第42話 うわさのキメコ

 自転車が何かに激しくぶつかった、そんな金属音が至近距離で鳴り響いた。

 放課後、さとしの家の庭にある離れに溜まってダベっていた俺たち三人は、何事かと顔を見合わせる。


「うぉっと、事故かよ?」

「いや、わかんね……たっちゅん見てきて。その細い目で見てきて」

「何でオレ? つうか、自然体でルックスをディスんのヤメろ」

「ぬおぅ」


 龍哉たつやの蹴りが、俺の腰骨にヒットした。

 力の入っていない一発だが、大袈裟おおげさによろけたフリをして立ち上がる。

 唯一の窓は棚で塞がれているので、外の様子を確認するために引き戸の方へと歩く。

 そしてカラカラと戸を開けると、何者かが結構な勢いで突進してくるのが見えた。

 ちょっと驚かされはしたが、こちらに走ってくるのはよく知っている相手だ。


「うおっ! ――ぉう? んだよ、ゴーヤンか。ビビらっすぇあああああっ!」


 いつもつるんでいる仲間の一人だが、「今日はちょっと用事があるから」と帰ったはずの豪介ごうすけが、文字通り転がり込みながら俺を巻き込んでブッ倒れた。


「いっ、てぇ……お前なぁ!」


 半分シャレな龍哉の蹴りとは違って、強打した背中と左肩がしびれている。

 キレ気味に怒鳴りつつ、スピード感のあるタックルを決めてくれた相手の襟首を掴み、無理矢理に起き上がらせる。

 すると、真っ白な顔に大量の汗をしたたらせた豪介が、両の瞳を忙しくアチコチへと泳がせていた。


「どうしたよ? ウンコ漏れかけか、ゴーヤン」

「むしろ既に出産済みかよ、ゴーヤン」


 聡と龍哉が半笑いで言うが、豪介は反応せず無言でプルプル震えている。

 ギャグでやってるにしても、ちょっとしつこい。


「いい加減にしとけよ、オゥルァ!」


 イラッとした俺は、豪介の頭頂部にチョップを叩き込む。

 冗談めかしてはいるが、ほぼ手加減ナシの一撃だ。

 豪介は不思議なものを見る目をコチラに向け、次にグルリと首を回した。

 それから頭をゆらゆら左右に振り、その動きを三度四度と繰り返した後で止め、大きな音で「ぅおぶぇええぇえええ」とえづいた。


「ぐぉ! 何なんだよ、お前ぇ!」

「ウンコじゃなくてゲロかよ! 外でやれ外で! あと靴は脱げ!」


 苦笑混じりの龍哉と、本気で嫌がってる聡の言葉を無視し、豪介は右手を勢い良くブンブン振りながらかすれ声で言う。


「いっ、いいから、いいからっ、みっず――」


 ゲロを吐きはしなかったが、あからさまに様子がおかしい豪介に、聡が飲みかけの緑茶のペットボトルを投げる。

 豪介はそれを受け取り損ねるが、転がるボトルを拾い上げてブレる指先でキャップを開け、大量にこぼしながら喉に茶を流し込んだ。


「あーあーあー、何してくれてんのゴーヤン。もっさん、そこ拭いといて」


 床に撒き散らされる水滴に眉をひそめながら、部屋の主である聡はこっちにティッシュの箱を投げてきた。

 俺は五枚ほど続けてティッシュを引き出し、カーペットに浸み込もうとしている水分をぬぐう。


「ぅうう……はふぅ……」


 豪介はやっと少し落ち着いたのか、空になったペットボトルを床に置いて、長々と溜息を吐きながら靴を脱ごうとしている。

 よく見れば、手には結構な擦り傷があるし、ズボンは土埃つちぼこりに塗れていた。

 さっきのは豪介がコケた音だったのか――と理解しつつ、俺は何があったのかを確かめようと質問を投げる。


「いやいや、『はふぅ』じゃねぇよゴーヤン。さっきのキレッキレのタックルは何だよ? この本村もとむら様への挑戦状?」

「ちがっ――ちげぇんだよ、もっさん。マジで、マジありえねぇんだって!」


 まだテンパっている感じの震え声で答えた豪介に、龍哉と聡が代わる代わる言う。


「落ち着けって。今んとこ、ありえなさだとお前がチャンピオンだぞ」

「つうか用事どうしたよ。家、帰ったんじゃなかったのか」

「そもそも、オレらと過ごすファンタスティックな時間より大事な用なんてあんのか」

「ファンタスティックとは」

「そういや、『ファンタスティック・フォー』のリブート版でさぁ――」


 横滑りを始めた二人の話を遮るように、豪介は両手を何度も突き出すポーズをとる。

 動きの珍妙さとは裏腹な豪介の真顔に気付いたのか、龍哉と聡は会話を中断した。


「だから、マジなんだって。マジでさっき、アレ見ちまったんだって」

「アレって、どれよ」

「キメコ、アレは絶対キメコだったって!」

「キメ……は?」

 

 意味不明なことを言い募る豪介に困惑し、龍哉と聡の反応を伺ってみる。

 俺と同じような微妙な表情を浮かべているかと思いきや、二人は揃って苦々しい顔でこちらを見返してきた。


「お前らは、ゴーヤンが何言ってっかわかんの?」

「そりゃまぁ、キメコったら誰でも――」

「待てよサト。もっさん、地元ココらじゃねえし」


 龍哉の言葉に、聡は「ああ、そういえば」みたいにコクコク頷く。

 他の三人は小学校時代からこの辺りに住んでいるが、俺は中学に入るタイミングで別の県から引っ越してきたんで、まだこの街に来て三年目だ。

 普段は感じることもない疎外感を唐突に味わいながら、それを表に出さず龍哉に訊く。


「そんで、たっちゅん。キメコってのは何なの」

「あー、あのな、キメコってのは、見るとヤバいし聞いてもヤバい系の都市伝説的な、そういうアレなんだけど……どうするよ、話していい?」

「いやいや、ここで『じゃあヤメとく』ってなる流れ、なくないか?」


 俺の半笑いな返しにも、龍哉はまだ躊躇ためらう様子を見せていたが、やがて渋々な雰囲気を丸出しに話を始めた。


「もしマジに何かあっても文句言うなよ……オレらが小学四年とか五年とか、そんくらいの頃に流行った噂でさ。キメコは三十歳とかそんくらいの女で、女なのに坊主頭にグラサンで、めっちゃガリガリの――」

「は? ちげぇだろ、たっちゅん。キメコは二十はたちくらいで、オカッパの巨デブって話だったろ」


 龍哉が始めた説明に、聡が速攻で訂正を入れてくる。

 俺にはどっちが正しいかわからないのだが、二人の話は食い違いが大きすぎた。


「いや、誰と間違えてんだよサト。やべぇ薬キメまくりのキメコさん、だろ? 金持ちの娘だったけど、渋谷で遊び回ってる内に完全ジャンキーになって、いつもは実家に閉じ込められてるっていう。時々逃げ出して、飲むとキチガイになるオレンジ色のカプセルを子供に飲ませようと、街中をウロウロしてるとか何とか」


 色の濃いサングラスは、真っ赤に血走った目を隠してる――

 坊主にしているのは、髪が長いとヤクをキメた時にブチブチ引っこ抜くから――

 そんな設定も龍哉から語られるが、一通り聞いてから聡は呆れ声で応じる。


「何なんだよたっちゅん、その面白キャラは。キメコはきめぇ子、知能がヤバヤバなデブ女だろうが。普段そっち系の施設に入れられてるけど、実家があるここらにたまに戻ってきて、ピッチピチのジャージ姿で歌いながらボロいチャリで走り回ってるやべぇヤツ。そんで、子供の頃イジメられた仕返しなのか、小学生を見ると無差別に追いかけてくる」


 追いかけられてビビり、道に飛び出した子が車にはねられて大怪我した――

 授業中の学校に入り込んできて、大騒ぎになったことがあるらしい――

 聡からの説明は他にも色々あったが、龍哉の話とはまるで噛み合っていない。


「……で、ゴーヤン。どっちの話が正解なの」

「どっ、どっちでもねぇっていうか、キメコは違うだろ? 全然……違うし、そうゆうんじゃねえだろ? ワケわかんねぇネタはやめろよ、たっちゅんも! サトも!」


 俺の問いに対して、豪介はキレ気味に言い捨てる。

 リアクションが予想外だったのか、龍哉と聡は困惑顔を浮かべていた。


「そんなん言われてもなぁ……オレの知ってるキメコってのは、そういう設定だし。で、見たって話を聞いちゃうと自分も遭うっていう」

「こっちもそんなで、目撃談を聞かされると何日か後で遭遇するって……ってか、設定とかじゃなくて写真も見たことあるから。見た目からもうコレなつらの」


 龍哉は首を傾げながら、聡は頭の横で指を回しながら言う。

 豪介は二人を順番に見ると、唸るように息を吐き出してから頭をガリガリと掻いた。


「だぁから、違うって! キメコは真っ赤な着物姿で、両手両足の先がなくて、首から上が包帯でグルグル巻きで、頭はきったねぇボサボサの金髪で、ずっと笑ってて、犬みたいな走り方で追いかけてくる――そういう、そういうのだろ!」

「えぇええ……」

「そうなんだよ! それがキメコで! さっきチャリで、そいつから逃げてきてっ! 後ろからずっとついてくんだよ! 笑い声と走る音がぁ!」

「ちょ、おいおいおい、落ち着けよゴーヤン! マジ落ち着けって!」


 何を言ってるんだ、という感じで引いた態度を見せた龍哉に、掴みかかりそうな勢いで詰め寄る豪介を俺は羽交はがめで止めた。

 荒ぶりが収まらない感じの豪介に、聡も引き気味に疑問を呈する。


「そもそも、キメコは目撃談を聞かないと遭わないんだろ? ここ数年、名前すらも聞かなかったのに、何で今更になって」

「……姉貴だよ」

「ゴーヤンが女装したみたいな、あの愉快な姉貴か?」

「見た目はどうでもいい! マジで殺すぞもっさん!」


 殺害予告が飛び出したので俺が黙ると、豪介は唇を震わせて馬のいななきみたいな溜息を吐いた後、少し冷静さを取り戻した感じで語り始める。


「姉貴が幼馴染のリカさん――小学校時代から仲良くて、今は別の高校に通ってるんだけど、その人から『昔、噂になってたキメコみたいなのが、夜の公園で池にハマってるのを見た』って話を聞いたらしくて」

「その話を聞いた後で、ゴーヤンの姉ちゃんも見ちまったのか」

「そうなんだよ。先週の水曜、だったかな。学校から帰ってきた姉貴が、めっちゃ息切れしてっから、どうしたんだよって訊いたら『キメコがいた』って」


 聡の問いに答える豪介は、妙に芝居がかった口調で語っていく。

 さっきの説明にあったような異様な姿をした怪人に、豪介の姉は学校帰りに十分近くも追い回されたのだという。

 すれ違う人がいても、皆が大して興味を示さないというか、まるでキメコが見えていないみたいだった――そんな姉の話を豪介は半笑いで聞いたのだが。


「マジだったんだよ! 家のすぐそばで、待ち伏せしてたんじゃないかってタイミングで出てきて! 何だそりゃ、としか言いようがねぇし。本気で死ぬかと思ったし、チャリのハンドル変な感じに曲がってたし、ヒザめっちゃいてぇし。マジ何なんだよ!」

「いや、オレらにキレられても困るっていうか……なぁ?」


 龍哉から同意を求められても、曖昧な態度で応じるしかない。

 他の二人と違い、キメコという存在を今の今まで知らなかった俺としては、どうリアクションしていいのかすらサッパリだ。


「むしろ、キメコの目撃談を聞かされたウチら、被害者なんじゃね」

「あ……あーもう、勘弁しろよゴーヤン!」

「そういうとこだぞ、ゴーヤン!」

 

 フザケた調子で責める二人だが、どことなくぎこちなさが混ざっている。

 そのノリに合わせられない俺は、ムキになって反論する豪介を含めた三人のやり取りを、苦笑いで眺めているしかなかった。

 その後、豪介は正気に戻った感じだったが、離れを支配した微妙な空気はどうにもならず、今日はもう解散という雰囲気になってしまう。


「じゃあ……気をつけて」

「お前もな、サト」


 いつになく感情の入った挨拶を交わし、俺は自宅への道を歩く。

 龍哉と豪介の二人とは方向が違うので、帰りは一人だ。

 日は落ちているが街灯はあるし、車は行き来しているし、人通りも皆無じゃない。

 なのに、見知らぬ街で迷子になっているような心細さがまとう。


「キメコ、ねぇ」

 

 意識に居座ったままの名前を口にし、フと歩調を緩めて周囲を確認する。

 三人からたっぷりと妙な話を聞かされた結果、「まさか」という常識的な判断と「もしや」という非常識な予感がゴッチャになった、何とも言えない不安が生じていた。

 実際問題として、半年前に買ったばかりの豪介の自転車は再起不能だ。

 俺をビビらせるためだけに、そんな金と手間をかけるだろうか――


 考えるほどに、不安は輪郭りんかく曖昧あいまいにして全身に拡がっていく。

 俺は速度を上げて、見慣れているのに他人行儀たにんぎょうぎな風景を突っ切っていく。

 しばらくすると、自分の靴音に知らない足音が重なってきた気がした。

 どこからか聞こえる間延びした笑い声が、自分に向けられたものに思えてならない。

 複数の目に凝視ぎょうしされている感覚が、首筋に寒気を運んでくる。

 

 この後はやはり、俺はキメコと遭遇してしまうのだろうか。

 だとすると、三人から聞かされた中のどれが出てくるのか。

 どいつも勘弁してもらいたいが、もし三種類のどれでもないものだったら。

 冷静になろうと努力するが、脳内では益体やくたいもない思考がグルグルと空回りを続けている。


『ヒュ――』


 自分が無意識に漏らしたのか、他の何かが発したのか。

 短く一つ、息を呑むような音がした。

 全速力で逃げ出すか、立ち止まって確認するか。

 少し迷ってから素早く振り向くと、後ろ髪が荒々しく掴まれた。


『ヒュイ、ヒィーイッ』


 息を呑んでいたのではなく、引き笑いだ。

 それはわかったが、何に捕まっているのかわからない。

 耳障りな笑い声に続いて、酔っ払いのゲップに似た臭いが漂った。

 きっと、次の瞬間に見てしまう――そんな予感がして咄嗟とっさに両目を閉じる。

 直後、右のまぶたに冷たいものがそっと触れた。

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