第29話 タカちゃんちのダンボール

「俺は何だろう……やっぱ蜘蛛くもとかムカデとか、虫系全般かな」

「はぁ? そんなんキモいだけで、怖いってのはちょい違くね?」

「つっても、これ以上にイヤなの思い付かねぇし。そういうセンはどうなん」

「オレはやっぱアレだわ。別れ話で包丁持ち出してくる女」

「実際に刺されかけた奴の言葉は重いな!」


 いつものようにグダグダな様相を呈していた地元の仲間内四人の飲み会は、さっきまで隣にいた男女混合五人グループが展開していた『怖いもの』の話題が飛び火して、妙な盛り上がりを見せつつあった。

 鮎川あゆかわ仙田せんだが、無駄口を大量混入させながらそれぞれに怖いものを述べると、今度はこちらに質問が向けられる。


香西こうざいはどうよ。何まんじゅうが怖い?」

「ボケを強要する、新手のハラスメントやめろ。怖いもの、なぁ……あ、怖いっていうか苦手って範疇はんちゅうかもしれんけど、病院のニオイとかはダメだな」

「あー、あの消毒液っぽさみたいな」

「それそれ。歯医者でも普通の病院でもそうなんだけど、こらから普通じゃないことが起こりますよ、って予告されてる感じがして落ち着かなくなる」

「予告ねぇ……まぁ、何となくわからんでもないか」


 俺からの答えに対し、仙田は言葉とは裏腹のいまいちスッキリしない表情で、何度か曖昧あいまいに頷いた。

 それから仙田は、モシャモシャと冷めたポテトフライを食っている残りの一人に、グラスをマイクのようにして差し出しながら訊く。


「タカちゃんは、何かある? コレが怖いっての」

「怖いの、かぁ」


 百九十に近い身長と、分厚い筋肉を有した恵体っぷりを誇る高見たかみが、何かを怖がるというのは中々に想像し難い。

 それでも高見は、一分以上もたっぷりと考えた後でポツリと答えた。


「ダンボール」

「ん? ……ダンボールって、あの、箱の?」

「ああ」


 問い返した仙田は勿論のこと、隣の鮎川も重度の困惑顔だ。

 自分じゃ確認できないが、俺もきっと怪訝な表情を浮かべていることだろう。


「ダンボールが怖いって、どういうこと? 過去に何かトラウマがあったり?」

「いや、そういうのはない、と思うんだが」

「じゃあ四角い見た目が怖いとか、あの地味な茶色が生理的に苦手とか、そういう感じ?」

「ちょっと……いや、だいぶ違う。どうにも、説明が難しい」


 鮎川が連続して疑問をぶつけるが、高見のリアクションはとことんキレが悪い。

 ダンボールが怖い、というのは意外とか特殊とかを通り越して、ちょっと意味がわからない。

 何となく話が広がらなくなって、そこからの話題は四人共通の知り合いが転職に大失敗した件についてのアレコレへと流れていった。

 

 やがて、十一時の閉店と同時に飲み会はお開きになった。

 鮎川と仙田はシメにラーメンを食うと言っているが、俺にはそんな元気はない。

 なので、帰りの方向が同じで、やはりラーメンを断った高見と並んで夜道を歩く。

 いい塩梅あんばいに酒が回った頭には、さっきのダンボールのことがまだ引っかかっていた。

 とりとめのない雑談が途切れたところで、俺は改めて高見に質問してみる。


「あのさ、さっきの……ダンボール? あれ、何なの」

「え。何、って言われても」

「いや、気になるじゃん。怖いって、ダンボール全般なの? それとも特定の箱がダメ?」

「特定の、だな。ウチにあるダンボールなんだけど。それが、どうにも……」


 高見も酔っ払っているのか、店での会話では微妙に伏せようとしていた事柄を、何気なく口にしているような感じがある。

 折角だから、もうちょっと深く掘り下げてみることにした。


「家にあるダンボール、ねぇ……それは、箱に書いてあるイラストが不気味だとか、箱の中にやべぇのが入ってるとか、そんなんか」

「箱は無地だし、中身は確か……爺さんが旅行先で買った土産物とか、細々としたのが入ってるだけだ。なのに、その箱を見たり箱のことを考えたりすると、怖いっていうか緊張するっていうか……ホラ、こういう風に」

 

 そう言って高見がこちらに向けた掌は汗でジットリと湿り、指先は細かく震えていた。

 知り合いの中で最も小心者って肩書きから遠い高見が、目の前にそれがあるわけでもないのにここまで追い込まれる。

 その箱が一体どんなものなのか、気になって仕方ない。

 だから酒の勢いに任せて実家暮らしの高見のところに押しかけ、実物を見せてもらうことにした。


「これか」

「これだ」

「……マジで、普通のダンボールなんだな」


 納戸なんどの奥にあった問題の箱は、角がへたれて全体的に黒ずんでいるが、それ以外には目立った特徴もない普通のダンボールだった。

 みかん箱サイズの、ちょっと小さめな寸法の、何の変哲もない箱だ。

 何だか妙な圧力が感じられなくもないが、それは予め高見から色々と聞いていたせいで発生した、プラシーボ効果的なアレだろう。


「中を見るの、久々だったりすんの」

「小六ん時以来、かな」


 俺からの質問に答える高見の声は、いつになくかすれている。

 強めの腹痛を我慢しているようなしかめっつらには、この状況に至ったことへの後悔がありありと見て取れた。

 だが俺としては、ここで終わりにするという選択肢はありえない。


「うりゃ」


 わざとらしくフザケた声を出して、ガムテープを一気に剥がした。

 大きな溜息と共に声にならない喘ぎを漏らす高見に、剥がしたテープを丸めて渡す。


「いいか、開けるぞ」

「まっ――」


 待て、と言いかけた高見を無視して、左右の蓋を同時に開く。

 ワット数の低い納戸の白熱電球が、箱の中身をボンヤリと浮かび上がらせた。

 中に入っていたのは――一回り小さいダンボール箱だ。

 外側の箱よりも痛みが激しく、ぞんざいに扱われた末についたであろう多数の傷と、色褪いろあせたペンキ汚れがついている。


 何だこれ、と思いつつ封のされていないその箱を開ける。

 するとまたダンボールが入っていた。

 今度のはやや小ぶりで、色はオフホワイト。

 箱の周辺には、藁半紙わらばんしを丸めたようなものが詰められている。

 緩衝材かんしょうざいなのだろうか。

 

「土産物が入ってるんじゃ、なかったのかよ」

「……だったはず、なんだが」


 心拍数が上がるのを感じつつ訊くと、高見も緊張の面持おももちで応じてくる。

 苦笑を浮かべようとするが、口の端がりそうになるので諦めた。

 中身を入れ換えられているのか、それとも高見の記憶自体が間違っているのか。

 どちらにせよ、予想していたよりもインパクトのある何かと対面できそうだ。

 高揚感と不安感の入り混じった気分で、俺は緑の養生ようじょうテープで閉じられた白い箱を開ける。


「……おぅ?」


 材質が変わった。

 丸めた藁半紙の中に埋もれていたのは、ダンボールではなく木の箱だ。

 着色も加工もされていない、組紐で封をされた白木の箱。

 何だこりゃ――と隣の様子を窺うが、高見もこれが何だかわからないようで、怪訝な表情で木箱に視線を落としている。


 開けるかどうかを訊いたら、確実に拒絶される。

 そんな気がしたので、黙って木箱を取り出して手早く紐を解いていく。

 木箱は三十センチ四方くらいで、正方形に近い形状をしている。

 持ち上げるとズシリと重いが、中身が詰まっているわけではないようだ。

 ゆるく振ってみると、内部から何かが転がる感触が両手に伝わってきた。


「これは……」


 箱の中に収められていたのは、淡い青をベースにした絣模様かすりもようの古布で何重にもくるまれている――何か。

 指先でそっと撫でてみると、数ミリの厚さにへだてられていても、ゴツゴツとした感触があるとわかる。

 そこはかとなく、干魚のニオイを薄めた感じのものが漂ってくるような。

 布をよく見れば、草の汁が乾燥したような緑のシミが点々と散っているようだ。


 想像以上にプレッシャーを感じているのか、自然と息が荒くなっていく。

 にしても荒すぎやしないか――と我に返ると、やかましい呼気の出所は俺ではなく高見だった。

 二百メートルを全力疾走した直後のような息切れぶりで、冗談みたいな量の汗をかいている高見の顔は、まるで首を絞められているかの如く真っ赤に膨れている。

 人相が変わるほどに見開かれた双眸そうぼうは、澱んだ色合いで俺を凝視していた。


 そこに感情は読み取れなかったが、少なくとも二十年近い付き合いのある人間を見る視線ではない。

 どう考えても尋常じゃない事態が進行している、としか言いようのない絵面を目の当たりにし、俺は悲鳴になりかけた声を咄嗟に飲み込む。

 どうにか気力を振り絞り、布の結び目に手をかけた瞬間。


「ああああああああああああああああっ! もういい! もういいから! 終わり終わり終わり終わり!」


 耳元で弾ける突然の大声に、反射的に身をすくませる。

 そして喚く高見に腕を掴まれ、手にしていた箱を思わず取り落とした。

 ぶぇ、と不可解な音が中から小さく鳴った――気がする。

 だがそれを確かめるひまもなく、高見はそれを引っ手繰るように拾い上げると、さっきまでの工程を高速逆回転するみたいな手際のよさで仕舞い込んでいく。


「ヒッ――ヒウッ――ヒッ――ヒッフ――」


 脇目も振らずに作業に没頭する高見は、しゃっくりを無理矢理に我慢したような、涙を流さずに泣いているような、得体の知れない怪音を発していた。

 呆然と見ているしかない俺だったが、徐々に不穏な感情が湧き上がってくる。

 やがてそれは、短い疑問文となって脳裏に固定された。


 こいつ、誰だ。


 見慣れた友人の横顔が、まるで知らない誰かにしか思えなくなってくる。

 とにかく、ここにいるべきじゃない。

 そんな警告が脳内で鳴り響いたので、俺は忍び足で納戸を出て、そのまま何も言わずに自宅へと戻った。

 

 走り出す寸前の足取りで家路を急ぎながら、あの「もういい」はどういう意味だったのかを考える。

 高見が不意に、箱の中身を思い出したのだろうか。

 それとも誰か、或いは何かが高見の口を借りて、そう言わせたのか。

 どんな想像をしても、体の芯を冷やしてくる真相にしか辿り着けない。


 これから先、誰かに「何が怖い?」と訊かれたら、俺は――

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