第1章 白い花

「……くっ」


  夜月はうめいた。大きく息を吸って溜め込む。


「……はな!!」


  叫んだ拍子に顔に被さっていた白いものがはらっと落ちた。見ると同じく白いものが点々とベッドの上に散らばっている。白い花弁に甘い香り。


「ユリか」


  半ば呆れてつぶやく。

  やがてぺたぺたと足音を立てながら少女が部屋に入ってきた。頭に白いリボンをカチューシャのように巻き、フリルのついたワンピースの裾をふわふわとさせながら。


「夜月! おはよう!」


  元気よく挨拶をして、そのまま夜月の胸に飛び込んできた。見事なダイブだ。夜月はとっさに自分の体重でそれを受け止めた。


「……花」

「ふふっ。綺麗でしょ? ねえ、綺麗でしょ?」


  少女は嬉しそうに言いながら、夜月の胸に顔をすり寄せる。長い髪がふわふわと揺れた。

  夜月はといえば、なぜか大きなユリの花弁にまみれて不機嫌な表情をしている。


「花、何度言ったらわかる。俺の部屋に植物をばらまくな」

「ばらまいてないよ? 綺麗に飾ったんだもん。ベッドの上にね、こうハート型に並べたの」


  小さな手で大きくハートの形を宙に描く。その少女の姿はなんとも愛らしい。


「ああ、お前は知らないんだな」


  夜月は表情を消し、いつもよりも低い声で言いながら少女の頭をなでた。


「ユリを置いた部屋にしばらくいると、人間は窒息死してしまう。光合成と呼吸の問題だ。わかるか?」

「ううん。わかんない」


  少女は首を振り、それからまたふふっと笑った。


「花は毎日このお花と同じ部屋で寝てるけど、ちっそくししてないよ?」

「それはお前が無神経だからだ」

「むしんけいだと大丈夫なの?」


  この通じない会話を夜月はそれなりに楽しんでいる。無邪気な少女といると、ほかの全てのことから解放される。何も考える必要がない。

  夜月は少女を両手で持ち上げてベッドから降ろす。


「花、大きな皿を持ってきてくれ。中に水をそうだな、半分ぐらい入れて」

「はーい!」


  素直な返事を残し、少女は再びぺたぺたと部屋を出ていった。

  彼女が戻ってくるまでにと夜月はベッドから起き上がり、着替え始めた。

  隅にひっそりと置いてあるクローゼットと小さな机以外にはものがないその殺風景な部屋には、朝、夜月が起きると必ずといっていいほど植物がばらまかれている。いや、彼女に言わせると「飾っている」らしいが。

 

(子供というのは無邪気なものだな)


「夜月ー! 持ってきたよ」


  水がこぼれないようにそっと、しかし声だけは元気よく少女が底の深い皿を運んできた。


「机の上に置いてくれ」


  まだ着替えの最中だったので少女に背を向けながらそう言った。夜月の背後でぺたぺたと足音がする。裸足で歩いているせいだろうか。靴下を履かせた方がいいかもしれないと夜月は考えた。


「ねえねえ夜月。このお皿どうするの?」

「………………」

「ねーえ」


  少女はシャツのボタンをとめている夜月にまとわりつき、それでも彼の反応がないのでぎゅっと腰にしがみついた。


「うーっ。夜月ィ」


  夜月はボタンを最後までとめ、少女を引き剥がした。


「花、お前に教えることが3つ見つかった」

「なあに?」


  やっと夜月が話してくれた嬉しさで少女が顔をほころばせると。


「まず、人の着替えを邪魔しないこと」

「うん」

「理由は俺が気に入らないからだ。誰かに自分の裸を見せる趣味はない」

「わかった」


  少女は神妙な顔でうなずく。


「次に、さっきも言ったが俺の寝室に植物を飾る・・な。自分の部屋で愛でるだけにしろ。俺はお前と違って植物が好きじゃない」

「夜月、お花好きじゃないの?」

「甘ったるい匂いが気に入らない」

「ふんふん」


  少女は初めて知った。夜月を喜ばせようと毎朝花を飾っていたのだが、夜月はそれが迷惑だったらしい。


「最後に。飾ったものは片付ける。まだ萎れる前だから、植物も栄養が必要だ」

「お水、あげるの?」


  夜月は白い花をひとつ拾い上げ、水の入った皿に浮かべた。


「こうする」

「わああ、綺麗だね!」


  はりきって少女は散らばった花を集め始めた。全てを集めて皿に浮かべると、頬を染めて喜んだ。


「ふふっ。夜月すごーい」


  その小さな頭を夜月は優しくなでた。


「いい子だ。朝食にするか?」

「するー!」

「それなら広間にいって席に着け。たしかパンが残っていたはずだ」

「スープ、スープは?」

「欲しいのか?」

「うん」

「お前がいい子にしているならな」

「花、いい子にする」


  この前買っておいたトマトを煮るか、などと考えながら夜月は少女を連れて部屋を出た。

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