1.03 妖精さんを捕まえた
「今日も平和だなー」
大きく伸びをして深呼吸。私は今日も館から歩いて十分ほどの距離にある高台に来ていた。
いつもの場所に腰を下ろすと、木々の間から吹き抜ける風が、火照った体を冷ましてくれる。
自然豊かな場所に家があるのは本当に嬉しい。その分、魔物もたくさん出てきて面倒くさいけど。
(あー。まだお酒が残ってるな……)
頭が痛いとか吐き気がするってことはないけど、いつもよりもちょっと体温が高くてなんとなく気持ちいい。
ヴァルハルトに呼ばれたときはいつもなんだけど、昨日は日付が変わる直前まで飲んでいた。私はどうせ暇だし、ヴァルハルトのストレスが少しでも無くなるならと、彼が満足するまで付き合うようにしている。タダ酒が飲めるからってのもあるけどね。
ヴァルハルトは自分が満足するまで愚痴を言って、面白かった裁判をネタにしてお酒を飲み続ける。ろれつが回らないくらい飲んでも、裁判をネタにしても、守秘義務をきっちり守る辺りはさすが閻魔としか言いようがない。
風に乗ってやってきた小鳥が私の肩に乗って、チ、チ、チと鳴きながら私の耳を甘噛みする。黄色くて手のひらよりもずっと小さい鳥。首をかしげながら、クリクリした真っ黒な瞳が私を見つめている。小鳥に向けて口を尖らせると、ちょっと躊躇ってからキスをしてくれる。
少しすると逆の肩にもう一匹やってくる。すると先に来ていた小鳥がもう一匹の方に行って、チ、チ、チと鳴く。二匹はくちばしを軽く合わせてから、どこかへ飛んでいく。
「癒されるなぁ」
私はヴァルハルトと違って毎日自由気ままに生きているからストレスなんてほとんど感じない。そりゃ勉強したり鍛練したり、ディースに小言を言われたりするからストレスが全く無いわけじゃないけどね。仮にストレスができてもこの山に来てのんびりすれば吹き飛んでしまう。
「暇だなぁ~」
大きな欠伸をしながら芝生に寝転がり、手をかざして高く昇る太陽を隠す。背中がひんやりとして気持ちいい。
いつもこうして風を感じて、お日様の光をいっぱい浴びて、時には水浴びをして……。
それが私の毎日。楽しくないわけじゃないけど暇をもて余しているのはたしかだ。
「町に買い物でも行こうかな?」
魔界の町ってなんか狭くて息苦しいからどうも苦手で、ルルカにどれだけ誘われても絶対に行かない。用事もないし行く必要もないからなんだかんだ十年以上は町に行っていない気がする。
今まで町に行きたいと思ったことなんてないけれども、今日は何故かあの喧騒が恋しくなってきた。
「よし、行こう」
私は起き上がり家を目指す。
なんでも思い立ったらすぐに行動。その方が運が良くなるって聞いたことある。たぶん迷信だろうけど、本当にちょっとでも運が上がるならそれに越したことはない。
空間を裂いて家に繋げればすぐに戻れるけど、この魔法は基本的に使わないようにしている。これが自在に使えるってことはかなり強い魔力を持つっていうことだから、誰かに見られたら私が強いってばれちゃうしね。
私はあくまでも超弱い魔王族。そう思わせておけば私に面倒くさい仕事は回ってこないから、この館でずっと自由に生活ができる。
木の覆い繁る坂道を下っていく。太陽の熱線を葉っぱが受け止めて、優しい光にして私に分け与えてくれる。やっぱり自然って気持ちよくて大好き。こんな日はのんびり昼寝をするのもいいけれども今日は町に出掛ける。そう決めた。
鼻歌混じりで館に戻った私は、扉を勢い良く開ける。
「ん? ノワエ様どうしたの?」
ちょうど目の前にモップを持ったルルカがいた。どうやら廊下の掃除をしていたみたいだ。顔を上げて何事かとこちらを見ている。
「ルルカ、町に行くわよ」
「へ? 町に?」
素っ頓狂な声を上げて、目をまん丸にして驚くルルカ。そりゃどれだけ誘っても絶対に行かない私が、逆に誘ってきたらそんな風にもなるだろう。
「ええそうよ。ディース! ディース!!」
「ノワエ様、淑女は大きな声を出しません。もっと落ち着いてください」
ディースが廊下の角から顔をだす。手には雑巾を持っているから、窓ふきとかをやっていたのだろう。
「何事ですかノワエ様?」
いつも通りの恐い顔をしながらディースがやってくる。
「ごめんごめん。そんなことより町に行くから準備をしなさい」
ディースが何か得体の知れない物を見た時のような、驚いた顔をして固まる。そしてゆっくりと私の顔を触る。
「大丈夫よ、偽物じゃないから」
「あ……。失礼致しました」
慌てて頭を下げるディース。真面目で堅物だけどこういう可愛い一面もあるのよね。
「ほらほら。気が変わらないうちに。五分ね」
「か、かしこまりました。ルルカ、戸締りをお願い」
「う、うん」
二人が慌てて準備を始める。二人はきっと五分以内に準備を済ませるだろうけど、やっぱり待ってられない。私は我慢とか堪えるとかできない魔族なんで。
「私、先に行ってるから後から着いてきて」
「え? あ、ノワエ様!!」
ルルカが慌てた声で私を止めるけど、先に行くって決めたから先に行く。二人を待ってたら私の気が変わって、やっぱやめた。って事になりそうだし。
慌ただしく準備をする二人を背に、私は町へ向かって歩き始めた。
「相変わらず汚いわね」
「ノワエ様」
私の発言にディースが眉をひそめている。
前に来た時と変わらない町並みと喧騒。いつ来ても町って汚いなって思う。いや、まぁ私の住むボロ洋館よりはマシだけどさ。魔族が多いとそういう印象を受けるんだよね。
「冗談だって。さて、何か面白いものはあるかしら?」
いつも強引に連れてこられているので、周りの様子なんて一切気にせずにディースの後を付いていくだけだった。だから興味を持ってこの町を見るのは初めて。何があるのかワクワクする。
買う物どころか見る物も決めてない。行き当たりばったりの日帰り旅行。何をするにしても予定なんて組まずにその場で決める方が私は好きだ。
他の世界に行った時はいつもこうなんだけど、なんか魔界の町って好きになれないんだよね。どうしてなんだろう。
「ノワエ様、せっかくだから服でも見に行かない? この前、ノワエ様に似合いそうな服を見つけたの」
「いいわよ。どこのお店かしら?」
いつもは苦痛で仕方がない服選びも今なら楽しめそうだ。
「こっちだよ」
ルルカに連れられて町の中心を目指す。
城下町よりは少ないけど、この町も鬱陶しいくらいの魔族が歩いている。でもいつもは嫌になる人混みも、喧騒も、息苦しさも、今日は不思議と嫌にならない。
自分でもわかるほど上機嫌でルルカの後ろを付いて行く。
「ここだよ」
着いたのは表通りから何本か下がった人が疎らな通りにある、赤茶色のレンガで出来たお洒落で綺麗なお店。
薄暗くて黒ずんだ建物が建ち並ぶこの通りの中で、表通りのような華美な作りは少し浮いているけど、そのうちこの建物も古い町並みに溶け込んでいくのだろう。そうなった時、私はこのお店をもう一度見ることが出来るのかな。
「ノワエ様、さっさと入ろうよ」
「あ、ごめんごめん」
ルルカが扉を開けると、お客さんが来たことを綺麗な音色が伝える。服をマネキンに着せていた店主がこちらを見て、笑顔で頭を下げる。そしてなんとなく私も頭を下げる。
店の中は所狭しとマネキンが置かれていて、そのどれもに服が着せてあるんだけど、どれが流行り物で、どれが似合うのかぜんぜんわからない。これ、女の子としてはダメだよね。自分が似合う服くらいは把握しておかないと。そうは思うんだけど興味がわかないから調べる気にならないんだよね。
そんなことしている暇があるんだったら、魔法の一つや二つ勉強したい。魔法には流行り廃りがないし、どんな魔法も覚えておいて損はない。服も買った時と同じ値段で売れれば損がなくていいんだけどね。
一戸建てくらいのそんなに大きくない店内には店主さん以外いないようだ。やっぱり裏通りだとお客さんの入りも悪いのかな。
「で、私に着せたい服って?」
「ちょっと待っててね……」
ルルカが奥のマネキンから服を取ってくる。
「ほら、これ生地も良くて高級感もあるから、ノワエ様にピッタリだと思うんだ」
可愛いものにしか目がないルルカだがら、無駄にヒラヒラしていて、フリルとかリボンとかがいっぱい付いたメイド服みたいなのを持ってくるかと思ったけど、予想に反して、落ち着いた余所行き用の黒いコートを持ってきた。
体に合わせて鏡を見る。私にピッタリのサイズで、ルルカの言う通り生地も良いし、シンプルなデザインだけど高級感もあるから、どこに着て行っても失礼に当たらない立派なコートだと思う。
「ノワエ様、コートなんて持ってないでしょ?」
「ええ」
私の行動範囲のほとんどは暖かい地域だからコートなんて必要がない。でも冷える夜はあるし、もし何かで寒い場所に行くのなら重宝するだろう。
上着って重たいし動きづらいから嫌いなので、今までは耐寒魔法かけて薄着で行動していた。これでも魔王なんで、魔力は有り余ってるしね。
それと私はこういう余所行きの高価な服じゃなくて、汚れても破けてもどうってことがない安い服が好きなのだ。あの館で自然と共に育った私にとって、泥除けと切り傷防止になれば服なんて何でも良い。まぁそれだって魔法があれば何とでもなるんだけれども。まぁ全裸とか下着だけとかは流石にね……。
「けっこう格好良いでしょ?」
「ええ。ルルカのことだから、そのメイド服みたいなのを持ってくると思ってたわ」
外見を気にしない私とは対照的に、ルルカはやたらと外見を気にしていて、暇があればファッション雑誌なんか読んで、休日の度に町へ買い物に行く。そんなにお給料は多くないはずなんだけど、いつも沢山の服を買ってくる。そしてディースが買いすぎだと怒る。ついでに服を汚さないようにと私を怒る。
服って汚れが肌につかないようにする物だと思うんだけど、洗濯する側からしたらそんな理屈は関係ないよね。いつもごめんね、ディース、ルルカ。
「ノワエ様ってけっこう何でも似合うと思うけど、この手の服って意外性があっていいかなって思ったんだ」
私も他所行きの服くらい持ってるけど百年に一回も着ないと思う。父さんに呼び出されて魔王城へ行く時に、似合ってもいないドレスを着て行くくらい。
ディースもルルカも似合ってるって言ってくれるんだけど、背伸びしている子供っぽく見えるので嫌いなのだ。
「げ、これかなり高いわよ」
付いている値札を見ると、服の相場なんてほとんど知らない私でも高いとわかる金額が書かれていた。
「そうなんだよねぇ。ディース、許してくれるかな」
「無理でしょうね」
二人でため息を吐く。
ディースは財布の紐が固い。私が欲しいと言った物は仮に安くてもほとんどが却下。高価な物なんて絶対に買ってもらえない。
まぁ収入は父さんと姉さんからの仕送りだけだし、その金額だって決して多いとは言えない。その中でやりくりしているんだから当然だ。
ディースとルルカのお給料もそこから出ているから相当少ないだろう。二人の能力を考えたら絶対に少なすぎる。今度もうちょっと貰えるよう、姉さんに交渉してみよう。
「とりあえずここで着て、楽しんで終わりだね」
「そうね。まぁこんな良い服、着る機会ないから買わなくてもいいんじゃない?」
「もう少しは魔王っぽいことしたら?」
「嫌よ。魔王の仕事なんて邪魔くさいだけじゃない」
そう言いながらコートを着てみると、私のためにあつらえたかのような着心地の良さだった。動きも妨げられないし、コートを着ている感覚はあるけど気にならないほど軽い。そして何よりもすごく暖かい。
「最高でしょ?」
「ええ。よくこんなの見つけたわね」
「いや~。私も同じこと思うよ。このお店を見つけたのも偶然だしね。ほら、こっち向いてよ」
ルルカのリクエストに答えて、調子に乗ってポーズなんか決めて楽しんでいると、店主と話していたディースがやって来た。相変わらず眉間にしわが寄っている。まぁ主が従者と店内で遊んでたらそうなるか。
「見てディース。これ、ノワエ様すごく似合ってるよね。ほら、他所行きの服とか少ないからさ、良いんじゃないかなって?」
ルルカが妙な必死なのでディースは訝しそうな顔をしながら値札を見る。
「……あら、良いじゃないですか」
「え? 良いの?」
絶対に却下されると思っていた私たちは、あまりにあっさりとしたディースの言葉に驚いた。
「ええ。ただし一つ条件があります」
またろくでもない条件なんだろうなと思いながら、コートを脱いでディースの話を聞く。
「良い物だとは思うのですが、タンスの肥やしにするには少し高すぎます。ですからノワエ様が定期的に着ることが条件です」
「え、それって私に外に出ろってこと?」
外とは当然、町の事だ。
「そう言うことです」
「うーん……」
私は生まれて初めて服を買うことで悩んだ。外に出ろって言われたら大好きなお菓子だって諦めるくらいだから、興味がない服なんて絶対に買わない。何を着たって誰かに見られるわけじゃないし、それこそ下着だけで一日中部屋に籠ってることもあるくらいだし。
「わかった。たまによね?」
「はい。一ヶ月に一回くらいで」
「え? 五年に一回くらいじゃダメ?」
「ダメです」
「え? じゃあ……」
「すいません。これください」
買わない。という言葉を言う前にディースは店主さんの元にコートを持って行く。
「……」
「あ~あ、ノワエ様。一ヶ月に一回、外出決定だね」
なんとなくこのコートが欲しくて、なんとなくこのコートを着た私を二人に見て欲しくて、ディースの取引に乗ってしまった。
「……ディースもすぐ諦めるでしょ」
「だろうね。でもタンスの肥やしにするのは勿体ないから、ちゃんと着てね」
「はいはい。着るだけでどこにも行かないけどね」
おいおい。と肩をすくめるルルカ。
「そうだ。せっかくだったら一式探そうよ」
「いいわね。飛びっきり高いのを選んでディースを困らせてやりましょ」
「賛成。日頃ガミガミ言われるお返ししちゃお」
私たちがコソコソと話していると、ディースがこちらを向いて一言。
「私は一向にかまいませんが、ルルカは減給、ノワエ様はしばらくお菓子抜きですからね」
滅多に見せない笑顔が眩しかった。
「はぁ。疲れた……」
買ったコートに合う服を探すためにお店を何軒も回って、一式買い終わった頃には日が傾き始めていた。私はもうヘトヘト。人混みが嫌いなのによくこんなに歩き回ったと自分を褒めてあげたい。
「大丈夫?」
「……たぶん」
ルルカもディースも本当にタフだ。あんな所を長時間歩き回ってもピンピンしている。
ディースなんか服を見終わってから、夕飯の食材や日用品を買いに商店街に出掛けた。私はもう無理。ここから一歩も動きたくない。
私はその辺にあった樽に座ってくつろぐ。ディースが見たらはしたないって怒りそうだけど今はいないから問題なし。
「ん?」
後ろの道から助けを求めている声が聞こえる気がする。耳を澄ましてみると、助けて誰か、と女の子の声が聞こえる。
「よっこいせっと」
「ん? ノワエ様どしたの?」
「勇者ごっこしに行くのよ」
「なにそれ?」
助けを呼ぶ声はルルカに聞こえていないようだ。不思議そうな顔をして私を見ているけど、止める様子はない。
ここで待っているように言われたけど、誰かを助けるためならそんなの無視。私は声のする方へ、人気のない路地裏に歩いていく。荷物を両手に持ったルルカも後ろをついてくる。
だんだん声がはっきりと聞こえるようになってくる。さらに少し進むと、薄暗い路地裏の隅に男が三人集まっている。真ん中にいるいかにも悪そうな男の手には、手のひらサイズの魔族が握られている。その背中には半透明の翼が四つ生えている。珍しい、妖精だ。
「な~にしてるの?」
男達は一斉に私を睨む。ああ、弱そうだ。雑魚敵臭がぷんぷんしてくる。
「なんだ嬢ちゃんたち?」
「その妖精、どうしたの?」
「へへっ。知りたいなら嬢ちゃん、俺たちの相手してくれるか?」
下品に笑う男達。姉さんが一番嫌いなタイプだな。と感情もなく思う。んでもって私も嫌いだ。
「いやよ。気持ちよくなさそうだし」
「言うね姉ちゃん。威勢が良いヤツは好きだけど、状況を見極めた方が良いぜ」
「ありがと。で、その妖精はどうしたの?」
ご丁寧に忠告してくれるけど、忠告っていうのは格上が格下にするものだ。この男たちが私に勝っているものなんて多分一つもない。いや、住んでいる所はあの館よりは綺麗かもしれない。あと身長は私よりも高いわね。
こんな男たちでも、よくよく探してみたら意外と負けているところがあるものだ。全てが劣っている魔族って世の中にはいないんでしょうね、たぶん。
男達は汚い顔に似合う汚い笑顔を作ってから自慢げに話し出す。
「俺たちが捕まえたんだ」
「どこで?」
「妖精の国だよ。そしたらこいつ、隙を見て逃げやがってな。脚に重りを付けてるのによくやるぜ」
妖精さんの綺麗な脚には、薄汚れた鉛の塊が巻き付けられていた。確かに妖精さんの力じゃこれは外せないな。
「どうするの、その子?」
「当然売るぜ。妖精は高く売れるからな」
妖精が汚い男の手の中でこちらに助けを求めている。別に助ける義理はないけど、こういうのを生で見ちゃうとダメなんだよね。放っておけない。
そしてまたとないチャンスでもある。
「いくら?」
「お、姉ちゃん金あるのか?」
「一銭もないわよ。だから体で払ってあげるわ」
当然、身体を差し出すわけじゃない。
私は軽く構える。男達はちゃんと理解してくれたようで、不適な笑みを浮かべた。
「姉ちゃん、血の気が多いんだな」
「多いつもりはないけど、自分のやりたいことのために手段は選ばないわ」
馬鹿でもわかるように、ゆっくりと闇属性の魔力を右手に纏わせる。
「おいおい。こんな所で魔法なんて使ったらお尋ね者になっちまうぜ?」
「大丈夫。派手なのは使わないつもりだから」
私もそこまで馬鹿じゃない。地味で一番きつい魔法を使うつもりだ。
先手を譲ってくれているのか、何もしてこない男たちの厚意に甘えて、右手を突き出してきゅっと握る。
「がはっ……」
そしてその手をゆっくりと上げる。手の動きに合わせて男達はゆっくりと宙に浮く。つま先を懸命に伸ばすけど地面に擦るだけで決して着くことはない絶妙な位置で男たちを固定する。荒い息を吐きながら足をじたばたさせる男達。
見えてないだろうけど、魔力で作った手が彼らの首を絞めている。遥か昔、絞首刑に使われた魔法だ。今は禁止されていてどこへ行っても教えて貰えないから、その手の魔道書を読んで気の遠くなる練習を重ねないと会得できないけど、私はずっと暇な魔王族だからね。そういう本を入手して、熟読して、練習して、改良する時間はたっぷりあるのだ。
「んじゃあ貰っていくわね」
男達が私を睨むけど声は出ない。それでも妖精を放さないその手から妖精を奪い取る。妖精さんは何が起こったのかわからずに、でも事態が少しも好転していないことはわかっているようで、すごく青ざめた顔をしている。助けてくれると思った魔族が、こんな恐ろしい魔法を使うなんて予想していなかっただろうしね。
でも私は酷いことはしないから安心して。
「さて、じゃあ帰ろうかしら」
ディースがあの樽の所に戻って来ていて、私たちを探しているかもしれない。早く戻らないと怒られる。
「あと三十分もしたら魔法の効果が解けるから、それまで息が続くと良いわね」
男たちには勿体ない魔王族の笑顔を向けてあげる。それを見た男たちの顔が引きつる。
とは言っても実際そこまできつく絞めてないし、気絶はするかもしれないけど死ぬことはないだろう。ま、仮に何かあってもお咎めなし。強者が弱者からすべて奪い取る。それが今の魔界だ。魔王族に生まれてこなかった自分を恨みなさい。
私は男達に手を振ってから元来た道を足早に戻る。妖精さんは暴れることもなく、何か話しかけてくるわけでもなく、ただ私の顔をボーっと見つめている。どうやらまだ混乱しているみたいだ。もしくは私に惚れたとか。……それはないな。
先ほどの場所に戻ってくるけど誰もいない。ほっと一息ついて、私はまた樽の上に乗ってディースを待つ。
別れてからかれこれ一時間くらい経つけれはずだけど、戻ってくる気配はない。何でもサッとこなす魔族だと思ってたけど、やっぱり買い物になったら楽しくて色々見ちゃうのかな。それとも買う物が多いのかな。どちらかはわからないけど、私にとっては好都合だった。
「ルルカ、妖精さんの鉛を取ってくれる?」
「ほいほ~い」
妖精さんを差し出すと、私に退くように指示をするルルカ。私が素直に退くと樽の上に荷物を置いてから妖精さんを樽に座らせて、チマチマと鉛を外していく。
巻かれている鉛は何分割にもなっていて、それをかなり小さな金属で止めているようだ。あの男たち、見かけに反して器用なのね。
でもルルカの方が一枚上手で、五分もかからずにすべて外してしまった。私だったら間違いなく匙を投げてるだろう。
「これでよし、と。怪我とかもないね」
ルルカが妖精さんのストッキングを脱がして肌を確認するけど、ちょっと赤くなっているだけで傷はなさそうだ。
「あ、ありがとうございました」
ルルカの手から離れた妖精さんは私たちに向かって深々とお辞儀をする。
二十センチくらいの小さな体に、体より大きな半透明の羽が四枚ついていているけど、妖精たちは魔力で空を飛んでいるから、これ飛ぶためにあるんじゃないんだよね。確か妖精たちにしか聞こえない音を出すためだったはずだ。
親指くらいしかない小さな顔には、ちょっと垂れた目と小さくて可愛い口、低くてちょっと大きい鼻がちょこんとついている。腰まである長い髪の毛は薄い緑色で、一本一本が蜘蛛の糸みたいに細くて、ちょっとした風でふわっと舞い上がる。
小さくて可愛らしい白色とドレスに濃い緑色のエプロン。頭にはエプロンと同じ濃い緑のベレー帽がちょこんと乗っていて、そこには大きな白いリボンが付いている。
ディースやルルカと似た服装だから、この子もメイドをやっていたのかな。だとしたら好都合だ。
「気にしなくていいわよ」
「はい。本当にありがとうございました。では私はこれで」
私と関わりたくないのか、サッと頭を下げた妖精さんは飛び立とうとして見えない壁にぶつかる。
「あまり勢いを付けたら危ないわよ」
妖精さんが信じられない。といった顔でこちらを見る。
「なによ? 私が奪い取ったんだから当然あなたは私の物でしょう? あなたは私の家で働いてもらうわ」
「そ、そんな……」
「あ、ディースが戻ってきたわね。おーい!」
「ノワエ様、淑女は大きな声を出さないと何度も……。あら?」
ディースが妖精さんに気付く。そして私の方を見て、何も言わずに荷物をルルカに預ける。
「ノワエ様、申し訳ありません。小麦粉を買ってくるのを忘れました。すぐに戻りますので、もうしばらくお待ちください」
「はいはーい。気を付けてね」
「ありがとうございます。では失礼いたします。」
商店街の方に戻っていくディース。さて、その間にこの妖精さんの事を色々聞いておかないと。
妖精さんの方を見ると、俯いて見えない空間にぺたんと座っている。その顔は絶望に染まっている。ちょっと魔王らしいことが出来たので嬉しい反面、私の元で働く者がこんな顔をして欲しくない。自分でやっといてあれだけど。
「別に取って食ったりしないし、あいつらみたいに鉛つけて動けないようにしようってわけじゃないし、暴行するつもりもないし、そんな落ち込まなくてもいいわよ」
「囲い作って監禁してるけどね」
いらないことを言ったルルカを横目で睨むと、下手くそな口笛を吹いて明後日の方向を向く。何かルルカらしくて思わず吹き出してしまう。
「あなた、名前は?」
「……ケア・カーリングです」
「あら、素敵な名前ね。私の名前はノワエ。こっちがルルカ」
「ども」
ルルカの明るくて大きい声とは対照的にケアは暗くて小さな声でどうも、と言った。
「ケアは妖精の国で何をしていたの?」
「……女王様の給仕をしていました」
ビンゴ。今日は絶好調だ。
「給仕って具体的にどんなこと?」
「女王様の身の回りのお世話、ほとんど掃除と片付けですけど……。あとは食事の準備とか、お洋服を作ったりとか……」
よし完璧。今すぐこの子に抱きつきたいけど、私が抱きついたら間違いなく潰れるから抑える。
「家族はいるの?」
「弟が一人。両親は昔連れ去られて、それからは……」
「それ以上は言わなくていいわ」
嫌なことは思い出させたくない。私も嫌な思い出は一杯あるし、やっぱり思い出したくない。それは種族関係なくみんな一緒のはずだ。
家族が連れ去られるっていう地獄を経験したケアとケアの弟に、もう一度地獄を見させるのは悪魔のすることよね。まぁ私、魔王だけど。
「お待たせしました」
「早かったわね」
ディースが両手に小麦粉を持っている。ちょっと量が多い気もするけどまぁいいか。
「じゃあ帰りましょうか」
十年ぶりに町に来て、まさか妖精さんが手に入るとは思わなかった。思い立ったらすぐに行動って言うのは本当に運を掴めるようだ。今度からビビッてきた時は町に来ることにしよう。
妖精さんを入手したことで、疲れはどこかに飛んで行ってしまった。私は行きよりも足取り軽やかに、愛しのボロ洋館を目指した。
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