第51話 大丈夫なワケあるか

 アタリでもなければ、ハズレでもないな。

 そんな感想を抱きながら、漆塗うるしぬりっぽく仕上げたますに溢れた日本酒を、中身が半分ほどに減ったグラスに注ぐ。

 出された時には冷酒だったが、既に常温に近い舌触りになっていた。

 土曜のよい、最寄り駅から延びる商店街の中に新規オープンした立ち飲み屋は、安めの価格設定に釣られた客で中々の混雑ぶりを見せている。


 出かけた先で、ちょっと飲みたい時に使うなら悪くない。

 しかし、自宅近くでこの程度の味でしかないなら、家で一人で飲めばいい。

 そんな感じに見切りをつけながら、瑞々しさの足りない梅きゅうをかじる。

 これがカラになったら帰るか――そう考えながらグラスを傾けていると、右隣に陣取る二人連れの会話が気になり始めた。


 別に聞き耳を立てているつもりもなかったが、アルコールが回っているせいなのか、二人の声がデカすぎるのだ。

 三十前後らしい、すさんだ雰囲気が薄く漂う男二人連れ。

 先輩後輩みたいな間柄だろうか。

 青いフレームの眼鏡をかけた方は崩した丁寧語で話し、ハンチングをかぶった方はやや横柄おうへいに応じている。


「で、結局のところヤマジさん、どうなったんすか」

「どうもこうも……どうにもなってねぇだろ」

「えぇ? じゃああの人、まだあの状況が続いてるってことすか」

「そうらしい。先週は『ボブ』って呼び止められたとか言ってた」

「うははははっ――ボブ! よりにもよってボブ!」


 共通の知人だか友人だかについての話が数人分続いた後、ヤマジという人物の話になったのだが、これがどうも何かおかしい。

 ケラケラ笑いながら、青眼鏡は赤紫のサワーを手にして言う。


「キムとかヤンならギリわかるにしても、ボブは反則じゃないすか」

「まぁ、超アジア顔だしな。にしても、アチコチで人違いされまくるってのは、どういうことなんだろうな」

街中まちなかだけじゃなくて、間違い電話とか手紙の誤配とかもやたら多い、って言ってましたよね……ヤマジさん」

「ああ、マジ意味わかんねぇな。何かハッキングとかされてんのか」


 ますます気になる方向に話が転がり出した。

 スマホを漫然といじりながら、二人の会話を意識して拾ってみる。


「特定の誰かと間違われてる、とかならまだわかるんすけど……毎回違う誰かと間違われる、ってのはちょっと気味悪いっすね」

「それな。イタズラとかでもなさそうだし、どうすんだろうな」

「……原因はやっぱり、前に言ってたアレなんすかね、サコタさん」


 少し声のトーンを落とし、青眼鏡が訊く。

 サコタと呼ばれたハンチングの男は、浅黒い肌の店員から太い腕で中ジョッキを受け取りながら、渋い表情を浮かべて低く唸る。


「んー……そう、なんだろうなぁ。それしかなさそうだし。けどなぁ……」

「どうして今回に限って、なんすかね」

「わからん……作業の手順はいつもと一緒だったんだがな」

「ヤマジさんがさりげに何かカマしてた、とかそんなんあるんじゃないすか」

「そこらへんは本人を詰めたんだけど、あいつも心当たりなくて不思議がってる」


 一息でジョッキの四割くらいを減らしたサコタは、不機嫌そうな顔のままで話を続ける。


「あとよぉ、そん時に現場が一緒だったアカマさん。知ってるだろ?」

「あぁ、アメ車の……コルベットでしたっけ? アレに乗ってる」

「そう。あの人んとこも何かあるらしくて、『お前、昨日ウチ来たか?』とか『深夜に事務所から電話かけてくんな』みたいな、よくわかんねぇこと言ってくるんだわ」

「えぇ? それってガチでシャレになってないんじゃないすか?」


 どうやら、サコタとその同僚たちが、仕事先で何かをやらかしたせいで怪現象が起きている、ということらしい。

 サコタの雰囲気やガタイからして、おそらくは肉体労働系。

 となると、道路工事で何かを掘り出したとか、解体作業で何かを壊したり捨てたりとか、そういったことが原因なのだろうか。


「まぁ、実害が出てるんでもねぇし、放っときゃなんとかなんだろ」

「どうにかするっても対策しようがない、ってのもあるっすからね」

「ああ……まったく、ダルいこった。サッサと終わってくれんかな、この状況」

「そうっすね。マジでキツいっすね」


 いや実害出てるだろ――と思ったがコチラがつっこめる筋合いはない。

 一口分だけ残った冷酒のグラスを揺らしながら、もう一杯頼むかどうかを隣の話がどうなるかに任せることにする。


「サコタさんとこも、相変わらずっすか」

「ああ……いや、ちょっと違ってきてんだよ」

「あれ? 多少は出るペースがマシになったとか、そういう?」

「じゃなくて、風呂の他に便所とか流しとか、そっちでも浮いてるようになった」

「バリバリ悪化してんじゃないすか!」


 他人事のように話していたが、サコタにも妙なことが起きているらしい。

 風呂やトイレに浮いている――何がだろう。


「誰のだかわかんない長い毛が散らばってる、とかマジ何なんすかね」

「カラにしてから家を出たのに、帰ったら湯船に水張ってあって、水面に髪がわっさぁ浮いてるとか、マジ意味わかんねぇよ」

「茶髪で五十センチくらいあんでしたっけ? 流しはシンクに水が溜まってそこに浮いてる、とかそんなんすか」

「大体そんなだ……どう考えても俺んじゃねえし、最近でウチにきた女いねぇし……だからよ、調べてみた」


 おっと、予想外の展開だ。

 青眼鏡にとってもそうだったようで、「調べるって、科学的に分析するとかそんなアレすか」とボンヤリした質問を投げていた。

 

「おう、それそれ。成分なんちゃら分析ってのをよ、アカマさんのツテで頼んでみた」

「でもそういうのって、料金とか結構イカツいんじゃないすか」

「アカマさん割引が利いてんのか、全然だったわ」

「それで調べてもらって、結果はどうだったんすか」

「んー、結果なんだけどなぁ……それがよくわかんねぇんだよ」


 思わずズッコケそうになると、青眼鏡も苦笑いでツッコミを入れる。


「いやいやいや……散々引っ張っといてそんなオチ、ちょっとどうなんすか。サコタさん相手じゃなかったら、キツめの説教入るとこっすよ」

「まぁ待てよ。何だったかの分析はできてんだけど、何でそんなのが出てきたのかがわかんねぇ、って話でよ」

「えぁ? どゆことっすか?」

「だから結果が普通じゃねえんだよ、結果が」

「普通じゃない、ってのは人の髪じゃないとか……そういう?」


 青眼鏡はジョッキを置くと、やや真剣な口調で質問を重ねた。

 対するサコタは眉根を寄せ、大きく息を吐き出してから頷く。


「そうなんだよ。絶対に生きてる人間の髪じゃない、ってよ」

「うぅわ、じゃあそれってアレですか? 死人の髪だとか、幽霊の髪だとか……」

「ねぇよ! そうじゃなくて、人じゃねえってこった。どうも見た目は普通の髪っぽいけど、成分からしてファイバーなんじゃないか、だと」

「ふぁいばー? 光ファイバーとかそういうアレっすか?」

「光どっから出てきたよ。ヅラとかマネキンとか、そういうのに使うニセモンの髪だ」


 マネキンの、髪――

 テラテラ光るプラスチック製の髪を思い浮かべていると、青眼鏡が笑いながら言う。


「んははっ、何すかそれ。ビビって損した感ありますね」

「まぁ、なぁ……呪いとか祟りとか、そういうのはまずねぇと思ってたけど」

「しかし、ロン毛のヅラとかマジでウケるんですけど。ドンキ辺りで買ったんすか」

「知らねぇっての! とにかく、ウチはそんなんだから大丈夫だとして、やっぱヤマジとアカマさんの方は気になるよな」

「そっすね……あ、カズさんとかも近くで飲んでるみたいっす。合流します?」

「ん、そうすっか」


 スマホからの通知を確認した青眼鏡の提案にサコタも乗り、二人は代金を払って店を出て行った。

 それを見送りながら、無意識に小声が漏れてしまう。


「いやいやいやいや――」

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