第17話 すっごいのがビュルビュル出る
「どういうことなのか、俺もよくわかんないんだけど、さ」
仕事が終わった後の事務所兼更衣室で、バイト仲間の柿崎はアゴを
最初に気が付いたのは、一ヶ月とちょっと前だったそうだ。
アゴの右側、顔の輪郭を形作っている辺り。
やや赤味を帯びた肌の下に、薄っすら黒い点が沈んでいるのを発見した。
ニキビか、吹き出物か。
ともあれ、いい年になってからの肌荒れは、痕を残しやすいと聞く。
なので洗顔料でキツめにこすったり、ニキビ対策の塗り薬を使ってみたり、丹念にマッサージしてやんわり押し出そうとしたりと、一通りの対応はしてみた。
しかしながら、黒い点は微動だにしなかった。
それどころか、一週間が経った頃から黒色が濃くなって、針先くらいの点はゴマ粒大へと成長し、更にジワジワと広がる様子を見せていた。
肌が赤く腫れるのも悪化していたので、外出時は常に絆創膏で隠すようにもなる。
「なるほど。ケガでもしたのかと思ってたが、そんな事情があったのか」
「まぁ、そうだったんだが」
絆創膏を指差すと、柿崎は再びその上からアゴを擦る。
確かに、半月くらい前からずっと貼り続けていた。
で、このまま放置するのもどうかと思った柿崎は、本格的に対処すべく治療法をネットで検索することに。
「……そこはさ、まず皮膚科とかなんじゃね?」
「金かかるじゃん」
色々と調べてみた結果、メラノーマだの癌だのと、
もしかして、シャレにならない病気が進行しているのかも。
不安を募らせた柿崎は調べるのを中止し、再び経過を観察することに決めた。
「何でだよ。医者行けよ」
「金かかるじゃん」
しばらく様子を見ていたが、アゴに生じた黒点の拡大は止まらない。
数日置きにサイズを測ってみると、三ミリ、五ミリ、七ミリと直径は大きくなっていく。
熱を持った皮膚の下には、
こうなってしまえばもう、四の五の言ってられない――柿崎はようやく本格的な対処を決意する。
それが、
「やっと病院に行ったのか」
「いや、自分でどうにかすることにした」
「お前なぁ……」
「金かかるし、それで通院とか入院とかになったら、面倒くせぇだろ」
黒色が一センチ近くまで広がり、虫刺されのように隆起した、問題の箇所。
柿崎はどうするか少し考えた末、ライターの火で
「面倒だって理由で自分の顔にカッター突き立てる馬鹿、初めて見たよ」
「その表現が大袈裟なだけだって。鏡を見ながら慎重に刃先でこう、ちょこちょこっと。うすーく、かるーく、ズバッと傷をつけただけだし」
「擬音おかしくないか」
パンパンに張り詰めていたそこは、刃が入った途端に文字通り破裂する。
黄ばんだ脂のような膿が鏡面に飛び、数拍置いて組織液で薄められた血が滲む。
痛みを無視して腫れを強く
音と同時に暗い色をした血膿が噴出し、再び鏡を広範囲に汚す。
「キモい話を
「いやぁ、それがなぁ……俺も途中まで、そう思ってたんだけどさ」
各種体液で酷い有様になった傷口をウエットティシュで拭うと、腫れは収まったもののまだ黒丸が居座っている。
こんなにデカい
そうしている内に、直径一ミリくらいの線が皮膚の下から姿を現す。
「線……って、何だよ」
「ヒジキみたいな太さと色の線がこう、うにょんって。そこで俺は気付いたね。こいつはいわゆる埋没毛ってヤツじゃねえかと」
「ああ、ヒゲが普通に生えないで、肌の下で変な感じに渦巻いたりする」
「それそれ。無駄にぶっとく成長したヒゲが、黒色の正体だったんだろうって。そう思ってピンセットで引き抜こうとしたんだけど……」
角度を変えて何度か引っ張ってみるが、内部でガッチリと
この調子で試行錯誤しつつチンタラ処置していたら、半端な痛みを延々味わうハメになりそうだ。
だったら
そう判断した柿崎は、その埋没毛らしきものを勢いに任せて引き抜いた。
「で、ビュルビュルって出てきたのがコレなんだけど」
「キメェから勘弁してくれって。そういうの、見せんでいいから」
「まぁ待て。ちゃんと見て、意見を聞かせてくれ」
妙に真剣なトーンで言う柿崎は、スマホで撮った写真を提示してくる。
白いテーブルの上に置かれた黒々としたそれは、異様なウネり方をしていて正確なところはわからないが、多分十センチ前後の長さだろうか。
横に置かれた一円玉との対比からして、太さは本当に一ミリくらいありそうだ。
埋没毛にしても異常だろうが、これは――
「おい、これって……何だこれ」
「わからん。とにかく、こんなもんが俺の中から出てきたワケだ」
血と組織液で重たく湿った、毛のようなもの。
その片方の端には、乳白色で半透明の丸っこいブツブツが
反対側の端は、いくつにも分かれて毛根というか植物の根みたいになっていた。
その根に絡まるようにして、人工物としか思えない
随分と小さいが、形としてはコンデンサとかダイオードとか、そういう電子部品に似ている気がしなくもない。
「柿崎……お前、ロボットだったのか」
「ロボチガウ。オレ、ニンゲン」
「片言やめろ。つうかさぁ、マジで何なのよこれ? ちょっと引くんだけど。実物って、まだ手元にあんのか?」
「それがよぉ……」
予期せぬものが体内から出てきた、という事実に混乱した柿崎は、ピンセットで正体不明の埋没毛もどきを
何もかもがおかしいが、特にこの機械っぽいものは何なんだ、と抵抗に似た
おっと、しまった――と思った直後。
家中にある電話が、同時に鳴った。
「家中の、って」
「固定電話と、仕事用のガラケーと、このスマホだ」
どれに対応するべきか、
登録してある相手からではないようで、見知らぬ数列がディスプレイに並んでいた。
ともあれ通話ボタンを押し、社名と名前を述べて相手の反応を待ったのだが。
『マチガッテイタラ、2ヲ――マチガッテイタラ、2ヲ――マチガッテイタラ、2ヲ――オシテ、クダサイ――マチガッテイタラ、マチガッテイタラ、2ヲ――オシテ、オシテ――マチガッテイタラ、2ヲ――2ヲ――マチガッテイタラ、2ヲ――オシテ、クダサイ』
病院の電話予約やアンケート調査に使われるような、機械的な音声が流れ続けた。
意味がわからなかったが、携帯を持つ手にはビッシリ鳥肌が立っている。
通話を切った柿崎は、まだ呼び出し音を鳴らしている固定電話の受話器を取り上げた。
『ぐぇええええぇええぇえええ……げぶぇええぇえええぇせえええぇ……ぐぇええええええぇえぇえ……』
ウシガエルだらけの池から中継しているような、長いゲップにも似た耳障りな唸り声。
そんな感じの音が、非常識なボリュームで聴こえてくる。
言葉にならない声で喚きながら、受話器を叩きつけるようにして電話を切った。
次もきっと、変な音を耳にしてしまう――そんな確信があって、振動を続けるスマホに手を伸ばすことができない。
ディスプレイに出ているのは、やはり知らない番号だ。
柿崎の脳は思考を停止し、四肢も固まって動けない。
しかし五官は機能していたらしく、鼻が異変を察知した。
「焦げ臭い、と感じた瞬間に体が反射的に動いて。で、見たらこうだよ」
「燃えてたのか……っていうか融けてる?」
柿崎がスマホを操作し、さっきとは違う画像に切り替える。
そこには、アゴから出てきたという何かが、タール状に融け崩れた様子が写っていた。
その残骸を中心にテーブルの天板が泡立ち、周囲は飴色に焦げている。
何が起きたかは見当も付かないが、何か異常なことが起きたのは理解できた。
「つまり……どういうこと、だったんだ。何の話なんだ? これって」
「だから、前置きして始めただろうが。俺もよくわかんないって」
「本気で頭おかしくなりそうだな……意味不明な電話は何だったんだ」
「その場でかけ直す度胸はなかったけど、どこからかかってきたのかは、ネットで番号を調べたらわかった。千葉の養鶏場と、香川の整体院、それから秋田の不動産屋だ」
「商売してる、って他に共通点がないな」
「いや……あるには、あるんだ。二つ」
言いながら、柿崎の表情があからさまに曇った。
渋面でしばらく黙り込んだ後、長く息を吐いて話を続ける。
「まず、どこも今は営業してない。ここ一年の間に廃業してる」
「じゃあ、電話なんて……」
「ああ、かかってくるワケがない。だけど、実際問題かかってきた」
柿崎の口調が、妙に荒くなっている――何か、誤魔化したいことがあるような、そんな態度に思えた。
「……もう一つは?」
「養鶏場も、整体院も、不動産屋も……廃業の理由は多分、火事だ。社名で検索してみたら、それらしいニュース記事が三件ヒットした。どれも、死人が出てる。なぁ……これってどういうことなのかな」
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