1.11 旅の終わり

オフィーリアや城の兵士たちが協力してくれたけれども、新しい情報は何も得られず。いつものことながら、捜索は暗礁に乗り上げた。

何をするにも動かないと始まらない。一日エル・フィリアの観光を楽しんだ私たちは、エル・フィリアからも近く、気になる情報もあるアスカティアへ向かうことにした。

サメルのお父さんからは報酬として使い切れないほどのお金をもらい、各町に手を回してもらった。これで宿や情報収集に困ることはない。

順風満帆になるはずの異世界旅行は、やはりというべきか早々に予想外のことが起った。


「まさか、本当に付いてくるとは思わなかったわよ」


ルルカとエルンテと一緒に、笑いながら後ろを付いてくるサメル。


「申し訳ありません」


私の独り言に対して、横を歩くオフィーリアが律儀に謝る。

サメルは昨日の夜、急に私たちに付いて行くと言いだし、そんな事は出来ないという私に対し、特別入国書とサメルのお父さんが与えてくれた優遇をすべて取り消すと脅してきた。サメルにそんな権限があるかわからないけど、変に機嫌を損ねるのもよくないので、根気よく説得を試みたけど実らず。

帰ってきたサメルのお父さんと、夜勤で近くを通りかかったオフィーリアを加えて説得をするも、サメルは付いて行くの一点張り。

名立たる商人で、交渉が得意なはずのお父さんはついに折れてしまい、オフィーリアを借りることと、私達四人の言うことに逆らわないという条件付きで、サメルを連れて行くことになった。


「おいノワエ、アスカティアのことは知ってるか?」


サメルが後ろから声をかけてくる。


「……知らないわ」


「ふっふ~ん。じゃあ俺が歴史を語ってやるぜ」


拙い言葉でアスカティアの歴史を話し始めるサメル。

掻い摘んで話すと、アスカティアは五百年前の戦争で地図から消えた町で、戦争が終わり、エル・フィリア王国が大陸を統一してからも地図に名前が書かれることはなかった。

アスカティアの廃墟は、夜になれば死んだ住民たちの霊が出ると言われ、町としての土台があるにもかかわらず、十年以上誰も近寄らなかった。

次第に、「誰も住みつくことがない」と言われるようになったアスカティアは、唯一生き残った戦闘種族の手によって見事に復活し、今は第二のエル・フィリアと言われるほど発展している。

今回はその戦闘種族が祀られた祠の調査をする。


「ノワエさん、アスカティアが見えてきましたよ」


町を隠すように生い茂った、身長の三倍以上もある高い木々よりもさらに高い、朱色の煉瓦で作られた防壁が見える。

この世界は魔力の多さに比例して、魔物の数も多い。襲撃に備えて、どの町にも煉瓦で組まれた防壁がある。

門の前に立っていた戦士風の男に許可証を見せて町の中に入る。


「へぇ……。綺麗な町ね」


私たちを出迎えてくれた大通りは、エル・フィリアと同じく灰色の煉瓦が敷き詰められ、大きな街路樹が道路側に傾き、緑のトンネルを作っている。

煉瓦独特の淡い色で統一された町は、エル・フィリアよりも人工的に作られた印象が強い。

でも自然と「芸術の町」という単語が浮かぶほど美しく作りこまれた町並みは、見ているだけでも胸が高鳴る。


「ここ、エル・フィリアよりも発展してるんじゃないの?」


横に並んだオフィーリアに尋ねる。


「さすがにエル・フィリアの方が発展していると思いますよ。ただ、エル・フィリアは戦争時代の名残もあって、複雑な場所も多いですから、見栄えはアスカティアの方が良いですね」


風が背中から吹き付けて、日差しから人を守ってくれている葉っぱをいくつか飛ばす。その葉の一枚が大きく舞い上がり、真っ赤な屋根の上に飛び乗った。


「ノワエ、こっちだぜ」


「はいはい。引っ張らないの」


私の手を取って歩き出すサメルは、すれ違うのがやっとなほどの、細い路地に入っていく。

薄暗い路地裏に私たちの足音だけが響く。秘密の近道を歩いているようで楽しい。

小さい頃、初めて行った城下町で迷子になった時のことを思い出す。ディースがいなくて不安だった反面、今まで見たこともないような高さの建物に囲まれ、迷路のように入り組んだ町は、私の冒険心を燃え上がらせた。とても懐かしい思い出。

五分ほど歩くと、小さな看板を構えただけの、辺りの民家と変わらない外観のカフェに着いた。


「お~いマスター。来てやったぞ~」


店内に入るや否や、来店を告げるベルの音をかき消して叫ぶサメル。

幸いにも店内にお客さんはいなかったようだ。食器を拭いていた初老の男性がこちらを見て、頭を下げる。


「マスター。牛乳くれ」


身長の半分ほどある椅子によじ登りながら牛乳を頼むサメル。私はその右隣に座る。


「かしこまりました。お連れの方々は何がよろしいでしょうか?」


まるで来ることを事前に知っていたかのように、落ち着いて注文を取るマスターは、手際よく牛乳を入れてサメルに渡す。サメルはそれを受け取り、一気に飲み干す。マスターがまた牛乳を注ぐ。


「ん~。おススメで」


私は置かれていたメニューも見ずにそう答える。


「今日は少し暑いですから、体を冷ますハーブティーにしましょう」


「お、いいね~」


私の横に座ったのはルルカ。その横にエルンテが座り、サメルの左側にオフィーリアが座る。


「あなたは騎士団員ですか?」


「はい。オフィーリアと申します」


「マスター、ノワエたちにアスカティアの英雄の話をしてくれよ」


マスターが返そうとしたのを遮るようにしてサメルが声をかける。


「かしこまりました」


マスターが申し訳なさそうにオフィーリアを見ると、オフィーリアは軽く頷く。マスターは棚からハーブを取り出しながら話を始める。


「アスカティアを再建した英雄の話はもうご存じですよね?」


「ええ。今日はその英雄の祠を調べようと思ったのよ」


「なるほど。では途中からお話しいたします。アスカティアの英雄は、この町を再建してしばらくすると、町から出ていきました」


「その後、祠がある場所で大型の魔物と戦い亡くなったのよね?」


「いえ……。実は違います」


マスターが出してくれたのは薄い黄金色のハーブティー。

一口飲むだけで、体にあった熱がどこかへ消えていく。


「アスカティアの英雄には姉がおり、町の再建後は、姉と一緒に遙か南のティラナに移り、その生涯を終えたと聞いています」


「え? そんな話、聞いてないけど?」


「ええ。この部分は伝えられていない話なのです」


マスターがサメルの牛乳をまた注ぐ。


「でもさ、その英雄って唯一の生き残りじゃないの?」


唯一の生き残りということは、親族などもいなかったということだ。


「その姉は、どうやら血の繋がりは全くない、義理の姉のようです」


「義理の姉、ね……」


義理の姉と聞いて、姉さんの顔が浮かぶ。

私の命を救ってくれた腹違いの姉。姉さんとディースがいなければ、こうしてこの世界を見ることは出来なかっただろう。


「じゃあ祠がある場所で、魔物と戦って亡くなったってのは嘘なの?」


「はい。あの祠はアスカティアが天災に見舞われたときに作られたもので、極端なことを言ってしまえば彼女の名を借りただけで、彼女とは全く関係ない物です」


オフィーリアもこの話は初耳のようで、少し驚いた顔をしている。

どうやらこの話を知っているのは、このマスターと、ここの常連であるサメルだけのようだ。


「ってことはハズレか……」


シアナに繋がるとは思っていなかったけど、さっそく大きなハズレを引いてしまった。


「一応、見に行きますか?」


「そうね。せっかくだから、物見気分で行きましょうか」






「ここです」


オフィーリアが連れてきてくれたのは、森の中を五分ほど歩いたところにある、石でできた小さな祠だった。


「……たしかにここ、強い魔力を感じるわね」


マスターから借りた鍵を使って、木で出来た扉を開け祠の中を調べる。小さなスペースに収まった、緑色に輝く魔力石以外は何もない。


「ここを作った英雄の子孫はいないの?」


「さっきのマスターがそうだぜ」


先ほどのマスターの髪は、シアナと同じ深い緑色だったことを思い出す。

しかしこの英雄の髪の色は、もっと鮮やかな緑色だったらしい。だからシアナの髪の色とは合わない。

淫魔は好き勝手に体を変えられるけれども、シアナは魔力が少な過ぎて、それすらもまともにできなかったらしい。その分、もともとの体が恵まれていたそうだ。羨ましい。


「せっかくだから、魔力の補充でもしていきましょうか」


周りから魔力を集めて、私は石に魔力を補充する。水晶と違って魔力石は始めから魔力を持っているから、水晶と違い雑に込めても壊れない。

私が詠唱もせずに魔力を込めたのを見て、オフィーリアは驚き、そして目を伏せる。お見事です。と言いたげな顔だった。

魔力が満タンになったので私は一息つく。これだけ入れておけば、後二十年は持つだろう。


「ここ、普段は誰が管理しているの?」


「町の人たち全員で管理しているそうです。ほら……」


オフィーリアが指さす方向から、掃除道具を持った人たちが歩いてくる。


「ああやって一日に一回、掃除をしているそうです」


「へぇ」


その人たちに話を聞いてみるけれども、今まで聞いた話と同じ話しか聞けなかった。

町に戻って情報収集をするけれどもそれっぽい話はまったくなかった。この日も、シアナに関する情報は得られなかった。






「ところでサメル、あんたなんでマスターと知り合いなの?」


夕食も終わり、カフェの二階で寝る準備をしていた私は、先にベッドに寝転がっているサメルに問いかける。

オフィーリアに聞いた話だと、サメルはエル・フィリアをほとんど出たことがない。だからアスカティアに店を構えるあのマスターと、何故あれほど仲が良いのか気になったのだ。


「ああ。俺がよくお忍びで行ってたカフェのマスターなんだ。アスカティアから修業のためにエル・フィリアに来て、そのまま居ついていたんだけど、弟子が一人前になったから店を渡して、アスカティアに戻ってこの店を始めたんだ」


「あんた、その歳でカフェなんか行くのね」


「カフェに用事はなかったんだけど、前の店は裏口の鍵を簡単に開けられたからな。追っ手を振り切るのにもってこいだったんだ。しかも牛乳も飲ませてくれるし」


追っ手とはおそらくオフィーリアや従者たちのことだろう。私もよく、ディースを振り切ろうと逃げたけれども、小さい頃の私がディースを振り切れるはずもなく、すぐに捕まって怒られていた。

サメルといると、小さかった頃のことを思い出して、なんだか楽しくなってくる。


「ノワエ。俺さ、ノワエみたいに強くて格好いい女になりたい」


本当に純粋に、私に憧れているサメル。

確かにサメルからは不思議な力を感じるけれども、それは魔力ではない。サメルの魔力はすっからかんだ。だから魔力が物を言うこの世界で、彼女が強くなることは難しい。

私はそのことを伝えようと思った。けれども、それを声にすることが出来なかった。


「それはサメル次第じゃないかしら?」


「本当か?! 努力したら俺もノワエみたいになれるか?」


「……オフィーリアに頭を下げて、稽古をつけてもらいなさい」


この世界で魔法を使えるのは、一部の特殊な人間と、戦闘種族の血を引く者だけだ。だから純粋な人間であるサメルが、魔法を使えるようになることはまずない。

でも不思議と、サメルが戦っている姿が想像できる。それもかなり強力な魔法を使いこなすサメルの姿が。そして……。


「……いい、サメル。あんた、将来は絶対に貧乳になりなさいよ」


「?」


「胸なんてあっても戦闘の邪魔なだけだよ。強くなりたいなら貧乳一択よ。そぎ落としてでも貧乳になりなさい」


「ノワエ、貧乳ってなんだ?」


キョトンとした顔をして、私に問いかけるサメル。


「ルルカとかオフィーリアみたいに、胸がふくよかじゃないことよ」


エルンテと談笑するオフィーリアと私を見比べて合点がいったようだ。自分で振った話だけど、憎たらしい。


「……変なこと教えない方が良いよ、ノワエ様」


静かに紅茶を飲んでいたルルカが話に入ってくる。


「あら、変なこととは心外ね。戦闘で胸が大きくて役に立つことなんてないでしょう?」


「そりゃそうだけど、淫魔族でもないのに胸の大きさをいじれるわけないじゃん」


言ってから、しまったという顔をするルルカ。

でもサメルには淫魔という単語の意味はわからなかったようだ。私たちは胸をなで下ろす。


「まぁいいわ。オフィーリアの言うことをしっかり聞いて、まずは剣の練習から始めなさい」


「え~。剣ってなんかつまらなさそう……。俺、ノワエみたいに魔法で、バァン! ってやりたい」


手を大きく広げて、魔法の格好良さを伝えようとするサメル。

別に意地悪で言っているわけじゃない。彼女は剣から始めないといけないタイプだ。

魔力が全くない彼女が強くなれるわけがない。誰もがそう思うが、サメルに関しては例外かもしれない。ここにいる全員に、私が感じることを説明しても、たぶん理解してもらえないだろうけど。


「いいサメル。強い女っていうのは、剣術も魔術も優れているものよ」


小さい頃、姉さんから言われたことをそのままサメルに伝える。


「じゃあノワエも剣を使えるのか?」


「もちろん。どんな武器でも一通り使えるわよ」


剣を携えていることが多いけれども、どんな武器でも手足のように扱うことが出来る。魔法を合わせることで、そこら辺に落ちている木の枝ですら鋭利な刃となる。


「さすが戦闘色魔」


いらない合いの手を入れるルルカを睨む。


「色は余計よ。ま、これから先の旅で見せることもあるわ。楽しみにしておきなさい」


今までの戦闘はルルカとオフィーリアに任せてばかりだった。でも今後は私が剣を握ることもあるだろう。

せっかくだから、サメルがどれだけ頑張っても会得できないような剣技をみせてやろう。そう思い不敵な笑みを浮かべると、サメルは目を輝かせた。






アスカティアでもその次の町でも大した情報も得られなかった私たちは、オフィーリアの提案で、南に位置するガランティアまで行く商団の護衛として、同行することになった。

商団に付いて行くことで、道中の食料を心配する必要はないし、荷台に乗って移動できるからサメルがぐずることもない。

途中で特に用事もない町にも寄りながら、情報収集や観光を楽しみ、なんだかんだと一か月以上、この世界を旅して回った。

しかし予想通りというかなんというか、エル・フィリアで収集した以上の情報はほとんどなく、何の収穫もないままガランティアに着いてしまった。

ここにはガランティアを守っていたとされる軍神が祭られている祠がある。そこで銀色の髪をした、不思議な少女を見た人間が何人もいるらしい。

シアナの髪の色は深緑だから、まぁ多分違うだろうけど、もし魔族や天使が違法に住んでいるとしたら、それはそれでしょっ引かないといけない。

このことはローナさんからもらった調査依頼表にも記載されている。天満総括協会の連中も噂を掴んだは良いが、調査している時間がなかったのだろう。相変わらず適当な連中だ。


「しかし暑いわね……」


ガランティアの周辺は、地平線まで見える広大な荒野が広がっている。砂漠ほどではないが、地も木も丸裸なこの大地は、生き物にとって過酷な環境なのは間違いない。


「あ、見えてきましたね」


オフィーリアが指さす方向、約十キロほど先に、大きな防壁と城が見える。

五百年前の戦争では、強力な軍事国家として、エル・フィリアに立ちふさがったガランティア。その歴史は古く、大陸統一目前まで領土を広げていたこともあったらしい。


「なぁ~。ノワエ、水くれ」


「はいはい。ほら」


「サンキュー」


私はサメルが差し出したコップに、魔法で水を注いでやる。

水中で炎魔法が使えないように、カラカラで水気がないこの荒野では、そう簡単に水魔法は使えない。これが世界の常識だが、私に常識ってものは通用しない。

クヴェルというマイナス何十度にもなる極寒の地で、当たり前のように炎魔法を使った私を見て、オフィーリアが言葉に表せないくらいおもしろい顔をしていたことを思い出して、クスクスと笑う。私が何故笑ったのか感付いたのか、オフィーリアが抗議の目を向ける。ごめん、でも本当におもしろかったのよ。

馬車は四台。そのうちの一つが私たちが乗っていて、後の三つは商団の人が二人ずつ、荷台には大量の荷物を載せている。

私の前に現れた、紫色のトカゲの魔物を一閃する。私の常識を逸脱した強さに初めはみんなが目を丸くしていたけれども、今じゃもう日常的な光景で、見向きすらされなくなった。


「ノワエ、水」


「はいはい」


小さい子は本当によく水を飲む。サメルのコップに水を注ぎながら、馬車の上に浮かんでいる炎の球の大きさを確認する。

このくそ暑い中、馬車から降りるのも面倒になった私は、炎の玉を各馬車の上空三メートルほどのところに浮かせて、ある一定の範囲に入ってきた魔物を自動的に攻撃するようにした。

たまに打ち漏らしがあるので、先ほどのように誰かが下りて攻撃しないといけないが、九割以上の魔物はこれで始末できる。

この魔法を見て驚いたのはやはりオフィーリアとエルンテで、オフィーリアはそんな魔法があるのかと執拗に聞いてきて、エルンテは制限された魔力の中でそんなことが出来るのかと執拗に聞いてきた。

両者の熱心な質問に私は、「気合と根性でなんとかなるわ」と答えておいた。

馬車に揺られること一時間。ようやくガランティアに着いた。


「ここで最後ね。ここでも手がかりがなかったら、残りの期間は観光に勤しみましょう」


「さんせ~い」


荒野のど真ん中にあるガランティアは思っていたよりも栄えていて、どこから湧いてきたのかわからない湖を中心に町が形成されていた。

辺りの土を練り固めた壁に、その地味さを払拭するように塗られた蛍光色の屋根が、どの町にもない不思議な雰囲気を作り出している。

戦争中の名残なのだろう、大通りは一切なく、細かい道があちらこちらに伸びている。まさしく迷路だ。

ここでもサメルのお父さんの息のかかった人たちに協力してもらい、色々な話を聞いたけれども、軍神の話以外にそれらしい話は無かった。

日も傾いてきたので、私たちは明日祠を調べることにした。






「ノワエすげぇな……」


私が炎魔法と風魔法を使って炎の竜巻を作ると、サメルとオフィーリアがいつも通り驚いている。


「でもこの世界なら、このくらい使える人間がいるんじゃないの?」


「……似たような魔法を使える人ならいるかもしれませんが、あれだけ高威力の魔法をほぼ詠唱なしで、使った後も息一つ乱さない人はいません」


オフィーリアは「ノワエさんが侵略者ではなくて良かったです」と言った。ルルカは私の魔法なんて見飽きたと言わんばかりに、枝毛を見つけて嘆いている。エルンテは私が敵になったことを考えてなのか、私について色々とメモをとっている。

でも仮に天界を乗っ取るとなれば、こんなちんけな魔法は使わないけどね。魔王の名にふさわしい、天使どもを恐怖のどん底に陥れる、もっとヤバイやつを使います。


「ノワエ、また来たぞ」


まるで祠を守るように、魔物がうじゃうじゃと出てくる。


「今度はどんな魔法が見たい?」


「土と風の魔法」


「オッケー。じゃあ砂嵐ね」


この地形だと割と楽な属性の魔法だ。私は適当に魔力を溜めて、指を鳴らす。

それだけで大地が悲鳴を上げるような砂嵐が巻き起こり、魔物を飲み込み消し去る。

もちろん、私たちに被害が出ないように防御魔法を張るのも忘れない。


「すげぇな……」


サメルとオフィーリアは驚き、エルンテはメモをとり、ルルカは見つけた枝毛を引き抜いた。


「さ、行きましょうか」


「ノワエ、その前に水をくれ」


「はいはい」


サメルが持っているコップに水を生成する。いくら常識が通用しないといっても、やはり乾燥地帯で水魔法は使いにくい。

額に滲んだ汗を拭う。相変わらず鬱陶しい太陽。思わず壊したくなるけど、私の力を持ってしても太陽を破壊することは出来ない。

祠までは一キロ程度なので馬車を借りなくても大丈夫だと思い、歩くことを選択したが完全に選択ミスだった。

ため息をつきながら出てくる魔物を蹴散らし、歩き続けること三十分。私たちはようやく湖に辿り着いた。

ガランティアにあった物よりも二回りほど小さいが、人に使われていない分、水の透明度は高く、辺りに生えた木も元気そうだった。

軍神を祭っている祠は、湖の周りにある林の中にあった。

昔はここで祭りが盛んに行われていたらしいが、今ではその祭りもなくなり、誰も寄り付かなくなった祠。

かなり汚れているが朽ち果てていないところを見ると、今も誰かが定期的に来て、掃除をしているのかもしれない。


「なんか予想よりもしょぼいね」


「そうね」


昔はここに大きな魔力石があったらしいが、今ではそれもなくなり、祠だけがぽつんと残されている。

調べてみるけれども何も感じないし、何も見つからない。


「帰りますか?」


「そうしましょう」


小さな祠はこれ以上調べるところもない。せっかくだから、湖で水浴びでもしようかと考えながら、祠に背を向ける。


「っ!!」


私たちはほぼ同時に振り返る。でもそこには祠があるだけで、何もいなかった。


「ノワエ様、今……」


とっさにサメルを抱きかかえた私以外の三人は、武器を構えている。


「ええ。私も感じた」


祠に何かがいた。私に匹敵するまではいかないけど、ルルカよりも強い魔力を持つ何かが……。


「……軍神が生きている、ということでしょうか?」


オフィーリアの額から汗が流れ落ちる。三人とも、まだ戦闘態勢は崩していない。


「仮に軍神、もしくはそれに近いものがいるとすれば、戦いに飢えていると思うわ」


感じた光属性の魔力は、なんというか、とても血生臭かった。魔力に血生臭いなんて表現はおかしいけれども、一番しっくりくるのがこの表現だ。


「大きな戦争になる。ということでしょうか?」


「この世界に反乱が起こりそうな気配はなかったわ。……もしかしたら、人間対魔物。そんな構図になるかもしれない」


魔物は魔族や人間に服従したり協力することはないが、種族の違う魔物が協力する光景は確認されている。もしかしたら強い魔物が弱い魔物を操ったり、魔物たちを統制して軍隊のような物を作ることもあるのではないかと、研究をしていて思うことがある。


「ノワエ様、どう感じた?」


ルルカが私に耳打ちしてくる。


「……魔族に出会った時の妙な親近感も、天使に出会った時の鬱陶しさもなかったわ」


この世界の人たちは異世界から色々な物が来るのを何とも思っていない。どんなものが来ているのかは知らないけど、よく考えれば相当おかしなことだ。普通、その世界にない物が見つかったら、蜂の巣をつついたような騒ぎになる。でもこの世界の人たちは、まるでそれが当たり前のように振る舞う。

リストラリア。もっと時間があるのなら、成り立ちから世界の隅々まで調べてみたい。そう思わせる世界だった。






時は進んでこの世界に滞在できる最後の夜。今日もエル・フィリアで食べ歩きツアーを楽しんだ私は、サメルのお願いで一緒に寝ていた。

ルルカに手を出さないようにと冗談交じりで言われた。でも大丈夫。私は本当に愛している人にしか手は出さない。

でもどうだろ、例えばサメルが本気で私を愛してくれて、私を求めてきたとき、私はそれを拒めるのだろうか。ディースもルルカもカーラも、私を愛してくれているけど、体を求めてくることはない。だから姉さん以外の魔族が私を求めてきたとき、私がどういう反応をするのか、私自身もわからない。

まぁ、今のサメルが本気で求めてきたとしても、私は拒む。私は姉さんと違って、子供に魔方陣を刻み付けるような趣味はないから。

お腹にいくつも刻まれた魔方陣を撫でる。うっすらと桃色に光る魔方陣。ほんの少しだけ気持ちよくなれる。

私の方が魔力も多いし、魔法の技術も上だから、姉さんの魔法陣くらい、いつでも解除できる。けれども私は解除しようと思ったことがない。

この魔方陣があっても困らないことが一つ目の理由。でも一番大きな理由は、これを解除すると姉さんに嫌われるんじゃないかって思っているから。そんなことはないってわかっているけど、一パーセントでも可能性がある以上、私はそれを実行に移せない。

周りの魔族たちは、姉さんが私に依存していると思っているけれども、実際は逆で、私が姉さんに依存している。

姉さんは私がいなくてもジャヒーやルサールカ、その他大量の愛人がいる。仮に私がいなくなったとしたら、姉さんは自分のことのように悲しむだろうが、慰めてくれる相手がいる。他に愛せる相手がいる。

ディースやルルカ、カーラと、ちょっと癪だけどヴァルハルトだって本当に大切な仲間だと思っているし、愛している。でも姉さんのそれとは決定的に違う。私が満足する慰めは、姉さんと過ごす夜だけだ。

私の腕で眠るサメルを見て、ため息を吐く。こんな純粋無垢な子供の横で何を考えているんだろう。本当に夜は、いらないことを考えるから嫌いだ。


「ノワエ……」


サメルに名前を呼ばれてドキリとする。サメルの方を見ると目をギュッと瞑っている。怖い夢でも見ているのだろうか。


「いかないでくれ……」


明日、私と別れるのが嫌なのだろう。サメルの手が私の胸元をきゅっと握る。

やはりこの子は不思議だ。普通、異世界から来た人間、それも魔族に懐く人間なんていない。いくら隠しても、やはり魔族と人間では雰囲気が違う。みんなそれを自然と感じ取って、距離を取る。

オフィーリアも私のことを信頼してくれていたけど、どこか信じ切れていない感じがあった。悲しいと思うけど、それは当たり前のことだと思うし、私だってよその世界から私より強い天使が来たら、そう易々と信じたりしない。


「ノワエ……」


また私の名前を呼ぶサメル。去っていく私を止めるように、何度も、何度も。


「……サメル、あなたが何万回も生きて、死んでを繰り返して、もし魔族に生まれてきたとき。その時は、たぶん私に一番近い魔族になっていると思うわ」


そう言って頭を撫でてあげると、うっすらと涙を溜めたサメルがほほ笑んだ。本当に不思議な子だ。そして愛おしい。

私はサメルの寝顔を、ずっと見つめていた。






「なぁノワエ、また来てくれるか?」


泣きそうな顔を頑張って隠して、私に問いかけるサメル。

サメルとオフィーリアは、郊外の森、私とサメルが出会った森まで見送りに来てくれた。

私は言葉に詰まる。もうこの世界に来ることはない。少なくとも、サメルが生きている間には来られない。でも嘘でもいいから、「また来るわ」と言うべき場面なのだろう。

私は意を決して、ゆっくりと口を開ける。


「……サメル、私はもう来ない」


サメルは顔を隠すように俯く。


「……どうしてだよ、あんなに楽しそうだったのに」


震える声。サメルの足元に水滴が落ちる。


「楽しい、楽しくないの話じゃないの。ここでの用事は終わったから、私はもう来ない。それだけよ」


「俺のところに、遊びに来てくれないのか?」


「行きたいわ」と声に出しそうになって、私は半分開いた口を閉ざす。

帰ってすぐに申請を出して、この世界の永住権、もっと上の統治権をもらうことだってできる。父さんも私が魔界からいなくなるのなら何も言わないだろうし、アンスリュームも私が働くとなれば、何も言わずに許可を出してくれるだろう。

通常五十年ほどかかる審査も、圧力をかければ十年もかからずに通るはずだ。それならサメルはまだ生きているし、辛い別れをする強いる必要はない。


「……サメル。ちょっと難しいかもしれないけど、出会ったら必ず別れがあるの。どんなに気が合う友達でも、どんなに好きな人でも、絶対に」


サメルは俯いたまま「そんなのわからねぇよ」と呟いた。


「でもそれは物理的な話だけ。心の中ではずっと繋がっていられる。だから、私の事をしっかりと覚えておきなさい。絶対に忘れるんじゃないわよ」


金色の綺麗な髪を撫でる。子供らしい細くて柔らかい髪の毛だった。

サメルは目尻に溜まった涙を拭いてから、私に愛らしい笑顔を向けてくれる。


「……うん! ノワエこそ、俺の事を忘れるなよ」


「もちろんよ、サメル・オネスト」


私もとびっきりの笑顔を作る。


「じゃあねサメル、オフィーリア。楽しかったわ。ありがとう」


「うん!」


「こちらこそ、ありがとうございました」


サメルは私の元を離れて、オフィーリアの横に並ぶ。


「二人とも、元気でね」


私は二人に背を向けて歩き出す。


「ノワエ!!」


十メートルほど進んだところで、背中越しに声が聞こえる。


「またな!!」


私は振り返るか悩んで、でも振り返らずに、右手を高く上げた。






「良いの、ノワエ様?」


「ええ。何となくだけど、サメルとはもう一度会う機会がある気がするわ」


「この世界に来られないのに?」


私は頷く。ルルカは「そっか」と呟いた。


「……ノワエさん、決してルールは破らないでくださいね」


「大丈夫よ。あなたとルルカが対決しなきゃいけない状況は作らないわ。それに、あなたは私の友達でもあるんだから、戦うなんてごめんよ」


エルンテは小さな声で「ありがとうございます」と言った。


(いつも以上に充実していたわね……)


リストラリア。

エル・フィリア。

オフィーリア・シェフィールド。

……サメル・オネスト。

私にとって、忘れられない世界の一つになりそうだ。

空を見上げる。魔界と何も変わらない空。この空の向こうに魔界が存在していて、いつでも来られそうな気がする。でもそんなことはない。この世界と魔界は全く別の場所にある。


「ルルカ……」


「なに?」


「この世界を統治するって言ったら、あなたどうする?」


「もちろん、お供するよ」


迷いのない言葉だった。


「……そう、ありがとう」


私は本当に、縁する人に恵まれていると思う。それだけは絶対に誰にも負けない。

異世界の門に辿り着く。

門を開ければ最後、もうサメルとは会えない。

一瞬躊躇して、悩んで、でも勇気を出して、私は門を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る