1.02 閻魔との飲み会

私の数少ない友達が地獄を管理する閻魔大王のヴァルハルトだ。父さん主催の魔王族や権力者達のパーティーに呼ばれたときに飲み明かした酒友で、私の飲みっぷりに感動したヴァルハルトは、こうして度々、暇で暇で死にそうな私を飲みに誘ってくれる。

前にも言ったとおり、あんまり関わるつもりはなかったんだけどね。個室に行って休もうと思ったら一人で退屈そうにお酒を飲んでいたのだ。ヴァルハルトもあんまり人混みが好きじゃないしね。

そこからなんだかんだあって、そのまま二人きりで飲み明かしたわけだ。

毎日裁判で気が張っているヴァルハルトは、そのストレスを発散するために、休みの日は日中から恐ろしい量のお酒を飲む。そして私はそれに付き合う。

あ、未成年の子はお酒を飲んだらダメよ。大人になった時の楽しみにしておきなさい。それと人間は私たちと同じ飲み方したらダメだからね。たぶんすぐにあの世行きだから。


「おう、来たか」


「ええ。呼ばれてやって来ましたよ。てかもうできてるじゃない」


「当たり前だろ。起きてから飲みっぱなしだぜ」


明るい茶髪に色黒で、耳にはピアスも付けて、朝っぱらから酒を煽り倒している外見も性格も典型的なチャラ男のこいつが、地獄を治め、ありとあらゆる世界の生物に恐れられている閻魔大王だ。こんな風に酒に溺れる姿を知っているのは、私を含めて十人もいないらしい。まぁこんなのが地獄の裁判長をやってるなんて言われたら、みんな幻滅するだろうから隠して当然か。

ちなみにお酒が強いのは閻魔大王になる資格の一つらしい。なんでそんな物が必要なのかはわからないけど。


「ほら、飲めよ」


「ありがと」


受け取った一升瓶をそのまま一気に呷る。喉が焼けるよう熱いけどこれがたまらない。それにこのお酒はかなり上物だ。さすが閻魔様、太っ腹だ。


「相変わらず良い飲みっぷりだなぁ~。ほれ、もう一本」


「うぃーっす」


一升瓶をもう一本受け取り、また一気に飲む。お腹の底からアルコールが昇ってきて、鼻を抜けてまた入っていく。やっぱりお酒はこうやって飲まないと飲んだ気にならない。

ディースに見られたら絶対に怒られるだろうけど、閻魔の私室にディースは入れないからどんな飲み方をしても見られる心配はない。

ディースはこの部屋の前で、私に何かあった時のために待機している。どうせ何もないし、酔っていてもヴァルハルトと私がいれば大体の事は何とかなる。ディースは普段から休むってことをしないから、こういう時くらいは家で羽を伸ばして欲しいんだけどね。ただ待っているだけってのも暇だろうし。


「いいねぇ~。俺も負けてられないぜ」


そう言って一升瓶を一気飲みするヴァルハルト。彼の回りには一升瓶が三十本くらい転がってる。いつもと変わらずハイペースで飲んでいる。

あ、でも朝から飲んでるって言ってたから、一時間に十本ペースくらいか。いつもに比べれば随分と少ないな。何か私に話したいことがあるんだろう。

私はヴァルハルトに遠慮しないし、ヴァルハルトも私に遠慮しない。だから遠回しにせずにいきなり本題に入ってきた。


「ノワエ、魔界はどうなんよ?」


「さぁ? 私、家から出ないようにしてるから知らないわ」


「おいおい。せっかくの魔王族なんだから、どっかの地方を統治するとか、別世界を征服するとかしたらどうだ?」


「いやよ面倒くさい。あ、枝豆ちょうだい」


ヴァルハルトの横にある枝豆をお皿ごと奪い取る。お酒を飲む時はこれがないと絶対にダメ。飲んだ気にならない。


「それに別世界の征服は御法度でしょ」


「申請したら良いじゃねーか」


「嫌よ面倒くさい。天魔総括協会の書類って、書くところ多すぎるのよ」


別世界に遊びに行ったり、その世界を自分の物にしたりするには、天魔総括協会ってまぁ面倒くさい協会に申請を出さないといけない。出さないで勝手に別世界に行って、それが見つかったら即逮捕。申請なしで征服なんてした日には即処刑でしょうね。


「それはわかる。ってまぁ、別世界に行くんだから当然っちゃ当然だけどな。でもよ、そんな面倒なことしなくても、お前だったら大魔王もいけるんじゃねーのか?」


魔界の王である大魔王になるには、現大魔王、つまり父さんを倒さないといけない。これは魔界内の話しだから申請書も要らないし、天魔総括協会の意向も全く関係ない。父さんに下克上をする旨を伝えて、日程を決めて戦えば良いだけだ。


「父さんを倒すのはさすがに無理よ」


「そうかなぁ……」


ボリボリと頭をかくヴァルハルトに一升瓶を渡す。こいつを黙らせるにはこれが一番だ。


「それに私、平和主義だから」


「うぃーっく。どの口が言うんだか。でもよ。ずっとあのボロ小屋に住むわけにはいかんだろ?」


「ボロ小屋とか言わないでよ。歴史のある素敵な洋館って言いなさい。それにあんな辺鄙な所なら、誰も攻めてこないでしょ。平和で良いじゃない」


「でも次期大魔王候補筆頭のアザゼルはお前のこと毛嫌いしてるだろ? あいつが大魔王になったら、あのボロ小屋潰されるんじゃないか?」


アザゼルとは憤怒を司る魔王で、私の一番上の兄さんだ。弱い魔族は生きる必要がないという考え方は父さんと同じで、力による魔界の統一を心の底から望んでいる。


「あ~……。まぁ、流石にそんなことしないと思うけど?」


「いや、あいつならするね。お前のこと本当に嫌ってるじゃん」


「アザゼル兄さん、兄姉全員嫌いよ。自分より弱いやつは死ねばいい。って考え方だし」


口を開けば、お前みたいな腑抜けがどうして魔王族なんだ。と怒ってくる兄さんは、父さんとヴァルハルトを除いた魔界の中で一番強い魔族だ。でもその力は圧倒的ってわけじゃなくて、他の兄姉達とそこまで差が無い。だからこそ兄さんは極端なことを言って虚勢を張りたいんだと思う。


「大魔王に遠く及ばないのに、なに生意気なこと言ってるんだよ。って感じだな」


ヴァルハルトは真剣な話になると、お酒をお猪口に入れてちびちびと飲むようになる。私は枝豆を食べる数が増える。


「でもなぁ~。閻魔大王の俺としてはアザゼルが大魔王になるのは嫌なんだよな」


「そうでしょうね」


「はぁ。アイツに何か一つでもあれば良いんだけどな」


今、魔界では後継者問題が大問題になっている。父さんはかなり老年なので、ずいぶん前から引退を考えていて、兄弟の中で最も父さんを敬愛しているアザゼル兄さんに大魔王の席を譲ろうとしている。

さっきも言った通り大魔王を継げるのは大魔王を倒した魔族だけと決まっているが、兄さんは父さんに対して手も足も出ない状況だ。それだけなら父さんがわざと負ければ済む話しなのだが、兄さんは政治の技量も乏しくて、力でねじ伏せて国を運営してきたため、一部の狂信的な魔族以外からは嫌われている。力量も足りなければ短気で器も小さい、変にプライドが高いだけの魔王なのだ。


「あんなゴミが大魔王やるくらいなら、イレアナの方がよっぽど適任だ」


昨晩私を襲った、色欲を司る魔王のイレアナ姉さんは、兄さんの次に強くて政治の腕も一級品だ。そして姉さんは淫魔族を中心に尊敬されていて人望も厚い。

普段はダラッとしていて性的なことにしか興味を示さないけど、王としてやることはきっちりやっている。

そのため魔界で一番の賢君との呼び名も高い。一番のやり手は強欲を司るクラウシュ兄さんだろうけど。


「でも姉さんは大魔王になる気はないわよ」


「だろうな。色欲の魔王と怠惰の魔王はどの世代もだいたいそうだ。俺と同じで他のことに興味がない」


「あ、自覚あったんだ」


「そりゃ自分のことだからな」


ポリポリと頭をかいてからため息を吐くヴァルハルト。その顔には疲れが見える。

アザゼル兄さんのような中途半端な力の魔王が大魔王になれば、野心家がいっぱいの魔界で大戦争が起こるのは必至だ。しかも魔王族として生きている兄姉はみんな仲が悪い。協力して魔界を治めるどころか、喜んで戦争を仕掛けるだろう。

魔界の戦争は相手の国を滅ぼすまで行われるため、戦争に直接関わらない民間の魔族まで根絶やしにされる。降参なんて文字はないし、ルールもマナーも慈悲もない。それを抑制するために圧倒的な力を持って統治する大魔王が必要なのだ。

地獄にとっても次期大魔王が誰になるかは重要な問題だ。

死んでしまった魔族は地獄で裁判を受けることになる。そのため魔界で戦争が起こると地獄で裁判を受ける魔族が急激に増える。そうなると地獄の業務が増えに増えて、地獄に住む魔族達が暴動を起こす。そしてそれに裁判待ちの魔族が乗っかってくる。

人間と違って魔族は血の気が多い連中ばっかりだから、なんでもすぐに暴力に訴える。

つまり魔界で大戦争が起こると、地獄では大暴動が起こるのだ。


「あ~あ。とんだ貧乏くじだぜ」


ヴァルハルトは裁判が大好きだけれども、それ以外のことはからしき興味がない。だから裁判を受ける魔族が増えるのは歓迎だが、暴動やストライキが始まると途端に機嫌が悪くなる。初めはちゃんと話し合うけど、一時間も持たずに片っ端から力ずくで制圧してしまう。

ヴァルハルトは父さんよりも遥かに強いからすぐに暴動は収まるけど、そんなことをすれば天界の役人からお叱りを受けるのだ。役人どもの説教はとにかく長い。とは言っても天界の連中に手を出すわけにはいかない。またストレスが溜まるわけだ。

そうなる未来が見えているなら、ヴァルハルトが怒らなければいいだけの話なのだが、まぁそんな事は絶対に無理だろう。ヴァルハルトもかなり短気だ。


「ま、あんたには良いお灸じゃないの?」


「あほか。洒落にならねーよ」


そう言うとまた一升瓶をイッキ飲みするヴァルハルト。


「ノワエ、頼むから大魔王になってくれ。そしたら何でも言うこと聞いてやるから」


「嫌よ。あとあんたの何でも言うこと聞いてやるからは聞き飽きた。一日に五回にくらい言うじゃない」


「今度こそ本当に。お前だって魔界が大戦争になったら困るだろ? 平和じゃなくなるぞ?」


「私は自分の身の回りが平和ならそれでいいのよ。魔界のことなんて知ったことじゃないわ」


「そんな固いこと言わずにさ」


「い、や、よ。だいたい父さんには勝てないんだからどっちにしろムリよ」


「やってみなきゃわかんないだろ?」


「やってみる必要がないわ。それに魔界がダメになったら、どこか別の世界に逃げればいいし」


私は魔界よりも人間界に興味がある。特別な力を持たない生物が、様々な進化を遂げて豊かな生活をしている夢のような世界。とある事情で別世界にはよく行くのだけれども、その度にこの世界に住めたらどんなに素晴らしいだろうと考える。


「そんなことねーと思うけどな。魔力は少なくてやりにくいし、空気が淀んでる世界も多いし、そもそも密度がなんか高いし……」


「あんたって人間界に行ったことあるの?」


「ああ。閻魔に決まったら研修で行くんだ。ざっと百個くらいは見て回ったぜ」


地獄から、いや、この裁判所からほとんど出ない引きこもりのヴァルハルトが別世界、それも人間界に行ったことがあるなんて思いもしなかった。


「へぇ~。……そーいやさ、今度あんたの裁判風景見せてよ」


「関係者以外はダメだ」


「そんなケチなこと言わずにさ」


「ダメなもんはダメ」


こんな性格だけど閻魔は閻魔。酒が入っていても規律には忠実でうるさい。ま、もし閻魔大王がルーズだったらすごく困るんだけど。


「そんなことよりほれ」


私は空になったお猪口を差し出す。そこにヴァルハルトがお酒を注いでくれる。ヴァルハルトが接待抜きでこんなことをするのは私だけだろう。そう思うとちょっと優越感に浸れる。


「んじゃ私も注ぐわ」


「うぃ。どうも」


二人で同時に酒を飲む。そして二人で同時に息を吐く。たぶん女の子がしたらいけないくらいお酒臭いんだろうな。でももうどんな息をしているかなんてわからない。さっきからお酒の味もわからなくなってきてるし。でも身体がお酒を欲してるんだよね。

辺りを見るといつの間に飲んだんだと思うほどの一升瓶が転がってる。今日は二人ともハイペースだ。ヴァルハルトが大魔王の話なんてするからしかたないよね。


「あれ、もう酒がないな。そっち残ってるか?」


「ほとんどないわよ」


空になった一升瓶を左右に振る。


「じゃあ持ってこさせるか」


「よろしく」


ヴァルハルトが呼び鈴を鳴らす。その光景がちょっと歪む。いつも以上にハイペースで飲んだからちょっと頭がくらくらするけど飲むのはやめない。

むしろくらくらする頭を治すためにお酒が必要なんだ。そう言い聞かし、残っていた一升瓶を空にする。

ヴァルハルトが呼び鈴鳴らしてから五分後、裁判所の雑務を担当するお姉さん、アラディアさんがお酒を持ってきた。うちのディースといい勝負をするくらいの堅物で、ヴァルハルトと同じくらい規律を重んじる魔族。栗色の長い髪の毛が右目を隠してるし、眉間に皺を寄せていることが多いから恐い魔族って思われがちだけど、実際はすごく優しくて笑顔が眩しいお姉さんだ。


「閻魔様、少しペースが速いようですが……」


「気のせい気のせい。今日はノワエがいるからそう見えるだけだ」


「……そうですか」


怪しんでいるアラディアさん。だって空き瓶の数は、私を加味してもかなり多いもん。でもアラディアさんはその事を言及せずに頭を下げる。


「では、失礼致します」


「アラディアさん、おつまみお願いして良いですか?」


「かしこまりました。少しお待ちください」


私にも一礼してから部屋を後にするアラディアさん。


「……アイツには敬語なのに、俺にはタメ口なんだな」


新しく来た一升瓶をイッキ飲みするヴァルハルト。そこに全ての生物が畏怖する閻魔大王の姿はない。どこにでもいる酒飲みのあんちゃんだ。いや、こんな風にお酒を飲むあんちゃんはいないか。


「そりゃそうよ。尊敬できる魔族だもの」


「俺はできねーのかよ」


「少なくともそんな風にお酒を煽る人は無理ね」


そう言って私も一升瓶を一気飲みする。ヴァルハルトが合いの手を入れてくれるから、調子に乗って二本目も一気飲みする。あー。くらくらして気持ちいい。


「アラディアはなぁ……。あいつは本当に良くやってくれてるよ」


「どうしたのよ、急に」


「え? いやまぁ俺も思うところがあってな。あいつ、もっといい主人のところに行ってればもっといい役職につけるのになぁ……って」


「まぁそうでしょうね」


裁判所の雑務担当の仕事は、裁判の準備をしたり後片付けをしたり、廊下や庭の掃除をしたり、裁判官のお茶を用意したり……。雑務担当の名の通り、誰もやりたがらない作業ばかりだ。そして雑務担当に休みはなく、休日の閻魔及び閻魔代理からも色々な雑務を押し付けられる。ちなみに今おつまみを取ってきてくれてるのも、閻魔の友人の依頼なので仕事になる。


「そう思うなら、閻魔補佐とか閻魔秘書とかにしてあげたら?」


「してやりたいけどなぁ……。今のやつと比べるとどうしても劣るからな。それに今の仕事をさせている方がアラディアは輝く」


アラディアさんはディースに負けないくらい何でもできるけれども、器用貧乏な感じがあるし、今の閻魔補佐と閻魔秘書が随分優秀な魔族らしく、アラディアさんを昇格させる気はないようだ。ヴァルハルトはとても情に熱いが、情に流されて采配を間違える魔族ではない。その辺りは地獄の頂点に立つだけあってちゃんとしている。


「私は立場なんて気にしませんよ」


アラディアさんが持ってきたおつまみは、一斗缶にてんこ盛りにされたの枝豆だ。私はお客様なはずだけれども、そのお客様に対して一斗缶で持ってくるっていうのが豪快で素敵。私もこんな女性になりたい。


「給料くらいは上げてやりたいんだけどなぁ……」


「かまいません。私の給料を上げたら、また不満が募るでしょう」


「だよなぁ……」


地獄の沙汰も金次第。とは言うけれども、地獄に住む魔族はクラウシュ兄さんか、ってくらいお金にうるさい。

裁判所で一番下っ端の役職である雑務担当がそこそこの給料を貰ってるとなれば、裁判所に勤める他の魔族達は怒る。すぐに賃上げ要求が始まり、要求が飲めないとわかるとストライキが始まり、ヴァルハルトや閻魔代行達が苦しむ。賃上げに応えられるほど地獄の財政はよくないらしい。

ヴァルハルトが苦しむ姿は見たいけれども、それで地獄がややこしいことになると私も困る。ヴァルハルトと仲が良いからって理由だけで、魔王代理とかわけわかんない役職を父さんから押し付けられて仲裁に来ないといけないし、その時は天界の役人と話さないといけないし……。

あ、さっきもちょっとだけ話に出てたけど、クラウシュ兄さんっていうのは強欲を司る魔王で、お金を稼いで豪遊するのが生き甲斐の魔王。

喧嘩は魔神族と変わらないくらい弱いけれども、とにかく頭が切れるやり手の魔王だ。強欲領はお金に意地汚い魔族が多いけれども、意外と治安は良いからクラウシュ兄さんの人気は高い。アザゼル兄さんが軍務を担当、クラウシュ兄さんが政治を担当すれば魔界は安定する気がする。でも二人は仲良くする気がないから無理だろうな。


「どっか行かないでくれよ。良い子にするからさ」


「それは閻魔様次第です。それと一つ勘違いされてるようですが、私は今の閻魔様が好きですから喜んでお側にいるのであって、良い子にした閻魔様が好きとは限りません。では」


そう言って部屋を後にするアラディアさん。


「アラディアさん、表情一つ変えずに格好良いこと言うよね」


「ああ。俺、部下には恵まれてると思う」


「だよね。雑務担当なんてすぐ辞めちゃうのに、アラディアさんかなり長いもんね」


「それだけじゃなくて、閻魔代理とか秘書とかも良いヤツが揃ってる。何も言ってないけど、心の底から感謝してるんだぜ。あいつらに何かあったら、絶対に助けてやるさ」


そう言ってまた一升瓶を煽るヴァルハルト。情に厚い男だから今言ったことは嘘ではないだろう。

アラディアさんは本当にヴァルハルトのことが好きで、側にいたいから雑務担当をしているのだろう。アラディアさんの好きは間違いなくラヴだろうけど、ヴァルハルトは軽々にそれを受け取らない。そしてアラディアさんはそのことを言葉にしなくてもちゃんと理解している。それってもう夫婦だと思うんだけど、二人は結婚どころか付き合ってすらいない。私なんかとお酒を飲むくらいなら、アラディアさんと飲めばいいのにといつも思う。

ちなみにアラディアさんとヴァルハルトは幼なじみらしい。こんなチャラ男のどこを好きになるんだろう。いつかアラディアさんに話しを聞いてみたい。


「あー。なんか酔いが覚めちまった。あいつこんな時に、良いこと言うなよなぁ……」


愚痴を言いつつも上機嫌のヴァルハルトは、普段は絶対に飲ませてくれない特上酒を次いでくれる。


「あざーっす」


「今回だけな。ほれ乾杯」


飲み会なのにあまり使わないお猪口で、何回目かわからない乾杯をする。あ、このお酒すごく美味しい。


「これもアラディアに買ってこさせたんだ」


「へぇー。どこに売ってるの、これ」


「……知らん。見たことない文字だし、どっか別の世界だろ?」


「……むちゃくちゃ言ったんだ」


別の世界に行くのはとにかく大変だ。申請書を書くだけでも大変なのだが、理由もそれなりのことが無いと行くことは許されない。お酒を買いに行く。って下らない理由を申請書に書いたら、一秒もかからずに破り捨てられるだろう。


「飲んだことないような旨い酒を持ってこい。って言ってさ、三年くらいしてからかな、突然持ってきたんだ。で、美味しいって言ったら、酒を飲む日は一本だけ出してくれるようになった」


私も今度探してみようかな。魔界に持って帰るのも申請が必要だから面倒くさいけど、閻魔だけが知ってるお酒があるなんて悔しいし、私も自分だけしか知らないお酒がほしい。


「てかさ、ヴァルハルトが大魔王やったら?」


私はふと浮かんだことを言ってみた。当然、そんなこと出来るはずがない。


「……ここだけの話、その話も出てるんだ」


「え?」


酔ってぐらぐらしてた頭が一気に覚醒する。どうやら私はお酒に溺れて我を忘れることは出来ないみたいだ。

誰にも聞こえるはずのない部屋なのに、小声で続きを話すヴァルハルト。


「もちろん内緒の話だぞ。ほら、閻魔って仕事は代行を立てることができるだろ」


どの世界であろうと命とか魂って物はその世界内で循環するんだけど、その世界に必要ないとされた命のほとんどは地獄にやってきて処理される。それらの命の判決を下すのが閻魔の仕事で、いくつあるかわからないほどある世界から、無数の命が地獄に来るわけだから、当然閻魔一人では対応しきれない。だがら閻魔と同じ権限を持つ閻魔代行という役職がある。閻魔が裁くほどの命でない場合は代行が判決を下すのだ。


「だから俺が不在でも地獄は運営できる。もっとも、ずっと空けるわけにはいかないから、兼務みたいな形になるだろうけどな」


「ってことはあんたが大魔王になって魔界を統治するの?」


「ああ。天界の連中がそうしろと言ってきたんだ」


「あいつら馬鹿でしょ。そんなことになったら兄さんたちどころかほとんどの魔族が黙ってないわよ」


魔族、とくに魔王族や魔神族はプライドが高い。いくら閻魔を恐れているとはいえ、魔界の領土を奪い取るような形で独立している地獄の王がしゃしゃり出てきて、申し訳ありませんが、大魔王の兼務をよろしくお願いします。なんて素直に受け入れたりしない。絶対に戦争になる。


「だろうな。でもそれで起こるであろう戦争を差し引いても、アザゼルが大魔王になるよりはましと判断されてるんだ。そして俺も同じ考えだ」


「いや、まぁそうでしょうけど……」


事実、父さんが死んだあとに備えて戦争の準備をしている魔神族や権力者たちは多い。そこらのごろつきのすら下剋上を狙っている状況だ。アザゼル兄さんのやイレアナ姉さんのところに刺客が送り込まれることも多い。さすがに刺客ごときに倒される兄姉じゃないけれども、訃報はいつやってくるかわからない。

ヴァルハルトなら絶対的な力でそれらを押さえることが出来る。一度戦争は起こるだろうけど、その後は今と同じ状態に戻るはずだ。


「こんな状況だけど、お前はそれでも静観を決め込むつもりか」


「もちろん」


「おいおい。少しは悩めよ」


ヴァルハルトがこめかみを押さえる。


「嫌よ面倒くさい。魔界がヤバくなったら人間界に行くから。魔界なんてどうでもいいのよ」


「はぁ……イレアナに育てられただけあって、性格もそっくりだな」


「ありがとう。私姉さん好きだから、姉さんに似てるって言われるのは嬉しいの」


「嫌味だってわかってるくせに」


「もちろんよ。でも姉さんに似てるって言われるのは本当に嬉しいのよ。例え呆れられていたとしても」


父さんの最後の子供として生まれた私のややこしい生い立ちはまた今度話すとして、とにかく姉さんが私を気にかけてくれて、父さんを上手いこと言いくるめてくれたから今の生活がある。生きていくために必要なことを教えてくれたのも姉さんだ。

だから私は姉さんが好きだし、尊敬もしている。悪い部分が似ていたって構わない。大好きな姉さんに少しでも近付きたい。それが私の原動力だ。


「はぁ。お前が大魔王になってくれれば万事解決なんだが……」


「えらく大魔王押しね。ムースにでも言われたの?」


ムースってのは食べ物じゃ無くて、天界を治める大天使の名前だ。

生まれた時にムースが置いてあったからムースって名前になったらしい。

私が言える立場じゃないけど、さすがに適当すぎると思う。


「ああそうだ。ノワエを口説いてほしい。ってな。」


やっぱり。私は確かに強いと思うけれども、みんなが思っているような魔族ではない。ぜんぜん物事をわかっていない小童だし、何よりも全くやる気がない。


「……はぁ。せっかくのお酒が不味くなったわよ」


「悪かったよ。でも、俺はお前が大魔王として相応しいと本当に思ってる。ただ俺はお前のダチだから嫌なことはさせたくない。俺も立場があるし、俺の想いも伝えたいから話したけど、お前の好きにしたらいいさ」


「……そう。ま、いくら口説こうが、あんたみたいなヤツはタイプじゃないから安心しなさい」


「相変わらず辛辣だなぁ……」


そう言って一升瓶を一気飲みするヴァルハルト。飲み終わるや否や、二本目も躊躇いなく一気飲みする。どうやらこの話は終わりのようだ。


(大魔王ね……)


大魔王になった自分の姿を描いてみる。これが不思議と上手く描けるんだよね。

私に取っては苦痛で面倒くさい大魔王の仕事。そしてそれを当たり前の様に捌く自分の姿。

嫌なことはお酒を飲んで忘れるしかない。そう思って私は適当に取った一升瓶を空にする。でも飲み過ぎたせいで味覚が麻痺してるのか、それとも別の理由かはわからないけど、お酒の味はほとんどわからなかった。

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