1.01 今日は珍しくお出かけ

「う……ん……」


まだ日も昇らない時分、私は体が熱くて夢から現実へゆっくりと移行していく。まだ眠気が強くて体を起こす気にならない。でも体は水を求めている。

重たいまぶたをゆっくりと持ち上げると、息の当たる距離で姉さんが寝ている。いつ見ても本当に綺麗で、性別問わずに人を虜にする罪な顔。そういえば姉さんは昨日、私の家にやって来てそのまま泊まったんだった。私の腕は愛する人がそうするように、姉さんの腰に回り、姉さんを抱き寄せている。

きめ細やかで、乳幼児のように柔らかくて、透き通る様な白い肌。私だって肌は綺麗で自信もあるけど、姉さんと比べたら月とすっぽんだ。まぁ私は月よりもすっぽんの方が好きだけど。可愛いよね、すっぽんって。あのくりくりした目がたまらない。噛みついてくるのはいただけないけど、近くで見ていると意外と癒やされる。

ちょっと力を込めたら折れそうなほど細くて、余分なものが一切ない腰。手を背中に回し、私は姉さんを自分の方へと、さらに引き寄せる。


「うん……」


姉さんが艶かしい声を漏らす。私といる時だけ見せる、完全に無防備な姿。私だけの姉さん。だから私は、息をするために小さく開いた、煽動的な唇に自分の唇を……。


「……姉さん、魅了の魔法には引っ掛からないわよ」


「や~ん。ノワエちゃんの意気地無し~」


パッと目を開ける姉さん。その顔は今起きた感じじゃないから、私の寝顔が可愛いからとかそんな理由で、ずっと起きていたのだろう。


「もう足腰立たなくされるのは懲り懲りなのよ」


「ふふっ。そう言いながら背中の手はそのままよ?」


「それは……だって……」


思わずそっぽを向いてしまう。姉さんのことをこのまま抱きしめていたいという欲求は、私の中でどんどん大きくなっている。


「あんっ! そんな表情されたらまた昂っちゃうじゃない! ほら、早くチュ~って」


口を尖らせて迫ってくる姉さん。ここで流されたら明日はまた腰痛に苦しむことになる。


「ああもう! 一人で寝ます!」


サッと腰に回った手を引き抜いて、姉さんを突き放し、ベッドから降りて部屋を出る。姉さんが後ろから何か言ってるけど無視。関わったら何をされるかわからない。

私はリビングに行き、台所に置いてあるコップに水を入れて飲む。火照った体に水が行き渡るのを感じる。少し落ち着いたところで、寝る前にされた事を思い返し頭を抱える。姉さんが遊びに来た時はいつも流されて色々されてしまう。今日こそは拒否しないと。と思っても、姉さんの術から逃れるのは本当に難しい。いや、正確に言えば逃れるのは容易い。ただその……。


「ああもう! 姉さんが来るといつもこれなんだから!!」


苛立って机を叩く。思ったよりも部屋に音が響き少し慌てる。廊下を隔てた向こうでは、私の従者のディースとルルカが寝ている。起こしてしまったらまた小言を言われるから、静かにしないといけない。もう遅いけど、私は音をたてないようにそっとコップを流しに戻し、リビングの机に突っ伏す。木のひんやりとした感覚が気持ちいい。ここで寝たらまたディースに小言を言われる。とは思いながらも、瞼は徐々に下がっていく。寝ちゃダメだ、寝ちゃダメだ。そう思えば思うほど瞼は重くなっていく。いや、ちょっとだけ寝て、ディースが起きてくる前に起きれば良いんだ。だから少しだけ、少しだけ……。





「ノワエ様、起きてください」


ディースが私の体を揺さぶりながら名前を呼ぶ。ゆさゆさと心地いい揺れ。起きないといけないのはわかるけど、まだ夢のなかでのんびりとしたい。

目の前には地平線の彼方まで続く綺麗な花畑。私がここ数十年で作り上げた花畑なんか比べものにならないくらい大きくて、鮮やかな花が咲き誇る楽園のような場所。これほど大きくなくてもいいけど、家の庭ももっと大きければいいと思うのに。そしたらもっと色々な種類の花を植えられるし、この花畑の至る所にある、綺麗な桃色の花を咲かせる木だって植えられるかもしれない。そしたら小鳥だってやって来るだろうし、狐や狸なんかの小動物も遊びに来て、庭はもっと賑やかになるだろう。

私は綺麗な桃色の花を咲かせる木の根元に腰を下ろし、のんびりと花畑を眺める。そしてうとうとと微睡む。


「ノワエ様、この様な所で寝てはいけません」


またディースの声が聞こえる。彼女はいつも私の楽しみを邪魔する。彼女は事あるごとに、魔王族としての振るまいがどうとか、威厳がどうとか、そんなことを私に言ってくる。確かに私は魔王族だけど、誰も私に期待なんかしていない。私は魔王城に来ていた遊女の母さんと大魔王である父さんの間に偶然出来た最後の子供で、それが何かの間違いで魔王族だっただけだ。もう七地方を納める魔王も決まっているし、跡取りも半分決まっているようなものだから、私にかける期待はゼロで、こうして魔王城から遠く離れた、山奥にある朽ちかけた洋館で世間にばれないように生活している。

父さんの子供は数千といるらしいけど、その中で魔王族として生まれてきたのは三十人もいないらしい。そしてその中で生きているのは、私と七地方を治める兄姉だけだ。まさか一夜だけの女性が子供を身籠り、さらにそれが魔王族なんて、父さんは夢にも思わなかっただろう。始末するのも勿体ないから、とりあえず生きておけば良い。父さんの考えはそれだけだった。何かあった時のスペアになるかもしれないし、別にならなくても問題はない。もう父さんはいい年だから、いつ死ぬかわかったもんじゃない。そしてその後の事は関係がない。自分が遊んだ女の子供が魔王族だった。その汚点が自分の存命中にバレなければ良い。だから私は、この山奥の朽ちかけた洋館で誰にもばれないように、ひっそりと生活させられているのだ。


「ノワエ様、そろそろ怒りますよ?」


あ、そろそろヤバい。起きないとディースの長い説教が始まる。夢の世界に広がる綺麗なお花畑に別れを告げて、私は重たい瞼を頑張って持ち上げる。目の前にディースの腰が見える。そして妙に腰が痛い。そういえば、昨日は机で寝たんだった。


(これは長いお説教だな……)


そう思いながら目を擦る。大きな伸びをして、凝り固まった腰をほぐしながらディースの方を見る。


「おはようディース」


ディースは眉間に皺を寄せている。せっかくの綺麗な顔が台無しだ。

ディースは私専属のメイドで、このボロ洋館の責任者だ。見る者を色々な意味で惹きつける鋭い目。綺麗に整って高い鼻。銀色の長い髪の毛を今日は後ろで結んでいる。今は給仕服を着ているから地味な印象を受けるけど、たまに着る、薔薇をあしらった純白のドレスを着れば姫騎士のようになる。スタイルも良いしね。本当に給仕服を着ているのが勿体ないと思う。

そして彼女もまた、父さんの元から厄介払いされた一人だ。彼女も色々と事情があるんだけれども、それはちゃんとした機会に話すから、とりあえず先に進みます。


「おはようございます。ノワエ様。僭越ながら……」


「あ~っ。わかってるって。昨日は姉さんがベッド占領したから、寝られなかったのよ」


「やはりですか。まったくアスデモウス様は……」


アスデモウス、第百二十七代色欲の魔王である姉さんは一応お客さんなので、いつも客間に案内しているんだけれども、姉さんが客間で寝たことなんて一度もない。いつも私のベッドに潜り込んで、満足したら勝手に帰る。


「姉さんは?」


「先ほどノワエ様のお部屋を伺いましたが、姿が見えなかったので、帰られたのだと思います」


「そっか……」


人里から遠く離れた山奥で生活している私に会いに来る魔族はほとんどいない。姉さんとたまに魔王城から来る使いの者くらいだ。来訪者がない日は、私に仕えるディースとルルカしか話す相手がいない。もしくは動物を捕まえて一人談義に花を咲かせるかだ。


「あ、おはよーノワエ様。昨日もお盛んだったみたいだね」


「おはようルルカ。あと朝からその話はやめて」


ディースの後ろからひょっこりと顔を出したのは、もう一人の従者であるルルカ。長身のディースと違って小柄で、人なつっこそうな大きな目と、薄い赤色のツインテール、小柄な体に似つかない大きな胸が特徴の女の子。

ディースと性格が真逆で、給仕服と言うよりはメイド服と言った方がしっくりくる、可愛らしいフリフリした衣装を好む。


「ルルカ、おはようございます。でしょう? それと、おへそが見えるような服は止めなさいと言っているでしょう。油が飛んだらどうするの?」


「へーきへーき。昨日は私が食事当番だったから、今日はディースでしょ?」


「今日はノワエ様の付き添いで閻魔大王様の所に行くので、ルルカは一人で留守番でしょう。ご飯を食べないつもりかしら?」


「あ、そっか」


ポリポリと頭を掻くルルカ。当事者の私も約束を忘れてたなんて言えない。


「とりあえず朝ご飯にしましょう。ディース、準備をお願い」


「かしこまりました」


「私はちょっと体を動かしてくるわ」


「はい。できあがりましたらお呼びします」


「よろしく」


私はリビングを後にして、家の外に出る。

小さい頃から武術を叩き込まれた影響なのか、自然と一緒に暮らした影響なのかはわからないけど、朝起きるとまず体を動かさないと気が済まない。

大きく伸びをしてから軽くランニング。今日は何をして体を動かそうか考えて、剣を振るうことにした。あ、でも剣は部屋に置きっぱなしか。

一分もかからないから、部屋に取りに帰れば済む話しなんだけど、なんとなく面倒くさくて、私は目の前の空間を裂いて、自室に繋げて剣を取る。サラッとやってるけど、これかなり高度な技だからね。地獄も含めた魔界全土で出来るのは五人か六人くらいかな。まぁもうちょっとできるかもしれないけど、すごい技なのは間違いない。

もう一度大きく息を吸って、ゆっくり吐いて精神統一。風で揺れる草の音が聞こえるほど集中できたら剣を一振り。うん、今日も調子は悪くない。

色々な動きを確認しながら剣を振るう。時には激しく、時にはゆっくりと形を確認しながら、時には新しい形を試してみたり。額に汗が浮いてきたところで素振りをやめる。


「ノワエ様、できたよ」


ナイスタイミングでルルカが私を呼びに来る。


「うん。戻るわ」


最後に一振りして、私は剣を鞘に収める。扉を開けて待ってくれているルルカに軽く手を上げて、リビングに向かう。朝食の良い匂いが玄関まで充満している。この匂いはホットケーキだ。


「今日も美味しそうなホットケーキね」


リビングに入ると、ディースがちょうどホットケーキをお皿に盛りつけたところだった。


「手軽で安くて腹持ちが良い。最高の朝食だよね、ディース」


「……恐れ多くも」


「まぁそりゃ主がニートなんだから、食費削るのは仕方ないでしょう? それにディースは、本当にやりくりを上手くやってくれていると思うわ」


「恐縮です」


財政事情とか私の事情とかいろいろあるけど、ディースはとにかく上手くやってくれている。本当に彼女が従者でよかった。


「ほい、ハチミツどーぞ」


「ありがと」


ハチミツの入った茶色い壺を受け取る。スプーンで掬って、三段のホットケーキにたっぷりとハチミツをかけて、壺をルルカに返す。


「相変わらずたくさんかけるねぇ~」


「そりゃそうよ。女の子なんだったら、甘い物はたくさん食べないと」


ルルカは私の三分の一くらいしかかけない。それじゃぜんぜんハチミツの味しないと思うんだけどなぁ……。


「ノワエ様、ハチミツと言えどもかけ過ぎは体に毒ですよ」


「大丈夫だって。私魔王だから」


魔王は無意味に体が頑丈だからね。どんなことをしても平気なんです。


「いっただっきまぁ~す」


「どうぞ召し上がれ」


ナイフでホットケーキを半分に切って、そのままパクリ。うん、美味しい。


「ノワエ様、もうちょっと上品に食べないと、ディースに怒られるよ」


「だって美味しいんだからしょうがないじゃない」


口の中にホットケーキを入れたまま喋る。


「ノワエ様、飲み込んでから話してください」


ディースが眉間に皺を寄せている。相変わらず細かいことを注意してくる。


「客人が来られた時に、その様だと困ります」


「ここに誰が来るっていうのよ?」


でも言われたことはきちんと守る。私はホットケーキを飲み込んでからディースに問い掛ける。


「……将来、誰か来るかもしれません。それに大魔王様主催のパーティに参加することもあります。その際に、今の様では笑われますよ」


「どうせ笑われてるって。そんなこと気にせずに、食事は美味しく食べましょう」


って言っても、ちゃんとした所に出たらちゃんと食べるんだけどね。家じゃどうもそういう気分にならない。ディースはそれが堕落の一歩とか言ってたけど、意志は強いから大丈夫。


「ねぇディース、私も閻魔の所に行ってみたい」


「閻魔大王様です。ノワエ様といい、ルルカといい、閻魔大王様と対等なのは大魔王様だけなんですから」


「良いじゃないの、私は友達なわけだし。それに父さんと対等って言っても、父さんじゃ五分持たないんじゃない?」


大魔王アウレオールス。魔国で最も強い魔王で、私の実の父さん。魔界の統一にしか興味がない戦争屋さん。父さんは歴代の大魔王を見てもそれなりに強い部類らしいけど、閻魔大王のヴァルハルトはそれを優に越える強さを誇る、いわゆるチートキャラだ。

父さんは私がヴァルハルトに媚を売って、魔国を乗っとる気ではないかと疑っているらしいけど、彼は地獄の裁判長である閻魔だけあって公私混同を絶対にしない。外見はただのチャラ男だし、私といる時の言動は完全にチャラ男だけれども、閻魔に選ばれるだけあって、根は真面目でお堅いヤツなのだ。


「ノワエ様、実際、大魔王と閻魔が戦ったらどうなの?」


「どう頑張っても五分でやられるわよ。てかたぶん一瞬よ一瞬。ヴァルハルト、ああ見えても向かうところ敵なしだからね」


魔界の一部にある地獄。その地獄を統治するのが閻魔大王。その力は魔界だけでなく、天界を含めても間違いなく最強だ。天界にも私と同じくらい強いアンスリュームっていうヤツがいるんだけど、私はあんまり好きじゃ無いから説明はカット。その天界最強のアンスリュームよりもヴァルハルトの方が遥かに強い。本人は全く鍛錬とかしてないんだけどね。才能だけで強くなったやつだ。


「へぇ~。ますます会ってみたいなぁ……」


「少なくとも閻魔大王様と言えるようになるまでは連れて行けません」


「え~。ノワエ様の友達でしょ? 大丈夫だってディース」


私は食事の手を止める。


「でもディース、実際ヴァルハルトの素面の顔を見て、ルルカはこのお気楽な性格のまま話せると思う?」


「お気楽って……。別に普通じゃん、私」


ルルカがふて腐れた顔を作る。


「……無理でしょうね」


「え、そんなに恐いの?」


「そりゃまぁ腐っても閻魔大王だからね。仲良くなればただのチャラ男だけど、普通にしてたら恐いわよ」


目が据わっているっていうのもあるけど、とにかく目力がすごい。裁判中にちょっと睨まれただけで、失神してしまう者が沢山いるらしい。私は父さんが主催したパーティで初めて出会ったんけど、日焼けしたチャラ男って感じの外見も相まって、関わるとろくなことが無いと思ったから近寄らなかったくらいだ。


「笑うと目がふにゃ、ってなって、けっこう可愛い顔してるけどね」


「あれ、ノワエ様が恋愛?」


「ない」


「いや、そんな力強く言わなくても……」


ヴァルハルトだけはない。仮に世界に私とアイツだけになったとしても恋愛はない。絶対に、だ。


「ノワエ様、そろそろお時間が……」


「あ、本当だ。すぐ食べ終わるからちょっと待っててね」


「私も着付け手伝わないといけないし、ちょっと頑張って食べるか」


ルルカと早食い競争。ルルカのホットケーキは私より二枚も少ないけど、勝ったのはもちろん私。こういう小さな勝負でも私は絶対に負けたくない。だって負けると悔しいじゃん。基本的に負けず嫌いです。

食べ終わったお皿をディースが片付けている間に、私はサッとお風呂に入る。あ、サービスシーンはなしだからね。てか洗い流すくらいだからそんなシーンを作れるほど時間ないし。

お風呂から上がったらルルカが髪の毛を調えてくれる。その間にディースが服を準備してくれる。


「ノワエ様、相変わらず綺麗な髪だよね」


「そうかしら? ルルカの方が綺麗じゃない?」


「私けっこう痛んでるよ。ほれ」


「あら本当……」


見せてくれた毛の先は少し縮れている。私はそういうことはほとんどない。


「それに色がねぇ……。ノワエ様みたいに真っ黒が良かったな」


「魔力で変えましょうか?」


「ヤダ。なんか変なことされそうだし」


「どういうことよそれ」


「そのまんまの意味だよ。はい、おしまい」


最後のやり取りが気になるけど、時間が押しているから問い詰めるのはまた今度。よそ行きのお高い服を着て、ディースにおかしな所がないかチェックして貰う。


「はい、問題ありません。では行きましょうか」


「じゃあルルカ、留守番お願いね」


「ほいほーい」


片付けをしているルルカに挨拶をして、私は目の前の空間を指でなぞって裂く。そして裁判所の奥にある、ヴァルハルトの部屋に繋げた。

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