1.05 破壊魔神
私が住むボロ洋館には一部だけ二階があって、そこには使われた形跡のない部屋が存在していた。どういう目的で作られたのか分からないその部屋は、お風呂場とルルカの部屋の上に位置していてなかなかの広さがあるが、長年使われずに放置されていたせいで床がたわんでいたり、壁にいくつもの穴が開いていた。
そんな使えない二階の部屋を、私は魔法の研究室として使うために改装した。このボロ洋館で唯一まともに直した部屋だ。
ちょっとした修理は自分たちでやるんだけど、大掛かりな改装となるとそうもいかなかった。何もわからない状態で、魔法っていう危険な研究をする部屋を作るわけにはいかず、でも改装するための費用なんてこの館にはないから、唯一お金を出してくれそうな姉さんと交渉したわけだ。私が役に立つ魔法を開発したら、姉さんにも教えてあげると言って。
でもそれだけじゃ姉さんは納得してくれなくて、最終的に私が三日間おもちゃになることでようやく出資してくれた。あの三日間は思い出したくない。悪い方の一生の思い出だ。
魔法の研究は気が向いた時しかやらないけど、気が向いたら食料を持ち込んで一日中やるし、ここでそのまま寝ることだってある。研究を始めると次から次へとアイデアが浮かぶから止まらないんだよね。もうそろそろ寝る時間かな、と思って研究をしていると、ディースが朝食を持ってくるなんてこともよくある。
(理論はあってるはずなんだけ……)
今研究している、というよりも会得しようとしているのは草木を元気にさせる魔法。普通の回復魔法は魔族にしか効果がないんだけど、この魔法を使えば草木を元気にすることができる。回復はできない点が普通の回復魔法とは違い、あくまでも対象を元気にするだけだ。だから気持ち寿命が延びるくらいの効果しかない、使い道の少ない魔法だ。ルルカはこの魔法を何に使うんだ、ってよく聞いてくるけど、はっきり言ってただの見栄です。使い道はほとんどないと思います。でも会得したいんです。魔法使い独特の病気です。
この魔法は全魔法の中でも、超上級と呼ばれる会得が非常に難しい魔法だ。その上、役に立たないから使える魔族はほとんどいない。
私は回復魔法に素質がないから、この魔法が会得できないのは自然なことなんだけど、私よりも魔法の素質が数十倍ないくせに、向日葵への愛だけでこの魔法を会得したカーラっていう破壊魔神がいる。私、魔法でそいつだけには負けたくないんだよね。
「あ~あ。わかんねぇ……」
魔道書を机に放り投げて一服。基本的に魔法は努力でどうこうなるものじゃなくて、素質がほぼすべてを決める世界だ。魔法の素質がない者はどれだけ練習しても初級魔法を使えるようになるのがやっとだけど、素質があるものは初めから初級魔法を使えて、ちょっと鍛錬すれば上級魔法を使えるようになる。
私は魔王族ということもあって攻撃魔法、特に闇と炎属性の才能は他の追随を許さないと思っているけど、回復魔法に関しては恐ろしく才能がない。使えることは使えるんだけど、結局コツがわからなかったので、有り余る魔力に物を言わせてゴリ押しで回復させている。
普通の回復魔法は対象を包み込むような柔らかい光が傷口が塞いでくれるんだけど、私のは回復魔法は絆創膏を貼ってはい終わり。って感じなんだよね。なんか優しさを感じない。あ、ちゃんと治るからね。むしろ魔力が多い分、普通の魔族よりもよく治るから。
「う~ん……」
椅子の前脚を浮かせながら使えない理由を考えてみる。回復魔法で大事なことって優しさなんだけど、こう見えても草木を慈しむ心は持ってるから、そこは大丈夫だと思うんだよね。となればなんだろう。やっぱり素質だろうか。
魔法の基礎基本ともいわれる普通の回復魔法ですら、まともに使えるようになるのに五年くらいかかったけど、この魔法は腰を入れ始めてから百年近くも会得できてない。
でも百年以上会得できなかった魔法って結構あるか。ちょっと前にお披露目した絞首刑の魔法とか、あたり一帯を無に還す、使ったら自分も巻き込まれる恐れのある危ない古代魔法とか、今じゃ普通に使っている空間を裂く魔法なんて千年近くかかった。そう考えれば百年って大したことないな。普通だ。
百年以上研究を続けている魔法だったら、防御壁の二重条件化とか水晶を介さなくてもやり取りできる魔法とか動物と話せる魔法とか。まぁこれは、草木を元気にする魔法と違って前例がないからいつできるかわらかないけどね。
「あ~。もうやめ。また気が向いた時にやろう」
この部屋に籠って今日で三日目。もういいや、違うことをやろう。私は立ち上がって大きく伸びをする。
「……カーラの所にでも行くか」
先ほど話に出た破壊魔神のカーラ。
魔神族だから魔力は豊富だけど攻撃魔法以外に素質がなく、並みの魔王族に匹敵するほどの物理攻撃力を持つ、まさに破壊のためだけに生まれてきたような魔族。そして私の数少ないお友達。そういえばずいぶんご無沙汰している気がする。顔を出しておかないと忘れられてしまうかもしれない。
行く先が決まった私は、一階に降りてディースを探す。ディースはキッチンで食料の在庫を確認していた。
「ディース、ちょっとカーラの所に行ってくる」
「かしこまりました。いつ頃お帰りになりますか?」
「夕飯までには帰ってくるわ。それじゃ」
「はい、お気をつけて」
ディースがいつも通りの綺麗なお辞儀をして私を見送ってくれる。本当にできた従者だ。ルルカも少しは見習って……ほしくないな。ルルカはあのままの方が安心する。
外に出て深呼吸。三日ぶりに外に出たので気持ちがいい。やっぱり家に籠りっぱなしはダメだよね。ちゃんと外に出て太陽の光を浴びて運動しないと。
凝り固まった体をほぐしてからもう一度深呼吸。体が満たされたところで、剣を引き抜いて何もない空間に切っ先を向ける。剣の先端だけ空間を裂いて、いつもの場所に魔族がいないことを確認する。
「………………………」
うん、どうやらいないようだ。私はそのまま空間を裂いて、カーラの家の近くにある高台に繋げる。
「ほんと、いつ見ても綺麗な向日葵畑よね」
姉さんの城から南西に行った所にある、端まで歩くのに十分以上かかる広大な向日葵畑。それが一望できるこの高台は私のお気に入りの場所だ。
姉さんの領土は夏日が多いんだけど、この辺りはこの高台から水が流れ落ちるおかげで結構涼しいし、魔物もそんなに強くないから魔界では珍しく観光客が多い。
「さて、行きますか」
私に翼はないから魔法を使って空を飛んで、向日葵畑の周りに張られた防御壁をぶち破る。この防御壁は結構頑丈だけど、魔王族ともなれば容易く通れる。防御壁は自動で回復してくれるのでわざわざ直す必要もない。そのままカーラの家を目指す。
小さなログハウスの前に降り立ちドアを開けようとするが開かない。鍵がかかっている。
(畑にいるのか……)
これだけ大きな向日葵畑を一人で管理しているカーラは、一日の大半を向日葵畑で過ごしている。そして私は、この広大な向日葵畑から一人の魔族を探さないといけない。とても面倒くさい。
向日葵畑は所狭しと向日葵が生えているから歩きづらくて仕方がない。そして傷をつけてしまえばカーラに半殺しにされる。私はもう一度空を飛んでカーラを探す。
意外にもカーラはすぐに見つかった。腰を屈めて、私を挑発するかのように、草木を元気にする魔法を使っている。
「カーラ!」
魔法を使い終わったカーラが煩わしそうに立ち上がり、私の方を見る。額から汗が流れ落ちる。面倒くさいやつが来た、とでも言いたそうだ。
「こんな所まで来るなんてごくろうね」
「ええ。本当に疲れたわ」
「相変わらず暇そうで何よりだわ」
「嫌味かしら?」
「もちろん」
「魔王族が遊びに来たんだからもっと喜びなさいよ」
「お茶を飲んで、お菓子を食べて、お代も払わずに帰る魔族が来て喜ぶバカはいないわよ」
「とか言って、本当はうれしい癖に」
大きなため息をついてから、カーラはポケットの中から鍵束を取り出す。
「ここの手入れが終わったら戻るから、くつろいでおいて」
そう言って鍵束を投げるカーラ。十個くらいの鍵が付いているけど、家の鍵以外はどこの鍵なのか知らない。
「ありがと。お菓子なんかある?」
「いつもの場所にサブレットがあるわ。私も食べるから、食べ過ぎないようにしてね」
「は~い」
カーラの家に戻って鍵を開けて中に入る。
家の中は向日葵のいい匂いがする。枯れた向日葵で作った芳香剤の匂いらしい。優しくてとても落ち着く、でも元気をもらえる香り。これをわざわざ買いに来る貴族もいるらしい。こんな辺鄙なところまで来るなんて本当にご苦労だと思う。
カーラは魔王族である私よりも綺麗な家に住んでいる。というか私の家がボロボロすぎるだけか。直せばいいんだけど、ディースもルルカも私もあまり修理はしない。なんか妙な愛着があるんだよね、あのボロ洋館。
この家は接着剤のいらない模型みたいに、木をはめ合わせて組み立てる、環境に配慮した作りの家だ。実際に石材や釘なんかはほとんど使っていないそうで、組み立てもカーラが半分以上やったらしい。ちょっとしたことで倒壊しそうだけど、そこは緻密な計算と魔法で大丈夫なようになっているそうだ。
いつもの棚からサブレットを取り出して、台所に置いてあった紅茶を入れてからいただきます。サクッという軽快な音がリビングに響く。うん美味しい。こうしていつもお菓子を用意してくれているカーラは本当に良い友達だ。
向日葵畑の管理人カーラ。向日葵をこよなく愛し、先代の色欲の魔王に許可を取り、この広大な向日葵畑を作った魔神族。
あまりの強さに破壊魔神といわれる彼女を知らない魔族は色欲領にはいないし、他の領土の魔族だって恐れおののく生ける伝説だ。その破壊力は魔王族に匹敵するほどで、私も小さい頃は手も足も出せずにボコボコにされていた。今私が得意とする数々の防御魔法は、カーラに勝つために会得したものだ。そして鍛錬に鍛錬を重ねて、初めてカーラに勝った時は本当に嬉しかった。そのあと私が一気に強くなっちゃったから今では相手にならなくなったけど、油断してたら怪我するくらいには強い。
もともとは誰もが知っているような大貴族の長女で跡取りだったけれども、いろいろあってその地位を捨てて、こうして向日葵を愛で自給自足に近い生活を送っている。
カーラは破壊魔神と言われて恐れられているけど女子力は結構高い。裁縫や料理が上手いのは当然のこととして、礼儀作法は完璧だし、ダンスを踊らせれば一流だし、ピアノを弾かせればプロ顔負けの演奏をする。まぁ要するになんでもできるのだ。
天は二物を与えず。なんて故事があるけど、私の周りにそれが当てはまる魔族は極端に少ない気がする。ディースもルルカも姉さんもなんでもできるし、それぞれ方向性は違うけど容姿だって完璧だ。
その破壊力に似つかない華奢な体と、外で畑作業をしているにも関わらず焼けることを知らない白い肌、そしてクールで圧倒的に強いカーラのファンは多い。本当にずるい女だよね。
夏日が多いここの向日葵は年中咲いていて、ほかの場所にある向日葵よりも一回りも二回りも大きい。
もともとこの辺りは独特の地形で、高台から水が流れ落ちたり、その高台から色欲領が一望できたりして、観光スポットとして人気が高かったみたいだけど、向日葵畑のおかげでさらに知名度が増した。常時賑わっているわけじゃないけど、色欲領の財政の一旦を担うくらいには儲かっているようだ。
カーラはここを観光スポットにしたかったわけじゃなくて、ただ向日葵畑を作りたかっただけだ。だから観光に来た魔族が向日葵を摘んだり悪戯することを防止するために、向日葵畑の周囲には魔法で強力な防御壁が張ってある。
この防御壁を維持するためには魔力が必要なんだけど、常時供給することなんてできないから、部屋の隅にある大きな水晶に魔力を補充して、そこから防御壁に魔力を供給している。防御壁の魔法は先代の色欲の魔王が張ったらしいけど、これだけ大きな土地の魔法壁を維持するとなると相当量の魔力が必要だ。
カーラに防御魔法の素質はないけど、魔王族に次ぐ強力な種族である魔神族だけあって、魔力の量はそこら辺の魔族と比べ物にならないくらい多い。だから二、三日に一回補充すれば十分だ。
何度か代行して魔力を水晶に入れたことがあったけど、カーラの倍以上魔力がある私でもけっこう疲れた。まぁあの馬鹿でかい水晶に限界まで魔力を補充する馬鹿は私くらいだろうけど。昔から、半分くらいとか三日持つくらいとか中途半端なこと嫌いなんだよね。入れられるだけ入れる。それが私だ。
(それにしてもなんで出来ないかなぁ)
今しがたカーラが植物を回復させる魔法を使っていたことを思い出す。やってることは変わらない感じがするんだけど、どこが違うんだろう。
魔力の練り方が甘いのか、それとも練りすぎなのか。詠唱の仕方が悪いのか、愛が足りないのか。カーラでもできるんだから絶対に私もできるはずなんだよね。っていうか魔法でカーラに負けたくない。絶対にカーラよりも上手くなってみせる。
「ただいま」
「お帰り」
姉さんと同じ赤い髪の毛と赤い瞳。その赤い瞳が私の目の前にある皿を見てから、私の方を睨む。
「食べ過ぎよ」
「え? あ……」
お皿の上にたくさんあったサブレットは、いつの間にか五枚になっていた。
「ごめん、考え事してたからつい……」
「まぁいいわ。紅茶のおかわりはいるかしら?」
「ええ。お願いするわ」
空になったティーカップをカーラに渡す。
「本当に遠慮って言葉を知らないわね、あなた」
「だって私たち友達でしょ?」
「都合のいい言葉ね」
カーラが私に背を向けて紅茶を入れ始める。その姿が照れ隠しのように見えた。
「あ、カーラ。久しぶりに会えて嬉しいなら、恥ずかしがらずに抱き着いてもいいのよ?」
「私、嬉しさはお茶で表現するから」
「……飲めるもの出してね」
「善処するわ」
昔カーラにしつこく絡んで、喉が焼けるような飲み物を出されたことがある。挑戦状みたいだったから全部飲みきったら、カーラが心底驚いてた。私負けず嫌いだから、そういう小さいことでも負けたくないのだ。
「で、今日は何の用なの?」
カーラが紅茶を出してくれる。先ほど私が入れたものよりも良い匂いがする。
「暇つぶしよ暇つぶし」
「……忙しいから帰ってもらえるかしら」
「いやよ。だって私は暇なんだもん」
「……はぁ」
カーラが深いため息を吐く。いつものことだ。
「で、本当は何の用なの?」
「今日は本当に雑談よ。最近ご無沙汰だったから」
「ご無沙汰って、二週間前にも暇つぶしに来たヤツが使うセリフかしら?」
「あれ、そんな最近だっけ?」
「ええ。先週珍しく来ないなと思ってたくらいよ」
「え、毎週来てる?」
「多い時は三日に一回よ」
「うそ……」
カーラの家に行くのは気が向いた時だけだから、もうかれこれ三年くらいは来ていないと思っていた。
「暇すぎて日付の感覚がおかしいのね」
「……かもしれないわね」
出された紅茶をすする。ディースが淹れる紅茶と違って少し酸味がきついけど、今日も美味しい。
眉間を押さえて考える。そういわれてみれば先々週も暇だったからカーラの家に来た気がする。そして他愛のない話をして帰った。その前の週も来た記憶がある。その前も……。
「健忘症は少し治ったかしら?」
「お陰様で……」
よく思い出せば毎週来て、紅茶とお菓子を食べて、ダラダラと話して時間を潰して帰っている。そしてそのたびにカーラに嫌な顔をされている。追い出さないってことは嫌われてはないってことだろうけど、ちょっと控えた方がいいかもしれない。
やっぱり何もせずに空を眺めているだけだと記憶力が落ちていくようだ。これからはまめに魔法の研究をしよう。若くしてボケるなんていやだしね。
「そういえばノワエ、最近町に行っているみたいじゃない」
「どうしてそんなこと知ってるのよ?」
「先週イレアナに聞いたのよ。ノワエが町に行くようになって、くだらない女とみだらな行為をしないか心配だって」
「いろいろ突っ込みどころはあるけど、とりあえず私はそんな尻軽じゃないわよ」
「それを聞いて安心したわ。あなた貞操概念薄そうだから私も気にしていたのよ」
「どういう意味よ、それ」
「イレアナに小さい頃から調教されてるから、あなたちょっと外れているところがあるじゃない。だから頼まれたらするのが常識。とか思っているんじゃないかと心配してたのよ」
「残念ながら、私は好きな人としかしません」
その辺りの善悪はきちんと付きますし、何がノーマルなことで何がアブノーマルなことかもちゃんと知ってます。まぁそれが羞恥心を煽ることになって、姉さんの思うつぼなわけなんだけど。
「ってことはイレアナが大好きってことね」
「え、あ……。その、姉さんは例外よ! ほら仕送り。お金貰ってるから」
「あら、そんなに顔を赤くしなくてもいいじゃない。イレアナ言ってたわよ、ノワエちゃんのことを一番愛してるのは私だって」
「そ、そりゃそうでしょうけど……」
ディースやルルカの愛とはまたちょっと違う。そんな目で見てくれるのは姉さんだけだし、お金のこともあるから意識しないわけにはいかないし……。
「私もあなたの事を愛しているわよ」
「は?! あんたいつの間に同性オッケーになったのよ?」
「ふふ。冗談よ。あなたこの手の話、本当に弱いわよね」
カーラがくすくすと笑う。姉さんといいカーラといい、色欲領の魔族は私で遊ぶヤツが多い気がする。
「そんな顔しないでよ。愛してるのは本当よ。友達としてだけど」
「……今日はやけに素直じゃない」
「昨日久しぶりにお酒を飲んだから、まだ残ってるのかもしれないわね」
「あんたお酒なんて飲むの?」
付き合ってそこそこ長いけど、お酒を飲むなんて初めて聞いた。
「ええ。こう見えても昔は酒豪で有名だったのよ」
「で、その後暴れまわってたの?」
「酒癖は良いからそれはないわ。まぁ絡んで来たやつは壁ごと吹き飛ばしてたけど、お酒に関係なくやってたわね」
「噂にたがわぬ破壊魔神ね」
「あら、それは褒め言葉かしら?」
「百八十度回転させて、屁理屈で固めたら褒め言葉になるわね」
「恥ずかしがらなくてもいいのよ」
カーラが出してくれた紅茶が無くなる。カップを差し出すと、何も言わずに入れてくれる。
「本当に甘えん坊ね。イレアナが好きになる気持ちもちょっとわかるわ」
「今日はやけに恋話に花が咲くじゃない。春でも来たの?」
「……いや、逆なのよね」
急に声のトーンが下がるカーラ。カーラってもともと声が低いから、さらに低くなるとすごみが利いて怖いんだよね。
「あなたには言ってなかったんだけど、私五百年くらい前から付きまとわれてるのよ」
「え? そんなの吹き飛ばせばいいじゃない?」
吹き飛ばすとか壊すっていう作業はカーラの十八番のはずだ。
「先代からここの許可を取った時に、色欲領内では、向日葵畑を荒らした者以外には手を出さないって約束したのよ」
やれやれと腕を組んで悩むカーラ。
たぶんその約束は何億年も前の話だろうけど、カーラは先代との決まりを今でも忠実に守っている。カーラにとって先代の色欲の魔王は、生きる意味を教えてくれた恩師のような魔族らしい。
現在のカーラは姉さんのご意見番みたいな立ち位置も担っている。これも先代に言われたことらしく、姉さんもカーラのことを信頼してアドバイスをもらっている。
「で、その男はどこにいるの?」
「北に行った小さな町に住んでるのよ。だから買い出しに行ったらほぼ毎回絡まれるわ。かといってほかの町に買い出しに行くのは遠くてね……。最近じゃ、イレアナに頼んで淫魔たちに持ってきてもらっているのよ」
「破壊魔神に何回もアタックするなんて、そいつ相当なチャレンジャーね」
「もしくは頭がおかしいかね」
自分で言うのかよ、と思うけど確かにその通りだ。
「どんな奴なの?」
「顔はそこそこ良いと思うけど、一般魔族に毛が生えたくらいの戦闘能力しかないわ。魔法もからっきしみたいね」
「貴族?」
「じゃない。聞いた話では孤児みたいよ」
それなりに強い魔族だったり、貴族連中だったりするならわかるけど、何の権力もない、それも一般魔族がカーラにアタックするなんて信じられない。もはやただの命知らずだ。
「でもどうしてカーラと付き合いたいのかしら。あんたのこと知らないわけじゃないだろうに」
「付き合いたいじゃないわよ、結婚したいよ」
「飛躍しすぎだろ……」
話の節々からダメ男臭が漂ってくる。カーラも厄介なヤツに目をつけられたもんだ。
「町でチンピラから女の子を助けた時に感動して、後をつけてきて、向日葵を愛でる私の姿に恋をしたらしいわ。あなたしか俺の嫁になれる魔族はいないって」
「……それ、逆でしょ」
「そう思うわ」
頭を抱えるカーラ。カーラがここまで悩むなんて生まれて初めてなんじゃないだろうか。
「一度だけ先代との約束を破って吹き飛ばそうかしら」
「せっかく今まで守ってるんだから、くだらないことで破るのはやめときなさい」
「何か良いアイデアでもあるの?」
カーラが私を頼ってくるなんて珍しい。私は少し考えて答えを見つける。
「一般魔族なのよね?」
「ええ。ジャヒーに調べさせたけど、一般魔族に毛が生えた程度みたいよ」
ジャヒーとは姉さんの側近の淫魔族だ。超が付くほどのドS、というよりも猟奇的なプレイが大好きな子で、その腕前は性の権化である姉さんが認めるほどだ。
あまり認めたくはないけど、さまざまな性癖に順応している私でも、ジャヒーの性癖だけは理解ができない。というか姉さん以外に理解できる魔族がいるとは思えない。
普段が理性的で、淫魔のくせに色情にも流されない良識人だけあって、その豹変ぶりがさらに恐ろしさを際立たせている
「ならさ、草木を元気にする魔法を会得して来いって言ったら?」
「それ、腹いせ?」
「違うわよ。……ってまぁそれもあるけどさ。草木を元気にする魔法って私でも会得できないくらい難しいのよ。魔力の消費だってかなり多い。そんなものを一般魔族が会得できると思う?」
「無理でしょうね」
「なら言ってやりなさいよ。向日葵畑を一緒に管理できる魔族じゃないと嫌なの、って」
「それでも追い払えなかったときは?」
「姉さんに頼んで追放してもらえば? あんたは色欲領にとって重要な人物なんだから、困ってるとなれば無下には断らないでしょ」
カーラが何かしたわけではない。一方的に被害者なわけだから、頼めば姉さんも対応してくれるだろう。
「というか姉さんに言ってないの?」
「あのイレアナが、この手の話を真剣に聞いてくれると思う?」
「……ごめん」
姉さんは色欲の魔王だけあって性のこと以外に興味を示さない。逆に言うと性のことに関しては異常なほど興味を見せる。
自分が手を出せないカーラの色恋沙汰となれば、どうにかして性的なことに持っていって、それをネタにしてさらに性的なことに持っていって……。とにかく、まともに話を聞くとは思えない。
「イレアナには、破壊魔神らしく中で絞め殺したら。って言われたわ」
「……相変わらずね」
なにでなにをとは言わない(というか言わせない)けど、そっち方面に捉えてもらって良いです。
「はぁ。二度と転生できないくらい粉々に砕いてしまいましょうか」
「あんたが言うと冗談に聞こえないわよ」
「あら、本気よ?」
「さすがにやめときなさい」
そこまでするのはさすがに可哀想だ。転生のために地獄で働かなくて済む、って考えればラッキーなのかもしれないけど。
「ちょっとトイレ借りるわよ」
私はおもむろに立ち上がり、トイレに向かう。
そういえば思い出の三日間の最終日、トイレに行かせてもらえずにそのまま粗相をしたことがある。当然私が悪いわけじゃないからね。姉さんが飲み物に利尿剤を入れた挙句、トイレを使うことを禁止したのだ。あの時ばかりは研究室を諦めようかと思ったけど、二日間も恥辱に耐えて、しかもあと数時間で解放されるところまで来ていたから、私は姉さんの命令に従った。そしてそのまま放水した。で、そのままベッドに引きずり込まれて、綺麗にしてもらってから汚されたわけだ。
あの三日間の思い出が蘇ってくる。本当にいろいろなことを経験した。私の経験の半分はあの三日間に詰まっている。本当に気持ちよかった……。
私は頭を大きく振って、中に入り込んできた桃源郷を追い出す。危うく成人向けになるところだった。用を済ました私はリビングに戻る。
「あら、早いわね」
「時間をかけても仕方ないからね」
ティーカップにはまた別の紅茶が入っている。これもちょっと酸味が強い。カーラって酸っぱい物が好きなんだよね。台所には収穫するには少し早い柑橘系の果物がたくさん置いてあるし、飲み物も柑橘類の物が多い。でも梅干しは嫌いらしい。
「それはそうとノワエ、この本に書いてある話、知ってるかしら?」
「ん?」
カーラが差し出してきたのは、水分が飛んで今にも破れそうな、表紙も中身も茶色い本。
「え~っと……」
かすれて見えづらい文字を必死で読む。
破壊神と恐れられた魔王シュリと、当時の大魔王との激戦がつづられていた。最後に、破壊神シュリは地底湖に封印されたと書かれている。
「で、こんなおとぎ話がどうかしたの?」
「それ、本当におとぎ話だと思う?」
「そりゃそうでしょ」
「私もずっとそう思ってたわ」
「え、この話有名なの?」
「ある程度の貴族連中ならみんな知ってる話よ」
「うっそまじかよ……」
私は貴族の上を行く魔王族だけど、貴族連中よりも貧しい生活してるからこういう話が入ってこなかったりする。こんな話、知っていたところで役に立たたないけどね。
そういえばカーラは破壊魔神と呼ばれているけど、もしかしてこれと区別するためにわざわざ破壊魔神と呼んでいるのかな。昔から疑問だったんだよね、わざわざ破壊魔神って呼ばなくても、破壊神でいいよねって。
「その本、北にある魔王城の廃墟の隠し部屋から出てきたのよ。信ぴょう性は高いと思うわ」
「でもねつ造の可能性もあるじゃない」
「押印がしてあるからそれはないでしょうね。脚色はしてあるでしょうけど、何らかの強い魔王族を封印したのは間違いなさそうよ。他の歴史書にもそれらしい記述があるらしいわ」
カーラが細かく説明してくれるけど、あまり興味がわかない。
「あら、反応が薄いわね。あなただったら探しに行く。とか言いそうなのに」
「いやいや、さすがにもういないでしょ」
この本がいつ頃のものかはわからないが、劣化具合を見るに途方もないくらい昔のはずだ。封印の力はとっくになくなっているだろうし、仮にまだ封印されていたとしても、肉体と精神が死んでしまっているはずだ。ロマンはあるけど現実的ではない。
それにいくら強いとは言っても、今の時代ではせいぜい憤怒を司るアザゼル兄さんくらいの力しかないだろう。たぶん今の私でも余裕で勝てる。
「でもその本は持って帰るんでしょう?」
「もちろん。というかあんた、この本どうやって入手したのよ?」
誰が発見したのかは知らないが、この手の本は魔王城に保管されるべき本だ。少なくともカーラが保管するような本ではない。
「私も伊達に何億年も生きてないわよ。危ない橋もいっぱい渡ったし、命を懸けて争ったこともあるわ。当時魔界中を騒がせた盗賊団とも仲良かったしね。だからそういう伝手はいくつもあるわ」
「相変わらず怖いわね」
裏社会でも表社会でも恐れられていたカーラ。でもそれは単に強いだけじゃなくて、大貴族としての権力も合わさってのことだったみたいだ。
カーラの生まれた家は、彼らなくして国は成り立たないと言われるほど有名で力のある貴族だ。カーラはそんな大貴族の跡取りとして育てられた。私よりも、下手をすれば魔王城で育った兄姉達よりも良い生活をしていただろう。でもカーラは途中でそれを放棄した。
その辺の話を聞いても、若かっただけよ。とはぐらかされるけど、きっと大変な葛藤があったに違いない。そしてその葛藤の末、全てを捨る決意をしたカーラは無一文で家を飛び出し、身分を隠して長い間旅をしていた。その時に一本だけしゃんと立っている向日葵を見て感動し、向日葵畑を作ろうと思ったらしい。そして魔界を渡り歩いて、先代の色欲の魔王と出会い、ここに向日葵畑を作った。
普通の魔族じゃ経験できないことをたくさん経験してきた、魔界の酸いも甘いも知り尽くした女性。そんな彼女だからこそ、この向日葵畑を何事もなく運営できているのだろう。
「じゃあそろそろ帰るわ。これ読みたいし」
「愛想なしなのも相変わらずね」
やれやれとため息を吐くカーラ。自分でも悪い癖だと思うんだけどね。知識欲がすべてに勝ってしまうのだから仕方ない。
「返すのは来週で大丈夫?」
「十分よ。とりあえず破いたり燃やしたりしないでくれれば一か月くらいはかまわないわ」
「了解」
「来週は何を作っておけばいいかしら?」
「ん~。パンケーキ焼いてほしい」
「はいはい。材料を買っておくわ」
カーラが空になったティーカップとお皿持って立ち上がる。私も立ち上がって玄関の方へ歩く。
「気を付けて帰るのよ」
「ええ、ありがとう。また来るわ」
カーラに見送られて家を後にする。
さて、この本は面白そうだ。魔界の知られざる歴史があるかもしれないし、今までの定説を覆すような何かが書いてあるかもしれない。新しい魔法や研究している魔法のヒントが書いてあるかもしれない。
私ははやる気持ちを抑えることもせず、館へ空間を繋げた。
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