第43話 ひっこし

 土曜の午後二時、◎◎駅の南口にある何だかわかんない銅像の前。

 要領を得ない藪から棒な呼び出しだったが、とりあえず行くべき場所は理解できた。

 指定の日時に自宅から一時間弱の距離にある駅前に向かうと、見覚えのある女が聞き覚えのある声で話しかけてきた。


「うゎ、めっちゃ久しぶりだね、徹兄てつにい

「二年ぶりくらいか。ロクに連絡もせずにどこで何してたんだ、リコ」

「えーっと……まぁ、色々と?」

「質問に疑問形で返すな」


 俺の言葉に、姉の旦那の妹であるリコ――由梨子ゆりこは苦笑で応じる。

 三つ下になるリコは、俺のことを義理の兄のように扱ってくるが、実際の続柄がどうなのかはよくわからない。

 懐かれている気もするが、便利に使われているだけなんじゃないか、と思うことも多々あった。


「だから、色々あったんだって。青春の悩みってヤツが」

「青春って、お前もう三十だろ。その調子で年月を重ねると、『アラフォー女子』とかそういう不思議な肩書きを平然と使う怪人になるぞ」

「まだ二十八だし! あと、見えない仮想敵を急に殴り始めるの、よくないよ」


 やや早口での反論をシラケ面で受け止めつつ、久々に会うリコを改めて観察する。

 派手な髪色と落ち着きのない服装のせいで二十そこそこにしか見えない、というのは相変わらずだ。

 しかしながら、これまで感じたことがなかったかげりも混ざっているような。

 数年会わなかった間に、しなくてもいい苦労をしてきたのかもしれない。


「今はこの辺に住んでるのか」

「んー、それはそう、なんだけど……」


 リコの返事は妙に歯切れが悪い。

 疲れた雰囲気を漂わせているのと、何か関係あるのだろうか。

 これはもう、早めに本題に入らせた方がよさそうだ。

 そう判断した俺は、腰を据えて話すために場所の移動を提案する。


「とりあえず、どっかファミレスか茶店さてんでも行くか」

「だったら歩いてすぐだし、ウチ来ちゃってよ」

「……人を招いて大丈夫な状態なのか?」

「身内なんだし、多少は大目に見てよ。それに、まずウチ来てもらった方が、話が早いんじゃないかと思うし」


 他人の耳には入れたくない話があるのか。

 或いは同棲している恋人でもいて、そいつとのトラブルを何とかしてほしい、とかそんな方向性がなくもない。

 現に五年だか六年だか前にも、別れ話を切り出したら物騒なことを言い始めたアホとの話し合いに、威圧役として同席した覚えがある。


 ガタイは良くても、荒事は苦手なんだがな――

 そんなことを思いながらリコについて行くと、数分で目的地らしい建物に着いた。

 小綺麗な雰囲気のアパートだが、作り自体はオーソドックスなので、多分リノベーション物件というヤツだろう。

 それでも駅近でこの外観ならば、ワンルームや1Kでも空室に困ることはなさそうだ。


「ワリと良さげなとこじゃないか」

「しかも二階の角部屋なんだよね」


 好条件を自慢しているのかと思いきや、リコの声も表情も硬い。

 部屋の鍵を開ける時も、緊張が隠しきれていない様子が滲んでいて、見ているコチラの方が不安になってくる。

 ドアの向こうから、微かに生臭い空気が流れてきた。

 ゴミを捨て忘れたのかと思ったが、そういう状態とは少し違うような気もする。


「とりあえず、上がって」

「ん、そうだな」


 リコに促され、室内へと入っていく。

 元々はキッチン・狭い部屋・広めの部屋が縦につながっている、古いタイプの2Kだったのだろう。

 それを部屋をぶち抜いて1Kに改装しているようで、八畳か九畳ある部屋は家具の少なさもあって広々としている――はずなのだが。


「何かさ、空気悪いでしょ」

「ああ。あと、ぶっちゃけちょっとクサい」


 ベランダに面した窓を開けながら言うリコに正直に告げると、眉根を寄せながら溜息を吐いた。


「そうなんだよねぇ……他の部屋からにおってくるんでもなさそうだし。海が近いとかならわかるんだけど」


 リコの言葉で、部屋にわだかまっていた臭気の正体に思い至る。

 潮臭しおくさいというか磯臭いそくさいというか、とにかくそういう海辺で感じるニオイを薄めたような、そんなアレだ。


「部屋がクサくて悩んでる、とかなら消臭剤か空気清浄機で対処しろ、としか言えんぞ」

「消臭剤とか消臭スプレーとか、そこらは試したけどダメだった」

「じゃあもう、引っ越すとか」

「まだ越して二ヶ月で、お金ないんだよね。徹兄……貸してくれる?」


 流れに乗ってフザケているのかと思ったが、リコの口調には本気の成分が多すぎた。

 まさか部屋のニオイがキツいから引越したい、とかじゃあるまいな――と思いつつも、一応確認しておく。

 

「悪臭とか、そういうトラブルの相談なら、まずは大家か不動産屋だろ」

「そっちには、もう言ったんだよ。だけど、このニオイってずっとしてるわけじゃないから……担当者が確認に来た時は何ともなくて、変なクレーマーみたいな雰囲気に」

「あぁ、そりゃ微妙な感じになるな」

「それに、問題はニオイだけじゃないんだよ。徹兄にウチに来てもらったのは、実際にその場に居合わせてほしかった、ってのがあって」


 どうやら、ここからが本題のようだ。

 おびえを主成分にしたマイナス感情が、リコの声色に混ざっている。

 

「誰かと揉めてたりするのか」

「んー、そこんとこ、どう言えばいいのか……とにかく、今日はここにいてよ。仕事は休みなんでしょ?」

「お前は何の説明もせんで、勤め人の貴重な休日を潰させようってのか」

「いいじゃん、どうせヒマなんだし。折角だから軽く飲んどく?」


 断定的な言い種に反論したかったが、実際問題として特に用事はない。

 若干の納得いかなさを残しつつ、俺は差し出された発泡酒を受け取る。

 リコは冷蔵庫からもう一本取り出すと、素早くプルタブを引いてからスイッとこちらに向けてくる。


「乾杯――するような気分じゃないけど、今日はありがとね」

「可愛い? 義妹いもうと? からの真面目な? 頼みだからな」

「疑問符多くない?」


 この部屋に来てから初めて見るリコの笑顔、その高さに手にした缶を掲げる。

 リコはそれに自分の缶を軽く当てると、テーブルに置いて腰を上げた。


「つまみ、何かあった方がいいかな」

「ああ、乾きもんで構わんけど」

「残念ながら、湿しめりもんしかないんだよね」

「未知の日本語をサラッと放り込むな」


 胡乱うろんな会話の後で、リコはキッチンへと向かう。

 残された俺は、何かを炒めているらしい音をBGMに、部屋の様子を観察する。

 妙なニオイのことだけでなく、どうにもこの場所は落ち着かない。

 生活が荒れている気配はないし、第三者が出入りしている感じもないのに、どこいらに原因があるのだろうか。


「……ん?」


 熱せられたウインナーの香りで海辺臭が消えた――と思っていると、肉が焼けたり油が弾けたりする音に、異質なものが混ざっているのに気付いた。



 コッ――コッ――――――――コッ――ゴッ――

 コッ――――ゴッ――――ゴッ――コッ――――



 主張はそんなに強くないが、無視できない程度のヴォリュームで。

 規則正しくはないけど、何かしらのリズムがあるようなペースで。

 得体の知れない硬質な音が、どこからか聞こえてくる。

 窓の外から流れてくるのではなく、もっと近い場所から発せられているような。


「はーい、お待――あっ」

「……聞こえてるか」


 皿を置きかけた体勢で固まったリコに訊くと、小刻みに首を縦に振ってくる。

 リコと顔を見合わせた状態で黙っていると、余熱でジリジリいっているウインナーに、出所でどころのわからない音が混入してくる。

 二分くらいで音が止まったが、念のためにもう一分ほど待った後で俺は確認する。


「お前が言ってたのは、コレのことかよ」

「そうなんだけど、ヤバくない? ヤバいよね? 何なのこの音?」

「住んでるお前がわからんのに、どうして俺にわかると思った……にしても、ずっとこんな感じなのか」

「うん……大体、日に四回か五回こんな感じで、変な音がする」


 リコに詳しく説明させると、住み始めた当初から怪現象は起こっていた、とのことだ。

 一月ひとつきほどの間は、隣近所の物音が伝わってきているのだろう、と考えて気にせず流していた。

 だけどやがて、他の生活音は殆どしないのにこの音だけ聞こえてくるのは何故なのか、という疑念が湧き上がる。


 しかも発生する時間帯がバラバラで、それなのに一日に何回も聞こえてきて、常に音の感じや鳴ってる時間が一定、ってのは何かおかしいんじゃないか。

 そう疑い始めるとどんどん不安になってきて、今回こうして俺に相談しようと決意したのだという。


「どっから音がするのか、確かめてみたりしなかったのか」

「えぇ、そんなんヤダよ……」

「ヤダっても、自分ちのことだろ、リコ」

「だって、変なのに遭っちゃったらどうすんのさ。てことで、色々と頼むよ徹兄」

「しょうがねぇなぁ……」


 全てをブン投げてきたリコの言いなりになるのは、イマイチ納得がいかない。

 しかし、自分も耳にしてしまった怪音を放置するのも、ちょっとどうかと思われる。

 何はともあれ、漠然と探索してもロクな結果は出ないだろうから、また例の音が鳴り始めるのを待つことにした。



 ゴッ――――ゴッ――コッ――――――――ゴッ



 来た。

 三本目の発泡酒を空にしたところで、またあの音がした。

 怯えた目で見てくるリコに大きく頷いてから腰を上げる。


 ベランダに出て耳を澄ますが、音の聞こえ方は小さくなる。

 ということは、やはり建物内が発信源か。

 キッチンへと移動するが、また音が遠くなったように思える。

 すると、残されているのは――


「この部屋だ。ここのどっかから、音がしてる」

「……そうなの?」


 強張こわばった表情で訊き返してくるリコの肩を軽く叩き、音が聞こえてくる方向を探る。

 膨張する厭な予感に、胃の周辺がギュッと締め付けられる。



 コッ――コッ――――――ゴッ――――コッ――



 床に伏せて耳を押し当ててみるが、こっちじゃないようだ。

 テーブルに椅子を載せて、そこに上がって天井に注意するが、コチラでもない。

 次は壁を調べてみるか――そう考えつつ何気なく触れてみると、不意に振動を感じた。

 より強く感じる方へと移動していくと、俺の指先は押入れへと辿り着く。

 だが、開けていいものか迷っている内に、音も振動も途切れてしまった。


「なぁ……この中って、どうなってる」

「どうもこうも……来た直後に荷物を詰め込んでそのまんま、だけど」


 俺の緊張を察したのか、リコの返事が上擦うわずっている。

 開けるぞ――そう口に出すのはマズいように思えて、目顔で伝えてみる。

 意図を理解した様子のリコは、不安げに頷き返してきた。

 俺は押入れの引手にそっと手をかけ、ゆっくりと隙間を広げていった。


「ぉぶっ」


 思わず変な声が出た。

 月単位で閉じられていたハズの場所から、生温なまぬるい空気が流れてくるのはどういうことなんだ。

 部屋に冷房の効いている夏場ならわかるが、今はまだ冬だっていうのに。

 それに、磯臭さのようなニオイが更に濃くなっている。

 奥行きが結構あるようだが、無秩序に突っ込んである大量のダンボールで、様子はよく把握できない。


「荷物、出していいか」

「……あっ、うん」


 ニオイのせいで渋い表情になっていたリコが、ワンテンポ遅れて応じる。

 重さがバラバラのダンボールを、一つ一つ取り出しては外に積んでいく。

 そうして五個目か六個目を持ち上げようとした時、妙な抵抗があった。

 壁と床に張り付いた状態で、上にも横にも手前にも動かない。

 ただ、無理に動かせば何とかなる気もするんで、これは重さが原因ではないようだ。


「何だこりゃ……固定されてる?」

「え、コテ? どしたの?」

「いや、よくわからんがダンボールが一個、壁にくっついたみたいになってる」

「そんなこと、してないけど……」


 首をかしげるリコに箱が動かない様子を見せるが、かたむき方が大きくなるだけだった。

 とりあえず、開けて中を確かめてみることにして、リコに懐中電灯を用意させる。

 封をしているガムテープを剥がし、箱を開いて中を照らした。


 入っていたのはノートの束と数冊のクリアブックと、豪華な表紙の大型本――いや、紙の感じからしてアルバムだろうか。

 ライトを脇に置いて、手前のクリアブックを出し、それからノートに手を伸ばす。

 何冊かまとめて掴み上げると、予期せぬ手応えと共に紙の破れる音がした。


「ん? ……おぉ?」


 ノートから手を離してライトに持ち替え、箱の中を照らして状態を確認する。

 手前にあるノートの表紙から、大量の尖った何かが生えている。

 太い釘か細い杭――そういう金属製の物体が、アルバムとノートを貫通していた。

 どれも微妙に刺さる角度が違うせいで、強引に引っ張らないと取り出せそうにない。


「おいリコ、ちょっと見てくれ」

「えぇ……は? 何この……えぇえええええええええええぇ……」

 

 嫌々ながら覗き込んだリコは、箱の中と俺の顔を交互に何度も見る。

 こっち見んな――と言いたいところだが、そう突き放すのもどうかと思うので、押入れから出て事情を確認しておく。


「自分でやったんじゃないよな」

「いやいやいやいや……そんなワケない、ないでしょこんな」

「多分、壁の向こうから打ち込まれてるけど、隣は?」

「隣? いや隣いないし。こっち側って、壁の向こうは外だか、ら? ……あれ?」


 言いながら何かがおかしいと理解したのか、リコの口元が引き攣り目が泳ぎ始める。

 俺も変な汗が全身に滲むのを自覚するが、どうにか冷静さを保って質問を続ける。


「足場もない、ただの壁?」

「そう、だと、思うけど……ちょっと、何なの……」


 どん引き状態から回復できていないリコの返事は、どこまでも頼りない。

 にしても、壁から釘だか杭だかを外から打ち込んでくるとか、奇行にも限度がある。

 ストーカーの亜種みたいな頭のおかしい奴ならまだしも、もしそうじゃないなら――

 馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、思い浮かんでしまった可能性は消えてくれない。 


「徹兄……やっぱり引っ越し費用、貸してくれない?」

「あ、ああ、まぁそれはそれとして、だ。こういうことをしてくる相手に、心当たりがあったり――」

「そんなん、ないって!」


 リコはこちらを睨みながらキレ気味に、そして食い気味に否定してくる。

 その態度に引っかかるものを感じた俺は、微妙に内容を変えて質問を繰り返す。


「じゃあ……こういうことをされる、心当たりは?」

「だから、ないんだってば!」

 

 同じように勢いよく否定してくるリコだったが、今度はスッと目を逸らした。

 そんな態度に、俺の脳裏にはいくつもの疑問が浮かぶ。

 二年の不在期間はどこにいたのか。

 大学ノートとアルバムの中身は。

 ――お前は一体、何をやらかしたんだ。

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