第31話 どこにでもヤバい奴はいる

 こんなに憂鬱な気分になるのは、いつ以来のことだろうか。

 長々と溜息を吐いてから、視線を目の前のガキから壁の時計へと移動させる。

 深夜の二時十五分――平日のこんな遅い時間に、俺は何をやらされているのか。

 生活のための仕事ってのは基本的に楽しくないもの、って意見には同意しなくもない。

 だけど、犯罪者の相手をしなきゃならないってのは、ちょっとばかりおもむきが違うんじゃなかろうか。

 

 俺の職業が警察官や警備員ならば、こんなことも業務の一環として粛々とこなすべきなのだろう。

 しかしながら、こっちの仕事は深夜勤務のコンビニ店員。

 立場は単なるバイトで、勤務を始めて二ヶ月も経っていない。

 当然ながら、仕事に対する情熱も職場に対する愛着もない。


 そんな俺が、バックヤードで万引き犯を監視しつつ、事情聴取めいたことをやらされるハメになっているのは、いかにも理不尽だった。

 やっぱり別の仕事を探すかな、と思いつつ緩慢かんまんに進む秒針を目で追っていると、舌打ちらしい耳障りな音が聴こえる。

 視線を憂鬱さの元凶へと戻すと、わざとらしく眉間に皺を寄せたガキが、かったるそうに首を回しながら言う。


「つうかさぁ、いきなりドロボー扱いとか、マジ何なの? 別の店で買ったヤツだ、って言ってんじゃん。ジンケンシンガイじゃねえの、これって」

「さっきも言ったけど、そういう話は警察相手にやってくれ」

「だぁら、俺やってねぇっての。ちったぁ聞けってんだよ。なのに、警察がどうこうとかって話になんの、マジおかしいっしょ、なぁ? あぁ?」

「そういうのいいから。名前と住所、学校か勤め先、あと親の連絡先、その紙に書いて」


 心底ウンザリしながら、何度目かわからないやりとりを繰り返す。

 長めの明るい茶髪、無駄に鋭い目付き、半笑いに歪んだ唇。

 爪垢の溜まった指先、ヤニ臭の混ざった息、派手な色使いのジャージ。

 育ちの悪さと頭の悪さが渾然一体となり、自分を不良品だとアピールしている。


 百七十ない程度の身長で、肉付きの薄い体格――中学生か高校生といったところか。

 身分証明書を出さないから確認できないが、十代の半ばなのは間違いないだろう。

 俺の妹と同年代だろうが、年代以外の共通項は何一つとしてないように思える。

 ガキはスチール机の上に置かれた紙とペンを払い除けると、わざとらしく咳払いした後で言う。


「これなぁ、エンザイだよ、エンザイ。マジわかってんの? 出るトコ出たら、こんな店なんか一発アウトって。オマエみたいな雑魚バイトも、ただじゃ済まねぇからな?」


 一端いっぱしなことを述べているガキだが、やはり捕まったことへの動揺があるのか、パイプ椅子の背にもたれて貧乏ゆすりを続けていた。

 違うコンビニの袋を提げて店に来て、そこに何気なく店の商品を詰め込む。

 そんな浅知恵を繰り出してきたが、袋に入れる瞬間を俺が見ているし、中にはウチのオリジナル商品が混ざっていたし、何より防犯カメラにも録画されているハズだ。


 そんなワケで、どんな言い訳や屁理屈を持ち出そうが、聞いてやる義理も価値もない。

 なので俺は戯言たわごとを聞き流して相手にせず、無言で紙とボールペンを床から拾い上げると、再び机の上に並べた。

 そして、それをスッとガキの目の前まで滑らせる――無表情をキープしているつもりだが、もしかするとウンザリ感が多少は滲み出ているかもしれない。


 もう一度くらい払い除けてくるかと思ったが、ガキは舌打ちしただけで何も言わず、ポケットから煙草を取り出してくわえると、使い捨てライターで火を点けた。

 ガスの設定を弄っているのか、十センチ近い火柱が上がる。

 想定の埒外らちがいにありすぎる行動に数秒ほど固まってしまったが、気を取り直して大きめの声を上げた。


「……は? 待てって、おい!」

「ぁあ?」

「いや、『あ?』じゃねぇだろ。こんな状況で煙草って、どんな神経だ」

「っせぇな。こっちはエンザイなのによぉ、大人しく付き合ってやってんだぜ? だったらそりゃ、煙草ぐらい吸わせんのがスジじゃねえのかよ」


 そんなスジがあるか――と反論したいところだが、アホを相手に常識を語っても、平行線になってストレスが高まるのみ。

 そう判断した俺は、店で唯一の喫煙者である古参バイト用に置いてある、クリスタルガラス製の無駄にゴージャスな灰皿を持ち出し、ガキの前に置く。


「おっ、気が利くじゃねえの、バイトくん」


 鼻からムフーッと煙を噴出させながら、ガキは悠然とした動作で煙草から灰を落とす。

 マルボロのウルトラライト・メンソール。

 不良を気取りながら、微妙に健康に配慮している感じがしゃくさわる。

 そもそも、どう見ても二十歳になってないだろうに。

 自由すぎる発言と行動を繰り広げるガキに、こちらの神経は秒刻みでササクレていく。

 

「つうかさぁ、マジありえなくね? 考えてみても、何のケンリがあってこんな場所にオレを閉じ込めてんのよ。これって実は、もう帰ってもいいやつじゃね? なぁ?」

「どうして、そうなる」

「はぁ? どうして、ってコッチが訊いてんじゃん。質問に質問で返すなや。ガイジかよてめぇは。ああ、いい年こいてこんなクソみてぇなバイトやってるし、マジでアッタマわりぃんだな。ぷふっ」


 煽る気マンマンでほざいたガキは、俺の顔に向かって煙を吹きかけると、ムカつく笑い声を撒き散らす。

 証拠バッチリの万引き現行犯で捕まっておきながら、ここまで余裕ぶっこいた態度でいられる理由がどこにあるのか。


 苛立ちが高まりすぎて、逆に冷えてきた頭で俺は考える。

 もしかしてヤクザだの半グレだのといった、面倒なのがバックがついているから強気、とかそういうことなのか。

 にしても、そんな連中がこんなアホガキを助けるために、わざわざ加勢するだろうか。

 イマイチ状況が見えてこないので、相手の真意を探る目的で軽く挑発してみる。


「未成年だから警察沙汰になっても大丈夫、とか思ってるんだろうけどな、最近じゃ中学でも停学とかあるぞ」

「だぁれが中坊だコルァ! 停学だの何だの、オレはそんなん関係ねぇ……つうか、そんな話になんねぇからよ。心配してくれなくていいんだぜ」


 やたらと強気の反応が返ってきた。

 やはり、パッと見は一山いくらのクソガキのようでいて、実は裏社会の闇勢力とのパイプがあったりするのか。


「おっとぉ、ちょっと尿意キテルわ。小便しに行ってくる」

「我慢しろ」

「膀胱が限界だってんだ、無理言うなや。あんまアホなこと言ってっと、ここでやっちまうぞコォウルルァア、あぁん?」


 無駄に巻き舌を駆使しながら、ガキは腹立たしい表情を作って言う。

 何かを企んでいそうな気もするが、止めたら本当に尿を撒き散らされかねない。

 そう判断した俺は、仕方なく要求を呑むことにした。


「……スマホ置いてけ。あとライターも」

「へいへい、っと。泥棒扱いされた挙句に便所すら禁止してくるとか、何なのマジで。トッコー警察?」


 歴史の授業で習ったのか、クソガキは半端なイヤミを盛り込んでくる。

 俺はそれをまた聞き流すと、逃げないように一緒についていくことにした。

 店内に客はいない――カウンターの中で景気の悪い仏頂面ぶっちょうづらを浮かべている、先輩店員の尾方おがたの所へと急ぎ足で近付いて、状況の確認をしておく。


「尾方さん。警察、まだっすか」

「ん、あぁ……まだ、だね」

「ちょっと、遅くないすか。通報して、もう二十分くらいになりますよね。最寄の交番って、ここから十分も距離なくないすか」

「まぁ、その、あれだよ。電話……してないから」

「は? ちょっと、どういうことすか! 何でしてないんすか? こっちはさっきから、警官が来んのを待ってんすよ、ずっと!」


 つい声を荒げてしまうが、便所から戻ったクソガキがニヤつきながらこちらを見ていることに気付き、話を打ち切って事務所へと戻る。

 机を挟んで向かい合わせに腰を下ろしつつ、「その半笑いをヤメろ」とのメッセージを込めて睨むが、ガキはヘラヘラとした表情をキープしたままだ。

 こいつの神経も大概だが、尾方のヤツが何を考えているのかサッパリわからない。


 もしかして、相手が学生だから甘っちょろい対応で済ませるつもりなのか。

 しかし、万引きを捕まえたら年齢性別に関わらず片っ端から通報、というのはオーナーでもある店長から繰り返し厳命されている店の方針だ。

 実際問題、店の万引き被害は結構な金額になっている。

 そんな事情を無視してまで、無関係なガキをかばってやる理由がどこに――


 そこまで考えたところで、不吉な想像に手が届いてしまう。

 こいつと尾方が、無関係じゃなかったとしたら。

 繰り返される万引きについて、尾方が承知している可能性はないか。

 そう考えて改めて目の前のガキを観察してみると、余裕綽々よゆうしゃくしゃくな態度にも違った意味が見えてくる。


「ま、アレだわ。所詮バイトなんだから、テキトーにやんなよ。あんまね、真面目にやっちゃうと、田川クンみたいなことになるかもだし。だからまぁ、尾方クンくらいの感じがイイんじゃねぇの」

「何を……」


 嫌な予感を裏付けてくるかのような、ガキの発言。

 俺は言葉に詰まりながら、その真意を探ろうとする。

 田川ってのは確か――俺が入る少し前に辞めた、深夜帯メインのバイトだ。

 詳しい人柄は知らないが、尾方と一緒のシフトが多かったらしい。

 わざわざその名前を出してくる、という行為にどういう意味がある。

 頭を悩ませていると、携帯に尾方からの着信が。


『そいつヤバいから、通報とか諦めて、早く帰らせた方がいい。盗まれた品はこっちでどうにかするから、とにかく関わらないで。マジに、本当ヤバいから』


 こちらに口を挟ませず、一方的にまくし立てた尾方は、そのまま通話を切った。

 さっき話した時はちょっと様子がオカシい程度だったが、声の調子からして完全に怯えきっている。

 一体どういうことだ――困惑を隠せずにいると、我慢の限界だとでも言いたげに、クソガキは汚い声で笑い始める。


「ぶふっ……ぴゃっはっはっはぅあっは、ぐぶふぇ……ちょ、超ウケるんですけど、そのオロオロしてるツラやめろってマジ」

「お前……尾方さんに、何したんだ」

「んふっ、なぁんにもしてねぇよ? オレはね。オレは」


 仲間が店に来て尾方を脅している、とかそういうことだろうか。

 こいつを置いて様子を見に行くべきか、いっそ自分で通報してしまうのはどうだ。

 迷っていると、クソガキは再び発作的に大声で笑い出し、治まったところで目頭を拭いながら言う。


「ぐっふ、ふぁ――だから、やめろってそのツラ。つぅかアレだ、イマイチわかってないみてぇだし、ここで一つタメになる昔話をしとこう」


 俺が返事をしないでいると、ガキは当然のように新しい煙草を取り出した。

 そして煙草の切り口を三度四度、トントンと垂直に机に落としてから咥え、例のふざけたライターで火を点けた。

 鼻から盛大に煙を吐き出したガキは、指に挟んだ煙草の火をこちらに向けながら、完全にナメきった目で話を続ける。


「昔々、あるコンビニに、バイトの分際で妙に仕事熱心なバカがいました。そのバカは、ボーナスが出るわけでもないのに、出来心で万引きしてしまった子供達を片っ端から通報しました。たかが五百円や千円のことで、親だの警察だの学校だのとゴタゴタするハメになった子供達は、ちょっとしたリベンジを考えます」


 芝居がかった口調の、やけに流暢りゅうちょうな語りだ。

 こういう時のために、わざわざ練習でもしてきたのだろうか。

 そんなことを考えつつ、俺はイラつきを抑え込んで黙って話の続きを待つ。

 俺の態度をビビっているとでも解釈したのか、ガキは満面の笑みで口を開く。


「子供達は、ゴミみたいなバイトを終えて家に帰るバカを尾行しました。バカは生意気にも新築っぽいアパートに住んでいました。でも、色々あって二ヵ月後には引越しすることになりました。色々というのは、自転車が不思議な形になってドブ川に放り込まれたり、アマゾンから二トンの砂利が代引きで届いたり、夜道を歩いていたら原チャリに追突されてアキレス腱が切れたり、ナンパされた恋人が生ハメ動画を撮られたりと、そんな感じでした」


 不快感が急速に高まり、口の中に酸味の強い唾が湧く。

 つまりは、度重なるイヤガラセと犯罪行為によって、自分らを通報した店員――おそらくは田川を追い込んだのだろう。


「……ナンパじゃねぇだろ、最後の」

「その辺は解釈次第だわな。見て確認してみっか? ギャーギャーうるさくて、全然ヌケないけど」

「尾方にも、同じようなことをしたのか」

「だーから、昔話だっての。噂だと尾方クンは、愛車がかーなーり芸術的にね、アレンジされたらしいよ。あと、中学生の弟がボコられて心が折れたとか。弱虫ちゃんだね」


 本人への攻撃と平行して、家族や恋人や家財もターゲットにする。

 古典的で単純だが、極めて有効的な脅迫の手法だ。

 この話をワザワザ俺に聞かせる意味は、一つしかない。

 

「俺のことも、同じ方法で脅そうってのか」

「人聞き悪いし態度も悪いねぇ、雑魚バイトちゃん。恵まれない子供達に援助すると思ってさ、アグネス気分で見逃せってだけのハナシだって。簡単だろ?」

「オーナーも気付いてる。表沙汰になったら、万引きどころの騒ぎじゃなくなるぞ」

「そこら辺は、アレだ。共犯者として、頑張ってトボケ通してくれんと」


 自分らが捕まったら、脅してた店員を共犯者に仕立て上げる、ということか。

 これも、脅迫の手法と同様に単純ではあるが、脅しとしては有効だ。

 理由はどうあれ、尾方がこのガキのために店に損害を与えていることは間違いない。

 こいつが無駄に頭が回るのか、或いは小知恵をつけているボスみたいなのが別に存在しているのか――そんなことを考えていると、ガキが派手に煙を噴きながら言う。


「だからオマエもさぁ、妹に何事もなく学校生活を――」

「ぁあ?」

「は? イキんじゃねぇよ。だから、◎◎◎中学の三年生な妹ちゃんに、何かぁんばっ――」


 ガキが言いかけたところで、自然に体が動いて右フックを放っていた。

 椅子ごと倒れた相手の顔の真ん中に、続けて二発爪先を叩き込む。

 それから、顔を押さえて呻くガキの上に、畳んだパイプ椅子を十発ほど突き入れる。

 手が滑って椅子が飛んでいったので、代わりに右足でガキのアゴを蹴り飛ばしてから、髪を掴んで引き起こした。


「妹がどうしたって? おいクソガキ、俺の家族に手を出す気なのか? しかも妹に? それマジで言ってんのか? 死ぬ気か? あ? おい、返事は? へーんーじーはー?」


 訊きながら、一音ごとに胃の下辺りにグーを突き上げる。

 ガキはまだこちらをナメているのか、返事を寄越そうとしない。

 仕方ないので、御自慢の改造ライターの火柱を最大にして右の耳たぶをあぶる。

 皮膚の焦げる臭いと髪の燃える臭いが、周辺に不快感を広げた。


「んがっ――ぅあばっ? ぶゎ! あああぁぢぃいいいいいいいいいいっ!」

「そういう大袈裟なリアクション、いらねぇから。日本語を喋れボケが。妹がどうしたって訊いてんだろ。おい。何だよ。どうすんだよ。なぁ? なぁ? なぁ?」


 ガキは返事もせずにひっくり返り、狭い床を転がって暴れる。

 俺は指の間に残った茶髪を払い捨てると、胸倉を掴んで起き上がらせる。

 目を泳がせているガキの意識をこちらに向けるため、左頬を目掛けて拳を振り抜いた。

 一発、二発、三発と入れたところで、象牙色の欠片の混ざった血涎ちよだれを吐きながら、ガキがやっと反応する。


「ぼぉ、ぶぉめぇ……ごんなっ、ごどびでっ、どぁっ……だばでず、じゅむど――」

「だから、日本語喋れっつってんだろ! ただでさえアホなのにレベルアップしてどうすんだ。どこ目指してんだ」

「あっ、んごぁあああああああ!」


 ガキの口から飛んだ煙草を拾い上げ、そいつを旋毛つむじで揉み消した。

 珍妙な悲鳴を上げるガキの左手を掴み、指を三本まとめて関節と逆の方向に曲げ、それから腕を捻り上げて肘の関節を壊す。

 また汚らしく喚き散らすかと思ったが、ガキは白目を剥いて気を失った。

 あれだけ調子こいておきながら、このザマか。

 ムカつきがぶり返してきて、床に崩れ落ちたガキの股間を踏み付けておく。


 直後、タンパク質の焦げたものとは別種の悪臭が漂い始めた。

 どうやらガキは、ジャージの中にデカいのをたっぷりと出産して、名実共にクソガキになったらしい。

 とりあえず、こいつを起こして仲間を一人ずつ呼び出させるか。

 俺の妹に何かしようとするヤバい連中は、残らず捻り潰しておかないとな。

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