第90話 きれいなダイやん
「しっかし、久々だなぁ。中学卒業して以来? 成人式の後、飲んだっけ?」
「いや、その時は別のグループだったな、たぶん。けどその次の年にあった、
「あー、だったか。あったなぁ、やたら人が来たカバさんの飲み会! まぁ何にしても、超久々ってことには違いないわな、なぁ!」
テンション高めに言いながら、十数年ぶりに再会した元同級生のリョウ――
シミの目立つ顔とガサガサの唇、地肌が透けて生え際が後退した頭。
三十代も半ばを過ぎて、もう若くはないとの自覚は俺にもある。
あるのだが――それにしたって、今のリョウは実年齢より十歳以上も老けて見えだ。
着ている服のヨレ具合も加わって、どうにもこうにも疲れ果てたキッツい印象だ。
「しかし、こんだけ久々なのに、よく俺ってわかったな」
「いやー、だって全然変わってねぇし! レンちゃん若いよなぁ、マジで。オレもワリと若いって言われるけど、そっちはもっとじゃん」
リアクションに困る発言を放ちつつ、リョウはジョッキをカラにする。
正月休みで地元に戻って、初詣でもしようと近所のデカめな神社に行ってみたら、偶然居合わせたリョウに声を掛けられたのが一時間ほど前のこと。
折角だから飲もうと誘われ、チェーンの居酒屋でこうして差し向かいになっている。
俺は主に、ここ十数年の出来事と、今やっている仕事の話。
リョウの方は、地元の有名人や、小中の同級生たちの近況。
そんな会話を
「なぁなぁ、ダイやんのこと、覚えてるか?」
「ん? ダイやん、っていうと……お前と仲が良かった、あの」
「その、オレらと小学校が一緒だった
「そういや、中学から別だったな。ダイやんがどうしたんだ」
「いや……何つうか、変なこと訊くけどさ……ダイやんって、ホントにいたよな?」
たっぷりの溜めの後にリョウから出てきた問いは、コチラを困惑させるのに十分な意味不明さだった。
「もう酔っ払ってんのか? 良くも悪くもあんだけ目立ってたヤツが実在してない、とかどんなカラクリだよ。つうか、お前が大体いつも一緒だったろ」
「あぁ、そうだよな……うん、そりゃそうだ。変なこと言ってるわ、オレ」
良くも悪くも、と言ったが記憶に残っているダイやんは九割方が悪目立ちだ。
運動神経と
だから女子人気は高かったが、男子からの人気は微妙というか、友人と呼べるくらい仲が良かったのはリョウくらいだった。
別にダイやんの人気に皆が嫉妬したとか、そういう理由じゃない。
今になって改めて思い返しても、アレは手に負えないクソガキだ。
すぐキレるリョウも大概だが、ダイやんの厄介さは桁違いだった。
教師の言うことは基本無視で、サボりは常習的だし授業の妨害も日常茶飯事。
低学年時代から「イタズラ」という名の犯罪行為と「ヤンチャ」という名の迷惑行為を連発し、やがて万引きを「
遊びに行った先でも平然とカネやモノを盗むので、五年になる頃にはダイやんを家に呼ぶヤツは殆どいなくなる。
貧乏が原因で万引きや窃盗をしているなら、許せはしないが気持ちはわかる。
レアなポケモンカードの恨みは忘れないが、多少の同情はしてやらなくもない。
しかしダイやんは貧乏なワケでもないのに、単なる遊び感覚で店から商品を持ち去り、騒動が起きるのを期待してクラスメイトから盗んでいた。
あのまま成長すれば、今頃は前科二十犯くらいは堅いだろうが――
「ダイやんっていえば……六年の夏休み明けからだったと思うけど、唐突にキャラ変わってなかったか?」
フと思い出したことを口にすると、リョウがぐにょっと崩れた変な表情になる。
驚いているようにも、泣き出しそうにも見えるが、どんな感情なんだコレは。
「それ! それな!」
「は? どれ?」
「ダイやんが急におかしくなって、しばらくしたら学校来なくなっただろ」
「あー……そう、だっけ」
言われてみれば、卒業式にも卒業アルバムにもダイやんの姿はなかった気がする。
更に記憶を掘り返していくと、二学期の後半から学校を休みがちになって、冬休みの間に引っ越したような覚えが微かに。
そうだ、「仲間はずれを作るな」と担任に言われ、面倒なのにクラス全員に出した年賀状、ダイやんの分だけ宛先不明で戻ってきたんだ。
「そんでさ、いきなりダイやんがいなくなったのに、みんな殆ど気にしてない感じだし、オレから話題に出したら妙な空気になるし。そんで中学になったら、あいつの名前を出すのが完全にタブーみたいになってたじゃん」
「確かに、そんな雰囲気あったかもな」
同意の
クラスの塩対応は、ダイやんの普段の所業からして当たり前だろう。
というか、リョウや教師がいない状況では、普通に祝賀ムード全開でネタにしていた。
一部の女子は悲しんでいたようだが、そんな態度も卒業が近づく
中学でタブー扱いになっていたのは、ヤクザと関わりがあると噂される先輩が「中道だけは絶対ぶっ殺す」と公言していたからだ。
リョウの幼馴染だった蒲山先輩が間に入って
何をやらかしたのか知らないが、あのままだと相当なトラブルに発展したと思われる。
「最近は一緒に遊んでた頃の記憶も薄れてくるしで、ホントはダイやんなんていなかったんじゃ……みたいな、グチャグチャした感じになってきてよ」
「なるほどなぁ。けど俺も覚えてるから、実在してたのは間違いないぞ」
「覚えてる、っていやさぁ……何つうか、ホントにあったのかどうか怪しい、ダイやんガラミの記憶があんだけど」
「へぇ、どんなの」
語りたそうなリョウを軽く
※※※
夏休みが始まる数日前。
給食後の昼休み、リョウとダイやんは教頭先生に呼び出される。
昨日、下級生の教室に置き忘れられていたテストの、名前欄を
「もしかすると二人は天才かもしれないから、それを確かめる特別なテストを受けてみないか、とか何とか言われてさぁ」
当時のリョウとダイやんは、素行がゴミクズなせいで成績は酷かったが、単純に勉強と運動の能力なら校内トップクラスだ。
リョウは「天才かも」と言われ悪い気はしなかったし、ダイやんも結構ノリ気。
テストは三十分くらいで終わるそうだし、受けただけで謝礼が出るのも魅力的だった。
「現金じゃなくてクオカードでも、小学生に五千円はデカいよな」
そして二人は一学期の終業式の後、教頭や担任ではなく学校の事務職員に連れられて、知らないオッサンが運転する車に乗る。
もらったジュースを飲んだり菓子パンを食ったりしてる内に眠ってしまったので、どれだけの距離を移動したのかもよくわからない。
「今になって思うと、ジュースに何か入れられてたっぽいんだけど」
着いた先は、高い壁で囲まれた敷地の中に角張った建物がある、工場のような場所。
周りに見えるのは田んぼと畑と空地、少し離れて山の連なりという中々の田舎で、地元からは随分と遠いところに連れてこられた印象だ。
「未だに、アレがどこだかわかんねぇんだよな。一緒に行った事務のおばさんも、休み明けにはいなくなってたし」
何となく「ヤバいことになるのでは」と感じていたリョウだが、弱音を吐くのはダサいと考えて、テンションを上げているダイやんにノリを合わせた。
やがて、案内役らしい作業着姿の連中が迎えに出てきて、事務員と小声で話し始めた。
そこでダイやんは、いつものリズムで悪フザケを実行しようとしたのか、乗ってきた車のクラクションを派手に鳴らしたのだが――
「運転手役だったオッサンがな、ダイやんを車から引きずり降ろすと、頭を思いっきり叩いたんだよ。冗談半分じゃなくて、普通に地面にぶっ倒れる勢いで。今ほどじゃないにしても、世間的にはもう体罰とかアウトだったろ。だから、マジかコイツってなって」
本能的に危険を察知したリョウは、とりあえず大人しくする方向を選んだが、ダイやんはいつも通りに暴れようと大声で食って掛かる。
だがオッサンはまったく動じず、サッと肩の関節をキメてダイやんの動きを封じた。
痛みで
事務員が止めて騒ぎは終わるが、その場は当然ながら異様な雰囲気に包まれた。
「あの時の気味悪さは、ちょっと普通じゃなかったわ。無言で小学生の腕を捻ってくるオッサンもどうなんだって話あるにしても、あんな状況で大暴れできるダイやんに、マジでドン引きさせられて。それまではメッチャ度胸と根性あるヤツって認識だったけど、実はそういうのとカテゴリーが違うんじゃないか、って気もしてさ」
建物の中へと入ったリョウとダイやんは、別々の部屋へと連れて行かれた。
病院の診察室みたいな印象が残っているが、正確なディティールは覚えていない。
身体検査をされ、口の中をヘラでこすられ、耳の穴に謎の器具を出し入れされる。
マスクをつけて白衣姿だが、医者ではない雰囲気の五人くらいの若い男が、同じ格好をした六十過ぎに見える偉そうな婆さんに指示されながら、忙しげに走り回っていた。
「色々されてる最中、何度も何をやってるのか訊いたけど、完全にシカトされて。これはやっぱり、大人しくしてないとヤバいやつだって、オレは子供心に痛感したんだけど」
ダイやんは、あくまでも反抗的な態度を貫いていたらしい。
少し離れたところから、聞き覚えのある大声や何かをひっくり返した音、それに肺の中身を全て吐き出したような、獣じみた絶叫まで時々聞こえてきた。
「頼むから大人しくしてくれダイやん、と祈るしかなかったな……検査の後に色々とやらされたのも変なんばっかでよ。余計なことするとどうなるかわかんねぇな、って緊張感がずっとあったんだわ、冗談抜きで」
一通りの検査が終わると、今度はペーパーテストをやらされた。
前にやったことがある知能テストと似ていたが、選択問題だけじゃなくて文章問題もいくつかあって、質問内容はやけに抽象的だった。
テストが終わると、首と手足に電極みたいなのを貼り付けられ、よくわからないスライドを何枚も見て、どう感じたかを毎回言わされる。
「赤ちゃんが寝てる写真とか、車に轢き潰された動物とか、建物が燃えてるところとか、格闘技のダウンの瞬間とか、砂の中に埋もれた人骨とか……あとはエロいのも混ざってたな。全部モロ出しで、子供に見せちゃダメだろってのが」
二十何枚かのスライドを見た後、今度はアイマスクとヘッドホンを付けられ、目隠しと耳栓をされた状態で椅子に座らされる。
手足を拘束された感触があったが、逆らっても無駄だろうと諦めていたリョウは、されるがままにしておいた。
やがて、右腕にヒヤッとしたものが塗られ、直後に強めの痛みが訪れる。
「たぶん、注射されたんだと思うんだけど、そっから先は何が何だか……飲みすぎて記憶が飛ぶってことあるじゃん? あんなんに似てる状態で、気付いたらさっきまでと全然違う部屋で机の前に立ってて、目の前には偉そうな婆さんがいるんだ」
何故か髪が湿っていて、服装が水色の
口の中にザラッとした粉が残っていて、
心臓の動きに合わせるように、頭の芯から
何がどうなってるのかと混乱するリョウに、紙の束をペラペラめくりながら婆さんは告げてきた。
「お前は合格。ギリギリだけどね」
何に合格したのかを訊こうとしたが、白衣の男たちに腕を掴まれ部屋から出される。
廊下で数分間待たされた後、事務員がやって来て元々着ていた服を渡してくる。
彼女の表情からして、とにかく余計なことはしない方がよさそうだと悟ったリョウは、黙ってその場で着替えを済ませた。
「言いたいことも訊きたいことも山盛りあったけどさぁ、大人があんな硬直した顔してんの初めて見たし、これやっぱ普通じゃない何かが起きてるんだなって」
すっかり
いつの間にか日は暮れて、空の赤色も夜の青と入れ替わろうとしていた。
立っているのも面倒な倦怠感を抱えながら、親にはこの件を伝えてあるのだろうか、などと考えているとダイやんがフラフラと表に出てきた。
「だけど、ダイやんの様子がどうにも変なんだよ。話しかけても『ああ』とか『うう』しか言わないし。目の焦点も微妙に合ってないっていうか、どこ見てんだかわかんねぇ風になってるし。だいぶ暴れてたみたいだから、オレが打たれた気絶する薬をたっぷり盛られたのかも、とその時は思ったんだけど……」
帰りの車でもいつの間にか寝てしまい、完全に夜になってから自宅に戻った。
昼間の体験が強烈すぎて、帰ってからも全部が夢だったような気がしていた。
両親は「先生に聞いてるから」とだけ言って、リョウの報告を聞こうとしなかった。
色々と納得いかなかったが、とにかく今夜はサッサと寝て、明日になったらダイやんと今回の件について話そう、と決めたのだが――
「ダイやんの家に電話しても、誰も出ねぇんだ。家の前まで行って呼んでも、全然応答がない。夜になってもう一回電話したら、お袋さんとは話せたんだけど……ダイやんは親父さんの実家がある四国のどっかに行ってる、って言って切られちまった」
夏休みが終わるまで戻ってこない、と言われたリョウは愕然とする。
田舎に遊びに行くなんて聞いてないし、両親の実家はどっちも東京と言っていた。
何もかもがおかしいが、誰に相談していいのかもわからない。
※※※
「そんで二学期が始まったんだけど、そこからはレンちゃんも知っての通りだ」
「ああ……きれいなダイやん、だな」
「それな。マジで別人みたいになってて、オレもビックリしたわ」
いきなり優等生になるとか、ガラッと性格が変わるとか、そういうのとは少し違う。
殆ど喋らないし、動作が鈍くなって、大体ボンヤリと過ごしている。
でも授業の妨害をしなくなり、ろくでもないトラブルも起こさなくなったので、皆はこっそり『きれいなダイやん』と呼ぶようになっていた。
今になって思えば、落ち着くとか大人になるとかを大幅に超えた変化で、どうして騒動にならなかったのか不思議だった。
しかし、ダイやんの迷惑さは校内随一と評しても過言ではなかったので、元に戻られるよりも現状のままでいてくれた方が有難い、的な事情もあったのだと推測される。
「結局リョウは、その……テスト? に関して、ダイやんと話はできたの」
「それなんだけど、何度か話を振ってみても微妙な反応しか返ってこなくてなぁ……遊びに誘っても毎回断られるし、普通に話しかけても話が噛み合わないし。親とか教師に相談するのもダサいかな、って思って放って置いたら」
「冬休み前にはダイやんが学校に来なくなった、と」
俺の言葉に、苦々しさを全開にしてリョウは頷く。
「ああ。電話にも出てくれないっていうか、出してくれないっていうか……家まで行っても、やっぱり会わせてもらえなくて。そんな状態が続いてたんで、冬休みに入ってから強引に家に上がりこんでみたら、まったく知らん連中が住んでんだよ」
「おおぅ、そんなことになってたのか」
「流石におかしいだろ、って担任に事情を聞きにいったんだけど、親の仕事の都合で急に引越しが決まった、としか言わないんだ。行き先を教えてもらおうとしても、事情があって教えられない、お前も騒ぐなの一点張り。もうワケわかんねぇだろ」
「夜逃げ、だったんじゃない?」
何となく思い浮かんだ言葉を口にするが、リョウは首を傾げて唸る。
「あの終業式の日に何もなきゃ、それで納得できてたかもしれんけどなぁ」
「……そのテストだか何だかは、未だに正体わかんないの?」
「ネットで調べてみて、それっぽい情報は断片的に見つかるんだけど、詳しい話は全然」
「今のダイやんの連絡先、誰か知ってるヤツいないもんかね」
「どうかな……それに、会ってもしょうがないかも」
カサついた頬を撫でながら眉根を寄せる姿は、小学生時代のリョウの
「やっぱり、まだ話が通じないままだと思ってるのか」
「いや……これもハッキリしない記憶っていうか、ホントにあったか自信ないんだけど」
「うん?」
「あの日、帰りの車に乗り込む直前に、何となく建物の方を振り返ったんだけど……その時、三階か四階に内側からこう、両手で窓を叩いてる人影がな、見えた気がすんだよ。もしそれがダイやんだったら、俺と一緒に帰ってきたのは……」
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