけだと思うけど……」


かなり簡易的なものとはいえ、大きな防御壁はそう簡単に張れるものじゃない。魔力が有り余っている私だからこそ出来る芸当だ。

女王様に話をしてから、ケアと一緒に果物を取りに行く。

妖精たちは一キロ程度の距離ならどこにどんな食べ物があるか分かるそうで、ケアはリンゴの木やミカンの木を器用に見つける。その木もすごく大きくて、何百個と実が成っていた。ケアは一つか二つしか持てないので、先ほどと同じように、魔法で宙に浮かせて運ぶ。


「魔法って何でも出来るんですね……」


「ええ。突き詰めれば大抵の事はできると思うわ」


物を浮かす技術を応用して自分を浮かせることも出来るし、魔法で羽を形成して空を飛ぶことだって出来る。あと空中を歩いたり走ったりもできる。

魔界では攻撃魔法ばかり研究が進んでいるけど、使えれば生活が便利になる魔法はたくさんある。私はそういう物を中心に研究しているつもりだ。

まぁ根っからの戦闘魔なので、戦闘に使える魔法の方がレパートリーは多いけど。

ケアとお喋りしながら、妖精さん達には少し多いくらいの果物を収穫し、町に帰る。

みんなでお昼ご飯を食べてから、私も作業に加わる。

穴開けをしてみたり、家財道具を配置してみたり、中を水魔法で綺麗にしたり……。意外とやることが多くて、対象物が小さいから、不器用な私はすぐに疲れてしまった。

一通りの作業を終えて一服していると、ケアが肩を叩く。


「ノワエさん、遅い時間ですけど、大丈夫ですか?」


「あ、そうなの? 今どのくらい?」


「もう日が沈むくらいの時間です」


「もうそんな時間なのか。よっこいせっと……」


親父くさいことを言いながら立ち上がり、お尻を払う。


「そろそろ帰らないとね」


「ノワエさん、本当にありがとうございます」


ケアが頭を下げる。


「ええ。あとは防御壁を張って終わりね」


私は町の真ん中に行って、大地に剣を突き刺す。魔力の流れが変わったのを感じて、妖精さん達が一斉にこちらを見る。

私はその視線を全部無視して、詠唱に集中する。

広範囲でかなり強い防御壁を張るので、私でもきちんと詠唱しなければならない。上級魔法は詠唱で手を抜くと、ろくなことにならないのは経験済みだ。

しっかりと魔力を練って、剣に伝えて防御壁を展開していく。

目に見えない魔法だけど、防御壁の周りは魔力の流れが変わるから、妖精さんたちも感覚でどこに壁があるかわかるだろう。

五分ほどかけて防御壁を完成させる。一息吐いてから歪みやひびが無いかを確認する。


「よし、完璧。これで外敵に怯えることはないわ」


「あ、あのノワエさん、初歩的な質問で申し訳ないのですが……」


女王様が申し訳なさそうな顔をして私に訪ねてくる。


「何かしら?」


「これ、私たちは外に出られるのですか」


「ええ。出られるわよ。原理を説明しておくわ」


この防御壁には「魔力が一定以上ある者は通れない」という条件を付けた。この防御壁を越える方法は二つ。

一つは単純に、防御壁の防御力以上の力でぶち破ってしまう方法。

私が作った防御壁を突破できるのは父さんくらいの魔族、つまり大魔王クラスだけだ。姉さんやアザゼル兄さんでも無理。当然そこらの上級魔族じゃ無理だ。

もう一つは魔力が一定以上ない者。こちらが重要だ。

条件に「魔力が一定以上ある者は通れない」としたため、一定以下の魔力しか持たない者は防御壁をスルーして入ることが出来る。

妖精たちが持っている魔力は少なくて、多い者でも一般魔族くらいだ。

だから「魔力が一般魔族以上の者は通れない」とすれば妖精は出入りできて、強い魔族や魔物は入ることが出来ない。

ただし、一般魔族よりも弱い魔族や魔物は突破できてしまう。逆に一般魔族よりも強い妖精は入れないし出られない。でもこんなところに一般魔族が来るわけが無いから、魔族は入れないと思って問題ない。


「なるほど……」


「同じくらいの強さの魔物だったら倒せるわよね?」


「はい。問題ありません」


こういう条件を定義して防御壁を張るのってすごく難しい。そして張る際に、通常の何倍もの魔力を消費する。一流の魔法使いの中でも、特別に魔力が豊富な者にしかできない。

そして私は今、二つの条件を組み合わせた防御壁を作ろうと研究しているんだけど、なかなか上手くいかなくて難儀している。


「あ、そこに置いてある水晶が動力源だから。壊せないとは思うけど、取り扱いには十分注意してね。今は青色だけど、魔力が減っていくと緑色になっていくわ。最終的に赤色になるから、赤みがかってきたら呼んで頂戴。魔力を補給しにくるわ」


女王様とケアが頷く。


「あ、あとこれを返しておくわ」


私はケアに、昔あげた小さな水晶を返す。


「ありがとうございます。無くして困っていたんです」


「防御壁の外で襲われた時はその水晶を使って連絡してきなさい。中ならあの水晶で、誰でも私に連絡が取れるようになっているから」


「え、そんな機能も付けられるんですか」


「慣れたら水晶一つで何でもできるわよ」


その分魔力の消費が激しくなるけどね。と付け加える。


「たぶん一年近く持つと思うわ。それまでには連絡してね」


「はい」


「じゃあ名残惜しいけど帰るわ。何かあったらすぐに呼んでね」


「はい。ノワエさん、本当にありがとうございます」


私が歩き出そうとすると、妖精達が集まり、一斉に頭を下げる。


「なんか恥ずかしいわね。こちらこそ食事ありがとう。また来るわ」


「はい、お待ちしております」


「じゃあね」


私は今張ったばかりの防御壁をぶち破って外に出る。破ったところは自動で修復するようになっているから大丈夫。これはどの防御壁も同じだ。

空を見上げても霧が濃くて何も見えないから、私は体を浮かせて、霧を突き抜ける。

地平線の彼方まで続く星の海が、私を迎えてくれる。


(さて、どのくらいまで行きましょうか)


見渡す限り霧の森が続いている。こんな所によく魔族がやってくるな。妖精狩りをしている連中って、私なんかよりもずっとすごいんじゃないだろうか。

とりあえず南に飛んでみる。この辺りは気温が低くても湿度が高いようで、夜風が冷たくて気持ちいい。

空間を裂いて影響が出ないのは、飛んで三十分くらいの距離だ。それよりも近い距離だとねじれる確率が上がる。

四十分以上飛んで、ようやく森の終わりが見える。その先は地平線の彼方まで草原が続いている。本当にこの辺りは何もかもが大きい。アザゼル兄さんがなかなか巨人族を落とせない理由がわかった気がする。

私は辺りを確認してからさっと空間を裂いて、いつもの高台に繋げる。ボロ洋館から少し離したけれども、距離的には数キロの話なので、空間の切れ目をきちんと修復してから閉じる。

坂を駆け下りてようやく愛しのボロ洋館に帰ってくる。

予定していたよりもかなり遅くなってしまった。


「ただいま」


「あ、お帰りノワエ様」


ルルカがリビングから顔を出す。


「すっかり遅くなっちゃった。夜ご飯は?」


「まってね、今暖めるから」


リビングに入るとディースがやってくる。


「お帰りなさいませ、ノワエ様」


「うんただいま。今日の夜ご飯は?」


「妖精たちが作ったポトフです」


「あれ、まだ残ってるの?」


「はい。今夜も食べられるようにと、今日の朝、追加で作ったので。明日の朝食分くらいはあります」


思わず笑みがこぼれる。

明日の朝までこの極上の料理が続くと思うとすごく幸せ。そしてすぐに、その幸せが目の前にやってくる。

大きなソーセージが四つも入っている。食べ応えがありそうだ。


「いただきま~す」


まずはスープを一口。うん、美味しい。ソーセージから出る肉汁と野菜の甘みがすごく合う。


「ルルカとディースはもう食べたの?」


「私は食べたよ~」


「ディースは?」


「まだです」


「じゃあ一緒に食べましょう」


「いえ、しかし……」


「主命令。ルルカ、持ってきなさい」


「はいは~い」


主命令というとディースは素直に従い、私の前に着席する。しばらくすると、ルルカがポトフの入った器を二つ持ってくる。


「ん? ルルカも食べるの」


「うん。見てたら食べたくなっちゃった」


「そんなに食べたら太るわよ」


「大丈夫。全部胸に行くから」


そう言って胸を寄せ上げて見せつけるルルカ。こいつは本当に……。


「ルルカ、食事中よ。やめなさい」


「ほ~い。……ちなみにさ、ディースから見て私のおっぱいって魅力的?」


「……大きさ自体はそれほどだけど、体が小さいから大きく見えるのと、動くと良く揺れる弾力性と柔らかさはポイントが高いわ。あと、大きさに対して乳輪が小さく可愛いこと、綺麗な色をしていることは高評価ね。でも個人的には胸元を開けずに、見せないようにしているけど、ゆさゆさ動いて男を誘う、ルルカの特徴でもある柔らかさと弾力性を強調した方が良いと思うわ。あまり胸元を見せると娼婦みたいだし、あなたの場合はあどけない顔をしているから、わざと狙うよりも、自然と誘う方が似合うと思うわ。無意味やたらと揺らすと垂れてくるし、その対策もしておいた方が……」


「あ、ありがと。とりあえず魅力的だっていうのはわかった」


「もう少し詳しく話さなくても大丈夫?」


あと二時間はいける。と言わんばかりの顔をするディース。


「だ、大丈夫。自身付いたから」


そう言ってポトフを勢いよくかき込むルルカ。

ダメだって、ディースはガチ勢だからそういう話を振ったら。淫魔の王と対等に猥談する堕天使なんだから。


「でもさ、妖精の指示一つでこれだけ美味しくなるって、正直、凹むよね」


ルルカが苦笑いする。

いくら腕を磨いても、いくら丁寧に作っても、食材の状況を正確に見極められる能力には絶対にかなわない。いくら料理の達人でも、出された大根の状況を見極めて一本ずつ最良の方法で調理してください。なんて絶対に無理だ。


「ルルカそんなに悲観することはないわよ」


ルルカとディースがこちらを見る。ディースもやはり、少なからず気にしていたようだ。


「ケアが言っていたわ。妖精が出来るのはあくまで助言だけだから、結局料理を作る魔族の腕が味を決めるって」


ケアが腕を振ることも出来るけど、彼女は小さいから魔族の料理を作るのに非常に時間がかかる。

だから今回も、ケア達が口出しをして、それをディースとルルカが実践した。


「それにこちらの指示した通りに動いてくれるディースとルルカを褒めていたわ。満足のいく料理が出来たってね」


「そう言ってもらえると嬉しいな」


「恐縮です」


「二人の料理も十分美味しいから。これからも私を満足させてね」


「はい」


「うん」


「さて、冷めないうちに食べてしまいましょう」


妖精の国のゴタゴタもとりあえず一件落着だ。

これから彼女たちと毎年会える。私の楽しみが一つ増えた。

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