1.07 総会

「相変わらず空気が悪いわね」


それに太陽の光が強くて鬱陶しいことこの上ない。私は手で影を作って歩き始める。


「一般的には魔界の方が悪いと思うよ」


普通の魔族は天界に、普通の天使は魔界に行かずに一生を終えるんだけど、私はちょくちょく天界に来ることがある。


「そんなことないわよ。天界の方が空気が淀んでいるわ。私が言うんだから間違いない」


空気が淀んでいるように感じるのは、天界に流れている魔力に闇属性がほとんど含まれていないことが原因だ。闇属性が多い環境で体が慣れている魔族は、真逆の魔力である聖属性が多い天界に来ると息苦しさを感じる。

体に保有している魔力が多い魔王族の私や、それなりに余裕のある中級魔族くらいなら我慢できるんだけど、魔力が少ない者は環境の変化に耐えられなくてすぐに体を壊す。死んでしまう者もいるくらいだ。

ちなみに魔界以外の世界に住む生物は、闇属性よりも聖属性の魔力が多い場所の方が生活しやすいらしい。


「ノワエ様の言うことほど、当てにならないこともないと思うけど……」


「なに言ってるのよ。世界は私中心で動いているんだから、私が言うことがすべて正しいに決まっているじゃない」


「……そのよくわかんない理論の根拠が知りたいよ」


どうでもいいやり取りをしながら、慣れた足取りで天馬総括協会の本部を目指す。今日天界に来たのは天魔総括協会が主催する総会に出席するためだ。

各界の長が集まるこの総会を父さんは嫌っており、何かと都合をつけてほとんど参加していなかった。

そのことを天界からやいやいと言われていたらしく、でも行くのが面倒な父さんは、暇な私に大魔王代行として参加するように命じた。

一応とはいえ仕送りをしてもらっている手前、断るわけにもいかなかった私は、渋々この総会に参加している。

まぁ家にいても暇だし、三日間我慢すれば滞ることなく仕送りをしてもらえるわけだから、決して損する話ではない。

天界っていうと雲の上にあるイメージが多いらしいけど、地面は足元にあるし、空には雲も浮かんでいる。

魔物がいないことと、天使が歩いていること以外はほとんど魔界と変わりがない。町並みなんて色欲領の城下町にそっくりだ。

天界を魔族が歩いているのは珍しいから、すれ違う天使たちは必ず私たちを見てくる。中には警戒している者もいる。

でも大丈夫。天界じゃどう頑張っても普段の六割くらいの力しか出せない。六割の力じゃ天界最強の天将アンスリュームどころか天界の長である大天使のムース、もっと言えば近衛隊長のアナスタシアすら倒せないだろう。それくらい、その場の魔力の割合って戦いに関係してくる。暴れるなら絶対に魔界だ。魔界なら負けることはない。


「ノワエさん、ルルカさん、こんにちは。お待ちしておりました」


「どうもローナさん」


汚れ一つない、白い外壁が自慢の天馬総括協会の本部の前で待っていたのは私もよく知るローナさん。

幼い外見とは裏腹に結構なお年で、天魔総括協会の副会長でもある彼女は、私がとある理由で異世界に行く時にいつも対応をしてくれる女性だ。


「ではご案内しますね」


ローナさんに続いて中に入り、右奥にある関係者専用の渡り廊下を使って別館へと向かう。

本館と同じ白塗りの真新しい別館は、天界の重要な会議の時のみ使われる。

別館には特殊な施錠魔法がかけてあり、ローナさんがいくつもの魔法を使ってそれらを開錠していく。すべての開錠が終わると、巨人族でも余裕で通れそうなほど大きな金属の扉が、その重さに相応しいずっしりとした音を響かせながらゆっくりと開く。

中に入って正面にまた同じ大きさの扉がある。この扉の向こうにはボロ洋館よりも大きな講堂があるけど、たぶん一生入ることがないと思う。


「部屋はいつもの所よね?」


「はい。みなさんいつも通りです」


私の部屋は入り口から見て左奥。入り口からは一番遠く、総会が行われる会議室にはもっとも近い部屋が割り当てられている。

無駄に長くて薄暗い廊下を歩いていく。この廊下の長さの分、講堂があるのだから信じられない。

私の部屋よりも手前にある部屋の一つがローナさんの部屋だ。

出席者は総会の終わるまで別館から出ることが許されない。だから天界に住むローナさんにも、部屋が割り当てられている。


「では私はここで。後で会いましょう」


「ええ。よろしくね」


ローナさんは頭を下げると、先っぽだけクルンと巻いた、金色のポニーテールを揺らしながら部屋に入っていく。

私とルルカも割り当てられた部屋に向かい、無駄に豪華な扉を開けて中に入る。


「相変わらず、すっごい豪華なところだよね」


「仮にも、各界の代表が泊まる部屋だからね」


この天馬総括協会の別館は真ん中にボロ洋館以上の大きさの講堂があり、その周りに一部屋で二十人は生活できる大きな客室がある。

大きさだけでなく豪華さも桁違いで、無駄に高そうな箪笥の上には値段のつけられない調度品やガラス細工が置いてあり、壁には芸術的な絵や大型生物のはく製が飾ってある。大きな窓には金色の刺繍が入った赤いカーテンがかかっており、芝生のように沈む絨毯も同じ色をしている。

会議や講演が終わった後は誰かの部屋で集まり、食事をするのが天界流で、ソファとテーブルがベッドの数以上あるのも特徴的だ。

贅沢を尽くしたこの部屋でルルカと三日間生活するわけだけれども、贅沢すぎて肩がこる。私にあっているのはやはり愛しのボロ洋館だ。

ちなみに魔王城にもこういう贅沢を尽くした客室がある。天界や地獄の連中は当然として、魔王城にそんな重要な来客なんてないから、使われることはないみたいだ。


「あ~あ。今日から三日間、暇なんだよね」


着替えを入れたカバンをソファに放り投げて、ソファにダイブするルルカ。

赤色のソファは態度のでかい来客でも、きちんと受け止めて安らぎを提供してくれる。


「買い物にでも行ったら?」


「空気が悪くて行く気にならない」


パタパタと手を振るルルカ。


「あら、さっきまで空気が良いとか言ってたのは誰だったかしら?」


「一般的な話だよ。私たち魔族にとったら、地獄より地獄でしょ」


半笑いのルルカ。こんな空気の悪い所に連れてきて本当に申し訳ないと思う。

この会議に出席できるのは私だけだから、天界に来るのは私一人で十分なんだけど、それはディースが許してくれない。「何かあった時にどうするんですか」と言われる。

そりゃ一人よりも二人の方が寂しくないからありがたいんだけど、私でもどうしようもない何かがあった時、ルルカがいてもどうにもならないと思うんだけどな。

元々天界に住んでいたディースが付いて来れば観光名所巡りもできるんだろうけど、堕天使であるディースは天界に足を踏み入れることができない。

いや、厳密に言えばディースの今の役職なら大丈夫なんだけど、割り切れていない部分があるのだろう。付いてこようとしたことは一度もない。


「ルルカもこっちで友達を作ったら?」


友達かどうかはさておき、私は気軽に話せる天使が二、三人いる。だからしばらく暇は潰せる。


「う~ん。機会がないんだよねぇ……。町に行けば良いんだろうけど、なんか変なもの見る目で見られるから行きたくないんだよねぇ」


「それはわかるわ」


私だって魔界に天使が居たら変な目で見ちゃうから仕方ないけれど、やっぱりそういう風に見られると居心地が良くないのよね。

それに天使は未だに自分たちを善、魔族は悪って考えの者が多いから、露骨に嫌そうな顔をしたり、ひそひそとこちらを見ながら話すやつも多い。そういう陰気なことをするのは大体下級天使だけどね。

二人で暇をつぶす方法を考えるけど、お互いに何も出てこない。いつも通りアンスリュームに頼んで本でも持ってきてもらうか。


「ノワエ、いるか?」


噂をすれば何とやら。扉の向こうからアンスリュームの声が聞こえる。

返事の代わりに魔法を使って扉を開けてやる。


「ノワエ、ルルカ、久しぶりだな」


入ってきたのは天将のアンスリューム。今日も無駄にイケメンだ。


「ええご無沙汰。元気そうじゃない」


天は二物を与えないって話をしたことがあるけれども、こいつに関しては二物どころか全て手に入れている。

高い身長に恐ろしいまでに美しく整った顔、体もシュッとしていて筋肉質で、クールだけど人当たりもよくて、声も渋くて……。長所ならいくらでもあげられるけど、短所らしい短所がない完璧超人だ。


「お陰様でな」


「あら、ムースは?」


いつも一緒にいる大天使ムースの姿が見えない。


「ちょっと遅れてくるそうだ」


「あんた、ムースの傍にいなくて良いの?」


天将の仕事は大天使であるムースを守ることだ。

実際、二人は朝から晩まで一緒にいる。二人とは何回も会っているけれども、別々なのは初めてかもしれない。


「大丈夫だ。天界にはムースを倒そうなんて不届きな輩はいないからな。それに、あまり俺が引っ付きすぎるのも良くないからな」


「それ、一万年前のあんたに言ってやりたいわ」


「同感だ。あの頃は風呂まで一緒だったからな」


年頃の男女が風呂まで一緒なら当然そういう関係になるわけで、二人は今もいちゃいちゃとしながら公務を行っている。

聞いた話では、天将と大天使はどの代も大体そういう関係らしい。


「それにしても天界は限りなく平和ね。平和ボケしてないかしら?」


「気を付けるようにしている。特に協会の天使と兵士たちはボケないようにな」


「私が心配しているのはあんたよ。戦えなくて、勝負勘が鈍ってるんじゃないの?」


「お前こそひきこもりが加速していると聞く。もう魔法の一つも満足に使えないんじゃないのか?」


お互いに一歩距離を取り、剣に手をかける。


「あら、試してみる?」


「望むところだ」


「ちょっとストップストップ。なんでノワエ様もアンスリュームも顔合わせたら戦闘態勢なのさ?」


剣を抜いた私たちの間に割って入るルルカ。


「似た者同士だからよ」


「心外だな。俺はまともに働いているぞ」


「そういうことじゃないわよ。お互い強すぎて暇を持て余しているってことよ」


「まぁな。俺で向かう所敵なしなんだから、ノワエは敵どころか塵すらないんじゃないか?」


アンスリュームの赤い瞳が挑発的に向けられる。


「あら。私、あんたより弱いけど?」


「嘘つけ。お前と戦ったら一分も持たないぞ」


「それは私がってこと?」


「俺がだ」


「ご冗談を」


「冗談に聞こえるか?」


「ええ。それ以外に何があるっていうの?」


アンスリュームの右手に髪の毛と同じ、明るい赤色の魔力が集まる。


「なら証明してみようか。手加減抜きでな」


それを受けて私は、左手に血の固まったようなどす黒い魔力を集める。


「あら良いわよ。私の方が弱いってすぐわかるわ」


「一割の力で俺くらい倒せるだろう?」


「逆でしょそれ」


止められないと判断したのか、ルルカがさっと部屋の隅に逃げる。

どんどん大きくなる魔力。いつもはアンスリュームの後ろにムースがいるから戦闘なんてできないけど、今はムースがいないし、仮にここで暴れて辺りを吹き飛ばしても、父さんにばれることはないから全力を出せる。


「やめんかい!」


もう少しで戦いの火ぶたが切られる、というところで、アンスリュームの後頭部に大きな水晶が付いた杖が叩きつけられる。

骨が陥没するような鈍い音が部屋に響く。


「いった……」


「もう。ノワエに会えたからって嬉しさを爆発させないの。それにそれ、浮気だよ」


アンスリュームの後ろに立っていたのは大天使のムース。

アンスリュームの激しい赤髪とは対照的な、落ち着いた青色の髪と、「世界に悪い人なんていない」って思っていそうなほど純粋な目が特徴的な女の子。でもそれ以外に特徴のない、どこにでもいる世間知らずな村娘のような外見をしている。実際、地方に行くと大天使として認識されないらしい。

私はそんなムースのことが好きだ。何故かというと、私と同じで完全なまな板だからだ。

本人はちょっとくらいは膨らんでいると言っているが、そんなことは一切ない。


「そんなつもりはないぞ」


訝しい顔でアンスリュームを見ているムース。せっかくなのでアンスリュームには苦しんでもらうことにした。


「さっき胸を揉まれたわ」


「は?!」


アンスリュームが素っ頓狂な声を上げる。「そんな事していないのに何を言っているんだ」と「お前に胸はないだろう」の二つが混ざった顔でこちらを見てくる。


「ノワエ様、胸ないじゃん……」


そして後者の、私が最も腹の立つセリフを何の躊躇いもなく言ったルルカの悪いお口は、目に見えない魔法の手でふさぐ。後ろからもがく声が聞こえるけど無視。


「ノワエ、本当それ?」


「ええ。相変わらず胸ないな、って言われながらね」


「まてまて、何を言っているんだお前は」


アンスリュームが珍しく戸惑っている。それでも崩れない美形な顔を見て、姉さんが男だったらこういう感じなんだろうな。と思う。


「アンスリューム、こっちを向きなさい?」


「いや待て。俺はそんなこがっ!!」


振り向くと同時に二回目の鉄槌が下される。一回目よりも鈍い音に、アンスリュームは頭を抱えてうずくまる。


「そんな平面の何が良いのよ?!」


「俺は触ってない。というか触るところないだろう、あれ」


「よ~しアンスリューム、ムース、戦争だ」


ぽきぽきと指を鳴らしながら魔力を溜める。


「おいおいお前ら、何やってるんだよ……」


開けっ放しの扉からヴァルハルトが入ってくる。今日は秘書のセリオンはいないようだ。


「ヴァルハルト、久しぶりだな」


スッと立ち上がり握手を交わすアンスリュームとヴァルハルト。この二人は気が合うらしくかなり仲がいい。一時は付き合っているのではないかと噂されたほどだ。


「おう久しぶり。それよりも頭から血が出てるけど大丈夫か?」


「問題ない」


見せる相手が違うだろ。と突っ込みたくなるイケメンスマイルはさておき、けっこうな勢いで血が出ているけど、本当に大丈夫なのだろうか。


「んで、なんでこんなことになってるんだ?」


「ノワエが俺に胸を揉まれたと言ってきてな……」


「浮気だー」


ヴァルハルトがきょとんとした顔をする。


「おいおい、鉄板相手に何言ってるんだ?」


「お~しお前ら、歯を食いしばれ」


こいつら全員、物理でぶっ飛ばしてやる。


「あらみなさん。こんなところで何をしているのですか?」


私が右手に力を入れたところで、満面に笑みを湛えたローナさんが入ってくる。その額にはうっすらと青筋が浮かでいる。この人、それほど強くはないけど怒らすとかなり怖い。私はとっさにルルカの魔法を解く。


「顔合わせだ」


「顔合わせなのにアンスリューム様はどうして血を流しているんでしょう?」


「それは」と言葉に詰まるアンスリューム。こういう時にこの男は使えない。


「あのねローナ、アンスリュームがノワエを襲ったの」


「………………………」


ローナさんがすごい顔でアンスリュームを睨んでいる。そして私の方をちらりと見た。


「ひぐっ……ローナさん、私、汚されちゃった……」


「いつもイレアナにやられモガッ」


空気を読めない悪い子の口をもう一度塞ぐ。


「……はぁ。ノワエさん、そんな嘘泣きは信じませんよ」


「あら、ばれちゃったか。って、本気にされたら困るけどね」


アンスリュームって結構ヘタレだから、私に手を出す勇気なんてないし、そこまで煩悩まみれでもない。

嘘泣きを止めると同時に、ルルカの魔法も解除してあげる。


「ぷはぁ。ノワエ様、私を殺す気?」


「……正直、一回目はちょっと殺意あったわ。あれ、条件反射で言ったでしょ?」


「いや~」


無意識なのかワザとなのか、大きく胸を揺らしながら頭を掻くルルカ。本当にこいつは……。


「で、アンスリューム様はどうして頭から血を」


「ノワエにはめられた」


「え、逆だったの?!」


「……どういう勘違いしてんだ、この大天使様は」


呆れた顔のヴァルハルト。それは私もローナさんも一緒だった。

でもやるとするならやっぱり私が攻める側かしら。アンスリュームに攻められるとか屈辱でしかないし。


「私から説明するわ」


「もとはノワエ様のせいだけどね」


三度口を塞いでから私は説明を始める。って言っても大した話じゃないけど。

ローナさんは私の話を聞き終わってから、大きくため息を吐いた。


「ノワエさんも自重してください」


「こんな大事になるとは思わなくて……」


「それにムース様も、いつもの事とは言えども早とちりしすぎです」


「ごめんなさい」


人差し指をつんつんしながら謝るムース。


「アンスリューム様はヘタレなんですから、女の子に手を出すことなんてありません。安心してください」


「そだね」


良い笑顔で返事をしてから、ちらりとアンスリュームを見るムース。「このヘタレ」と言いたそうな顔だ。


「おい、元気出せって」


ヴァルハルトが凹んでいるアンスリュームの肩を叩く。

アンスリュームは女の子が集ってくるけど、それ以上っていうのを聞いたことがない。

こいつ自身がヘタレっていうのもあるけど、この無駄にイケメンな生物に口説かれても、恋愛感情が一切湧かないんだよね。


「ローナ。こんなところで油を売ってどうした?」


今度は男二人が顔を覗かせる。


「あら、コンサンシュ様にアラーク様」


「年寄りをのけ者にして、遊ぶなんてずるいじゃないか」


「はっはっはっ。アラーク、ローナはこっちの仲間だぞ」


豪快に笑うこの大男が天馬総括協会会長のコンサンシュだ。

長身のアンスリュームよりもさらに背が高く、ガタイも良いコンサンシュは、もともと父さんの下で財務大臣をやっていたらしい。父さんの指示で天馬総括協会に異動になり、そのまま会長まで上り詰めたやり手の魔族だ。


「もうコンサンシュ様、その首狩りますよ?」


笑顔でコンサンシュの首元に槍を突き付けるローナさん。仮にも上司なんだからそんな事するなよ……。


「冗談だ、冗談」


天馬総括協会は魔族と天使が共同で運営している。そして会長と副会長は、魔族と天使が入れ替わりで担当する。

なので次の会長は天使から、副会長は魔族から選ばれることになる。ちなみに現副会長のローナさんは対象外となる。

天使たちは基本的に白に近い色を好む傾向があり、服装もクリーム色や薄い青色などの明るい色を基調にしていることが多い。魔界は逆に黒色に近い色を好み、とくにどす黒い赤色を身にまとう傾向がある。

天界に住む魔族たちは徐々に天界に染まっていくのだが、コンサンシュは魔族であることを誇りに思っていて、魔界スタイルを前面に押し出した、髑髏の刺繍が入った真っ黒な服を着ていることが多い。さらに天界では争いごとなんてないのに、常に金属の鎧を着けている。

威圧感たっぷりで近寄りがたいコンサンシュだけど、本当に父さんの下で働いていたのかと思うほどユーモアがあり、どんな相談事でも親身に聞いてくれる心優しい魔族だ。


「ローナは老若男女にモテるからね。本当にうらやましいよ」


爽やかな顔でややこしいおやじギャクを飛ばすのは天国長のアラーク。誰も突っ込まないことに不服そうな顔をしてからまた口を開く。


「あ、そうだアンスリューム。少し前に相談させてもらった件、どうなったかな?」


「まだ審議中だ。もうちょっと待ってくれ」


「わかった。よろしく頼むよ」


笑顔で返す天国長のアラークは、アンスリュームとはまた違うタイプのイケメンだ。爽やか系っていうのかな、アンスリュームが肉食系ならアラークは草食系。そんなイメージだ。

そんな天界を代表する二人が並んで立つと絵になる。横に立っているヴァルハルトが可哀そうだ。


「みんな、あと三十分くらいしたら始めようと思う。ローナ、準備を手伝ってくれ」


「かしこまりました」


コンサンシュに連れられて、一礼してからローナさんが出ていく。


「あ~。俺も準備しねぇとなぁ……」


ヴァルハルトが頭を掻きながらその後に続く。


「時間になったら三人を呼びに行くから、部屋で待っていてね」


ウインクをしてアラークも部屋を出ていく。

騒がしかった部屋は急に静かになった。


「じゃあ私たちも一旦戻ろうか」


「そうだな。そうだ、ルルカに一つお願いがあるんだが」


「私に?」


不思議そうな顔でアンスリュームを見るルルカ。アンスリュームがルルカにお願い事をするなんて初めてじゃないだろうか。


「今日、お前のために天界の案内人を用意した。仲良くしてやってくれ」


「え、それってお願いごと?」


むしろこっちからお願いすることじゃないだろうか。


「少し癖のあるやつだ。でもお前なら仲良くできると思ったんだ。よろしく頼む」


「う、うん……」


真意がわからない言葉を残してアンスリュームとムースが部屋を出ていく。二人には別々の部屋が用意されているけど、大体アンスリュームの部屋で一緒に過ごしている。


「どういうことだろ?」


少し不安そうな表情のルルカ。


「さぁ。でも暇を潰せるならいいんじゃないの?」


「厄介なことにならなきゃいいけどね」


「……何かあったら呼びなさい。すぐに駆けつけるから」


アンスリュームもわざわざ変なことを頼まないとは思うけれども、もし何かあった時のために水晶を持ち込んでおいた方がよさそうだ。


「会議はどうすんのさ?」


「あんたの方が大事よ。あいつら全員ぶっ飛ばしてでも駆けつけてあげるわよ」


親指を立ててアピールすると「あまり無茶なことはしないでね」とルルカが言った。






この総会に出席するのは天馬総括協会の会長であるコンサンシュと副会長のローナさん。天界の長である大天使ムースと天将アンスリューム、天国の管理人である天国長アラーク、魔界代表の私と地獄の長である閻魔ヴァルハルトの七人だ。

ちょっと前まではアラークを除いた六人だったんだけど、天国が大所帯になってきたためアラークも参加するようになった。

主に話すのは主催者である天魔総括協会の二人と、アラーク、ヴァルハルトの四人だ。私と天界の二人はほとんど聞いているだけ。

欠伸を噛みしめながら、お経のような意味のよくわからない話を永遠と聞き続ける、地獄で働くよりも苦痛な時間。いくら聞く気がないと言っても、たまに重要なことを話したりするので寝るわけにはいかない。

ローナさんの話が終わり、アラークが天界の近況を説明していく。ちんぷんかんぷんってわけじゃないけど、「生命の生産率がどうのこうの」とか、「新しく入ってきた人間たちが云々」とか、興味がないことを永遠と話される。また出そうになった欠伸を噛みしめる。

それよりもこの場での私の場違い感が半端じゃないんだよね。各界の長が集う中でニートの魔王ってそりゃおかしいだろ、って感じ。

何度目かわからない欠伸をこらえながらコンサンシュを見る。

今は最年長でこの場を仕切っているコンサンシュだが、少し前までは元主であり、面倒くさい性格の父さんがいた。やっぱり扱いづらかったそうで、私になって運営がしやすくなったと言っていた。

今回も話はほとんど聞き流しているけど、私が聞いていないのをいいことに魔界を乗っ取ろうとか思ってないよね。そんな事になったら私、ニートでいられなくなるからやめてほしい。

この三日間の会議はトップシークレットってこともあるけど、何も面白くない報告をただ永遠と聞いているだけなのでカットします。とりあえず出される料理が美味しかったことと、ルルカが天界観光で夜もずっと部屋にいなかったことだけ知っておいてもらえればいいかな。ぶっちゃけかなり寂しかったです。

いつも通りだけど、会議に特別重要な話はなかった。今回も私から父さんに伝えることは、「馬鹿なことしないようにね」ということだけで済みそうだ。

会議がすべて終わってからヴァルハルトの部屋に集まり酒を煽る。ムースとアラーク以外はお酒が強いけど、やっぱりダントツで強いのは私とヴァルハルト。次にコンサンシュだろう。基本的に天使よりも魔族の方がお酒が強い傾向がある。だからこういう場でも飲むのは魔族だけのことも多い。でも私たちも二、三本開けたところでやめる。ヴァルハルトのところでたまにやる宴会とは違うしね。ハメを外しすぎるわけにはいかない。


「ただいまぁ~」


食事会も二時間ほどで終わり、ほろ酔い気分で部屋に戻ると、ルルカが大量の買い物袋を整理していた。あまりの多さに、一気に酔いが醒めた。


「……何それ?」


三十秒くらい放心してから、ようやく出てきた言葉がこれだ。


「いやぁ。天界って面白い物がけっこうあるんだよねぇ」


照れながら頭をかくルルカ。いや、そんなことは聞いていない。

買い物に行ったことは問題ないし、たくさん買ったことも問題はない。問題はお金の出所だ。どう考えてもルルカが出せる金額ではない。でも念のために確認する。


「それ、ルルカが買ったの?」


「違うよ。エルンテって言う、アンスリュームが言ってた天使が買ってくれた」


「おい」


何の悪びれもなく答えるルルカ。

たぶんお土産ぐらいならお金を出しますよ。ってな感じでその子が気を利かせてくれたんだろうけど、どう考えても買い過ぎだ馬鹿者。

でも今更ルルカを怒っても仕方がないし、買ってもらった物を返品するのも申し訳ない。ルルカに聞こえるようにため息を吐いてから水晶を取り出し、アンスリュームに繋げる。アンスリュームはすぐに出た。


「どうしたんだ?」


「お礼よお礼。あんたんところの部下が、ルルカに色々買ってくれたそうで」


「ああ。エルンテだな。気にするな、あいつの家は金持ちだから」


「そういう問題?」


「ああ。それだけの物を買っても、エルンテからしてみれば一か月の小遣いにもならないはずだ」


ルルカの給料の三年分くらいあるけど、エルンテっていう子はどれだけお金持ちなんだろう。個人的に前向きなお話がしたくなってきた。


「そのエルンテはもう帰ったの?」


「ああ。さっき帰宅の報告があった。どうしたんだ?」


「いや、一応お礼くらいしておこうかと思って」


「エルンテは弱いぞ?」


「意味が違うわよ馬鹿」


私はそんな一昔前のヤンキーみたいなことはしません。平和主義者です。


「冗談だ。明日の朝、お前の部屋に連れて行く。それでいいな?」


「ええ。悪いわね、よろしく」


「ああ。また明日な」


「ええ。おやすみなさい」


そう言って通信を切る。先ほどまでアンスリュームの顔が映っていた水晶は綺麗な水色に戻った。


「ノワエ様、真面目だねぇ~」


「そりゃ仮にもあんたの主なんだから。お礼の一つくらいは言っとかないと、示しがつかないでしょう?」


この石油王のような買い物がなくても、天界観光に連れて行ってくれたのだからお礼を言うつもりだった。

ルルカはちょっと意外そうな顔をしてから、「ありがとう」と言った。


「ところで、天界はどうだったのかしら?」


「あ、聞きたい?」


「もちろん。ほら、早くしなさい」


天界には何回も来ているけど、実は観光したりとか、商店街の方に足を運んだことはない。あまり長居すると父さんが変な考えを起こすし、居心地もよくないからね。いつも用事が済んだらさっさと帰るようにしている。

だから天界のことは色々と聞きたいのだ。天界の連中じゃなくて、身近にいる魔族からだ。

ルルカの話を聞いて面白そうなら、私も機会を作って行ってみたい。


「えっとねぇ……」


よほど楽しかったのか少し興奮気味に話し始める。ルルカの天界冒険譚は夜遅くまで続いた。






「ノワエ、エルンテを連れてきたぞ」


次の日、私たちが帰る準備をしていると、アンスリュームとエルンテがやって来た。


「はじめましてノワエ様」


スカートの裾を持って丁寧に挨拶してくれるエルンテ。

小さいけどよく通る声は、昔助けた妖精のケアを思い起こさせる。


「この度は出過ぎた真似を……」


幼い顔と私よりも身長が低い彼女は、童話の不思議の国のアリスにそっくりな水色と白色のエプロンドレスを着ている。

でもそんな可愛らしい顔や服装よりも、もっと目に付くところがある。身長の三倍ほどある黒髪だ。

何かで括ったりまとめている様子はないのに、地面から十センチほどのところでまとまって曲がり、綺麗な円を描いている。

そしてその髪は息をするように動いている。これが昨日聞いた、髪を操ることができる能力だろう。


「はじめまして。昨日はありがとう。ルルカ、いつも暇で可愛そうだったから本当に助かったわ」


「いえ、こちらこそ楽しかったです……」


頬を赤らめて俯くエルンテ。髪の毛は嬉しさを表現して跳ねるように動く。

ルルカから聞いた話では、エルンテは女神族なのに並みの天使の戦闘能力しかないこと加えて、髪の毛が操れるという特殊な能力のせいで、小さい頃から苛められてきた。

引きこもりにこそならなかったものの人間不信に陥ったエルンテは、友達らしい友達を作らず、何をするにしても一人だったらしい。

それを気にしていたムースが、誰とでも仲良くなれるルルカと遊ばせることを思いつき、二人で天界を歩かせた。予想通り期待に応えたルルカは、見事エルンテの最初の友達となった。


「その髪、本当に動くのね」


「え、はい……」


少しだけエルンテの顔が曇る。やっぱりこの能力のことが話題になるのは嫌なようだ。


「そんな素敵な能力を持ってるなんて羨ましいわ」


「え?」


「だってそうでしょう? 魔法で強化して盾にしたりとか、ぐるぐる巻いて相手を絞め殺したりとか。それだけ量があるなら、複数を攻撃したりもできるわね……」


「もうちょっと平和な使い方をしようよ……」


ルルカが呆れた声を出す。私もなんだかんだ戦闘が大好きな魔族だから、一番初めに戦闘に関することが出てくるのは仕方がない。そして、素直にこの能力がほしい。


「ちょっとビックリするけどね。私も素敵な能力だと思うよ」


エルンテは少し頬を赤らめてから、「ありがとうございます」と言った。後ろの髪の毛がうねうねと動いて、嬉しさを表現している。


「それにしても本当に小さいわね。まぁ私も大概小さいけど」


目で判別できるくらいの差はあるけど、所詮どんぐりの背比べだ。私もエルンテもかなり小柄だ。


「でもエルンテはちゃんと胸あるよ? ノワエ様は鉄板だけど」


「……ルルカ、天国か地獄、どっちがいい?」


右手には聖を、左手には闇の魔力を纏い、ルルカに笑顔で問いかける。まさに天国と地獄だ。

そんな私たちを見て、エルンテが小さく笑う。


「お話に聞いていた通り、お二人はすごく仲が良いんですね」


「そりゃもちろん。ノワエ様、ニートだしね」


「それ、関係あるの? あとこの三日間はきちんと仕事をしてたでしょう」


「三日間だけじゃだめだよ。私みたいに毎日働かないと」


ルルカが胸を張ると柔らかい膨らみが大きく揺れる。やっぱり無駄に実ってるな。


「あんたも暇してること多くない?」


自室で昼寝をしていたり、リビングで雑誌を読んでいたり、仕事に関係ない裁縫をしている姿をよく見る。


「かなり多い。ぶっちゃけた話、毎日が暇」


「でしょうね」


あの館のメイドはディース一人で十分なのだ。ディースの上をいく家事スキルを持つルルカが、暇を持て余さないわけがない。


「あ、そうだエルンテ、昨日行ったお店のさ……」


ルルカが私の質問を代弁してくれる。それに笑顔で答えるエルンテ。

つい最近知り合ったはずの二人は、ずっと昔から仲良しだったように見える。


「ノワエ、今日はどうするつもりだ?」


遠くで私たちのやり取りを見ていたアンスリュームが声をかけてくる。


「帰るわよ。せっかくだからお茶でもしたいとこだけど、遅くなると父さんが変なこと考えるからね」


「自分から派遣しているのにな。アウレオールスには参る」


やれやれと肩をすくめるアンスリューム。ため息を吐いてから、アンスリュームの燃えるような赤い瞳が、私をまっすぐに見つめる。


「ノワエ、例の話、気は変わらないか?」


一瞬だけど、時が止まったように感じた。でもいくら私が強くても、時を止めることはできない。時だけは万物に平等だ。


「もちろん絶対に嫌よ。私は今の生活をこよなく愛しているの」


「……そうか」


アンスリュームはゆっくりと目を閉じて、何か言おうとして口を噤む。その動作は表情を押し殺しているようにも見える。


「一つだけ。俺たちは魔界の平和を願っている。だからこそ、お前に頼みたいんだ」


嘘偽りのない言葉。それはアンスリュームの顔を見ればわかる。


「……ヴァルハルトもそうだけど、あんたたち私を買いかぶり過ぎよ。あと、天使が魔界の心配してどうするのよ。おかしいでしょ」


「……それもそうだな」


魔族と天使は相反する生き物だ。一部手を取り合ってるけど、いまだにお互いを嫌っている者は多い。そして私も、天界の連中のことはあまり好きではない。


「天界にとっても魔界にとっても、もう残された時間は少ない。後悔しないようにしてくれ」


「……ええ。わかったわ」


アンスリュームにもヴァルハルトにも、もっと身近なディースにもルルカにもわからないだろうけど、私が後悔しない道は完全に塞がれている。どうあがいても、私には茨の道しか残っていない。


「じゃあそろそろ行くわ。ルルカ、行きましょう」


「オッケー。じゃあねエルンテ。次の総会の時に」


「はい」


だから今は目の前にある幸せを大切にしたい。私の想いはそれだけだ。






「ただいまディース」


「お帰りなさいませ」


三日間の総会を終えた私たちは、ようやく愛しのボロ洋館に帰ってきた。いつも通りディースが私に頭を下げてから、ルルカを見て眉間にしわを寄せる。


「ルルカ、その荷物は?」


「いや、ちょっと買い込んじゃって。これ、ディースに……」


両手じゃ持ちきれなくて、肩まで袋をぶら下げたルルカは、器用に二十センチほどのクマの人形を取り出す。

まさか自分にお土産があるなんて思わなかったのだろう、一瞬驚いた顔をしたディースは、ルルカから人形を受け取るとはにかんだ。


「……懐かしいわね。よくこのお人形で遊んだわ」


そう言ってクマの人形に万歳のポーズをさせるディース。

ディースにとって、天界にいた頃の記憶はどんなものなんだろう。ルルカが「このお人形をディースに渡す」って言った時は、傷をえぐるようで不味いかと思ったけど、ディースの表情を見る限り杞憂だったようだ。


「ありがとう、ルルカ」


「うん。大切にしてあげてね」


「もちろん」


久しぶりに見るディースの満面の笑み。いつもこの表情だったらいいのにな。でもたまに見せてくれるからこそ、ディースなのだろう。

ディースの後に続いてリビングに入り、引いてくれた椅子に座る。


「すぐに紅茶を入れますね」


「よろしく」


上機嫌でキッチンに入っていくディース。こんなディース、一万年に一回も見られないかもしれない。

ルルカと私は顔を見合わせてから、お互い小さくガッツポーズを作る。


「お待たせしました」


いったん部屋に荷物を置きに行ったルルカが帰って来ると、見計らったかのようにディースが紅茶を持ってきてくれる。予想通り、滅多に淹れてくれない高価な紅茶だ。


「ありがとう」


私がお礼を言うと、何も言わずにディースが頭を下げる。


「ルルカ、後をお願いできるかしら?」


「うんいいよ。どうしたの?」


「洗濯がまだ終わってないの」


「オッケー。任せといて」


「よろしく。ではノワエ様、失礼します」


そう言って笑顔でリビングを出ていくディース。その手には、しっかりとクマの人形が握られていた。


「やっぱり魔界の空気はいいね~」


大きく伸びをするルルカ。魔界に戻ってからずっとこの調子だ。

そんなルルカに、素朴な疑問をぶつけてみる。


「……仮に天界で生活することになったらどうする?」


「どうするもこうするも、たぶん病気になると思うよ」


苦笑いのルルカ。

魔族にしろ天使にしろ、魔力の質があまりにも違うと体調を壊してしまう。特に天界には闇属性の魔力がほぼない。だから魔族が天界で生きていくのは難しい。逆も同じだ。


「それよりもディース、すごく嬉しそうだったね。正直賭けだったけど上手くいって良かったよ」


ようやく緊張が解けたのか、一息つくルルカ。そんなに緊張するならお土産なんて買わなければいいのに。と思うけど、小さいところまで気を利かせてしまうのがルルカなのだ。

ちなみに私は、 ”小さな胸を倍にする体操” という本をお土産にもらった。その時に、「でもノワエ様ゼロだから意味ないか」と言われたので、魔王のデコピンを返しておいた。


「あ、そうだノワエ様。昨日質問してくれたお店だけど……」


帰り際にエルンテに聞いていたことを説明してくれるルルカ。その顔は新しい発見をした子供のように嬉しそうだ。


(今回は収穫が多い総会だったわね)


次からの総会は、少しだけ気が楽になりそうだ。

そう思いながら、ルルカの言葉に耳を傾けた。

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