第2話 空飛ぶジュウタンと赤い竜
「よお、ダイキリ。無事、お姫様はゲットして来たかよ」
河のほとりで待っていたのは、派手な姿の男だった。年はダイキリと同じくらい。真っ赤な髪を鶏のように逆立てて、飛行用のゴーグルをしている。派手な髪型の割に、足首まである分厚いローブという地味な格好だ。ベルト代わりの帯に、大きな袋をさげていた。
「もちろんだ。カシ、手を貸してくれ」
ダイキリは岸まで泳ぎ着くと、仲間に樽を渡した。
「なんか、物音しねえな。死んでるんじゃねえだろうな」
カシが樽を開けると、マイニャは目を閉じて丸まっていた。死んでいるどころか、膝に乗っている頬は健康そのもの、というか赤い。おまけに、寝息を立てていた。
「おいおい。並の男より肝っ玉太てえな。のんきに居眠りか」
「たぶん、酔いつぶれてる。この樽、ブーザ酒が入ってたから」
たしかに、木の匂いに混じってツンとアルコールの臭いがした。
「まあ、暗闇の中でシェイクされる恐怖を感じないだけよかったかな。ん? どうしたダイキリ。不機嫌そうだけど」
「金持ちは嫌いだ」
ダイキリはカシに預けていた上着をはおり、人間と変わらない眉をしかめる。
惑星ミルリクは、乾燥していて暑い。酷いときには道端の石で目玉焼きが作れるくらいだ。ダイキリが不機嫌なのは、冷たい水に濡れているせいではないだろう。
「乗り物の維持費より、人を雇う方が金が掛かる。だから乗り物に乗っている者よりも、人間に輿を担がせる方が高貴で偉い。どんな理屈だ」
「まあまあ。金持ち全員が性格悪いとは限らないだろ」
カシは、腰の袋を開ける。
封印されていた精霊でも逃げ出したように、銀色の光が四つ袋から飛び出した。それは、銀色の球だった。大きさは、拳よりも少し大きいくらい。四つの小型UFOは、カシの胸の高さで地面と並行に四角を描くように並んだ。
それぞれのUFOの下には丈夫なフックがついていて、そこには分厚い布の四隅が金具で吊るされている。カシが創った空飛ぶじゅうだんだ。
「さてと。マイニャお嬢さんがこんな不良とお空のデートしてる所を見られたらまずいんで、もうちょっと我慢してもらいましょうか」
パタンと樽のフタを閉め、空飛ぶジュウタンに積み込む。
「悪いけど、これ二人用だからよ。お前は歩きで帰ってくれや」
カシは樽の前に飛び乗り、ポケットから六角形の板を取り出す。その板には宝石のように凝った形をしたボタンがいくつも光っていた。空飛ぶジュウタンの操作盤だ。
ウウン、と小さな唸り声を上げ、空飛ぶジュウタンは舞い上がった。ダイキリの髪と服がなびいて、しずくが飛ぶ。地面の砂が巻き上がった。
「じゃあ、お先に!」
カシはいつものようにジュウタンをフルスピードに設定した。ずれかけたゴーグルをきちんと直す。ミルリクの空気は、砂が混じって黄色っぽい。
河の近くでは、賑やかにバザールが開かれていた。冷たいハッカ水やバラ水を売る店や、果物屋、ホログラム屋の露天が並んでいる。そろそろ愛の女神を称える祭りが近いので、どの店も女神のシンボルのリンゴの旗を軒に下げていた。通りでは、地面の色が見えないぐらいさまざまな人が行きかっている。天井代わりのカラフルな布が、たくさんの絵具の流れのようにカシの後ろへ消えていった。お香に、果物の香りに、動物の糞の匂い……一息ごとに香りが変わる。
肉の焦げるおいしそうな匂いにちょっと気をとられたすきに、屋根つきの空飛ぶ輿にぶつかりそうになって、カシは真横へジュウタンをそらした。その勢いで巻き起こった風が、露店の軒にぶら下がっていた首飾りをチャラチャラと鳴らす。運悪く落ちた一個を目ざとい乞食が拾って全速力で逃げていく。店主が怒鳴った頃には、カシはもう市場を抜け出ていた。
バザールから離れると、ビルは少しずつ低くなっていって、最後には砂岩で出来たマッチ箱のような形の民家ばかりになった。真横に、帯の幅くらいの海が見え、そこからちょうど定期宇宙船が飛び立っていく。海面を発着台にして飛び上がる宇宙船は、黒くてずんぐりしていて、どこかクジラを思わせた。尾から海水がキラキラ宝石のように輝きながらこぼれ落ちていく。
民家も途切れがちになったころ、目の前に白い帯にような物が広がった。塩でできた白い砂漠だ。人間がこの星に来るより前に、ミルリクの海の一部が干からびた跡らしい。空気も黄色から白に変わる。
はるか遠く、雪景色のような白い砂漠の向こうに、黒い棒が刺さっているのが見えた。一応大事な荷物を預かっていたカシは、無事にアジトまでたどり着けて少し安心した。
少しずつ高度とスピードを落とす。棒が大きくなって、壁にくっ付いた丸い窓が見える。塔の表面は少し生き物じみていて、カシの胴体ほどもある太さの管がツタのように伸び、真四角の切れ込みがあちこちに入っていた。
「よいしょっと」
カシはジュウタンを降りると、軋むハッチを開けた。ひんやりとした廊下を進み、広い部屋へ出た。
そこは、宇宙船の作戦室だった。壁は光の消えたスクリーンとチューブで埋め尽くされ、扉の両端には、飛行機のエンジンのような換気用ファンが回っている。人が十人は横になれる金属製のテーブルはデータチップやら書類が散らかっていた。本来床に自動で収納されるはずのイスが出っ放しになっている。
「たっだいま。お客様お連れしましたよんボス」
テーブルの後ろに、一人の女性が立っていた。
長い黒い髪を頭のてっぺんで結い上げて、細長い優雅な顔の輪郭を見せている。意志の強そうな金色の目は瞳孔が縦長で小さい。口には真っ赤な口紅が塗られていた。地球人の美的感覚なら、かなりの美人だった。上だけは。丸いなめらかな肩から伸びる腕は、下へ行くほど太くなり、赤いウロコが生えトカゲのような質感になっていった。筋のはっきり浮き出た指からは、長い爪が生えている。肘から手首にかけて、薄布でできた飾りのように小さな翼が生えていた。そのせいで手首につけた重力調整装置が少しキツそうだった。
胸を覆うだけの短い衣からはみ出たほっそりした腹から下は、まるっきり恐竜その物で、ハーピーのドラゴン版、といった所だった。その姿は異形ならではの美しさがあって、人間がようやく火を覚えたころのはるかかなたの昔だったら、きっと神様として崇められていたに違いない。
カシは樽を開けると、まだくうくう寝息を立てているマイニャをそっと樽から抱え上げ、床に寝かせる。
「生きてるのか? もしこれでコイツが死んでいたら、ユルナンに顔向けができないぞ」
「大丈夫。樽の匂いで酔っ払っているだけっスよ。ダイキリが帰ってくるころには目を覚ますでしょ」
カシの予想はドンピシャで当たり、マイニャが体を起こしたのは丁度ダイキリが戻ってきたのとほとんど同じだった。
「あ、頭が痛い。ここは……」
マイニャは額を押さえながら、ふらふらと立ち上がった。
「私の家だ。ユルナンの娘」
覗きこんできた半獣の美女に、マイニャは二、三歩後ずさった。
「あなた、ドラニュエルの民ね」
ミルリクには様々な星の民が住み着いていて、地球の伝説にあるエルフのような耳を持つ者や、巨大な蟻にしか見えない者もいる。けれど、マイニャもドラニュエル人を見たのは初めてだった。
「翼やウロコ目当てに狩られて、ドラニュエルは絶滅したはず。今は立体映像((ホログラム)でしか見る事が出来ないはずなのに」
「宇宙は広い。他の星へ逃げた生き残りが細々と暮らしていても不思議ではないだろう。私の名前はガウランディア。本当の名前はもっと長いんだが、ミルリクの民には発音できないらしいからな」
ガウランディアは部下達の名前をザッと紹介した。
「それで、ガウランディアさん。父のことでお話があると聞きました。私の力が必要だとか」
「なんだ。ダイキリ、説明してこなかったのか?」
「ム…… 時間が無くて」
ダイキリは、まっすぐにマイニャの顔をのぞきこんだ。
「マイニャ」
「は、はい」
「キスしてくれ」
マイニャの拳がダイキリの鼻にクリーンヒットした。ダイキリは思い切り仰け反る。
「さらってきてまでセクハラですかっ! あなた方、いったいどういうつもりですの!」
「あー、悪い、悪い。ダイキリの奴、無口というか、口ベタなんだ。アンタにキスして欲しいのは、ダイキリじゃなくてこいつね」
はいよ、とカシに差し出されたのは、一匹のカエルだった。緑色で、つやつやしているカエルがカシの手の中で暴れまわり、助けを求めるようにマイニャを見つめていた。
マイニャはもう一度拳を握った。
「違う、違う。別にバカにしているのでも、冗談言ってるわけでもない。このカエル、ユルナンから送られてきたんだ」
「お父様から?」
マイニャはちょっと顔をしかめた。
自分の家より先に、滅多に会わないような知り合いに連絡を入れるなんて、順番が違いますわ。そもそも、このカエルを連絡と言っていいかはわからないですけれど。
「ドラゴンがうろつく広い砂漠をどうやって渡ってきたのか、いつの間にかこのアジトに入り込んでたんだ。それが大体一週間前かな? すぐにわかったぜ、コイツは生き物じゃないってな。ハエも食わないし糞もしない。何度追い出してもまた戻ってくる。で、調べてみたんだ」
カシは小さなペンライトを取り出した。スイッチを入れると、青い光の輪がカエルの背中を照らし出した。特種な光に、今まで見えなかったユルナンのサインが白く照らし出される。
「もちろん、行方不明になったユルナンがのんきにペットロボットを送ってくるわけがない。俺は、このカエルに何か仕掛けがあるんだろうと思ったってわけ」
マイニャは、少し恐れるようにカシを見た。
「失礼ですけど、あなた方とお父様はどんな関係がありますの?」
「知り合いだ」
ガウランディアは不機嫌に言った。
「だから、それは分かっていますわ。知りたいのは、どこで出会ったのかとか、どういう共通点があるのかとか……」
「あー、ちょっとちょっと」
カシがマイニャの腕を引っ張って、そっと耳打ちしてくる。
「俺達な、あんまり行儀のよくないお仕事しているのよ。詳しく言えないけど、昔ある物をある場所まで運ぶよう人に頼まれたわけ。だけどひっどい妨害にあってな。困っている所をユルナンに助けられたんだ」
「ウム。大変だった。ガウ嬢は大ケガ、出口は閉鎖。全滅していただろう、ユルナンがいなければ」
ちゃっかり横で聞いていたダイキリがうなずいた。
「でも、ボスは自分がピンチになった時の話、他人にしたくないんだ。あんまり格好いい事じゃねえから」
マイニャはガウランディアの背中を見て、クスッと笑いたくなるのを必死でこらえた。初めて会ったドラニュエルは、おっかない格好をしていても結構かわいいところがあるみたいだ。
「ユルナンが消えたのは、俺らも知っている。もしも彼が面倒に巻き込まれていて、このカエルにSOSが記されてるなら、借りを返すチャンスってわけ」
「それで、このカエルと、私の、そのお、くちづけと、どう関わりがありますの?」
「おいおい、お前さんミルリクに住んででも一応地球人だろ。他の星じゃどうか知らないが、地球じゃカエルの魔法を解くにはお姫様のキスって相場が決まってるだろうが。俺は生粋の地球人だから、すぐにピンときた」
カシは、地球に伝わる昔話をマイニャにしてあげた。悪い魔女の魔法にかけられてカエルになった王子様が、姫のキスで救われる物話を。
王子様と結婚するのにいちいちカエルにキスしないといけないなら、地球のお姫様だけにはなりたくないとマイニャは思った。
「試しに、うちのボスが一度試してしてみたんだが、効果がなくてね。美女なら誰でもいい、てわけじゃないらしい。考えて見りゃ、ユルナンにとってのお姫様は、アンタの母親かアンタ意外にないだろう」
問題のカエルは必死になって前足を伸ばし、カシの頬を押すようにして逃げ出そうともがいている。
「そう言えば、お父様は趣味で色々な星の昔話を集めていましたわ。それにしても、随分カエルに嫌われていませんこと?」
「いや、キスの他にも壁に叩きつけると魔法が解けるっていうパターンもあってね」
ちらっと動いたカシの視線を追うと、マイニャは壁にペタンとくっ付いたカエルの跡を見つけた。
「よう、カエル。過ぎた誤解のことは水に流して、もうちょっと仲良くしようぜ」
カシが愛想笑いをしても、カエルはツーンと顔を背ける。
「かわいそうに。なんだか、お詫びのためだけでもキスをしてあげてもいい気分になりましたわ」
マイニャが顔を近づけると、カエルはピタッと暴れるのをやめた。もぞもぞと動いて、カシの手の平に座り込んだ。
マイニャはひんやりとしたカエルの口にそっとキスをした。
ぶるり、とカエルが体を震わせる。機械が作動する小さな音が聞こえて、カシは急いでカエルをテーブルの上へ置いた。手の中で爆発でもされた日には、一生カエル嫌いになりそうだ。
しばらくして、カエルはぱかっと口を開けた。カジノで大当たりをしたように、ざらざらと銀色の光を吐き出す。金属のテーブルがどしゃぶりの雨でも降っているようにハデな音を立てた。
ドシャブリが小ぶりになって、とうとうやんだ。カエルが小さくゲップをする。
「なんだこれ? 金か? いや、違う。パズルのピースだ。随分アナログなおもちゃだこと」
カシはテーブルの上で山になったカケラの一つを取った。金属で出来たパズルのピースには、絵の変わりに金色の線が走っている。一見、地名の書かれていない地図か、図形を適当に重ねた模様に見える。
残留思念を読み取ろうとするように、ダイキリがくんくんとピースを嗅ぐ。
「匂い、砂、草…… 手がかりになりそうな物はついていないな」
「それにしても懐かしい。昔やったな。こういうのって、角から攻めるのがコツなんだよね」
山になったピースを平らに広げながら、カシは角を探す。
「これをすべてとけば、ユルナンの失踪の原因がわかるのか?」
ガウランディアが尖った爪で器用にピースをつまみ上げた。
「事はそんな単純じゃないようだぜ」
少しもったいぶった言い方でカシが言う。
「角が二つ足りねえ。どうせ他にも抜けてるピースがあるんだろうよ。どれぐらい欠けるか分からないけど、完成しないことは確かだな」
「つまり、残りはどこかに別な場所にあるということだな」
ちょっと考えればわかる事を、ダイキリが重々しく言った。
「おい、ユルナンの娘」
ガウランディアの金色の目ににらまれて、マイニャは体を堅くした。
「お前がここに来たこと、館の誰かに知られたか」
「い、いえ。でも早く帰らないと怪しまれるでしょう。なぜ、そんな事を?」
「分からないか。鈍い女だ。今、お前は危ないのだぞ、ユルナンの娘。自分で思っているより、ずっとな」
ガウランディアはいらだってシッポをばたつかせた。
「生きているか死んでいるかはともかく、ユルナンは厄介な人間に目をつけられたようだな。このパズルが何なのかは分からない。だが、ユルナンはこれがそいつらの手に渡らないようにわざわざカエルの中に隠したんだ」
死んでいるかはともかく。不吉な言葉に、マイニャは震えた。
父が、何か危ない事に巻きこまれているのではないかという予感は、かなり前からあった。けれど、マイニャは気づかないふりをして心の奥底にその考えを沈めていた。死という単語が、それを引きずり上げてしまった感じだった。
「残りを誰が持っているのかは知らないが、そいつがパズルを完成させようと思わんわけがない。探すのはまずユルナンの屋敷だろう。お前のベッド、圧縮クロゼットの中…… 今頃、洋服を片付けるフリをしてメイドがこのパズルをこっそり探しているかも知れないぞ」
「なんてことを!」
マイニャは大きな瞳で精一杯ガウランディアを睨みつけた。
「私の家で働いてくれている皆さんは、みんないい人ばかりですわ! 悪口を言わないで!私をバカにするのと同じ事です!」
ガウランディアはくっくっと笑った。そしてナイフ代わりになりそうな爪を細いマイニャの首筋に突きつける。
「無菌室育ちの、お嬢さん。一番狙われる情報源は、お前だよ。『父親が隠している物をよこせ……』ダイキリが迎えに行かなかったら、今夜あたり夜道で背後からそんなふうに囁かれたかも知れないぞ」
思わずツバを飲んで喉を動かしてしまったけれど、幸い爪は喉に刺さらなかった。
「だが、安心しろ。守ってやる。ユルナンがお前でないと開かない金庫に入れたのも、このためだろう。ユルナンは、今私にこう言っているに違いない。『パズルを取り出せたのなら、目の前に私の娘がいるのだろう。そいつを守ってやってくれ』とな」
「父様……」
マイニャは涙声になっていた。
「本当に、守ってくれますか?」
「私の赤い翼にかけて。お前がこっちの言う事に従うというのであれば」
「でも、どうするんだボス? 敵さんの正体も目的も、ユルナンが消えた事情だって、まだ何一つ分かっちゃいねえんだ。ほっときゃ相手はマイニャにちょっかい出してくるだろうが、いつになるかわからねえ。そんなに長い間、二十四時間お姫様を守る事はできないぞ。敵の居場所がわからないんじゃ、こっちからは仕掛けられないし」
「待つのは、性に合わない。こちらからから日時を指定して襲ってきてもらおう」
ガウランディアはニヤッと笑った。唇の端から牙が覗けばカッコよかっただろうが、残念ながら歯は人間とたいして変わらないようだ。
「攻撃? 相手もわからないのに、どうやって」
カシが一個ピースをはめてみる。パチン、と気持ちのいい音がした。切り口がスッと消えて、合わさった金属は完全に一体化する。
「情けないな、カシ。長い間組んできたボスが何を考えているかもわからないのか」
「嬉しいことに、人の考えを無断で読み取る無礼な超能力は持っていないんで」
「おびき寄せるのだ。マイニャの家にな」
「おびき寄せる? だ.・か・ら、もうちょっとこう、具体的に……」
今まで黙っていたダイキリがスッと立ち上がった。
「分かった。私が化ければいいんだな」
そして、スタスタと部屋を出て行く。
「さすが、ダイキリは有能な部下だ。マイニャ、お前、家に要らない家具はどれだけある?」
「か、家具ですか? 数えたことありませんが、大体十はあるでしょうか?」
こっちもわけの分かっていないマイニャがおどおど答えた。
「だー! 無能な部下で悪かったな。だから何企んでるんだよ、ボス」
「引っ越しをするのさ」
「引越し?」
カシとマイニャが同時につぶやいた。
「フリだけだがな。マイニャは、三日後に引越しをする。家財道具も要らない物は処分を始めた。そう皆に思わせるんだ。敵は必ず動きを見せる。引越しのどさくさで、壷の底に貼り付けたまま忘れたへそくりの宝石や、消し忘れた記憶チップの情報なんかと一緒にパズルのピースが散ってしまうのを、嫌がって」
「つまり、焦った敵が私の館へ侵入するだろうから、そこを待ち伏せするってことですか?」
「そうだ。むこうが罠にかかれば、後をつけるなり発信機をつけるなりすればいい。相手のアジトさえわかればユルナンの居場所も分かるはずだ」
「ちょ、ちょっと、冗談でしょう? 待って下さい!」
「何か不満か?」
「ガウランディアさん。私の家にはたくさん召使がいるんですよ? 彼らを危険にさらすことはできません」
「だったら、いつ来るか分からない襲撃にずっと怯え続けるか? それに部下の安全は自分でなんとかしろ。それはお前の仕事だマイニャ」
「でも……」
鞭のような音を立てて、ガウランディアのシッポが床を打つ。
「『でも』は無しだ。さっき、こっちの言う事を聞くと言ったばかりだろう。ユルナンの恩がなければ、お前など助ける義理はないのだぞ、ユルナンの娘」
マイニャは泣くのをこらえるようにグッと唇を噛締めた。
「はあぁい。お待たせ!」
ぴりぴりとした雰囲気をブチ壊したのは、高い女性の声だった。
「もうちょっと暗くなったら、酒場にでもいって噂を広めてくるわ。マイニャちゃんがお引越しするってね」
自動ドアをくぐって部屋に入ってきたのは、絶世の美女だった。
長い紺色の髪に、まるい顔。イタズラっぽい猫のような目と口元。小麦色の肌のほっそりとした長身を、きらびやかな踊子の衣装で隠している。重力調整装置は腕輪の中に隠してあるようで、どこからどう見ても地球の女性だった。
「あの…… 貴女は一体……」
マイニャの言葉を聞くと、カシがクックと笑い始めた。踊子も、口元を袖で押さえて微笑む。
「あら嫌だ。もう名前を忘れちゃったの? 私よ。ダ・イ・キ・リ」
「え、な、なんですって?」
驚いてそうとう間抜けな顔になっていたのだろう。カシが大笑いを始める。
「アハハハハ。あのな、マイニャ。ダイキリは変装の名人なんだ。今度、コイツの部屋に行ってみな。カツラやら口紅やらで一杯だから」
マイニャはお腹の減ったひなのように口をパクパクした。
「え、だって、変装って、体型が全然違うのに」
ミラルジュの民であるダイキリは、地球人のカシや、他のミルリク人の男よりも細身だったが、それでも女に化けるには体型が違いすぎるはずだ。
「おほほほ。それに関しては企業秘密。まあ、魔法を使ったとでも思ってくださいな。さすがに子供には化けられないけどね」
「演技力もばっちりだろ? こいつ、思い切りなりきるタイプでな。ドラニュエルに化けたときなんか、シロヤライの実を食べようとしやがった。あんときゃ焦ったぜ、慌てて止めた」
シロヤライ。落葉高木。ドラニュエル星原産。ドラニュエルの民には無害だが、地球人、ミラルジュ、他の哺乳類型の民などには猛毒。
「しっかし、いつ見てもきれいだよな。ダイキリの女装は。お前が本当に女だったらと思うぜ」
カシは相棒の肩に肘を置いてよりかかった。
「いやん、ありがとカシ。嬉しいわあ」
カシに投げキスをして、ダイキリはオホホと高笑いした。
「まじめにやれ、ダイキリ。敵はまだ、マイニャに私達の助けがあることを知らないはずだ。そこが狙い目だ。絶対に気づかれるな」
ガウランディアに睨まれて、ダイキリは肩をすくめて見せた。完全に地球人がやる仕草だった。
「はいはい。わかりました。けどねえ、ユルナンがいる場所を突き止めて、失踪の真相を聞いたとして、それがこのお嬢さんのためになるのかしら」
女装をすると口数が多くなるダイキリが、意味ありげにマイニャを盗み見る。
「言っちゃ悪いけれど、ユルナンはイケナイことに手を出して、アブナイ奴に目を付けられたって考えるのが自然だと思うのよ。だって、お天道様に背かない商売していれば、そうそう危ない事に巻き込まれるなんてありませんもの。もしも大好きなお父様が犯罪者だって事がわかったら、お嬢さん、泣いちゃうんじゃないかしら?」
マイニャは唇を噛締めた。
「おいおい。『お天道様』なんてそんな地球の古い言い回し、どこで習ったんだ?」
場を和ませようとしたカシが、軽く言ったけれど効果はあまりなかった。
「まっとうに商売をしていても、妬まれることはありますわ。お父様を侮辱するつもりですの?」
「あらいやだ。命の恩人を侮辱するわけないじゃないの。少し位悪い事しても私的にはユルナンだったら許してあげるわ。私はこれでも一応、お嬢さんのことを思って言っているのよ? それに、はっきり言って私、貴女のことあんまり好きじゃないのよねえ」
別に好かれようと思っていない人からでも、嫌いだとはっきり言われたらいい気はしない。小さくカシが名前を呼んだが、ダイキリの口は止まらなかった。
「だって、『お父さまお父さま~』って言っているわりには自分で探しにいかないんだもの」
ダイキリは口紅のついた唇を尖らして、カツラの長い髪をつまらなそうに指に絡ませた。
「私がどうやってお父様を探しにいけますの! だって私は……」
「非力でカワイイお嬢様だから?」
かわいいかどうかはともかく、言いづらくて口に出せなかったことばを言い当てられて、マイニャの胸がズキッと痛んだ。
くやしいけれど、ダイキリの言葉は正しい。小さい頃から、周りの事はナルドがやってくれた。館から一歩出たら、地図の読み方も分からない。昔ながらの鉄と紙のお金を使って買い物もできない。何も出来ない、お嬢様マイニャ。
この歳でも、知らない街に放り出されたらきっとどうしたらいいかわからないままの野垂れ死ぬだろう。
「私が、どうすればお父様を探し出せるというの?」
「ほ~らね、やっぱり。しばらくヤな事から目をつぶってれば誰かなんとかしてくれるだろ、って考えが透けて見えるから、私はアンタが嫌いなのよ」
フウッとダイキリは溜息をついた。
「じゃ、行ってくるわん、ボス」
ペロッと舌を出して、ダイキリは廊下へ出ていった。自動扉がピシャンとしまって、ダイキリの背中が消える。
「あー、何だかすまんね。アイツ、変装しなきゃ無口なんだけどな」
カシが、ジュースをつぎたしてくれた。
「あいつ、デリカシーがないんだよ。父親がいなくなって寂しい思いをしている女の子の気持ちなんて、分からないのさ」
「ふむ。私も分からんな。ドラニュエルは五才になったら自立するから。親がいなくても、その年齢になったら狩ができる。私など、十二才になったとき両親にばったりあったんだが、あまりに久しぶりだったもので最初誰かわからなかった」
「うん、ボスの場合は生まれた環境が特殊だから、あんまり参考にならないんじゃないかな」
ガウランディアは「ふうん?」というようにシッポを揺らした。
「まあ、変装したダイキリがうるさいのは私も認める」
ガウランディアは、そこで少し声を低くした。
「だが、素のときも女になったときも、奴は嘘を言わないぞ」
ぐっとマイニャはガウランディアをにらみつけた。けれど、その視線はウロコの生えた翼に跳ね返されてしまったようで、ガウランディアは表情を変えなかった。
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