第40話 黒ピラ

「おぉー、アンちゃん。早いな」

「お前が遅いんだって、ソウタ」


 ざわつく教室に入ってきた奏太は、オレの隣の席に腰を下ろすと、机の上にシールのベタベタ貼られたペンケースと、隅が丸まった算数のテキストを取り出した。

 カバンの口からは、早売りのジャンプらしきカラフルな本の表紙が覗いている。

 そんな持ち物と、微妙に不良っぽい雰囲気からはアホそうなニオイしかしないのに、オレよりも全然アタマいいってのは納得いかない。


 六年になってから学習塾に通うことになったが、遊ぶ時間は減るし学校と宿題の他にまだ勉強しなきゃいけないしで、最初の内は本当にイヤでイヤで仕方なかった。

 学校の友達がいたら勉強しないだろうと――とでも考えたらしい母親の陰謀で、隣の学区にある塾を指定されたのも最悪だった。

 

 同じ学校の生徒は二人いたが、一人は女子でもう一人は同じクラスになったことない無口なデブで、仲良くしようって気にもなれない。

 生徒の大部分を占める四小の連中と絡もうにも、出来上がって数年は経っているグループに、オレの混ざれそうな隙間はなかった。


「はーい、授業始めるぞー。お前ら座れー」


 算数の授業を担当する井村先生――奏太いわく『先生なんてもんじゃない、単なるバイトの大学生』の間延びした声で、落ち着きのない空気が散らされた。

 バカ話への脱線が多い井村の授業は生徒に人気があったが、奏太はいつもつまらなそうな顔で話を聞き流している。

 そもそも塾に通う必要もなさそうな奏太にしてみたら、井村の下らない話なんてのは無駄の極みなのかもしれない。


 何はともあれ、一人だけ二小から来ているこいつと仲良くなれなかったら、オレの塾通いは苦痛でしかない時間になっていただろう。

 奏太は勉強もできてゲームや漫画にも詳しく、それでいてオタクって感じでもない。

 見た目もそれなりにカッコいいし、学校だと女子の人気もあったりするんだろうか。

 そんなことを考えている内に、いつの間にか算数の時間は終わっていた。


「マジでっ? ソウタあれ買ったの?」

「おう。嘘ついてもしょうがねぇじゃん。買ったっていうか、買ってもらったんだけど」

「そっかぁー、いいなぁ……」

「じゃあさ、アンちゃん。今度ウチにやりに来るか?」

「え、いや行くって。そんなん行くに決まってっから」


 休憩時間の雑談の中で、奏太が新発売のゲーム機を買ったとの話が出た。

 値段も高いし何より全然売ってない、ってことで友達の誰もまだ持っていないヤツだ。

 次の土曜にでも来てくれ、との誘いは断る理由がなかった。

 奏太は何度かウチに遊びに来ているが、奏太の家には行ったことがなかったから、そういう意味でもこの誘いは嬉しかった。


 そして約束の日の昼過ぎ、オレは奏太の家へと向かった。

 同じようなマンションが沢山並んでいる、何とか団地って名前の地区だ。

 父親が運転する車で何度も通ったことがある場所で、ウチからもワリと近い気がしていたのだが、自転車だと三十分以上もかかる結構な距離だった。


「おう、アンちゃん。迷わなかった?」

「大丈夫だって。ほぼ一本道だし」

「つっても、微妙に遠いっしょ」

「確かに。でもまぁ、こんぐらいなら」


 いつもとちょっと違うテンションの奏太に出迎えられ、オレは玄関で靴を脱ぐ。

 奏太のスニーカーの他、サンダルが二足と革靴が二足、それとモコモコしたブーツが出っぱなしになっていて、元から広くもない玄関は完全にスペース不足だ。

 ここんちは何人家族だったかな――と考えていると、それを読み取ったかのように奏太は言う。


「今ウチ誰もいないし、気ぃ使わないでいいから」

「あ、そうなん……んじゃ、お邪魔しまーす」


 奏太しかいないと知りつつも、一応は礼儀として挨拶して上がり込む。

 短い廊下を抜けた先は、キッチンとリビングに通じているようだ。

 引き戸が半開きのキッチンからは、奏太の昼食だったのだろうラーメンの残り香が、それとは別の油っぽいニオイと混ざって流れてくる。

 換気扇を回せばいいのに、と思うがわざわざ言うのも嫌味っぽいので、気づかないフリをしておいた。


「俺の部屋行ってもいいけど、どうせならデカいTVの方がいいんじゃね?」

「あー、そうだな。そうかも」

「じゃあちょっと、本体とってくるわ。そっちの部屋で待ってて」

「オッケーイ」


 親指を立てて応じ、奏太がアゴで示したリビングらしき部屋に入ったのだが、そこで目にした光景にうろたえる。

 ウチがこんなだったら母親が発狂しかねない、相当にデタラメな散らかり方をしていた。

 生ゴミ的なものが転がっていたり、何かをこぼした汚れがあるわけではない。

 だけど、とにかく床に出ているモノが多い――多すぎる。


 脱ぎ散らかされたジーンズ、裏返しになったシャツ、丸まったストッキング。

 雑に積まれた漫画雑誌、そこに挟まった高校の参考書、カバーのなくなった単行本。

 何かのパッケージ、何かの包装紙、何かのプラケース、何かの部品。

 レシートやお金があちらこちらに落ちていて、葉書や封筒もそこかしこに散らばっている。

 ソファの上も、ぬいぐるみやレンタルショップのDVD、それに中身入りのコンビニ袋などに占領されていた。

 

 テーブルの上は多少マシだが、飲みかけのペットボトルや、食べかけのスナック菓子の袋がそのままで、金属製の大きな灰皿には吸殻が山盛りになっている。

 他には指紋でベッタベタのスタンドミラーや、化粧水らしいビンや口紅なんかが置かれていて、埃と抜け毛に塗れたヘアブラシも変な存在感を主張していた。

 とにかく「絶望的にゴチャゴチャしている」という印象しかない。


「うへぇ……」


 無意識に呻き声が小さく漏れる。

 こんな散らかった家で暮らしているのに、まるで不潔な雰囲気を感じさせない奏太は、どんな魔法を使っているのだろう。

 ヤニで茶色く変色した、元は白かクリーム色だったのだろう壁を指で擦りつつ、そんなことを考える。

 ただ、この部屋で一箇所だけ違和感のある場所があった。


 こういうのを床の間、とか呼ぶんだっけ。

 リビングの隅のそこだけが、部屋の荒れとは無縁な気配があった。

 近付いて見てみると、文字らしきものが書かれた掛けかけじくが飾られていて、その下に派手な柄の小さな座布団の上に置かれた、黒くて尖っているものがある。


 直径が二十センチくらいの、三角形を四つ貼り合わせたような形をしたもの。

 材質は硬そうだが、遠目では石なのか金属なのかわからない。

 しゃがみこんで眺めると、黒一色ではなく全体に白く細かい点々が混ざっていた。


 三つの三角はつるつるしていて、機械で切り取ったみたいに綺麗な平面。

 なのに座布団に接している部分は、何の処理もされずデコボコしているようだ。

 ワザワザこうやって飾っているってことは、お宝だったりするんだろうか。


「お待た……お? どしたの、アンちゃん」

「いや、あのさ、ここにあるコレって何なん?」


 ゲーム機を抱えてやってきた奏太に、黒い三角を指差しながら訊いてみる。

 すると奏太は、困り顔なのか笑い顔なのかハッキリしない表情を浮かべ、ゲーム機をソファの上に置いてからこっちへ来た。


「その石か……俺もなぁ、よくわかんね」

「石なのか。つうか、自分ちにあるのにわかんねぇって」

「だから、マジわかんねぇんだって。いつの間にかあったんだよ、その『黒ピラ』って」

「そんな名前かよ、コレ」


 オレの質問に、奏太は半端に頷いてから答える。


「俺と兄貴はそう呼んでる。見た感じ、黒いピラミッドみたいじゃん? 親父とお袋はもっと長い名前で呼んでたけど、よく覚えてねぇわ」

「黒ピラ、かぁ……ゲージュツ作品とか骨董品とか、そういうの?」

「知らん。でも、結構貴重なモンなのかも。去年の夏くらい、だったかな。お袋が連れて来た知らんおばちゃんが、黒ピラをおがみながらマジ泣きしてた」

「何それ、おっかねぇ」


 ふざけた感じで返したものの、実のところ本気で怖くなっている。

 こんなのを拝んで泣く、ってのはちょっと想像がつかないというか、意味不明だ。

 よくわからないが、やばい宗教みたいなヤツじゃないのか。


 もうちょっと詳しいことを知りたい気分だったが、何となく訊かない方がいいような空気もある。

 どうしたモンかな、と迷いながらテーブルとソファの片付けを手伝っていると、ゲームのセッティングをしていた奏太が「あ」と短く声を上げた。


「何?」

「ジュース切れてた。ちょっとコンビニで買ってくるわ」

「なら、オレも一緒に――」

「アンちゃん、これやったことないっしょ? 対戦に備えて軽く練習しといて」

「ん、わかった」


 コントローラーを手渡され、オレは頷き返す。

 床に落ちていた千円札を拾いながら、奏太は訊いてくる。


「アンちゃんは何がいい?」

「えーと……ミルクティかカフェオレか、そんな感じの」

「了解了解。じゃ、ちょっと行ってくる」


 慌しく部屋を出る奏太を見送り、さてゲームの練習を――とソファに腰を下ろしてはみたが、どうしても画面に集中できない。

 目線はTVに向いていても、意識は黒ピラが気になって仕方ない。

 オレは諦めてコントローラーを置くと、床の間の方へとゆっくり近付いた。


 つんいになって、至近距離から黒ピラを観察してみる。

 奏太はピラミッドと言っていたが、少し形が違うんじゃなかろうか。

 指先で表面をピンと弾くと、音は立たず軽い痛みだけが爪の奥に跳ね返った。

 指の腹でそっと撫でてみると、見た目の通りにつるつるしている。


「むぁっ?」


 予想外の違和感に、つい変な声が出てしまった。

 反射的に上半身を起こし、右手人差し指の先を見る。

 慌てて手を離したが、まだ生々しく感触が残っているかのようだ。

 石や鉄みたいな硬さなのに、猫のように生温かい。

 何だコレ――マジで何なんだ、コレ。


「んふっ」


 笑いを噛み殺したような、咳を我慢したみたいな、そんな音が漏れ出た。

 目の前にある、黒い何かから。

 おかしな感触と音――どちらか片方だけだったら、気のせいで流せたかもしれない。

 けれども、どう考えてもコレは普通じゃない。

 もっとジックリ見てみようと、オレは両手で黒ピラを持ち上げた。


 プラスチックほど軽くもないが、金属のような重さもない。

 材質は奏太の言う通り、石が正解らしい。

 奇妙で微妙な温かさが、じんわりと手のひらに伝わってくる。

 正直言って、メチャクチャ気持ち悪い。

 でも、何だかわからないまま終わらせるのは、もっと気持ち悪い。

 

「ぷゎ」


 また、変な音が聞こえてきた。

 出所はやっぱり、黒ピラからだ。

 手の中でクルクル回してみても、音の出そうな箇所は見当たらない。

 そういえば、こっちは確認してなかったな――そう気付いて引っくり返し、デコボコな底面を上にしてみた。


 顔があった。

 真っ白い顔の下半分が、黒い石の中からはみ出していた。


 放り投げたいのに、右手も左手も固まっている。

 見たくないのに、目は閉じられない。

 顔をそむけたくても、首が動かせない。

 

「うぅひっ、うひっ、ううひっ、うひっ、ひひっ」


 シャックリの出来損ないみたいな変な音が、のどの奥からり上がってきて止まらない。

 低く潰れた鼻の下にある、裂けたような大きい口。

 不自然なピンクに塗られたその唇が、クシャッと歪んで開かれた。

 

「たきむらはぁ、だぁめなの」


 なまってるみたいなアクセントで、そう言われた。

 小さい子とオバサンが同時に喋ってるみたいな、聞き取りづらい声で。

 瀧村というのはこの家の、奏太の苗字。

 でも、ダメってのはどういう意味で――

 こんがらがった頭で考えていたら、またピンクの口が動いた。


「あんどうもぉ、だぁめなの」


 安藤――

 オレの苗字が、さっきと同じ声で出てきた。

 ただ、言い方が少しだけ違っていて、疑問系のように思えなくもない。

 直後、手の中の黒ピラが『生温かい』から『熱い』に変わった。


「あっつぁ――」


 動かなかった体に自由が戻り、オレの手から離れて黒ピラは落下する。

 そして派手な座布団の上でバウンドし、床の間の奥へと転がった。

 やばい、元の場所に戻さないと――

 焦って手を伸ばしかけたところで、玄関のドアが開く音がした。


「悪ぃ悪ぃ、待たせたなアンちゃん」

 

 廊下の方から、奏太の声と足音が響く。

 一瞬そっちの方を振り返り、すぐに床の間に向き直る。

 すると、黒ピラは最初に見た時と同じ場所に戻っていた。

 

「なっ――」


 大声が出そうになり、咄嗟とっさに歯を食い縛る。

 視界の端に、コンビニ袋を高く持ち上げた奏太が入ってきた。

 

「コンビニ微妙に遠くてよぉ――んぁ? まだ気にしてんの、それ」

「いや、そういうんじゃない、んだけど……」


 どう説明したらいいのか、まるでわからない。

 そもそも、説明していいのかどうか、それもわからない。

 とりあえずオレが今、考えるべきことは一つ。

 どういう理由をつけてこの家から出て行くか、だ。

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