第28話 もしかしたら、もしかしたら

 東京の都心や副都心の周辺といえば、常に人で溢れているようなイメージがあった。

 しかし、繁華街でもオフィス街でもなく、駅からも距離がある住宅街になると、時間帯によっては不安になるほどに人も車も通らない。

 営業の仕事に就いて、様々な街に行かされるようになってからの発見だ。


 特に平日の昼前は、時々ゴーストタウンっぽくなってたりするな――と、『こちらは粗大ゴミです』と貼り紙されたソファの上で寝ているトラ猫を横目に思う。

 午前に回るべき客先は回り終えたし、駅前まで戻って早めの食事にでもするか。

 そんなことを考えつつ、スマホで駅周辺の飲食店の評判を調べる。


 ふゎん


 不意に、サイレンを鳴らそうとしたのをヤメて、半秒で停止したような奇妙な音が響いた。

 何だろう、と辺りを見回してみるが、そんな音を出しそうなものはない。

 どこかの家から聞こえてるのか、と傍らのマンションを見上げたら、視界の隅に大型の違和感がある。

 そちらに向き直ると、狭い空の隙間に不可解なものが見えた。


「……は?」


 反射的に、疑問符が漏れ出していた。

 半端に錆びた銀色、といった複雑な色合いをした、恐らくは人工物。

 電線に引っかかっているのではなく、浮いているみたいだがサイズはわからない。

 すぐ近くにあるようにも、随分と遠くにあるようにも思える。

 そんなまさか――としか言いようがないが、形状からしてアレなのではないか。


「くえっ?」


 女性の声がして、視線を地上へと戻す。

 マンションの対面にある雑居ビルから出てきた、三十前くらいのスーツ姿の女性が、上空を見上げて口を半開きにしている。

 その視線の固まった方に顔を向けると、さっき自分の見た楕円形の何かに辿り着いた。

 どうやら、幻覚や見間違いの類ではないらしい。


「あの……見えてますか?」

「えっ、あっ、ハイ」


 声をかけてみると、女性は混乱を丸出しにして、おっかなびっくりと応じてきた。

 こちらと上を交互に何度も見るスーツの女性に、問題の物体を指差しながら質問を追加してみる。


「これってやっぱり、アレ……ですよね」

「んっ、え――ええ、アレ、じゃないですか、な?」


 まだ混乱を引きずった感じで、へどもどと返事をしてくる。

 何となく、アレを形容する単語を口にするのがはばかられるのだが、自分達が見てしまっているものは、ぶっちゃけ『UFO』ってやつだ。

 そんな馬鹿な、と脳内では常識的な判断が主張してくるが、じゃあ何なのかと自問してみてもそれっぽい答えは出てこない。


「こういうの見ちゃった場合、どうすりゃいいんですかね」

「あー、えー……どう、なんでしょ」


 さりげなく立ち去れる感じでもなかったので、女性に更に話しかけてみるが、想像以上にポンコツな反応しか返ってこない。

 唐突にあんなのに遭遇したら、テンパるのも無理はないのかもしれない。

 自分としては、視認できる状況にどうにも現実感がなくて、動揺も緊張もやってこないままだ。


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 パチパチパチパチパチ

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 改めて浮いているものを観察しようと目を凝らしたら、頭の中に機械で合成した拍手を思わせる、無機質な連続音が結構な音量で鳴り響いた。

 それを聴かされている内に、何やら眩暈めまいに似た感覚に囚われ、転倒しかけてその場でしゃがみこむ。

 拍手もどきがフェードアウトするのと入れ替わりに、今度は旧式の留守番電話から再生されたような、くぐもって間延びした子供の声が流れてくる。


『さいたまけん、みさとまち、――――、――――、ごごろくじ、さいたまけん、みさとまち、――――、――――、ごごろくじ』


 埼玉県美里町から始まる住所と、今日の午後六時という時間らしい文字列が、二度読み上げられた。

 そうしなければいけない気がして、告げられた住所と時間を手帳に書き留める。

 走り書きしてふと頭を上げると、女性がビルの出入口脇の壁にもたれながら、スマホに何かを打ち込んでいる。

 こちらと同様に、彼女にも留守番電話っぽいメッセージが伝えられたのだろうか。

 化粧気の乏しい顔を真っ白にしている女性に、確認がてら訊ねた。


「聴こえましたか」

「え、ええ……花火みたいな音がして、それから住所が」


 あの音を拍手ではなく、花火と認識したのか。

 言われてみれば、そう思えなくもない。


「大体、同じですね……住所と、時間でした」

「あっ、そうです。最後に時間も。えっと、神奈川の相模原市――」


 彼女が口にした住所は、まるで反対方向のものだった。

 時間も午後八時と、二時間のズレがある。

 この違いに何の意味があるのか、そもそもこの地名にどういう意味があるのか。

 考えてみてもわからないので、ただ思いついたことを口に出してみた。


「その時間に、そこに来いってこと、なんですかね」

「そう……かもしれません」

 

 言いながら、表情筋が強張こわばる感じがした。

 答える女性も、感情を持て余した曖昧な表情になっている。


 ふゎん


 と、聞き覚えのある音が再び鳴った。

 空を見上げると、錆びた銀色の物体は姿を消していた。

 さて、どうしたものか。

 メッセージの場所に行くべきか、それとも無視するべきか。

 どちらが正解なのだろう。

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