第83話 シャングリラ

「いやぁ、アレだよ。マジでヤバいぜ、こいつは。何つうか、ガチ寄りのガチってえか、これまでも色々とヤベェことあったけど、もう完璧にマジモンなんだわ」


 大ジョッキが届くと、鈴池すずいけは乾杯もせずに生ビールを一気に飲み干した。

 おいおい、と思ったがいつになく聞く耳を持たない変テコなテンションを感じさせる声のデカさなので、ツッコミは入れずにこちらもレモンサワーを飲む。

 だいぶ薄いしケミカルな甘さがあるな、と思いつつ俺が中ジョッキを置くと、鈴池は店員にもう一つ生大を注文してから長いゲップを吐いた。


一昨日おとといの夜な、チャンマルに呼ばれてよ。あいつが車出すっていうから、目的とか知らんけど付き合ったんだわ。ちょうど何の予定もなくてヒマだったし、まぁいいかと思ってよ。他にはモンタと、モンタの古いツレだっていう……あー、伊藤だか佐藤だか、どっちか忘れたけどそんな感じの。その四人で、ガーッと北の方に走ってさ、二時間かけて着いたのがモンタの地元ってオチだよ。マジウケんだけど」


 どこにウケればいいのか、まったくもってサッパリわからない。

 しかし相手はバイト先の先輩、しかもとびっきりメンドくさい先輩なので、曖昧あいまいに調子を合わせておく。

 超やべぇネタがあるからとにかく聞け、と仕事が終わった後で居酒屋に付き合わされたのだが、既に家に帰りたい気持ちが全身に満ち溢れている。


 胡乱うろんな話をザックリ整理すると、目の前でガハハと笑っている鈴池先輩は一昨日の夜、長年の友人であるチャンマルこと丸山さんと、大学時代の後輩であるモンタこと門田かどたさん、それとその友人である佐藤(仮)さんの四人で、門田さんの地元までドライブしたらしい。

 だから何なんだ、と言いたくなる素直な気持ちを表情に出さないよう注意しながら、無駄な情報が多いしゃべりに耳を傾ける。


「でよ、こんな夜中にド田舎に連れて来られて、そんで何すんだって聞いたらチャンマルが、キャンプなんかで使うランプ持ち出して『丸山探検隊、これよりシャングリラの謎を解明する!』とか寝言ぶっこき始めんだよ。妙にキメ顔で笑えたけど、マジ意味わかんねぇじゃん。だから、ビタ一文わかんねぇからちゃんと説明しろってキレたら、何かシャングリラって潰れたゲーセンがあって、そこに幽霊が出る噂があるから確かめに行く、とかアホなこと言うんだよ、山本が」


 門田さんの友人が伊藤でも佐藤でもなくなって、脳内に構築した人物相関図がリセットされかける。

 それはさて措き、要するに鈴池みたいな連中の大好きなイベント『深夜の心霊スポット探検』をしてきたようだ。

 帰りたさが更に高まっていくのを感じつつ、グダグダな言葉のつらなりに適当に相槌あいづちを打っておく。


「そのゲーセンな、潰れたのが十年前なんだけど、いつの間にかセキュリティがガバガバになって、五年前くらいから地元のヤンキー共の溜まり場になってたんだと。まぁアレだわ、北関東だから天然記念物みてぇな暴走族とかが棲息してんだよ、多分。そんで、そいつらが悪さする時にそこを使っててな。表沙汰にはなってねぇけど、トラブった相手をボコったら殺しちまったとか、拉致ってきた女を輪姦まわした後で放置してたら自殺しちまったとか、そんなイワクがあったらしいんだわ。他にもあって、それが――」


 胸糞悪い噂話をニヤニヤしながら長々と語られ、元から低水準な鈴池への好感度がますます悪化する。

 しかしまぁ、ありがちすぎる心霊スポットの由来だ。

 基本的に聞き流すにしても、ちょっとばかり退屈になってきたので、早いとこ本題に入ってくれないだろうか。


「――でまぁそんなんだから、モンタの地元じゃハイパー激ヤバエリアに認定されて、溜まってる連中のツレ以外は誰も近寄らない状態だったんだと。でもな、三年前にイカレた事件が起きて事情が変わってな。ちょっと『○○○ シャングリラ 死傷』でググッてみ。ああ、シショウはお師匠様の方じゃなくて、死ぬに傷な」


 生返事をしつつスマホを取り出し、地名と店名と物騒な単語を並べて検索をかける。

 すると三年前の夏の日付があるニュースと、その事件をネタにしたまとめブログがズラッと並んだ。

 新聞社のネット記事らしいのを選んでタップし、切り替わった画面の文字を追う。


【ゲームセンター廃墟で四人死傷――XX県○○○市のゲームセンター跡の駐車場で十六日未明、四人が血を流して倒れているのが発見されました。倒れていたのはいずれも県内在住の男性。三人が心肺停止、一人が意識不明の重体で市内の病院に搬送されました。警察では現場の状況から、四人が三階建ての建物の屋上から転落したと見て、事件と事故の両面から捜査を行う方針です】


 続けて、怪しげなブログの方にもザッと目を通す。

 大抵は事件の概要と、それに対する「これは久々に心温まるニュース」「登場人物全員合計しても知能指数150くらい」「きたねぇ花火で汚された駐車場さんが気の毒」「きららジャンプ大失敗」といったネットの辛辣しんらつな反応をまとめたものだ。


 だが、そんな中に『シャングリラの呪い』と題された記事を見つけた。

 死傷した四人のロクでもないプロフィールや、彼らが関わったと噂されるトラブルなどと共に、シャングリラがまだ営業していた時期に客がトイレで変死したニュース記事だとか、廃墟となった後の幽霊や怪現象の目撃情報を紹介。


 更には真偽不明だが、事件があった日の深夜に当事者から電話があったと主張する人物が、事件の三日後に掲示板に書き込んだ内容も掲載されていた。

 電話してきた相手が激しく動き回っていて、しかも電波も悪かったから何を言っているのか良くわからなかったようだが、断片的に聞き取れた部分でもかなり異様だ。


『追ってくるって、いや、何で前から』

『俺じゃない、俺は見てただけだろ』

『花柄ワンピースのハゲが』

『あぃあぃあぃあぃ無理無理無理無理』


 何か普通でないことが起きたのは確実だが、何が起きたのかは見当がつかない。

 生き残った一人も意識が回復せずに翌月に死亡した、とのオチで記事は終わる。

 呪いかどうかはともかく、四人が飛び降りた理由が謎のままなのは据わりが悪い。

 溜息を吐きながら顔を上げれば、若干イラッとする鈴池のドヤ顔に出迎えられた。


「でまぁ、そのシャングリラを探検してきたんだけど、有名になりすぎたせいで中が荒らされまくっててな。アホみてぇな落書きとブッ壊れたガラクタだらけで、全然おっかねぇ雰囲気ないんだわ。もうマジ、全然ない。何で便器がいっぱい転がってるとか、黒焦げのハイヒールがビニール紐で天井から吊るされてるとか、そういう意味わかんねぇツッコミ所はあったんだけどな。心霊スポットとしてどうなのよって笑ってたら、その後でちょっと笑えない展開になってよぉ……」


 吊られたハイヒールは十分ホラーっぽいのでは、と思ったが無駄に長い説明が挟まりそうな気がしたので流しておく。

 こちらのリアクションがないのを緊張していると受け止めたのか、真顔になった鈴池は声を低くしてそれっぽい雰囲気を出してくる。


「一階と二階はゲームコーナー、三階は事務所とか物置とかがメインだったっぽいんだけど、そこ行ってからこう……急に寒くなって。いくら夜中っても、七月だぜ。当然クーラーなんぞ入ってないし、空気が入ってくる窓すらねぇんだ。全部セメントだかモルタルだかでふさがれてんだよ、何でか知らんけど。そんで言いだしっぺなのにチャンマルめっちゃビビり倒してて、やべぇとか帰ろうとかマジかよとかうるせぇけど、シカトして奥行こうとしたのな。したらアイツさ、俺の背中を思いっきり殴ってくんの。グーで」


 鈴池を殴りたくなる気持ちはわからんでもないが、中々の急展開だった。

 丸山さんには何度か会って話したことがあるが、冗談半分だろうと友人に全力の暴力を振るうタイプとは思えない性格だ。


「で、痛ぇなボケっつって振り返ったら、チャンマルが何つうか……バケツで水かぶったのかってくらい、ビシャビシャになってんだよ、汗で。そんでうわってなって、他の二人にどうしたのかと聞いたんだけど、モンタはカクカクした動きで全身を揺すってるし、山本はガンギマった雰囲気で硬直してるしで、もうワケわかんねぇんだよ」


 ワリと本格的な怖い話が展開されているのだが、鈴池のトークスキルが壊滅的なせいもあって、どうにも話に入り込めない。

 結局のところ門田さんの友人は山本ってことでいいのか、などと考えながら何が起きたのかの描写が出てくるのを待つ。


「で、何だってんだよテメェらって言ったら、チャンマルが怒鳴り声を噛み殺したみたいな、変な小声で『いるだろ、目の前』とか言い出して。けどよ、目の前は数メートル先に壁があるだけで、何もねぇの。でもモンタと山本もチャンマルに同意してる感じで、首をブンブン上下に振ってんだわ。だからまぁ、何だかよくわかんねぇけど、多分やべぇことになってるんだな、と思うじゃん。変に寒いってのもあるし」


 いくら鈍感に限度があっても、その程度の空気は読めたらしい。

 泡のだいぶ減ったジョッキをグッと呷ると、鈴池は軽く咳払いをしてから続ける。

 

「それで、何がいるんだって確認してもチャンマルは、あー、アレだ。ゲロを吐きそうで吐かない状態? オゲェとかウブェみたいなの繰り返して、まともに返事しねぇんだ。大丈夫かよコイツって思ってたら、モンタが『いるんですけど』って言うのよ。だから何が、ってキレ気味に訊いても、変なシャックリを連発して答えねぇの。コイツら、何か打ち合わせして俺をからかってんのか? ってムカついてたらさ、今度は山本が震え声で言ったんだわ……『花柄の、ワンピースの、黒いの、いるんですけど』って」

 

 今までは半笑いで対応できる雰囲気だったのに、ここでブワッと鳥肌が立った。

 どういう理屈なのか説明できないが、「この先を聞かない方がいい」と本能的な部分が告げているような、そんな感覚が自分の中で膨張ぼうちょうしている。

 

「三人ともさ、演技とは思えないテンパり方でよ。けど、やっぱ俺には見えねぇんだわ。いるいる言われても、ホントに何もねぇの。普通なら違和感があるとか、そういうのあんだろ? でも何もない。全然ない。そんで、チャンマルとモンタは『限界だ』って逃げちまうし、山本は腰が抜けてその場に座り込んでやがる。そんなだから、もうシラケちまってな。最後に何かいるって言われてた辺りをスマホで撮って、俺も山本を引きずって外に出たんだけど、よ。車に戻ってチェックしてみたらコレだよ」


 そう言って、鈴池はスマホの画面をこちらに向ける。

 再生される動画を目にしながら、無意識に低い呻き声が漏れてしまう。

 そこには、画面の大部分を覆う黒い手が写っていた。

 広げられた指の細さからして、女性のものだろうか。

 あちこちに移動するレンズを隠すように、影絵に似た手のひらが追いかけてくる。


「な、マジモンだろ? なーんもねぇとこ、ただの壁を撮ったのにこんなんだぜ? こいつはガチ心霊ビデオだろってんで、ツイッターに上げようとしたんだけどよ、チャンマルもモンタも、ついでに山本まで揃って『絶対やめろ』って言うから、まだ上げてねぇんだわ。にしてもこれ、場合によっちゃマスコミの取材とか来ちゃうレベルじゃね? もしかすっと、人生激変レベルって可能性もあるな! まぁアレだ、ちょっと便所行ってくっから、こういうやつをTVで使う場合の使用料の相場っての、調べといてくれよ」


 本気なのか冗談なのか、イマイチわからない感じでくし立てると、鈴池は店の奥へと歩いていく。

 その後ろ姿を見送っている最中、視界に莫大ばくだいな異物感が発生した。

 ゆっくりと首の動きを戻し、どこが変だったのかを確認しようと――


 いる。


 客がいない四人掛けのテーブルから、上半身が生えていた。

 鮮やかな花柄のワンピースを着た、黒い――たぶん、女。

 服の下は焼け焦げ、首から上は半ば炭化しているようだ。

 高熱で罅割ひびわれた顔が、鈴池の歩みに合わせて向きを変える。

 所々で泡立った皮膚が破れ、濃い桃色の肉が晒されている。


 ヒゥ――と、引き笑いの出来損ないみたいな声が出た。

 それに反応したのか、髪が燃え尽きたハゲ頭がグリッと回る。

 目を逸らそうとしたのに動けず、正面から顔を見てしまった。

 正確に表現するなら、かつて顔であった部分の残骸。

 

『ぅおうわぁあああああああああっ!』


 息を呑んだ後、悲鳴が派手に弾けた。

 だけど、自分の声じゃない。

 隣席の客にも、焼け崩れた女が見えたようだ。

 こんなのが常にいるなら、確かに鈴池の人生は激変するだろう。

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