第3話 入学式

 生きているとたまに既視感に襲われることがある.初めて見るはずの出来事をあたかも以前に経験したかのような感覚.そうした現象に対してデジャヴという言葉が割り当てられている.

 未知の現象やよくわからないものに名前をつけることでわかったような気持ちになるのは人間という生き物に備わった機能なのかもしれない.ぶっちゃけてしまうと普段の日常でもよくよく考えると意味がわからないことばかりだ.例えば,普段食べている食事もよく考えるとなぜ僕たちはこれらの食材を調理し口に運び咀嚼して飲み込み消化しているのかそれはわからないのだ.食べないと死んじゃうからお腹がすくし食べるのだと説明されても,なぜ僕はここに生きているのかそれに対して何の説明にもなっていないし,そもそそもこの世界というものの存在が自明の理として認められていることに違和感を感じてしまう.

 さて,話がそれてしまったのだけれど,デジャヴという現象は,一説によると夢の中で見た現象などが脳に保管されていて,それが顕在意識では忘れていても,それと似通った現象が現実で起きた瞬間に思い出されるからだという.

 また,ある説によると,完全にこれは脳内の情報伝達の過程で混乱が生じたことの帰結として生じる錯覚に過ぎないというものだ.

 僕はデジャヴュというものは,脳が宇宙の出来事のすべてからなる存在,それは神と呼ばれる存在なのかもしれないが,とコンタクトをとったことにより生じているのだという突拍子もない考えを持っている.それは危険の予知かもしれないし,幸運の予兆かもしれないが,とにかく,それは僕にとって必要な情報なのだ.

 前置きが長くなってしまったが,今日の僕の入学式について述べたいと思う.デジャヴュというものについて先に書きたくなったのは,今日の出来事がまさにデジャヴュそのものだったからだ.そのデジャヴュから僕が読み取るべき情報は何なのだろうか,なんていうことを考えたくなってしまったってわけだ.

 

「あーっ!見てみて絵久」

ぴょんぴょん飛び跳ねながらネネが僕の袖を引っ張り,昇降口前に張り出されたクラス分けを記した張り紙を指差す.

「絵久と同じクラスだよ!やったね,絵久」

ネネが嬉しそうに語りかけてくる.僕はなんだか意地悪したくなってくる.

「あ,そう.」

「反応薄っ!喜びなよ〜絵久.このネネちゃんと同じクラスなんだよ.この一年でいっぱい思い出作れるよ?」

「だから何?」

ネネが少し悲しそうな顔をしていて,


 この瞬間に僕は今日起こることが全て分かった気がした.この後ネネは本気で落ち込んでしまって,そして帰り際に僕が謝って仲直りするのだ.それだけじゃない,今日の校長先生の話はドラクエの話なんだっけ.そしてそして


 はっと我に返った.ネネはとぼとぼと下駄箱に向かい上履きに履き替えていた.さっきのイメージは何だったんだろう.とにかく,この出来事が以前に経験されたような感覚がした.若干頭痛もする.だけど,たまにこういうこともあるさと気持ちを切り替えて,教室に向かった.


 新しいクラスでは,様々な中学校からの出身者が集まっているためか,皆よそよそしく緊張感が漂っていた.担任の教師の名前は原田信という物理を教えている先生だった.若干気だるげで,熱血タイプとは正反対の冷静沈着タイプといった感じで,どこか醒めた雰囲気がする.出席を淡々ととり,今日のスケジュールを伝える.まず入学式があり,その後,教室で自己紹介をし合うということであった.


 入学式は校舎東側の隅にある体育館で行われた.校長先生のつまらない話を黙って聞くだけの式.入学式というものは入学者が主役のはずだが,こういうときにえらい話をする校長先生の方が実は主役気分なのではないかと思われることが多々有る.実際,自分が仮に校長先生になって全校生徒の前で自説を演説するのは快感が伴われる気がする.校長の話は以下の内容であった.

 校長は子供の頃ゲームが大変好きであった.特に,ドラゴンクエストやファイナルファンタジーのようなRPGを好んでしていた.自分も勇者になりたいなんて思うこともあった.大人になって,教員になってからは大変な思いをすることも多く,ある日悟ってしまったという.何にかというと現実もドラクエと大して変わらなかったということだとさ.今も校長という役割を演じているだけで,自分自身の中身なんてずっと大して変わらない.君たちも現実というゲームを楽しんでくれ.

 ゲームにはリセットボタンがあるが現実にはないし,セーブ機能もないではないかと思う僕であったが,仮にリセットボタンがあっても,また最初からやるのはだるい気がしてしまう.またレベル1から始めるというのは結構しんどい.そう思ってしまう.

 自己紹介は淡々と済ませた.どうせ自己紹介なんて誰も覚えていない.その後,誰と仲良くなるかはその時点ではよくわからないものなのだ.


 ホームルームが終わって,帰り支度をしているネネに僕は話しかける.

「ネネ.一緒に帰ろうか」 

 ネネは目をそらしてそのまま帰り支度を続ける.

「今朝はごめん.ちょっと冗談で言っただけだよ」

「冗談?冗談でも言っていいことと悪いことってあるじゃん?……絵久って実はネネのこと嫌い?私たまに感じるんだ.なんていうか絵久の中には本当はネネという人は存在してないんじゃないかなってさ」

「嫌いなわけないだろ.ネネは目の前に存在しているし,僕にとって大切な人のひとりだよ」

 ネネは髪を左手でくるくると触りながらつぶやく.

「……存在してるって,どうやって証明すんのよ」

「えっ!ここで他者の存在を証明するしないという哲学めいた問答をするの!?」

「私の目の前に存在していると思われる絵久は私が目を閉じても本当に存在しているのかな」

「本当に哲学問答見たくなってきたぞ」

 ネネは目を閉じた.そして何かを待っているように思われた.ここでの僕の選択肢は,ネネの両肩を掴んで,そして

「ぐわわ,からだがゆれる〜」

両肩を揺さぶり,ネネをグラグラさせたのだ.

「確かに,ぐらぐらさせている絵久は存在しているのだぁー」

「そう,僕は存在している.それで良しにしてくれ.僕は哲学は苦手なんだよ.知ってると思うけどさ」

「絵久は数学と美術と音楽以外だめだめだもんね」

 こうやって冗談みたいなことをしてみたが,実際にネネは存在しているんだろうか,とふと思ってしまった.この日常は本当に存在しているんだろうか.常に存在していると思っているこの日常が実は幻で儚く消えてしまうものだとしたら,なんて柄でもないことを考えてしまった.

「ねえ絵久.絵区はさ,私と同じクラスになって正直どう?」

「嬉しいに決まってるだろ」

 彼女の頬が若干赤くなったように見えた.きっと見えただけで,そこに何らかの情報はないのだろうと思った.僕はそう思うことにした.


帰り道のあぜ道で僕はネネと歩いていた.4月だけど,まだ若干肌寒い.

「人生はドラクエって校長先生言ってたね」

「ああ.そういう本も売ってるみたいだけどさ」

「仮にセーブポイントがあったとしたら,人生やり直したい?」

 ネネは突如そんなことを聞いてきた.

「仮にセーブポイントがあったとしても,僕は人生をやり直したいとは思わない.というのはここまででも結構長い人生があって,その中で習得したことや経験したことがなくなるなら,それを再習得をするのに手間がかかるからだ」

「そうなんだ.合理主義者みたいな回答だね」

「ネネの方はどうなの?やり直したい?」

「私はね」

 ネネは遠くを見つめながら続ける.

「私はね.やり直したくなることは,ある.やり直したら,絵久と出会うこともなくなるかもしれないし,他の友達とも会わない全然違う人生になるかもしれないし,それは寂しいと思う.でも,私が大切に思う人たちと最初から出会わなければ,私が大切な人たちを傷つけることも悲しませることもないし,これからもそれが起こらないから,その方が良かったのかもって思うときがあるの」

「出会わなければ,傷つけることも悲しませることもない代わりに,ネネがネネの大切な人たちを喜ばせたり幸せにすることもできないんだぜ」

「そう,そこが困るポイントなんだよね.でも,ありがとう」

 ネネはどうしてこんなことを言い出したのか,わからなかった.そして,この会話は朝一瞬感じたデジャヴュと同じように思えた.だから試しに聞いてみたくなった.

「ねえ,ネネとこんな会話って前にしたことあったっけ?」

 ネネは一瞬困ったような顔をして笑顔で答えた.

「ないよ.これが初めて.絵久とこんな話をするのは初めてのことだよ」

 空に浮かぶ夕焼け雲が儚く見えてやけに美しく感じた.

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海が空で星は地下 古吉春雨 @tamago_soup

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