第89話 答え合わせ
やっぱり、納得いかないよな……
二日続けて満員を理由に断られた、最近お気に入りな居酒屋の様子を眺める。
穏やかな賑やかさに満たされた空間が、安酒と焼鳥のタレを主成分にした複雑なニオイに包まれている。
そして、店内の奥まった場所にある二人掛けの席は、昨日も今日も空いていた。
「あそこの、あの席はダメなの?」
「あー、スイマセン。そこはダメですね」
指差しながら店主に訊いてみるが、間髪を容れずに拒否の返答だ。
何故かいつも客を通さず、口の広い花瓶に入れた花が飾ってある空席。
あんまりな塩対応に、「どうして」と食い下がってみたい気分になるが、変な感じに揉めてココに来づらくなるのも困る。
なので大人しく引き下がり、次の機会を待つことにした。
そして次の週の金曜。
残業を要求してくる周囲の圧を跳ね除け、件の店へと急ぐ。
オープンから一時間ほど後のタイミングで店を訪れると、既に半分の席が埋まっている。
カウンターへと案内され、バイトらしい若い店員に生ビールを頼む。
右斜め後ろのあの席は、やはり誰も座っていない。
テーブルの花瓶には、いつもと同じく雑多な花がゴチャッと飾られている。
美的感覚にあまり自信はないが、それでも見た目が微妙なのは理解できる。
よくわからないが、特別な客のために一席を常に空けてある、とかそういうシステムなんだろうか。
注文したビールが来たので、お通しの小鉢を
濃い色に煮られた乱切りの大根に、白っぽい鶏肉そぼろの
やや強めの塩気に釣られ、酒の減りもどんどん早くなる。
残飯を煮たのかっていう謎めいた物体や、業務用のポテサラなんかを出してくる店ばかりの中で、この工夫のあるお通しは有難い。
「おっ、と」
「ああ、ゴメンよ」
二杯目はどうしようかな、とメニューに手を伸ばしたら、ほぼ同時に動いた隣席の客とカチ合ってしまった。
俺より十歳くらい年上に見える、派手なシャツと地味なジャケットがアンバランスな、やけにガタイのいい男。
首も手足も太いのに肌は白く、髪型はお堅い勤め人といった感じで職業不詳だ。
ジェスチャーで「先にどうぞ」と伝えると、男は軽く頭を下げてメニューを眺める。
三十秒ほどで決めたようで、店員に日本酒か焼酎らしい銘柄と煮込みを注文すると、コチラにメニューを渡してきた。
次もビールにするか、オススメの日本酒にするか迷った末、日本酒を選ぶ。
辛口で飲んだことがないヤツに決め、ついでに焼鳥も数本頼む。
「お兄さん、よく来るの? この店」
「ええ。最近になってから、ちょいちょい」
メニューを戻そうとすると男と目が合い、軽い調子で声をかけられた。
態度に不快さもなかったので、適当に乗っておくことにする。
元から社交的なのか、酔うと周囲に絡んでいくタイプなのか。
話題をアチコチに飛ばしながら、男の話はテンポ良く延々と続く。
五分ぐらいしたところで、トイレに向かう途中らしい七十前後に見える太めの老人が、男の背中をパシッと音を立てて叩いた。
「おいおい、ヨシさーん。あんま若い子にー迷惑かけちゃダーメだよ」
「かけてねぇっての! ……あれ、ひょっとして迷惑だった?」
テンションを急降下させた隣の男――ヨシさんに動揺した感じで問われ、俺は笑って手を振る。
「いえ、全然。この辺のラーメン屋情報とか、普通にありがたいですし」
「んー、そうかー? なら、いーけどよー」
俺の答えを聞いた爺さんは、赤らんだ顔を
近所の飲み屋のアタリとハズレだとか、店主の気まぐれで二ヶ月か三ヶ月に一度だけ日替わりメニューに出てくるステーキ丼は絶対頼めとか、ヨシさんから色々と教わっているうちに、あの席のことを訊いてみたくなった。
「おぅ、アレな……まぁ、気になるのも仕方ないか」
ヨシさんは例の席をチラっと見て、手にした
少し言い辛そうにしているが、何かタブー的なものがあるんだろうか。
そんなことを考えているのが伝わったのか、ヨシさんは小さく笑って右手を振る。
「いやいや、そんな
「でも、理由はあるんですね?」
「あるにはあるがなぁ……ちょっと、今はヤメとこうか」
カウンターの方を確認したヨシさんは、声を抑えながら言って話を打ち切る。
口ぶりと態度からして、店員に聞かれるのがマズい内容なのだろうか。
微妙な消化不良感を抱えつつ、さっきの爺さんと入れ違いにトイレに向かう。
席に戻ってから最近観た映画の話などをしていると、「そろそろいいかな」と呟いてヨシさんが立ち上がる。
「どうしたんです?」
「さっきの答え合わせ」
意味ありげな笑みを浮かべたヨシさんは、例の席に置かれた花瓶の陰から素早く何かを取り出すと、すぐにまた腰を下ろした。
お通しで出てきた小鉢が、スッと俺の前に置かれる。
大根のそぼろ餡かけを見て、それからヨシさんを見ると、小鉢を指差して言う。
「箸は付けてないんで、一口いってみて」
「あの、これは……」
「いいから。何も入れてないし、食えばわかるって」
口調は柔らかいが圧は強いヨシさんに押し切られ、恐る恐る大根を口に運ぶ。
「むばっ――うぁぷっ、えほっ! ぐほぇ!」
「やっぱ、そうなるんだよなぁ」
強烈な
舌と脳が盛大に拒絶反応を起こし、紙ナプキンに元凶を吐き出す。
日本酒を
「うぅ……なっ、何なんですか、これっ」
「だから、質問の答えだって。あの席に置いとくとな、料理も酒も全部こんなんなる」
「いや、でも……えぇええぇ……」
ヨシさんの悪フザケじゃないのか、と疑いたくなる。
しかし、調味料として客席に用意してあるのは塩と醤油、それと七味だけだ。
というか、たっぷりの酢で長々と煮込むくらいの手間をかけなければ、あのインパクトは引き出せないだろう。
「こうなる理由とか……やっぱり過去にこの店で何か」
「それがなぁ、前に大将と話したことあんだけど、心当たり全然ないらしいんだよ」
「でも客商売としては、心当たりあっても隠すんじゃないですか?」
「かもしんないけど、昔っからの常連客に訊いても同じ反応なんだわ。あとね、大将も店の人もあんまいい顔しないから、このことは基本ナイショで」
口の前で人差し指を立てるヨシさんに、
そして異常な味になった小鉢を見据えながら、何故こうなるのかと考えてみる。
けれど、自分を納得させられる解答は出てこなかった。
それから三十分ほどヨシさんと当たり障りのない話をして、酒と料理が空になったタイミングで店を出る。
あの席が使えない理由は理解できた。
だけど、原因に関してはサッパリだ。
駅の方向へと歩きながら、酔いを押し退けて頭に居座る疑問を再検討する。
可能性が一番高そうなのは、何もないと言いつつも実は過去に何かあった、的なパターンだ。
「一応、調べておいた方がいい、よな」
誰にともなく言い訳するように
日本全国の事故物件を網羅した、やや特殊な情報を提供しているサイトだ。
そこはかとない緊張を感じつつ、居酒屋の周辺を調べてみると――
「おぉう……」
予想はしていたが、ハズレていてほしかった結果に、思わず呻き声が漏れる。
死人が出たことを示すマークが、ものの見事に光っていた。
誰も何かあったと知らなかったのは、今の店になる前に起きたからだろう。
ついでに詳細も知っておこう、と地図を拡大してマークをタップしようとするが、そこで自分のミスに気が付いた。
マークが出ているのは、あの店じゃない。
壁を挟んで隣にある、ヨシさんが「あんまオススメしない」と言っていたラーメン屋。
物件の詳細欄には「平成●年八月、スナック『かのえ』店内で経営者の死体発見」と記載されている。
どうして味が酸っぱくなるのかはわからないが、隣のどの辺りで経営者が死んでいたかはわかってしまった。
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