1.06 色欲の魔王

「ほ~ら、力を抜いて……」


姉さんの甘い言葉とともに、抱かれているかのような錯覚に陥るほどふかふかで、ほんのりと暖かいベッドに押し倒される。

声を上げる間もなく姉さんが覆いかぶさり、私の頬を人差し指でそっと撫でる。頬から伝わる快感が背中を伝わって恥骨の辺りに溜まる。そのくすぐったい様な感覚に顔が緩み、少しだけ腰が浮く。

そんな私を愛おしそうに見ていた姉さんがゆっくりと近づいてくる。私は目を閉じて姉さんを待つ。けど姉さんは一向にやってこない。

待ちきれなくて目を開けると、鼻がこすれ合うほどの距離で、私を惑わせる綺麗な顔は止まっていた。真っ赤な瞳が私をじっと見つめている。

口から出ている息が自分の物なのか、それとも姉さんの物なのかわからない。一つわかることは、お互いに一線を越える寸前の荒い息を吐いていることだけだ。

第百二十七代色欲の魔王イレアナ。淫魔達を総べる魔王。ありとあらゆる妄想を具現化することが出来る性の権化。彼女の手にかかればどんな生物も快感で頭がおかしくなり、性のこと以外、何も考えられなくなる。

私が唯一仲の良い兄姉。そして私に最大の援助をしてくれて、それと引き換えに最大の快楽を与えてくれる女性。


「んぁ……」


姉さんの左手が私の敏感な部分に触れる。腰がとける感覚に堪らず声が漏れる。姉さんの愛撫は、色欲の魔王の名に恥じない極上の快楽を約束してくれる。

姉さんに触れられた者はその快感に抗うことができず、己の欲望のまま姉さんの肢体を貪り、また幸福に包まれながら貪られ、その命を終える。


「ふふっ。気持ちよさそうね」


姉さんの麗しい唇の間から見える赤い舌が私のことを狙っている。


「ん、ちゅる……」


姉さんがようやく口の中に入ってくる。お互いの舌先だけが交わる軽い口づけ。それだけでも体が弓なりにのけぞる。

でもその先をいくら求めても決して答えてくれない。そして私から離れていく姉さん。

じれったくて、満足できなくて、懸命に伸ばした舌を姉さんが人差し指で押し返す。


「ふぁあ……」


姉さんは口の中に戻った舌を掴んで、くちゅくちゅとやらしい音を立てながらこねくり回す。頭の中が蕩けていく感覚が怖くて、私は姉さんに抱き着く。


「ふふっ。安心して、ずっと傍にいるから……」


妖艶にほほ笑んだ姉さんの顔が近づいてくる。私は目を閉じて姉さんに身体を預けた。






「で、姉さん、今回は何の用なの?」


姉さんが夜遊びをするためだけに特注した、一切の光と熱を通さない特殊な暗幕をあけると、眩しい朝日が私を迎えてくれる。真夏日が多い色欲領は、今日も暑い一日になりそうだ。

私を好き放題した姉さんは、乱れに乱れたベッドのふちに腰かけて、あれだけ動いたというのに、癖一つついていない美しい赤髪を弄りながらこちらを見ている。その顔はとても満足そうだ。

私は部屋の隅にかけられたバスタオルをとってからその横に座って、体の至る所についた、姉さんと交わった痕を拭きとる。昨晩は一睡もできなかったからちょっと頭が痛い。

姉さんは暇さえあれば私の家に来て、私を玩具にして帰っていくけど、こうして城に呼ばれるときは何かお願い事があることが多い。その前にこうされることはわかっているけど、高額な仕送りをしてもらっている手前、無下に断ることはできない。


「ふふっ、それはね……」


わざわざ顔を寄せて耳元で囁く姉さん。それだけで胸が高鳴る。姉さんのフェロモンに当てられると、どんな些細なことでも否応なしに昂ぶってしまう。


「……ということなのよ」


姉さんのお願いのほとんどが魔物の討伐で、今回も例に漏れず魔物の討伐依頼だった。そしていつも通りややこしい相手だ。

姉さんは自由奔放な淫魔達を上手くまとめて、国に穴が出来ないように運営しているけれども、淫魔族の戦闘能力の低さだけはカバーしきれていない。

腹心のジャヒーやクラリッサ、上級魔族に匹敵する淫魔は何人かいるし、引き抜いた魔神族や上級魔族も何人かいる。

しかしその上級魔族たちよりも強い魔物が生まれることもある。その場合はまずカーラに討伐の依頼が行く。先代の色欲の魔王とカーラの間に結ばれた約束は今も生きているから、カーラは快く(?)協力する。

でもカーラは長期間向日葵畑を離れることを嫌う。カーラは姉さんの従者でも何でもないから、姉さんだって強制することはできない。下手に機嫌を損ねて、向日葵畑を辞めるなんてことになったら、貴重な財源が一つ減ることになる。

だから長期戦になりそうなときは、魔物の討伐依頼が私に回ってくる。で、長期戦になるってことはややこしい魔物の場合が多い。


「相変わらず厄介な相手ね……」


今回は相手は水晶獣。毛が水晶でできた狼型の魔物で気性が荒く、魔族を見かければ見境なく襲い掛かってくる危険な魔物だ。そして賢くて滅多に姿を見せない上に、生半可な攻撃が通らない。強い個体になればカーラでもただでは済まない。

姉さんなら倒せるだろうけど、水晶獣を見つけるまで国を放置するわけにはいかない。下手な魔族を調査に向かわしても犠牲が増えるだけだ。だから強くて暇な私に仕事が回ってきたわけだ。


「ね、お願いノワエちゃん」


モデルのような細い腰からは想像もできないほど豊満な胸で、私の腕を挟む姉さん。私の腕を余すことなく包む姉さんの強力な武器は、生暖かくて少し汗ばんでいる。


「そんなことしなくても、断らないわよ」


当然、私に断る権利はない。というか断ったら私が生活に困る。父さんからの仕送りもあるけど、それだけじゃ私とディースとルルカの三人が食べていくことはできない。私がある程度の生活水準を保てているのは、姉さんの仕送りおかげなのだ。


「や~ん。ノワエちゃん優しい~」


「きゃあっ!」


自分でもビックリするくらい可愛らしい声を上げた私は、またベッドに押し倒される。姉さんが私の上に乗って、私を愛おしそうに見つめてくる。


「ちょっと姉さん、もう朝よ」


「ん~?」


私の言葉がわからない。といったように首を傾げる姉さん。


「ほら、触って」


私の右手が姉さんの柔らかい胸に押し付けられる。指の隙間から胸が溢れ出るほど柔らかくて暖かい。いつまでもこうしていたい。自然とそう思う。


「ほら、心臓の音、早くて大きでしょ」


手に伝わってくる鼓動は速く、そして大きかった。その鼓動を聞くだけで私の鼓動もどんどん速くなっていく。


「また昂ぶってきちゃった」


「……何がきっかけよ」


「ノワエちゃんが私の依頼を受けてくれるのが嬉しくてよ」


「それだけ?」


「うん」


屈託のない笑顔にドキリとして顔をそむける。この万年発情期は……。


「んぐっ……」


姉さんの舌が私の唇を割り、私を蹂躙していく。姉さんの舌が当たる度に、どんどん頭が真っ白になっていく。


(抵抗するだけ無駄、ね……)


心の中で熱いため息を吐いてから、私は何度目か分からない、姉さんの愛撫に身を任せた。






昼過ぎ。

ようやく解放された私は、姉さんと一緒に遅めの昼食をとる。頭が痛くて食欲がないけど、あれだけすることしたのだから、栄養補給をしっかりしておかないと本当に倒れる。私は石が詰まったように重たい胃に、出されたスタミナ料理を詰め込んでいく。

対面に座った姉さんをちらりと見ると、これ見よがしと机の上に置いた大きな胸が、息をする度に変則的に形を変えている。


「やんっ」


私が見ていることに気が付いた姉さんが、食べていたパンをわざと落として胸の間に挟み、胸をまさぐってパンを探す。その動作は白々しくて普段なら何とも思わないのだろうけど、先ほどまで目の前で乱れ動いていた大きな果実を思い出して、私は視線を外せなかった。


「あらノワエちゃん、そんなにおっぱいばかり見てどうしたの?」


姉さんが胸の間からパンを取り出して、そんなことしなくてもいいのに、口をすぼめてくちゅくちゅと、それっぽい音を出しながらパンを食べる。


「見られたくないなら、机に乗せないでよ」


「あら~。ノワエちゃんにだったら見せてもいいわよ」


そう言って下着と胸の隙間に指を入れて少しずらす。


「さっき飽きるほど見たから遠慮しておくわ」


「ん~。ってことは飲みたいのか。確かに今日の料理に牛乳は合うものね。ほらノワエちゃん、吸わせてあげるからこっちにおいで」


「その発想はなかったわ。というか食事中に見せるな」


ディースみたいに食事作法をあれこれ言うつもりはないけど、局部を見せるとか踊りだすとか、そういうはしたない行為は慎んでもらいたい。


「そういいながらも目は釘づけよ?」


「そりゃそんな立派な物見せられたそうもなるでしょうよ」


「そうかしら? やっぱりノワエちゃんが変態だから……って危ない!」


私が投げたフォークは姉さんを顔の一センチ横を通り過ぎて壁に突き刺さる。


「次は本当に刺すわよ」


「もう、怒らないでよ。ノワエちゃんが可愛いのがいけないのよ」


「はぁ……」


ってまぁこうして脅すことはあっても実際に刺すことはないし、仮に姉さんの方に飛んで行っても弾かれる。姉さんもただのフォークが通用するほど弱くはない。


「で、姉さん。水晶獣の話だけど、どこに住んでいるの?」


姉さんはパンをちぎりながら答える。


「ここから北に行った平原か、渓谷の手前にある森が最有力よ」


「まだ特定はできてないのね」


「ええ。目撃情報から大体の場所は割り出したけど、けっこう広範囲で目撃情報があるのよ。それにノワエなら、ある程度の場所を教えればすぐに見つけられるでしょ?」


「まあね」


姉さんは色欲領とその周辺に空間を繋ぐことはできるけど、そこから魔力の流れを汲みとって、相手がどこにいるかを探すなんて高度な魔法は使えない。ってかこの魔法、魔界で使えるのはたぶん私だけだ。

大魔王クラスの魔力と、途方もない鍛錬をして初めて会得できる秘儀中の秘儀。魔力の流れを感じるのは気配を感じるのと違って、非常に高度で難しい魔法なのだ。

現大魔王の父さんは空間を繋ぐくらいはできるけど、流れを感じ取る魔法は会得していないらしい。まぁ父さん、魔法は得意じゃないしね。

私の知り合いでこの魔法を使えるのは、天界の長であるムースだけだ。閻魔大王のヴァルハルトと、天将っていう天界で一番強いアンスリュームってやつは練習すれば使えるようになると思うけど、彼らは魔法にあまり興味がないから、何千年もかけて会得しようとは思わないだろう。


「わかった、ちょっと調べてみるわ」


食事を終えた私はごちそうさま、と言ってから立ち上がり、剣を何もない空間に向ける。


「姉さん、わかってると思うけど邪魔しないでね」


「ええ。さすがに空間が捻じれるのは私も困るわ」


空間を操っているとき(特に裂いているとき)に使用者の魔力が大きく乱れると、空間が捻じれてとんでもない影響を及ぼすことがある。そのとんでもないというのが、この辺りが無になって消えてしまうくらいの規模なので、さすがの姉さんも手は出してこないはずだ。

この部屋には誰も入らないように厳命してあるから、どれだけ力を使っても問題はない。私は深呼吸をしてから、目を閉じて集中する。魔力が剣先に集まるイメージをしながら、体の魔力をゆっくりと送っていく。

でも上手く魔力がまとまらない。このままでは流れを読むどころか空間を裂くことすらできない。

私は剣を下ろす。


「だめね。姉さんが近くにいると集中できない」


「ちょっと、本当に何もしないってば」


いくら姉さんが私を苛めるのを生きがいにしているとはいえ、辺りが無に帰るかもしれない魔法を使っているときに何かしてくるほど煩悩まみれではない。

それはわかっているんだけど、どうしても何かされるんじゃないかという邪念が消えない。


「やんっ。信頼してよ~」


そう言いながらさっと私の背後に回り、私の胸を揉んでくる姉さん。こういうところが信用できない理由だ。


「はぁ。闘技場、借りてもいい?」


「水晶獣が動くのは夜だから、それまで……」


指で私の敏感なところをこねくり回す姉さん。


「に調査しておかないといけないでしょう?」


でもお仕事モードに入った私にその攻撃は通用しない。姉さんの得意技も、防ごうと思えば魔法を使って防げるのだ。


「……はぁ。じゃあ申し訳ないけど、よろしくね、ノワエちゃん」


心底残念そうな姉さんも、被害が出るのは不味いとわかっているから、素直に私から離れる。それにこの後は玉座に座らないといけない時間のはずだ。


「じゃあちょっと行ってくるわ」


「は~い」


姉さんに見送られて食堂を後にする。ここから闘技場までは少し遠い。

廊下ですれ違う淫魔たちは、全員が際どい服を着ていて、これ見よがしに胸を揺らしたり、お尻を弾ませたりしている。

淫魔達は特殊魔族の中では断トツで戦闘能力が低い。それこそ一般魔族程度の力しか持たない淫魔がほとんどだ。そんな淫魔族は力こそすべての魔界を生き残るために、性技を極め相手を骨抜きにして生き延びてきた。

淫魔達のフェロモンは独特で、あてられると魔力や種族の差は関係なく、気持ちが昂ぶってくる。たとえそれが生死をかけた戦いの最中であってもだ。

彼女たちはその能力を生かすために、自らのプロポーションを前面に押し出す服装をする。ある者は歩くたびに揺れ動くお尻が美しく見えるように、ある者は少し余計な肉が付いた柔らかい太ももが、より気持ちの良いものに見えるように、ある者は低い身長を生かして幼子のように見えるように。

生き残るためにとはいえ、淫魔族は全体的に性に関して大っぴらで貞操概念は薄く、楽天家な者が多い。

そして言動に一切遠慮がない。先ほどすれ違った淫魔なんて、昨晩のことを事細かに聞いてきた上に、私にちょっかいを出してきた。

まぁいつものことだし、一線を越えたら姉さんが黙っていないから、今のところはおさわり程度で我慢しているようだ。

それにしても姉さんにも困ったものだ。本当なら朝のうちにお願い事を終えて、昼から家に帰って休むつもりだったのに。そのまま延長戦に突入するとは思わなかった。あと腰が痛くて堪らない。ちゃんとストレッチしておかないと後に響きそうだ。そして、明日からしばらくは体が疼いて仕方がないだろう。


(水晶獣が出たっていうのに、随分と呑気ね……)


まだ直接の被害は出ていないらしいけど、そんなにのんびりしていて大丈夫なのだろうか。被害が出てからだと遅いと思うんだけど。

というか私と遊ぶのは姉さんが時間さえ取ればいつでも出来るわけだから、気が向いた時に来て、気が向いた時にすればいい。優先順位を間違えないようにしてほしいんだけどな。

ってなんかこれ、私が期待しているみたいにも取れるな。まぁ、ぶっちゃけた話、まったく嫌ってわけではないんだけど……。

五分ほど歩いて、地下にある、色欲領では滅多に使われない闘技場にやってくる。薄暗くて、しんと静まり返った闘技場。闘技場というよりは道場という方がしっくりとくる作り。

魔界の闘技場のほとんどは、分散石という特殊な石で作られている。

この石は小さい物も含めれば魔界の至る所にあるのだが、その名の通り力を分散するから切り出すのがすごく難しい。そのため、魔界に存在する石の中で最も高価だ。

この石は私がどれだけ魔力を込めて攻撃しても、現在魔界最強のヴァルハルトが本気で攻撃しても、力をすべて分散してしまうので傷一つ付くことがない。歴史書なんかを見ても、この石に傷をつけられた魔族はいない。

この石に傷をつけられるようになった魔族は、たぶん魔界にいちゃいけないんだと思う。なんかそこまで強くなったらダメな気がするんだよね。


「……始めるか」


深呼吸をして精神統一。

私は先ほどと同じく、剣を何もない空間に向けて、剣先の空間だけを裂いて魔力の流れを感じ取る。今いるこの城から北に上がっていき大きな魔力を探す。色欲領は山地なので高低差がきつく、魔力の流れが独特なので探すのが大変だ。くぼみまでしっかり探さないと、見落としてしまうことがよくある。いつも以上に集中しながら大きな魔力を探す。






(いた……)


二十分くらい探してようやく見つけた。大きな魔力はいくつか感じるけど、その中でもとりわけ大きな魔力を持つ生物。今はゆっくりと森の中を移動している。基本的に水晶獣は夜行性だけど、昼間全く動かないってわけじゃない。

感じる魔力の量から推測するに、カーラに匹敵するくらいだろう。

魔神クラスの魔物が生まれてくるのは極めて珍しいけど、あり得ないことじゃないのが魔界の怖いところだ。


(う~ん……)


空間を閉じた私は、どうすれば力を制限した状態で水晶獣を倒せるかを考える。

父さんの部下を含めれば、私が魔王族だと知っている者はそこそこいるけど、私がこれほど強いことを知っているのは本当にごく一部の知り合いだけだ。父さんだって知らない。

父さんに私は、弱くて生きる価値のない魔王だと思われているし、そう思われるように振る舞っている。

もし父さんやアザゼル兄さんが私の強さを知ったら、ややこしいことになるのは目に見えている。良くて私が大魔王を継ぐ、悪ければ魔界全土を巻き込む大戦争になる。

力を使わないようにして戦うのは簡単だが、その状態で水晶獣の堅い皮膚(というか水晶)をどうやって砕くかが問題だ。水晶は単純に硬いだけでなく、魔力を多く供給してやると魔法を跳ね返す性質がある。下手な魔法を打てばこちらが大ダメージを受ける。

かといって腕力だけで水晶を叩き斬るのも難しい。私はそこまで腕力がないから、剣に魔力を込めて斬りつけるのだけど、その魔力も反射するから、攻撃すると剣が弾き飛ばされる。わかっていれば態勢を崩すことはほとんどないけど、剣で攻撃するのも賢い選択とは言えない。

無に帰してしまうという方法も考えたけど後処理が出来ないので却下。

ちなみに無の魔法を使うと、その場はずっと真っ黒で何もない状態になる。そしてそこから空間が綻びていって最終的に世界が崩壊する。理論は覚えてるからたぶん使えるけど、使ったことはないし使うつもりもない。そして今まで使った魔族はいない。そう考えると、無の魔法って何のために存在してるんだろう。

封印してしまうってのも考えたけど準備が大変だし、そこまでするような敵でもない。毒や混乱の魔法が効くような相手でもないだろう。


(面倒だし、力を開放して一撃で沈めようかな……)


水晶が魔法を跳ね返すと言っても、その水晶に供給された以上の魔力で攻撃すれば反射することはない。防御壁と同じ原理で、魔界の物はほとんどそういう風になっている。簡単に言えば、自分が持っている魔力以上の攻撃は防ぐ手段がない。ということだ。まぁ実際はちょっと違うんだけどね。

あの辺りは近くに町もないから、仮に力を開放しても誰かに見られるなんてことはないだろう。でも魔界には密偵が多いから、念には念を入れておきたい。


「あ、そうだ」


妙案が浮かんだ。私は急いで姉さんの元に戻る。

この時間帯の魔王の主な仕事は、謁見の間に座って時間をつぶすことだ。魔王に刃向う者を迎え撃つための仕事だと言われているけど、本当のところ、この仕事の意味は誰にもわからない。ただ大昔からそういう風に決まっているのだ。

謁見の間に入ると、姉さんが暇そうに報告書を読んでいた。私の姿を確認するや否や、目がパッと輝く。


「ノワエちゃん、どうだったの?」


「カーラくらいの魔力を感じた。水晶の事もあるからそう簡単には倒せないと思うわ」


「あらら……」


「ばれる可能性を考えたら、力を解放して戦うわけにもいかない。かといってジャヒーやクラリッサじゃ勝負にならないわ」


ジャヒーは姉さんの腹心にして色欲領の二番手。クラリッサは父さんの所から引き抜いてきた魔族で、魔神族クラスの戦闘能力を持つ凄腕の剣士だ。二人とも面識があって、私が魔王族ということは知っている。


「カーラでも無理かしら?」


「厳しいと思うわよ。だから私が付いて行こうと思うの」


「サポート役?」


「そうよ。いくら私でも魔力を制限して水晶獣を倒することは難しいわ。そしてカーラ一人でも厳しい。でも私がサポートしてあげれば、カーラもそれほど苦戦することはないと思うわ」


「なるほどね……」


姉さんが人差し指でほっぺたをぐりぐりしながら考える。


「わかった。カーラに連絡をしておくわ」


「よろしく。あと一つ、水晶獣を討伐するって意気込んでいる冒険者や傭兵がいないか調べてほしいの」


魔界には多くの魔物が生息しているが、それらを狩って町の安全を守り、収入を得ている者も多くいる。その中の誰かが今回の話を聞いていて、水晶獣を倒そうとしていてもおかしくはない。

その冒険者たちと鉢合わせでもしたら私の動きが制限される。だから事前に調べておいて、そのリスクを低くしておきたい。


「わかったわ」


「情報収集はどのくらいかかる?」


「三、四時間で終わると思うわ」


「じゃあその後に向かうわ。私寝るから、カーラがここに来たら起こして」


「はいは~い」


まぁ仮に誰かに見られたとしても、私が魔王族だなんて夢にも思わないだろうし、カーラと一緒にいるなら、魔神族と思われる可能性が高い。でも用心するに越したことはない。ばれたら私のニート生活は一瞬で終わっちゃうしね。

もし私が魔王族だとばれて噂になったら、父さんだって黙ってはいない。どんなを手を使ってでも揉み消すだろう。そこまでして私の存在を隠したいっていうのはちょっと過剰な気もするけど、そのくらい私のことを汚点だと思っているのだ。


「待ってノワエちゃん」


謁見の間を去ろうとした私を姉さんが止める。私が気付いていない大きな問題があるのだろうか、姉さんが難しい顔で考え事をしている。姉さんのこんな顔を見るなんていつ以来だろう。

……何となくやらしいことを考えている感じもする。いや、さすがにこの状況でそんなことは考えないだろう。私はそう思い直し、姉さんの言葉を待つ。


「ノワエちゃん、獣のアソコって長いわよね」


はい残念。思いっきり下ネタでした。


「水晶 "獣” ってことは、アソコも水晶なのよね?」


「……さぁ」


「仮にそうだとして、そんなかた~いモノを突っ込まれたら、いつもの何倍も気持ちいいんじゃないかしら?」


「たぶん痛いと思うわ」


「いえ、堅ければ堅いほど気持ちいいはずよ。今晩やってみましょう」


「一人でやって……」


大きくため息を吐く。誰の領土のために働いてやっていると思っているんだ、このド変態は。


「ところでノワエちゃん、空間を繋げて水晶獣をどうにかこの城に連れ込むことはできないかしら?」


「何考えてるのよ?」


「違う違う。とち狂っても獣の薄汚いモノなんて突っ込まないわよ。突っ込むのはジャヒーちゃんにやってもらうわ」


左手で輪っかを作って、右手の人差し指を抜き差しする姉さん。その顔はとても楽しそうだ。

水晶を突っ込むなんてこと、普通の魔族じゃ怖くてできないけれども、ドSのジャヒーなら喜んでやるだろう。嬉々としながら姉さんを攻める姿が目に浮かぶ。


「ほら、闘技場に連れ込めればノワエちゃんがいくら力を出しても大丈夫でしょう?」


「う~ん……。やってできないことはないだろうけど、現実的ではないわね」


空間を繋げる魔法は、別の場所に繋がっているという認識がないと発動しない。例えば空間を繋げて落とし穴を作って、相手がその上に乗ったとしても、相手が別の場所に行くという認識がないと落ちない。そしてそういうややこしいことをすると空間が歪む。空間ってちょっとしたことですぐに捻じれたり歪んだりしてしまうのだ。


「何か秘策があれば。と思ったんだけど仕方ないわね。素直にカーラに頼むわ」


「私が思いっきり暴れられればいいんだけどね」


「そんなことしてノワエちゃんの力がばれちゃったら、父さんとアザゼル兄さんが黙っていないわ。平和に暮らしたいのなら、今のままでいなさい」


「は~い」


返事をしてから大きな欠伸をする。やばい、本格的に眠たくなってきた。


「ここで寝る?」


そういって膝の上を指す姉さん。私は姉さんに比べて随分と小さいから、今でも姉さんの膝の上で寝ることができる。そして姉さんの膝の上で寝るのは凄く気持ちがいい。程よい柔らかさと温かさ、何よりも母親に抱かれているような安心感がある。

でも、姉さんならではの欠点がある。


「嫌よ。寝てる間にいらないことするでしょ、姉さん?」


「もちろん。夢の中でも気持ち良くしてあげるわ」


屈託のない笑顔を作る姉さん。夢の中に姉さんが現れると、どれだけ寝ても寝た気にならないほど情熱的な夢になる。それでは仮眠をとる意味がない。


「私は部屋で休ませてもらうわ」


「や~ん。もうちょっとお話ししましょうよ」


「本当にふらふらしてるから勘弁して」


姉さんは吸い取る側だから良いかもしれないけど、吸われる側の私はもうくたくただ。頭も痛くなってきた。


「仕方ないわね。おやすみなさい、ノワエちゃん」


投げキッスをする姉さんにウインクを返してから、謁見の間を後にする。


(さて、何か準備するものはあるかな……)


部屋に戻るまでの間にいろいろと考えるけど、カーラと協力すれば確実に勝てる相手だ。油断は禁物だけど、特別に何か用意する必要はない。

重たい体を引き摺って、私専用に作られた部屋に入る。ボロ洋館のベッドとは比べ物にならないほどふかふかで、一人で寝るには大きすぎるベッドにダイブする。

服を着替えないといけないな、と思いつつも、どうせタンスの中には肌がほとんど見えるほど薄い、ピンク色の服しか置いていないだろう。そしてそれを着たら淫魔の術が発動するはずだ。私には効かないってわかっているはずなのに。姉さんはくだらないことをするのが本当に好きだ。

姉さんがいらないことをしてくるのを防ぐために、防御魔法を張ろうかとも思ったけど、睡魔には勝てなかった。私はそのまま目を閉じる。はい、おやすみ。






窓の外がだんだん暗くなり、街灯の光が町を照らし始める時分。私とカーラは闘技場を目指して歩いていた。

姉さんの調べでは、水晶獣を倒しに行く素振りをしていた魔族はいないとのことだった。

冒険者たちは魔物を倒して得たお金を掴んで、この町に快楽を求めてやってくる。だから魔物の話やこれからの事を考える者は少ない。頭から仕事という物を捨てて快楽に入り浸り、鋭気を養って、また命を懸けた仕事に戻る。

そのまま入り浸り、お金が無くなって犯罪に走る者も多いけどね。それはどこの世界でも一緒だ。

昼でも薄暗く不気味な闘技場は、夜になればまるで廃墟のような趣になり、この城の者ですら近づかない。

壁にかかっている蝋燭に火を灯し、いつも通りに集中して魔力の流れを感じ取り、水晶獣を探す。ある程度の場所はわかっていたのですぐに見つかった。昼間見つけた時にいた場所からほとんど動いていないようだ。


「カーラ、準備はいい?」


「ええ。いつでもどうぞ」


剣先に作った空間の裂け目に魔力を込めて、私は水晶獣から少し離れたところに空間を繋げる。

今日も真夏日で、昼間は熱くてろくに眠れなかったというのに、森の中は寒さを感じるほどひんやりとしている。ここまで気温が低いと気味が悪い。

水晶獣の気配がする方に近づいていく。私もカーラも足音を立てないように歩くなんて面倒くさいことはしない。むしろ向こうが気付いて、襲いかかってきてくれた方が好都合だ。

一分もかからずに水晶獣を見つける。三メートルほどの高さの岩に乗り、私たちを待ち構えていた。

体長二メートル近い狼のような生き物。真っ赤な目にサーベルタイガーのように突き出た大きな牙。紫色の体毛は月明かりに照らされて星のように輝いている。輝いている部分のほとんどが水晶だ。

その幻想的な姿から、水晶獣は神の使いだという魔族もいるけど、魔物はどう転んでも地獄の案内人だからね。崇めたところで幸は一切もたらしてくれない。もたらしてくれる物は死だけだ。

水晶を身にまとう魔物は水晶の重さのせいで鈍足なんだけど、四足歩行をする水晶獣に関しては別。機動力、攻撃力、防御力、すべてにおいて死角がない厄介な相手だ。油断していたら私だってあっという間にやられ……はしないけど、怪我をするのは間違いない。

水晶獣がこちらを睨み、低いうなり声を上げながら距離を詰めてくる。首の周りの毛が逆立って、ライオンみたいになる。


「ノワエ、援護は任せたわよ」


「了解」


カーラが私の前に出て、大きな斧を構えるとほぼ同時に、水晶獣がまっすぐ飛び掛かってくる。

それを右に避けたカーラはそのまま水平に斧を振るう。


「ぐっ!!」


斧が水晶獣をとらえた瞬間、火花が散って斧が大きく弾き飛ばされる。斧を手放すことはなかったけど、バランスを崩して手をついたカーラに水晶獣がまた飛び掛かる。

その大きな牙がカーラに届く前に、私が張った防御壁に体をぶつける水晶獣。


「助かったわ」


「気を抜いてると怪我するわよ」


私はカーラの斧に魔力を補充する。カーラの斧が赤く光る。私の魔力とカーラの魔力を合わせれば、水晶獣の硬い毛も破ることができるだろう。

先に援護する魔族から倒した方がいいと考えたのだろう、水晶獣が私めがけて走ってくる。水晶獣は剣を持っている右手を攻撃すると見せかけて、目と鼻の先で方向転換し、左手に飛びついてくる。

こいつ思ったよりもやるけれども残念。フェイントは姉さんの十八番だから、並みのフェイントじゃ私は騙されません。牙が掠るくらいまで引き寄せてから攻撃を避ける。

攻撃を外した水晶獣は勢いを殺さずに距離をとった。私たちをしばらく睨んでから、天に向かって美しい音色の遠吠えを響かせる。長く続くその声は森の中を駆け巡るように反響し、しばらくすると別の場所から遠吠えが聞こえてくる。


「あら、仲間がいるのかしら?」


「みたいね。カーラ、あんた一人でできる?」


「ちゃんと強化してくれればね」


カーラは水晶獣との距離を一気に詰めて斧を振り下ろす。そんな単調な攻撃はあっさりと躱されるけど、カーラはそのまま体をひねり、水晶獣を薙ぎ払う。

当たったところから火花が飛び散るけど、カーラの斧は弾かれることはなく、あの重たい水晶獣が吹き飛んでいく。相変わらずの馬鹿力だ。

私の出番はないかな。と思いながら、後ろからやってきた二体目の水晶獣の攻撃を避ける。さらにもう一体。でもその牙も爪も私に届くことはない。

いくら強い魔物だと言っても、私からすれば赤子みたいな相手だ。仮に後ろから来られても動きは感じ取れるし、仮に攻撃を避けられないとなっても防御壁で容易に止められる。

初めの一匹はカーラが受け持ち、増援の二匹は私が受け持つ形になった。


(お、なかなか良い動きするわね……)


増援の二匹は見事なチームワークで私に飛び掛かってくるけど、私にとってそんなものは脅威でもなんでもない。当たるか当たらないかの瀬戸際を楽しみながら、私は攻撃を避け続ける。

私が回避に専念しているのを好機と見たのか、水晶獣たちが間髪を入れずに何度も攻撃を仕掛けてくるけど、それが私に当たることはない。もう少しで当たるというところですべて避ける。


(普通に戦ってもけっこう厄介な相手ね……)


ここ数千年で戦った魔物の中では間違いなく一番楽しい相手だ。回避に専念しているのは遊んでいるからだけど、攻撃に移れるチャンスはあまりない。五回に一回くらいだろうか。これはカーラ、かなり苦戦しているんじゃないだろうか。

カーラの方を見ると三体の水晶獣を相手にしていた。やはりちょこまかと動く敵は苦手のようで、魔法で防御力強化しているにも関わらず、無数の切り傷がある。カーラの周りを覆う防御壁も損傷が激しい。

私は二体の水晶獣の攻撃を躱しながら、カーラの防御壁を張り直し、回復魔法で傷を癒す。まぁ私のは癒すっていうより塞ぐだけどね。


「カーラ、いったん合流しましょう」


「わかったわ!」


私は二体の水晶獣を弾き飛ばし、カーラは大きく飛びのいて合流する。私たちを囲むようにして水晶獣が間合いを詰めてくる。


「背合わせなんていつ以来かしら?」


「さぁね。あなたと共闘するのは随分と久しぶりだから、覚えてないわ」


「感覚は?」


「覚えているわよ」


頭上から私目がけて飛び掛かってきた水晶獣を防御壁で受け止め、弱体化の魔法をかける。刹那、私の頭上をカーラの斧が横切り、水晶獣の首を吹き飛ばす。

首を跳ね飛ばされた水晶獣は、おびただしい量の血をまき散らしながら吹き飛んでいき、すぐに動かなくなり、霧となって消えていく。


「まず一体ね」


残る水晶獣は四体。絶命した水晶獣には目もくれず、仲間が死んだ恐怖を感じることもないのか、臆することなく距離を詰めてくる。


「どういう作戦にするの?」


「私が三体を引き付けるから、あんたは一体ずつ処理していって」


「了解」


カーラが目の前にいる水晶獣に突撃する。

思わぬ動きに一瞬狼狽えた水晶獣たちは、無防備なカーラ目がけて突撃する。


「させないわよ!」


防御壁を水晶獣の目の前に作って動きを止める。防御壁って何も身を守るためだけに使うものじゃない。こうやって動きを制限するのにも使えるのだ。もっとも、こういう風に使う魔族を見たことはないけどね。こういうことをするなら土壁の魔法の方が手っ取り早い。

動きの止まった水晶獣に高速詠唱した闇魔法を放つ。辺りに亡者の悲鳴のような、低いとも高いとも言えない音が響き渡り、水晶獣を捉えるけれども、あっさりと反射されて私に飛んでくる。


「おっと」


それを相殺すると、二体の水晶獣が素晴らしいタイミングで私に飛び掛かってくる。一匹はその大きな手で私の骨を砕こうと、もう一匹は立派な牙で私をかみ殺そうとする。

牙を間一髪で躱し、迫ってきた大きな手を防御壁で受け止めて弾き返す。今のはちょっと危なかった。


「ノワエ! 屈みなさい!!」


状況を確認するよりも先に体が動く。私が屈んだ刹那、私の頭上を横向けになった水晶獣が、血をまき散らしながら飛んでいく。

後ろから飛んできた水晶獣は、私と対峙していた水晶獣に当たって止まり、ゆっくりと霧になっていく。

当たって動きが止まった水晶獣は地面から突き出た鋭利な岩で串刺しになる。カーラお得意の土魔法だ。

残っているのはあと二体。対峙するその二体からは、先ほどまで感じなかった焦りのようなものを感じる。

念のためにカーラの防御壁を張りなおしておく。そして斧の魔力も補充しておく。


「相変わらず底なしの魔力ね」


「このくらいで魔力が枯渇してたら、魔王族なんてやってられないわよ」


カーラも少し荒い息を吐いてはいるが、まだまだ余裕そうだ。斧を握りなおすと、水晶獣に突っ込んでいく。

あれだけ強化してしまえばカーラ一人でも大丈夫だろうが、早く終わらせるために牽制用の水魔法を放っておく。そちらに気を取られた一匹を、カーラが見事に仕留める。

もう一匹は無謀にも私に突っ込んできた。私は右手に握っていた剣に一瞬だけ魔力を込めて一閃。一瞬だけ肉を斬る柔らかい感覚が手に伝わってくるけど、その後は素振りと何も変わらない。私の目の前で水晶獣は真っ二つになり、その命を終えた。

魔物は死んでも死体が残らずに、霧となって消えていく。その光景はとても幻想的で綺麗なんだけど、いつみても悲しい。魔物だって立派な生き物だしね。それに、そもそも彼らに罪はない。

かつて私が殺してしまった小鳥のように、死体が残ってくれれば弔うことも出来るんだけどね。魔物に生まれてくるとそれすらも出来ない。魔族に殺されることが目的の生き物。


「……ありがとう」


自分にも聞こえないほど小さな声で呟く。


「終わったわね」


カーラが大きな斧を担ぎながら私に近づいてくる。

とっても美人なカーラには不釣り合いな大きさの斧だけど、妙にしっくりくるのは、長年カーラが斧を愛用しているからだろう。


「それにしても最後、力を開放してたじゃないの」


ちょっと不満そうな顔のカーラ。


「一瞬だけね」


「そんなことするなら、初めからあなただけで良かったんじゃないの?」


「いや、まぁ一応ね……」


結果論だけど、この程度の相手なら私だけでも良かった。カーラがいてくれたから楽ができたけど、いなかったとしてもすぐに倒せてしまっていただろう。


「相変わらず無茶苦茶な強さね」


そう言いながらカーラが私に斧を振り下ろす。当然、そんな攻撃は防御壁で止められる。


「一応、魔王族ですから」


カーラが斧に力を込めるけど、防御壁はビクともしない。カーラは諦めて斧を下ろす。


「周囲を見ておきましょうか」


「そうね」


念のために辺りに水晶獣がいないかを調べる。

適当に二十分ほど歩き、弱い魔物を何体か始末したけれども、水晶獣やそれに匹敵するような強大な魔物の気配は感じない。


「それにしても、水晶獣が複数体いるとは思わなかったわ」


あの手の魔物は何匹かで徒党を組んで行動することが多いから、不思議なことではないんだけど、あれだけ強い水晶獣が五体もいるなんて思わなかった。もしあれがどこかの町を攻めていたら大きな被害が出ていただろう。


「最近、強力な魔物の話を聞くことが多いわね」


カーラがぽつりと呟く。

魔物というのは負の感情から生まれるため、感情を持つ生物がいる世界ならどこでも生まれる。

普通の魔物は空気みたいな存在で、世界を悪い流れにする能力しか持っていない。肉眼で確認することも、誰かの中に入って悪さをすることもできない。

でも魔界のように魔物が具現化して、生物を襲う世界もある。

強い魔物が生まれるということは、それだけ負の感情が高まっているということだ。そして今の魔界の状態、父さんの政治の良し悪しを図る指標にもなる。

かつてないほど強い魔物が跋扈している現在。わざわざ政治の良し悪しを語る必要もないよね。


「……アザゼル兄さんが大魔王になったら、魔界はどうなるのかな?」


そんな言葉が自然と辺りに響いた。

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