第95話 ねごと
「姉ちゃんさぁ……夜中はもうちょい静かにしてくれよ」
「んー? 夜遅くなったら弾いてないっしょ」
「いや、そっちじゃなくて。電話だかチャットだか知らんけど、喋ったり笑ったりがマジうっさい。マジふざけんな」
夕方、学校から帰って洗面所に向かうと、キレ気味の弟にいきなり絡まれた。
しかしながら、こちらとしては首を傾げるばかりだ。
てっきり最近になって始めたギターへの苦情かと思ったら、心当たりのない内容でキレられて困惑するしかない。
壁は薄いし、隣の部屋だから、うるさくしていれば迷惑なのはわかるのだが。
「そう言われてもなぁ……夜中に通話なんて、してないんだけど。昨日の話?」
「昨日だけじゃなくて、最近は殆ど毎日だろ。三時とか四時とか、変な時間に起こされるんでマジでウザいんだわ」
「いやいやいや、そんな時間は私もガッツリ寝てるって」
「はぁ? じゃあ、何だってんだよ」
そんなのコッチが訊きたいわ――と反論したい気分だが、その流れだと喧嘩になるのは十数年の経験で身に沁みている。
元からあまり良好といえない姉弟仲は、弟の高校受験が近付いてから更に悪化気味だ。
なので一歩引くことにして、原因としてありそうなものを挙げてみた。
「裏の
「年寄りは寝てる時間だろ……それに、音は外からじゃなくて、姉ちゃんの部屋から響いてんだっての」
「えぇ……ホントにわかんないんだけど」
「じゃあアレか、寝言か? とにかくさぁ、何とかしてくれよな!」
言うだけ言って、弟はドスドスと荒い足取りでリビングの方へと去っていく。
何とかしろ、と言われても自覚もまるでない状態だし、どうすればいいのやら。
イビキなら色々と対処法があるが、寝言にそういうのはあるんだろうか。
寝起きからテンションを下げながら歯を磨いていると、不意に閃くものがあった。
「あ、いいのがあるじゃん」
先月、リサイクルショップでギターとアンプを買った時、店員が小型レコーダーをオマケにくれたのを思い出した。
演奏を録音して確認するのに便利だと言われたのだが、まだそういうことをやるレベルに達していないので未使用のままだ。
「ふんふん……スイッチを入れとくと、音に反応して自動的に録音が始まるのか」
自分の部屋へと戻り、説明書を斜め読みしながら、レコーダーの機能を確認していく。
フル充電すれば連続十時間くらい作動するようだし、中々に高性能のようだ。
こんなのをタダでくれるとは、あの店員も中々に気前がいい。
試しに電源をオンにしてギターを鳴らすと、LEDがチカチカ点滅して録音中だと報せてくる。
「お、ちゃんと動くね」
小声で呟いても、レコーダーはキッチリと反応している。
この感度だったら多分、弟の苦情の正体も確かめられるだろう。
どんな風に聞こえるのか、録音したものを再生してみる。
『みょわわぁんわわわゎわわゎわわゎわわわわゎわわわぁんわわわわゎ――』
「はぅわっ!」
小さいスピーカーから出たとは思えない、大ボリュームの不協和音が弾けた。
慌ててスイッチを切るが、まだ耳がキーンとなっている。
大量のセミを
いや、セミにしては重い印象というか機械的というか、とにかく普通じゃない。
「えぇ……壊れてんのかな」
適当にボタンを押してみると、ディスプレイに表示された数字が、016から017に変わった。
もしかすると今のは、前の持ち主が録音してたヤツか。
何を録音したのかは気になるが、音量を下げて別のファイルを再生する。
『そんなこといわれてもさこっちもこまるんだよこまるんだってのわかるでしょわかれよなぁんでわかんないのかななんでわかんないのかなねぇねぇどうしてなのなんかいいえばいいのこまるんだってこまってるんだってこっちはさほらほらほらほらわかってよねぇわかってっていってるのわかんないのかなだからこまってんのこまっ――』
「うぁあ、何これっ」
気分が悪くなってきたので、またスイッチを切る。
早口の棒読みで延々と、愚痴なのか何なのかわからない言葉が続く。
淡々と語っている、年齢不詳な女性の低い声だが、その調子には怒りが滲んでいた。
怒りでなければ
前の持ち主は、どういう用途でこのレコーダーを使っていたのだろうか。
「まぁ、録音と再生は大丈夫……なのかな」
残っていた変な音は後で消すとして、とりあえず充電することにした。
そして寝る前に枕元に置いた――が、もしイビキや寝息に反応するようだと困るので、少し離れた机の上に移動させる。
今回が空振りでも、二日か三日続けてみれば、きっと音の正体もわかるはず。
明かりを消して布団に潜り込むが、弟が言うような妙な声は聞こえない。
「やっぱり私の寝言、だったりね」
自分の寝言を聞くのは、ちょっと恥ずかしいような、変な感じだ。
夢の中で会話でもしているのか、それとも意味のないことを口走っているのか。
色々と想像を巡らせている内に意識が薄れ、次の瞬間には目覚まし時計のアラームが鳴り響いていた。
鳴らしたままレコーダーを確認すると、ちゃんと録音中の反応を見せている。
時間もないし、確認するのは帰ってからでいいかな。
そう考えながらアラームを止め、いつものように支度を済ませて学校へと向かう。
これといって何事もない時間を過ごして帰宅し、いよいよ昨夜の録音を確認してみようとするが――
「ありゃ、充電が切れてる」
スイッチを切り忘れていたようで、バッテリーがカラになっていた。
充電しながらの録音や再生は出来ないが、PCにつなげばファイルは再生できる、と説明書には書いてあったはず。
USB端子をノートPCに挿してみると。問題なく読み取ってくれた。
そして録音データらしい『REC』というフォルダを開くと、予期せぬものを見せられるハメに。
「えぇ……何なの、この数は」
レコーダーの中には大量のファイルが収納されていた。
001から始まって、128までのタイトル名が並んでいる。
カーソルを合わせて内容を確認してみると、001は二週間前の木曜の午後四時過ぎ、128は今から二十分前だ。
なるほど、と流しそうになった直後、莫大な違和感が膨らむ。
どうして二十分前――誰もいないはずの時間に録音が。
それに二週間前なんて、このレコーダーの存在すら忘れてたのに。
消した方がいい気もするが、何が入っているのかは気になる。
しばらく迷った末に、私は001のファイルをクリックしていた。
流れてきたのは、
二十秒ほど続いてから、プツッと切れて終わった。
次に002を再生してみれば、今度は「シャーッ、シャッシャッ、シャーッ」と何かを擦っているみたいな音が十秒くらい繰り返され、唐突に終わる。
録音された日時は、二週間前の午後の九時前――この日、私は何をやってたっけか。
嫌な緊張感に囚われながら、数秒から数十秒のファイルを次々に再生していく。
玉砂利の上を歩いているような音、高い場所から液体を少しずつ零している感じの音、犬みたいな小刻みの呼吸音、壁にボールをぶつけているような音。
どれも音としては奇妙じゃないけど、この部屋で録音されているのは完全におかしい。
家族の誰かを呼んで、一緒に聞いてもらった方がいい、かもしれない。
そんな気はしたが、まずは自分が大体の内容を把握しておくべきだろう。
脈が速くなり、胃が重たくなるのを感じながら、飛ばし飛ばしにファイルを開く。
059――八日前の深夜の三時に、「ピン、ピッ、ピピン、ピッ」とギターの弦を指で
075――六日前の明け方四時頃、「はい……はい、それは勿論……ですから、その件は……はい、そうなります」と、電話で仕事の話をしているような、女の小声。
098――三日前の午後一時前、「タタタタッ、タタタタタタッ」と、小動物が床を走り回っているような音。
どれもこれも、まったく覚えがない。
ギターだけは自分がいじっていてもおかしくないが、確実に寝ている時間だ。
弟が文句を言ってきた、一昨日の夜中の録音もあった。
その122のファイルを再生してみると、「ふふっ……んふっ、ふっ……ふひっ」と、笑いを
「これなら、私だと思っても仕方ないかもしれない、けど……誰? っていうか、何?」
自分が寝ている間に、この部屋にいて笑っていた『何か』に対して、どうにもならない嫌悪と恐怖が込み上げてくる。
昨夜も、それはこの部屋にいたのかもしれない。
もうイヤだ、これ以上はダメだ、と思いながらも指は半自動的にファイルを開く。
127――作成日時は今日の午前三時四十七分で、録音時間は四十秒。
『――――――――――――――――――――――――――――――』
少しだけ起伏のあるノイズが、淡々と流れて終わった。
拍子抜けの気分だが、何となく違和感が拭えない。
なのでもう一度、今度は音量をマックスにして再生する。
すると、耳障りなノイズに混ざりながら、人の声も聞こえてきた。
『いいなぁ……うん、いいよ、いい……いいよなぁ、このこ。これやっぱりさぁ、うん、うん……いいよ、すごくいい、いいね……うん、うん、いいんだよ、このこ。いいなぁ……だからさぁ、このこを』
そこでプツッと、録音が終わった。
褒められている「このこ」とは「この子」――たぶん、私のことだろう。
私がどうしたというのか。
いいから、どうするのか。
背後からの視線を感じるんだけど、振り返っても大丈夫だろうか。
最新の128は聴いてみるべきなのか、それとも――
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