Arabian Nights Craze~狂乱千夜一夜~

三塚章

第1話 憂える姫君

 ハスの花が浮かぶ人工の池に白い小さな爪先を浸したまま、マイニャはあお向けに寝転がった。強化ガラスの天井越しに見える空は、『あなたが不安で悲しいからといって、こっちまで付き合う義理はないのです』とばかりに晴れ渡っている。

マイニャは、ガラスの天井に映る自分の姿を、まるで他人みたいにぼんやりと眺めていた。

淡い黄色のワンピースから伸びる手足は、少し細め。体も細めで、胸にジャラジャラかけた金のネックレスに押しつぶされてしまいそうだった。腰まである長い金髪は、扇のように床の上に広がっている。砂岩でできた床は、どんなに召使い達が掃除をしてくれてもいつも細かい砂が残っていて、こんな風に寝転がったら背中が汚れてしまうのはわかっていたけれど、マイニャはどうしてもしばらくこうしてぼんやりしていたかったのだ。水が揺れる微かな音と、ハスの香りに包まれたこの場所で。

 天井に映るマイニャの姿に見えない線を引くようにして、黒銀色の宇宙船が文字通り空を貫きながら消えていった。

 惑星ミルリク。それがマイニャの住んでいる星だった。地球人が地球から離れ、新しい星やそこに住む人々を発見した『宇宙開拓時代』も終って数百年。昔の金持ちがアパートを建てて住民から金を取るように、今の金持ちは惑星一つを買ってそこに住む者達から税金をもらって暮らしていた。マイニャも、ジェイソという若者が持っている惑星に住んでいる一員だった。

戸口に気配を感じ、そのせいでマイニャの意識はちょっとだけ現実世界に戻ってきた。

「お嬢様。ここにいらっしゃいましたか」

 キビキビとした靴音で、静かな雰囲気を蹴散らすようにして、召使のナルドが中庭に入ってきた。

 オールバックの銀髪に、赤味の強い肌。きちんとしたスーツを着ている。ただ、額には小指ぐらいの角が生えていた。ナルドは家族に仕送りするため、ミルリクまで出稼ぎに来たコスウェン星人なのだ。

「できるだけ、ここには入らぬように言っていたはずです。館の中で、ここだけ監視カメラがないのですから」

 だからこそ、ここが好きなのよ、といいかけた言葉を慌てて飲み込んだ。そんなことを言った日には、またお小言だ。

 マイニャは、体を起こした。

「ねえ、ナルド。お父様の居場所はわかりませんの?」

「ええ」

 ナルドは、悪魔を思わせる細いシッポを右足にクルッと巻きつけた。コスウェン星の民が困った時にやる仕草だ。

「こんなに探しているのに、三年も見つからないなんて……」

 マイニャの父親、ユルナンは、船の技術者をしていた。ところが、『仕事で他の星へ行く』と出て行ったきり、もう三年間も音沙汰がない。父親が行っていそうな仕事関係のところにも連絡はないという。

 たくさんいる王族や、燃料会社の商人には比べられないけれど、父は宇宙船の修理工場も持っていて、その気になれば次の代まで遊んで暮らせるだけの貯えを一代で造っていた。誘拐される条件としては十分だけれど、脅迫状の類の物は送られてきていない。ミルリクの警察にも連絡したけれど、手がかりは見つからなかった。

 ということは、お父様はまだ仕事をしているのだ。マイニャはそう思い込んでいた。というか、そう思い込もうとしていた。だって、そうじゃないと困るから。

「お父様、手紙の一つも書けない状態なのかしら。いつ帰ってくるのでしょう……」

「お嬢様」

 恐る恐る、ナルドが声をかけてきた。ズボンにシワがつくほどきつく、シッポが太ももに巻きつけられている。

「こんなことはあまり言いたくないのですが…… もう少し、会社の方に気を向けてください」

「会社のことは、副社長に任せてあるでしょう? それに、お父様が帰ってきたときに私が経営に口出ししていたら、怒られてしまいますわ」

「もし、もしもですよ。ユルナン様が、あなたのお父様がお戻りにならなかったら、この会社を継ぐのは……」

 バシャッと水をかけられて、ナルドは言葉を途中で切った。マイニャは白い手にハスの葉のカケラをつけたまま、ナルドを睨みつけた。緑色の目が涙で潤んでいる。

「出てって!」

 でも、お嬢様。ナルドの心の声が、マイニャには聞こえる気がした。

 いつまでも、そうやっていらっしゃるわけには行きませんよ。そろそろ、現実をお認めにならなければ。あなたが考えるしかないのですよ。もしも、ユルナン様の身に何かがあったのだとしたら……

「もうしばらく、一人でいたいの」

一つ礼をして、ユルナンは命令に従った。

 一人になったマイニャは、湧いてきた涙を手の甲で拭った。大きく溜息をつく。だから、この庭が好きなのだ。こうやって泣いても、誰にもばれたりしないから。

 マイニャはまた横になった。

 冷たい水が、足を冷やす。眠たそうな水の音に、泡の弾けるプチプチいう音が混じる。泡か、魚が触ったのだろう、爪先が少しくすぐったくて、すぐに足を上げた。

泡の弾ける音は少しずつ感覚が短くなっていった。

それが明らかに自然の現象ではないのに気がついて、マイニャは慌てて池から離れた。

 水面は、池が沸き立ったように荒れた。ハスの花が沈没間近の船のように揺れる。

「な、な、な」

 水柱を従えて、白い獣が天井を割りそうな勢いで飛び出して来た。吹き上がった水が落ちてきて、スコールのように降り注ぐ。

 マイニャの前にひざまずくように着地した獣の正体は、若い男だった。細い首に張り付く、濡れた紺色の髪。上半身は裸で、下はダブッとした黒い革のズボン。細身の体は、女性よりも真っ白だ。手首に重力調整リングをはめているし、あの肌の色。きっとミラルジュ星の民だ、とマイニャの冷静な部分が分析した。

男が顔を上げた。マイニャより二つは上だろうか。トラぐらいなら睨みつけただけで追い払えそうな鋭い目が、マイニャを見つめる。

 マイニャは、なるべく中庭には行かないようにというナルドの忠告の意味が、今始めて分かった気がした。なるほど。こういう事があるからいけないのね。

 そうだ。とにかく悲鳴を上げるなり、走って逃げるなりしないと。堂々と玄関を通ってこなかったのだから、悪い人に違いない。口を開けてみたけれど、悲鳴は喉で詰まってしまった。

 しゃがみこんだまま、男は手を伸ばした。マイニャはビクッと体を堅くする。

 意外と細い指先は、マイニャの足首の横を通りすぎた。そして、水と一緒に跳ね上げられて床で暴れる魚の尻尾をぎゅっとつかんだ。男は、バタバタ暴れる魚をそっと池に戻す。床にはまだ何匹か魚が跳ねていて、男はひょいひょいと救出を続けた。

(い、いえ、意外にいい人かも知れないわ)

「マイニャ?」

 謎の侵入者は、最後の魚を助けてやりながら聞いてきた。一度歌を聴いて見たいような、低くいい声だった。

「は、はい」

 反射的に答えてしまってから、ちょっと後悔する。

(こういう場合、人違いとかなんとか言うべきなのかしら)

「ユルナンを探す手伝いをしてもらいたい」

 銀河共通語。これなら分かる。マイニャはホッとした。相手が共通語を理解するなら、こっちが命乞いしたときは通じるだろう。

「あ、あなたは……? なぜ、父の名前を」

 情けない事に、声が裏返っていた。

「名前はダイキリ。外にいる仲間が、ユルナンを探している。手がかりはあるが、お前の助けが必要だ。ついて来い」

 そう言えば、この中庭の池は屋敷の外の河に通じていることをマイニャは思いだした。この侵入者は取水口から入って来たに違いない。ひょっとしたら、彼の仲間が河の傍で待っていても不思議ではない。

「手がかり? お父様がどこにいるか、わかりますの?」

 お前の助けが必要だ、とこの人は言った。出来る限りのことをしたら、父を探す手伝いをしてくれるのだろうか?

(でも、この人が悪人だったら? これが罠だったら?)

 一瞬、大声で助けを呼ぼうかとも考えた。そうすればナルド達が助けに来てくれるだろう。そして、争いになる。ナルド達かこの男性、どちらかが死ぬかも知れない。ナルド達はもちろん、マイニャはどういうわけか目の前の人にも死んでほしくなかった。

 池では、命拾いした魚がのんきに泳いでいた。マイニャはその魚が何回ヒレを動かすかに全財産賭けてでもいるように、しばらく見つめていた。

(魚を無駄に殺さない人が、私を酷いめに合わせるわけはないわ。けど、やっぱり罠だったら……)

 あまり黙っているので、自分の言葉が通じなかったと勘違いしたのだろう。ダイキリが英語でもう一度ここに来たわけを繰り返し始めた頃、ようやくマイニャは口を開いた。

「でも、ナルドが許してくれないわ。得体の知、いえ、初めてあった方についていくなんて」

「俺が使った道を使えばいい。そうすればナイショで出られる」

「河まで泳げっていうことですの? でも、私、泳げませんわ」

 ダイキリは、池に手を突っ込んで何か丸い物を引き上げた。それは、大きな樽だった。浮かばないように入れてあったのだろう、中に入っていた水を捨て空にすると、マイニャの前にそれをトンと置いた。そして、ポケットからなにやら小さな缶を取り出す。恐ろしいことに、パテのようだった。

「ひょっとして、この中に入れって? そうすれば貴方が外までこの樽を引っ張ってくれるの?」

 ダイキリはコクッと頷いた。

「でも、乗り心地悪そうなんだけど……」

「嫌ならいい。無理やり押し込むだけだ」

 ダイキリの目は、とても冗談を言っているようには見えなかった。

「うう、信じるも信じないも、私に選択権はないようですわね」

 そろそろとマイニャは樽の中に足を入れた。なんだか、棺おけに入ろうとしているみたいだ、と思いながら。

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