第81話 いきづまりうずくまり

 パァッ、と視界全体が明るくなった気配があり、直後に目が覚めた。

 重いまぶたを持ち上げても、冷えた暗い部屋のボケた輪郭りんかくだけしか見えない。

 何だったんだ、と思いながら半身を起こそうとすれば、背中と腰に鋭い痛みが走る。


「おあっ――くっは」


 抑えきれず声が漏れる程の、刺々しい痛みが背面を支配する。

 とりあえず落ち着こうと、緩やかに深呼吸を試みる。

 だが空気を上手く吸えないというか、気管の途中に湿った綿が詰まっているような感覚があり、息苦しさが徐々に高まってきた。


 ヤバい、よくわからないが、これはヤバいぞ。

 少しでも楽になろうと身をよじるが、痛みも苦しみもやわらがない。

 胸の辺りを叩いてもさすっても、息の詰まりは解消されない。

 首を揉んでも状況は好転せず、忙しく波打っている頚動脈けいどうみゃくは危機感を更にあおってくる。


 落ち着け、落ち着け。

 焦っている時しか出てこない言葉を脳内で反復しながら、どうするべきかを考える。

 そうだ、まずは連絡手段を確保しなければ。

 スマホはどこに置いたっけ――たぶんテーブルの上だったような。

 ベッドから抜け出し、まずは部屋の明かりを点けようとする。


「うっふ、あっ! むぉおぉおおっ……」


 体を大きく動かすと、息苦しさを押し退けて激痛が弾けた。

 どうにもならず、その場にうずくまって感覚が薄れるのを待つ。

 焼けた鉄串が何本も何本も、背中に深々と突き入れらている。

 そう錯覚しかねない、熱さを伴った痛みが意識を濁らせていく。


 数十分に感じる十数秒を経て、やっと巨大な痛みが引いていった。

 そろそろと手足を動かしてみると、まだ所々で嫌な反応があるものの、どうにか行動できそうな雰囲気だ。

 痛みが小康状態になると、また息苦しさが自己主張を再開する。

 何が起きてるんだ――もしかするとこのまま――


 不安と不快にさいなまれ、わめらしたい気分を堪えつつテーブルの上を探り、照明用のリモコンを掴んで点灯する。

 続いてスマホのホーム画面を開くと、午前四時を数分過ぎた時刻が示されていた。

 病院か、家族か、友人か、どこに連絡して助けを求めるべきだろうか。


 そんな検討を始めたところで、また別の異常が発生しているのを察する。

 部屋がモヤっているというか、けぶっているというか。

 半透明な中にキラキラな銀色の粒子が混ざった何かが、周辺を漂いながらマーブル模様を作っていた。


 その存在に気付いた瞬間、視線が数十センチ下がって「ドンッ」と衝撃音がした。

 膝が折れるか腰が抜けるかで、尻餅しりもちいてしまったようだ。

 取り落としたスマホは、床を滑ってベッドの下へと消えていく。

 浅いままの呼吸はペースが速くなり、両手が震えて涙がにじんでくる。

 だからホントに、何が起きてるっていうんだ――


「あがっ、かっ、はぅ」


 言葉にならないうめきが、あえぎへと転じていく。

 酸素が足りていないようで、思考がまるでまとまらない。

 とにかく身を起こそうと床に手をつけば、忘れていた痛みがまたしても訪れる。

 体勢が崩れてうつ伏せに倒れていると、濃いめのアンモニア臭が鼻につく。

 この歳になって漏らしたのか、と絶望的な気分になったものの、股間をまさぐっても濡れてない。


 じゃあこの悪臭はどこから――ニオイの元を探して首を巡らせると、通勤に使っている合皮の茶色いカバンが目に入った。

 あの周辺だけ、銀のキラキラが濃いような。

 震える指で涙をぬぐい、目を凝らしてみるとやはりそう思える。

 痛みをこらえ、うつ伏せのまま這い寄る。


 近くで改めて観察すると、どうやらカバンのサイドにあるポケット部分から、半透明の何かが漏れ出ている様子だ。

 ここにはティッシュぐらいしか入れてないハズだが。

 ともあれ、現状の突破口はここにしかなさそうだ。

 奥歯を噛み締めて背中の痛みに抵抗し、ポケットに手を突っ込んで内部を探る。


 指先に硬いものが触れた。

 摘んで抜き出すと、メダルなのかコインなのか、よくわからないものが出てきた。

 五百円玉の倍くらいのサイズで、青黒いサビだかカビだかに全面が覆われている。

 感触はザラついていて、軽い金属のようでもあり、陶器のようでもある。

 まったく見覚えのないシロモノだが、どうしてこんなのがカバンの中に。


「なん、だ……これ?」


 眺めていると、ポヤーッと銀の粒を抱いた湯気のような白色が生じる。

 それはすぐに半透明に変化し、部屋を満たしつつある何かに合流した。

 何だかわからない――わからないが、原因は多分これだ。


「ほんっ――がぅっ、くぁ――ぁあむっ、ん」


 一歩ごとに背筋を貫く苦痛に耐え、奇声を漏らしながら部屋の反対側にある窓の前まで移動する。

 そして普段の十倍近い時間を費やして窓を開けると、手の中の物体を緩慢かんまんなサイドスローで放り捨てた。

 その軌道を追いかけるように、部屋を漂う半透明が外へと吸い出され消えていく。


「ふっ――はぁああぁ! はあっ、はぁ、あっく! はぁ、ふぅ……」

 

 十数秒ほど経つと不意に痛みがなくなり、呼吸もスムーズになった。

 唐突に発生した、アンモニアに似たニオイも消失している。

 久々に必要十分な酸素を肺に取り込みながら、投げ捨てたものの正体を考える。

 偶然に入ったのか、誰かが忍ばせたのか、酔っ払って拾ったのか――

 思いついた可能性を並べてみるが、納得できる答えには辿り着けなかった。

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