第6話 開かずの扉のその先に

 十数年ぶりに戻った地元で、やはり十数年ぶりに顔を合わせた中学時代の仲間内での飲み会は、積もる話があり余ることもあって異様な盛り上がりとなった。

 中ジョッキが、ビール瓶が、二合徳利が次々と空になり、料理が消え脂っぽさだけを残した皿も枚数を増やしていく。


 参加者それぞれの近況。

 クラスメート達のその後。

 溜まり場にしていた店の現状。

 地元の悪名高い不良集団『獄楽ごくらく』が起こした殺人事件の噂。

 中学の嫌われ者だった教師がクビになるまでの顛末。


 話題はアチコチに飛びながら途切れることなく、騒々しい宴会は夕方から始まって日付が変わるまで続いた。

 半数近くが酔い潰れたところで「そろそろシメるか」というムードになり、会計を済ませた後は泥酔者をタクシーに放り込んだり、嫁や兄弟に電話を入れて回収を頼んだりの作業が始まった。


 それなりに正気を残していた俺もその処理を手伝い、一通り片付いたかなという辺りで帰り支度を始めた。

 夏に入りかけた時期だが、まだ熱帯夜は遠く風が心地良い。

 店の前にあった自販機で買ったペットボトルのお茶を飲んでいると、俺の帰郷にタイミングを合わせて飲み会を企画してくれた、幹事役のタカキが声をかけてきた。


「リュウちゃん、今日はドコ泊まんの? ホテル? 実家?」

「実家」

「そっか……東京からだと結構距離あるし、ちょいちょいってのもムズいかも知れんけど、また帰ってきた時には連絡くれよな」

「ああ。今日はありがとな、タカキ」


 駅近くの居酒屋から実家までは、徒歩で三十分ほどの距離だ。

 タクシーを使ってもよかったのだが、以前は毎日のように使っていた道をゆっくり見てみたい気分もあって、歩いて帰ることにした。

 有給休暇と連休をまとめて潰して、親族間のトラブル処理に駆り出された胃の痛くなるばかりの里帰りだったが、今夜でそれなりに元はとれたように思える。


 久々に歩いた道は、何とも言えない感情を呼び起こしてくれる。

 見覚えのある景色がノスタルジーを刺激するでもなく、ただただ地方都市の住宅街にありがちなウンザリさせられる個性のなさ、そいつを再確認しただけに終わった。

 街灯が少ない夜道なのも問題なんだろうが、そもそも高校まで過ごしたこの街に、自分はそれほどの思い入れがないんじゃなかろうか。

 余計な事実に気付いてしまい、酔いの回った体は二割くらい重みを増した。


 実家までの中間地点にある坂の下まで来たところで、その脇にある小さなトンネルが目に入った。

 螺旋らせん状に組まれた短い石段の先で、手入れの痕跡がない草に埋もれかけた入口が、支柱の錆びた背の低い街灯に照らされている。

 人が擦れ違うのが精一杯の狭いトンネル、だったはずだ。

 ここを通ると十分くらいの遠回りになるのだが、薄暗くてカビ臭い地下道の佇まいは妙に男心――というか冒険心をくすぐるものがあり、小学生の時分は意味もなくコチラを使っていた記憶がある。


「……まだ、あったのか」


 ちょっとシラケつつあったタイミングでの、懐かしさを感じるスポットの出現。

 これはもう、行くしかないだろう。

 不意に高まったテンションに後押しされ、俺は季節外れの落ち葉が積もっている石段をゆっくりと下りて行く。

 改めて近くで見ると、苔生こけむしたコンクリの塊が転がっていたり、タイヤのない自転車が何台も放置されていたりと、トンネルの入口周辺は中々の荒れっぷりを見せていた。


 だが、中を覗き込んでみると、ナトリウム灯のオレンジ色が確認できる。

 周辺の雰囲気からして、通行止めになっている可能性も考えたのだが、どうやら現役で使われているようだ。

 やめといた方がいいんじゃないか、と大人の冷静な判断も脳裏を過ぎったが、大人なんだから何かあってもまぁ大丈夫だろう、とのアバウトな判断も直後に弾き出されたので、俺は薄暗い穴へと足を踏み入れた。


 湿り気を帯びてカビ臭い冷えた空気は、昔の印象とあまり変わらない。

 だが、壁面には大きなヒビや剥落はくらくの跡が目立ち、デコボコの地面には所々に油の浮いた水溜りができている。

 十年以上の歳月は、元から古びていたトンネルを完全な骨董品にしてしまったらしい。

 誰かと行き会ったら変な緊張感を強いられそうだったが、やけに大きく響いている自分の足音と、水が流れる微かな音が聴こえるばかりで、人の気配はない。


 こういう水音、前はしてたっけか――

 そんなことを考えながら少し早足に進んで行くと、金属製のドアが視界に入った。

 ドアの上に設置された非常口の表示は壊れ、つやのない青色のペンキで塗られていたはずの表面は赤サビにおおわれていたが、こいつは昔『開かずの扉』と呼ばれていたものだ。

 非常口と言いながら常に鍵がかかっていて、出入りした奴もいなければ出入りしているのを見た奴もいない、どういう意味があるのかわからない扉。

 そんな扉が、半開きの状態になっていた。

 

「マジでか」


 驚きが呟きになって、半ば無意識に漏れ出る。

 そうするのが当たり前に思えて、開いたドアの端に手をかけそうになるが、寸前で厭な予感がして動きを止めた。

 何だか、誘い込まれているような気がしないか。

 特に通る必要のないトンネルに入ってみたら、昔から気になっていた開かずの扉が開いている、だなんて――

 わざとらしいほどに、俺の興味を惹こうとしていないか。


 そこにまで考えが至ると、頭がスッと冷える。

 血管に混ざった濃い目のアルコールもまとめて持ち去られたような、急激な醒め方だった。

 予感に従うことにした俺は、伸ばした手を引っ込めてそこから離れようと――するつもりだったが、そこで妙な音を耳にしてしまう。


「――ぅ、――――っ、――ぁ、――――ぅ、――ぁ」


 一定の間隔で繰り返されているそれは、音というか声だった。

 気のせい、ってことにして立ち去るのも難しいくらい、ハッキリと生き物の声。

 どうせ猫とか鼠だろう、と判断して無視するのも躊躇ためらわれる程に、人の泣き声に似ていた。

 事件か、事故か――何にしても、もう放っても置けない。

 相変わらずの厭な予感にさいなまれつつ、俺は再び扉に手をかけた。


 入った先の通路は、壁面にパイプやケーブルがゴチャゴチャと走っていて、想像以上に広かった。

 そして、さっきまでいたトンネル内よりも明るい。

 蛍光灯に似た白っぽい薄明かりが、壁の下部に設置されたライトから発せられているようだ。

 誰も通らないような場所に、わざわざこんな照明を設置する意味は。

 膨らむ怪しさに眉をひそめながら奥に進んで行くと、耳に届く声は徐々にボリュームを上げていく。


「――うっ、――ふっ、――ふっ、――えぅ」


 恐らくは女性の声、だ。

 幼い少女の啜り泣きに思える瞬間もあれば、世をねた老婆の呻きに聴こえることもあり、この先に誰が待っているのかの想像を拒絶してくる。

 何度目かの曲がり角を越えたところで、不意にモワッとした空気のかたまりに触れた。

 ほんのり生温かく、不快な生臭さがあり、何だか密度が濃い空気。

 入院患者の溜息、みたいな上手くもない比喩ひゆを思い浮かべながら、小さく咳き込む。

 それと同時に、聞こえ続けていた声が途絶えた。


 生温かい空気が消え散ると共に、本能が拒絶してくる悪寒が首筋まで這い上がってくる。

 これはマズい。

 とにかくマズい。

 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ――

 そんな警告が、けたたましく頭の中に鳴っていた。


「ぅうぇうっ、げぇっぱぅ、えぇあぇん、ぅええぁう」


 不明瞭だった声が大音量で響き渡り、脳内に流れる警告を掻き消す。

 やはり、泣いているようだ――いや、泣きすぎてワケがわからなくなった、声帯と感情をダメにした果ての断続的な悲鳴、だろうか。

 とにかく、誰かがいる。

 数メートル先に見えている角を曲がった先に、この声を発している誰かが。


 これ以上の深入りはやめて立ち去るべきだ、という意識も当然あった。

 その一方で、もう十二分に関わってしまった、との諦めもある。

 十秒ほどの逡巡しゅんじゅんを経て、俺はそのまま前に進むことを決意した。

 歩幅を小さく、ゆっくりと曲がり角に近付いていく。

 角の手前で立ち止まり、本当にこの先に進んでもいいのか、自分への最終確認を行おうとした瞬間。


 ブツンッ


 と、何かが引きちぎられたような音がして、照明が全て消えた。

 唐突に視界がゼロになり、反射的に大声で叫びそうになるが、声が出ない。

 というか、呼吸ができないほどに全身が固まる。

 右足首が誰か――何かに掴まれている、と知覚すると同時に動けなくなってしまった。


「ぶぁうぇえええええええええええええぇ! なぁんんんんんんでぇええっ! ひゃあああああああぁんんでぇえええええええっ!」


 なんで――と繰り返しているのか、そう聞こえるだけで意味はないのか。

 泣き声を金切り声に転じさせた、何事かを叫ぶものが足元でうごめいている。


「ぁあぐっ!」


 足首を掴んだ力が強くなり、思わず苦悶の声が漏れる。

 それを合図にするかのように、消えていた照明が一気に点灯した。

 

「ぅひっ――」


 自分が何を見たのか理解できず、悲鳴にすらならない間抜けな音を吐いてしまう。

 赤黒く、膨れて、薄灰色の粘液に塗れた、肉塊のような何か。

 そいつがケロイド状にトロけた三本指の手でもって、俺の足首を掴んでいる。

 顔のような部位は何箇所かに穴が開いているが、幼児がデタラメに練り上げた粘度細工みたいな曖昧さで、目も鼻も唇も存在していない。


 掴まれているのは足なのに、胃を握り潰される感覚に囚われる。

 渇いた口の中に、苦味ばかりが充満していくようだ。

 一刻も早くこの場から逃げなければ、と頭は理解しているのに体は動かない。

 腰と首の辺りの力が抜けていく――ああ、これはダメだ。


 危機感が頂点に達しかけた時、肉塊の口らしき穴が湿った音を立てて裂ける。

 そこからは、イチゴに似た色合いと見た目をした半透明の舌が現れ、それがゆっくりと俺に向かって伸びてきた。

 唾液なのか胃液なのか、黄色く濁った汁が周辺に撒き散らされる。

 そんな光景の目撃を最後に、幸か不幸か俺の意識は暗転した。

 

 ――気付いた時には、俺はトンネルの入口付近に立っていた。

 入ってきたのとは逆方向の入口だから、出口と表現した方がいいだろうか。

 とりあえず、自分の状態を確認してみる。

 靴は両方ともなくなっていて、靴下はじっとりと濡れそぼっている。

 三回しか着ていないTシャツは、首周りがダルダルに伸びている。

 先月買ったばかりのハーフパンツは、ドス黒いシミとカギ裂きだらけだ。

 ポケットの財布とスマホは無事だったが、時間を見ると朝の六時に近い。


「五時間近くも、俺はここで何を……」


 言いながら辺りを見回し、荒れ果てた状況に困惑させられる。

 逆サイドも酷い有様だったが、コチラは完全にゴミ溜めだ。

 不法投棄された家具家電に、錆び放題に錆びた謎の金属部品の山。

 よくよく見れば、どこかの解体現場から持って来たような廃材も積んである。

 光量が足りないのでよく見えないが、臭いからして生ゴミ的な代物まで転がっていそうな雰囲気がある。


 いくら何でも、こりゃないんじゃないか。

 ここを使う地元民がいないワケでもあるまいに、と思いながら背後を振り返る。

 しかし、そこにトンネルはなかった。

 正確に表現するなら、トンネルのあった場所はコンクリートでふさがれていた。

 それを見た瞬間に再び意識が遠のきかけたが、どうにか踏み止まった俺は、小走りで実家までの道程を急いだ。


 帰り着いた後は、忌まわしい記憶を洗い流したい一心でシャワーを浴びた。

 何かオカシなことになっていないかと体の隅々まで調べてみたが、右足首周辺が丸く痣になって脛毛が焦げたように縮れていた他は、特に問題はなかった。

 いや、それはそれで大問題だとは理解していたが、とにかく一安心はできた。

 落ち着きを取り戻した俺は、スマホを手にしてタカキの番号を呼び出す。

 結構な量を飲んでいたからか反応は鈍く、二十回をいくつか超えたコールの後でやっとつながった。


『……んぁ、何? うぇ……早ぇよ、リュウちゃん』

「すまん。ちょっと訊いときたいこと、あってさ」

『はぁ? ……それって急ぎなん?』


 ダルそうなタカキに申し訳ないと思いつつ、俺は話を続ける。


「昨日の飲み会でさ、『獄楽ごくらく』が起こした殺人事件の話、してただろ」

『んー、あぁ、そんな話もしてた……っけか』

「あれ、幹部の嫁だか恋人だかが浮気したのをシメるっつって、仲間内でのリンチになったのがエスカレートしたとか、そんなんだったよな」

『うぅ。そう、だけど……?』


 そんな下らない話をしたくて朝っぱらから叩き起こしたのか、と言いたげな気配がタカキの口調から伝わって来た。

 知ればスッキリする気がするけど、アレが近付いてくるような気もする。

 それでも、この先を訊いておくべきだろうか――被害者の死因と、殺害現場について。

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