第94話 遺失異物
「おう、お前もこの店か」
「はぁ、久々にココの親子丼、食べたくなって」
会社から少し離れた蕎麦屋に入ろうとしたところで、
同僚ではあるものの、それほど交流のない二年先輩の社員だ。
とはいえ、この後で別々の席に座るほど険悪な関係でもない。
二人差し向かいでテーブル席に座り、俺は親子丼、坪田は肉そばを注文。
料理が届くのを待ちながらの雑談は、先日の連休に何をしていたかの話になった。
「日帰りで小旅行、ですか」
「まぁ、旅行っていうか……近場の地味な観光地を散歩する、みたいな」
「なるほど、お散歩デート的なアレですね」
そう返すと、坪田の眉間にちょっとシワが寄る。
どうやらハズレを引いてしまったらしい。
「オレ一人だよ」
「ああ、流行ってるみたいですね、ソロサン」
「ソロキャンっぽく言うな。観光地っても、メインのコースから外れた、住宅街と混ざってるような地域を歩くのが好きなんでな……誰かを誘いづらいんだよ」
「へぇ……それは確かに、人を選びそうな気が」
面白そうですね、などとウッカリ言うと誘われかねないので、冷淡にならない程度のリアクションをしておく。
坪田は、観光スポットを外した散歩の魅力を語ってくれるのだが、もうひとつ俺のハートには届いてくれない。
適当に相槌を打っていると、連休に行ってきた街での出来事へと話題が移った。
「知らない街を歩くのは、どの道を選ぶかで悩んだり、進んだ先で迷子になるのも、それはそれで楽しいモンなんだよ。意外な場所で変な店を見つけたりとか、名所にしようとして失敗したっぽい珍スポットに遭遇するとか、そういうのもあるしな」
なのに、前回の散歩ではまったく迷わなかったらしい。
スマホを見ながら歩いていたとか、そういうことでもない。
現地では気がつかなかったが、後になって思い返してみると、途中でどこかに立ち寄ることもなければ、分かれ道でも何も考えずに行き先を即決していた。
いつもだったら、絶対にするはずのない歩き方だ、と坪田は言う。
「初めて行った、全然知らん街だったんだけど……何かそうするのが当然って感じで、スイスイと歩けててな……それで、妙な場所に辿り着いた」
そこはアップダウンの激しい、入り組んだ狭い路地の突き当たりだった。
公園と呼ぶには何もない、高い壁に囲まれた中途半端な広さのスペース。
白っぽい砂利が敷いてあるが、隙間からは雑草が伸び放題になっている。
ライムグリーン色の木製ベンチは、ペンキを塗り替えたばかりに見えた。
黒ずんだコンクリの壁の一つには、プラスチックの看板が錆びたボルトで留めてある。
元は赤字で何か書いてあったようだが、
壁の向こうからは、水の流れる音と硬い物を削っている音が、混ざり合って聞こえた。
音の
「色々と気になるけど、雰囲気がおかしいし、サッサと出てこうとしたんだわ。そんで、引き返す前に振り返ったら……何かある。さっきまで何もなかった、ベンチの上に」
近くに寄って確かめると、茶色い封筒と
B5サイズくらいの封筒は、全体的に表面が
おせち料理でも入っていそうな箱は、
いつの間に、こんなものが。
首を傾げながら、黒い箱に手を伸ばす。
持ち上げてみると、予想を遥かに超えて重たい。
とぷん、ちゃぷん――と、内部で液体が揺れる音がした。
イヤな予感はビンビンするものの、このままスルーするのも気持ち悪い。
「だから、開けてみたんだよ、フタを。そしたら――」
「お待たせしました、こちら肉そばと親子ね」
料理を運んできた店員の登場で、変なタイミングで話が中断される。
あからさまに不機嫌になる坪田をフォローして、話の続きを促した。
「あ、親子丼こっちで……それで先輩、箱の中には何が?」
「いや、何も」
「え? だって、液体っぽい音が」
「そうなんだよ。それに、重たかったのに……開けたらカラだった。そんで、スーパーの
意味が、わからなかった。
気のせいだったんじゃないですか、と笑い飛ばしたい。
だけど説明している坪田の表情は、自分の遭遇した現象に本気で困惑している様子なので、適当に流してしまうのも違う気がする。
「……どういうこと、ですか」
「そう訊きたいのはコッチだよ。何だそりゃ、と思ってフタの方を確認したり、足元を確認したりで、中身を探したんだけど、消えちまってる」
「それは何というか……何ですかね。メッチャ
「外気に触れたら一瞬で消滅するレベルかよ。そもそも、箱にそんな密閉性はなさそうだったし、マジでワケわからん」
そう言って頭を振ると、坪田は箸を割って肉そばを啜り始める。
俺も親子丼に手をつけるが、坪田の話が気になって味の情報が舌に残らない。
このまま話が終わっても無駄なモヤモヤを抱えそうなので、更に突っ込んで話を引き出そうと試みた。
「箱はカラッポだったとして、封筒の方には何が?」
「あー、それなんだけどな……見た感じで結構な厚みがあったんで、もしかしたらとは思ったんだけど、もしかしたんだ」
「ひょっとして、ゲンのナマですか」
「正解だ。昔の、あの聖徳太子の一万円札が、何十枚も」
使い古されて皺くちゃだったけど、五十万以上は入っていた、と断言する坪田。
声を潜めている相手に合わせて、こちらも小声で応対する。
「ちょっとしたボーナスゲットじゃないですか。ここは先輩の奢りですよね? 追加でドンペリ頼んでいいですか?」
「そんなんメニューにねぇし、オレがネコババしてる前提で話を進めんな。封筒は、ちゃんと警察に届けたよ」
「ああ、封筒だけを」
「中身ごとだよ! ぶっちゃけ、さ……普通じゃないだろ、そんな金」
確かに、シチュエーション的に「落し物」や「忘れ物」の雰囲気は薄い。
封筒が単体ならまだしも、変な箱とセットで置いてあったのでは、何らかの意図を感じてしまう。
いっそ関わりにならないように、放置してしまった方がよかったのでは。
そんな疑問を呈すると、坪田はちょっと気まずそうに目を逸らしながら言う。
「だけど、五十万とか六十万とか、そんな大金を放っておけるか? 警察に届けといて、落としたヤツが何ヶ月か現れなかったら、全部貰えるんだぜ?」
「それはまぁ、そうかもですね」
「だから、封筒ごと持って行ったんだけどさ……何か、妙なことになって」
散歩の途中で見かけた交番に坪田が封筒を届けると、対応に出た警官の様子がどうにもおかしい。
どこでコレを見つけたのか、どういう目的でこの辺りに来たのか――そういう質問を何度も何度も繰り返してきた。
あまりに
徐々に不穏な気配が濃くなる中、首を傾げた警官が封筒を指差しながら言う。
『あなた、この中身……見たんですよね?』
『えっ? あ、ええ。何か、一杯入ってましたけど』
そう答えた坪田を、警官は無言でジッと見つめてきた。
「その目がホント、気持ち悪い感じでさ。サッサと書類にサインして、出て行こうとしたんだけど……どうにも、その警官の態度が気になる」
「まぁ、聞いてる限りでも、何か変なのは確かですけど」
「だから、最後に念を押しといたんだよ。持ち主が出てこなければ、コレは貰えるんですよね、って。そしたら……」
『お渡しするのは、難しいかと思います』
無表情の警官は、サラッとそんなことを告げてきた。
落とし主が現れなければ全部、現れても二割までは貰えるハズなのに、コイツは何を言ってるのか。
もしかして、警官のくせにネコババしようと企んでるのか、と坪田は疑った。
「だから、こういう場合の権利はこうなってる、とオレが無知じゃないのをアピールしたんだけど、警官はメッチャ塩対応なんだわ」
「そのポリスも、中々にハートが強いですね。ネットなんかに書かれたら、大問題になりそうな気がしますが」
「だよなぁ。だから、オレに権利があるハズだって、ちょっと強めに言ったんだよ。したら警官が、
こういう感じで、と言いながら坪田が手首を返すジェスチャーを見せる。
「旧札がブワッとバラ撒かれたワケですか」
「いや、それが……違ってたんだ」
「は? 違うって、どういう意味です?」
「中から出てきたのは、金じゃなかった。オレが見た時には、絶対に万札だったのに」
机の上に広げられたのは、大量の写真だった。
白黒とカラーが混ざっていたが、パッと見どれも古い印象だ。
それらを見た瞬間に、警官の不可解な態度も腑に落ちる。
坪田はそう語ると、目の前の肉そばをカラにして箸を置いた。
「どれもこれもヤバくて、持ってるだけで何らかの罪に問われるレベル」
「えっと……それはエロ方面ですか、グロ方面ですか」
「どう言ったらいいか……ああ、実際に見てもらうかな」
「でも警察に預けたまま、ですよね?」
俺の言葉に
四隅の軽く丸まった、古びた写真が裏向きでテーブルの上に置かれる。
それに目を落として、変な笑顔で固まった坪田の表情を窺い、再び写真に視線を注ぐ。
「パクッてたんですか」
「いや、何故かポケットに入ってたんだよ、一枚だけ」
「これ……見てもいいんですかね」
「いいけど、自己責任でな。ちょっと、トイレ行ってくる」
坪田の背中を見送り、また写真の裏側を見つめる。
元は白かったであろう印画紙は、全体が薄茶色に変色していた。
手を伸ばして触れると、そのまま指先が沈んでいくような感覚に囚われる。
「んんっ?」
強烈な違和感に、慌てて写真から手を離す。
これは絶対、見ない方がいい。
そう確信したハズなのだが、写真はいつの間にか表向きに――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます