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雪の時季になった、でも前年の大雪や大停電騒ぎが嘘のような少雪で拍子抜けするほどだった。
これからのこと、のために少しずつ足元を固めていく。やらなければいけないことは本当にたくさんあったし、ひとつひとつが大きなことばかりだった。それをせめて父に報告し、東京には戻らないことをきちんと告げなければいけない。でも秋の一件以来、正直どう接すればいいのか、が分からなくなっていた。
私が悌市さんから聞いたのはやはりとんでもない話で、それは何十年経っても覆りようがないことだ。悌市さんが父をもう恨んでいないといっても、私は父がそういう人間だったことを、父がやったことそのものを受け入れようとしていない。私が知らない間に父に対して抱えていた嫌悪感の正体がはっきり分かってしまったから、というのもあるだろう。父の根っこにあたる部分に謎を解く鍵があるのかも、と中学生の頃にぼんやり思ったことがあるがまさに見立てどおりだった、それ自体が私には悲しいことだった。そんなことを再認識すればするほど、父に連絡を取るのが
だから、まずは母に、私が決めたことをまとめてメールで送ってみた。
とりあえずメールには事後報告的に諸々書き連ね、最後に「久しぶりにお母さんと会って話したくなりました。新潟に一人旅しに来ませんか、今年はまだ雪もないし」という一文を添えた。メールでも電話でもなく会って話したかった、そうするべきだ、と思った。それから改めて母に電話し「退学届に保護者のサインが必要だから、印鑑と心の準備を」とお願いした。
三日後、母は新潟にやって来た。最寄駅で出迎えた私に「本当に雪がなくてびっくりしちゃった」と言った母は、
「え。二名様?」
「もちろん」
「うわー。志ま津さんの建物に入るの、初めてなんだけど。ほんと外見だって文化財レベルだし」
「ね。ネットで見て、ここにしよう、ってすぐ決めちゃった」
「なんか、テンション上がってきた」
すぐに私の車に乗りこんで松谷へ向かい、まずは
お店を後にして志ま津へ向かう途中、悌市さんの家の前を通りかかった。私は立ち止まってお墓に手を合わせた、それは悌市さんから話を聞かされて以来の習慣になっていた。
「お母さんも、手合わせて」
「なに。偉い人のお墓なの」
「うん。それから、私達に超関係ある人もここに。
えっとね。ごはん食べた後に、すごいドン引きする話をさせてもらいますんで。覚悟のほう、よろしくお願いします」
母と再会してからの高揚感は、この瞬間に吹き飛んだ。そうだ、この話をするために母を呼んだんだ。
「あのね。うんと小さい頃のことは結婚する前に聞かされてたの、
でも、ね。中学を出てから水商売の仕事を始めるまでの間、っていうのはお母さんにとっても空白の期間、って感じで。それは今初めて聞いた。お墓の人、っていうのは、ショックだね」
「ね。でも悌市さんは『絶対改心してるはずだ』みたいな感じで言ってくれてる。なんかね、悌市さんだけじゃないけど、みんないい人すぎてたまに申し訳なくなる」
「あ。改心したっていうのは、信じてもいいかも。つき合い始めた頃とか結婚する時とか奈央が生まれてからのこととか思い出すと、ね。ちゃんと誠実で純なところもあるから。
昔そういうことがあったしあんな感じの人だけど、百パーセント悪いお父さんじゃないから。大丈夫」
「うん。
お父さん、私が松谷で働くのを認めてくれるかな」
「そうだね、そこが一番難しいね。お母さんは、奈央の人生なんだから、って素直に言えるけど」
「秋に来た時に『東京に帰ってこい、パン屋でも持たせてやる』って言ってたんだけど。は? って感じだったけど」
「それは大丈夫、単なる思いつきだから。帰ってきてほしくて、とっさにそんなこと言ってみただけでしょ。お父さん、奈央が東京に帰って来なさそうだな、って思い始めてるから。ただ、場所がね」
母と話しているうちに、私は父と縁を切ろうとしている訳ではなく、なんとかうまくやろうとしているんだ、と初めて気づいた。どこかで折り合いをつけ、松谷での自分と実家と関わる時の自分、それぞれの新しい姿を確立しようとしている。そして気がついたら、こんな言葉を吐いていた。
「あのね。お父さん、悌市さんにお詫びしたりしてくれるかな」
母は何も言葉を返してくれなかった。
「私が松谷で働こうとしてるのは、自分にとって居場所だって思えて、地元の人もずっといたらいいって言ってくれて。ただそんだけなんだよね。だから、お父さんの過去とは全然関係ないの。なんていうのかな、マッチングが超うまくいった場所にお父さんの過去にすごく関係がある人のお墓があった、っていうだけで。それは、私もちゃんと説得して分かってもらわなきゃ、って思ってる。
でね、なんていうんだろ。やっぱり別問題で、昔迷惑をかけた人に謝ったりしてくれるかな、って。
どうかな。いきなりこんなにいろいろ言ったら、パニクるかな」
「パニクるかもね」
「なんかね。何こいつ、って思うかもしれないけど。そのために私、松谷に来たんじゃないのかな、って気がして。呼ばれた、みたいな。
ごめん。お母さん、超引いた顔してる」
「大丈夫。奈央の気持ち、すごく分かるから。それができる人であってほしい、っていうのはすごく分かる」
母はひどく困惑しているように見えた。さっき言ったばかりの「百パーセント悪いお父さんじゃない」という言葉が嘘になってしまうのではないか、というような困惑、だったのかもしれない。
母は一泊して、観光もせずすぐに帰った。もっとも唯一最大の用事は済んだんだから、寂しさもあったが母がそうしたいのなら、という感じだった。母だって、私が話したことをあっさり受け入れたけど帰ってから父への接し方が変わってしまうだろう、どんな気持ちで新幹線に乗ったんだろう。そんなことを考えたら落ち着かなくなって、打ち明けたことを少し後悔した。二人は二人で今までどおり暮らしてもらうとして、私は何も言わずにいつの間にか松谷の人になる。そんな流れもありだったかな、なんて考えたりもした。
次のミーティングまで、あと一週間あった。その時にみんなにちょっと相談してみよう、どうせ父のことを知ってる人ばっかりだ。みんなに話せば私自身の気持ちも落ち着くだろうし、その前に母から何か言ってくるかもしれない。そう考えて気持ちを落ち着かせた。
でも結局母からのリアクションはないままミーティングの日を迎え、本題の議論が終わってから出席した男性陣に意見を聞いてみた。悌市さんにお詫びしてほしいと父に言っても大丈夫か、男親の立場で考えたらどう思うか。
「彼の意見は参考にならないと思う。猫のお父さんだもん」
「おっしゃるとおり。ごめん」
シフトの一件以来、布佐子さんと
「俺らったら即謝罪らな。自分の子にそういう嫌われ方したくねえし、お父さんに頭下げてほしいっていう奈央やんの気持ちも分かるしさ」
「やっぱさ、そういうことができる人間であってほしい、いう思いがあるんろう」
「はい。母も同じこと言ってました」
「そうせば和宏が言うてみればいいんでねえんかね、おら
「いや、倉ちゃん以外の人が言うのも、またおっかしろう」
「志ま津さん、娘が言ったらかどが立つ、とかそんげ時代じゃねえて。そうやってもらってすっきりして一歩前進、いうことになるんしさ。奈央やん、そうなんろう」
「はい」
「俺も、それがこの問題の幕引きになるような気がするな。お父さんを信じて、ぶつかってみればいいと思う」どこか所在なげにしていた
「そして正ぼんが、話についてきてねえし」
「ごめんなさい。こういう時なにを言えばいいのか、って」
「そうか。唯一、親じゃねえっけな。猫の親でもねえし」
「まああの、いい方向にいけばな、って思います」
そして、とりあえず父にはメールを送ることにする、長文になりそうだからみんなに文面をチェックしてもらうかもしれない。ということで、この話は終わった。
なんだか、完全に田舎の人になっちゃってるな、私。と思った。気がついたら、信頼した人にはオープン過ぎるというか開けっぴろげというか、そういう人になってしまっていた。でもそれは嫌な気分になるようなものではない、少しこそばゆい感もあるが。でもこれもまた準備段階、私が松谷の人になるための準備のひとつ、だ。これから、もっとオープンな人間になっていくかもしれない。
正嗣さん関連のことはそういえばその後何もなかった、悪いけどほんとうにそういえばレベルの話、に私の中ではなっていた。立ち消えかもしれないし少し先に何かあるのかもしれない、実は私が松谷の人になることに関して大きな鍵となる問題、でもあった。片づけなければいけないことがまだ山ほどある私と、まだ若干頼りない正嗣さん。だからやっぱり、それはまだまだかちょっとか分からないがとりあえず先のこと、だ。
久しぶりです。ずっと連絡しなくてごめんなさい。
この前、お母さんに新潟に来てもらって、いろいろ話しました。
ちょっと聞いてるかもしれないけど、松谷温泉の「惣兵衛さんのかまど」に正社員として入社して、パン作りを本格的にやってみることにしました。春からバイトし始めて、いろいろ勉強させてもらってすごく充実してるし、温泉街のみんなも私をすごく気に入ってくれて、仲間として認めてもらった感じです。
ずっと先がどうなるかなんて全然分からないけど、しばらくお世話になってみようと思います。
それから、学校には退学届を出しました。書類のサインとかは、お母さんが新潟に来た時にお願いしました。こそこそしてごめんなさい。
春までに、松谷にもっと近い所に引越すつもりです。前に電話でちょっと言ったけど、やっぱり学校より現場のほうが全然楽しいし実践的な感じなので、
私には、松谷に来て初めて知ったことがいくつかあります。すごい偶然でびっくりしてどうすればいいか分からなかったけど、それはお父さんのうんと若い頃のことです。
お父さんが歌手を目指していた頃のライバルだった
この方から昔のことを全て教えてもらいました。最初は、本当にショックで消えたくなりました。
イベントの時に、お父さんが予約だけした「
最初に書いたように、私が松谷で働くと決めたのは、私が居場所を見つけたと思えたしみんなも私に働いてほしいと思ってくれているからです。でも、松谷には晋輔さんのお墓があります。私がそういう場所で働くのは、お父さんにとってはすごく微妙なことだと思います。
でも、私の未来とお父さんの過去を切り離して考えてほしいんです。お母さんにも言いましたが、マッチングがうまくいった場所にお父さんと深いかかわりがあった人のお墓があった、というだけです。数百分の一の偶然がたまたま起きてしまったけど、ここで一緒くたにしてしまうといつまでもすっきりしないような気がします。
それで、お父さんにお願いしたいことがあります。
悌市さんに「昔、辛い思いをさせて申し訳なかった」とお詫びしてもらえませんか。
お父さんは知らないと思うけど、悌市さんは十代の頃に大人でもなかなか経験しないような出来事がたくさんあったし、お父さんのことですごい思い詰めた時期もあったそうです。でも今はそういう辛いことを全部乗り越えて、松谷で楽しく暮らしています。
お父さんが、私だけじゃなくてお母さんにも当時のことを言えなかったのは、「こんなこと言ったらショックだろう」と気を
だから、お父さんもちゃんと過去に向き合って悌市さんにお詫びしたらすっきりすると思うし、私も安心して働けます。
なんだか生意気な感じになりました。ごめんなさい。
でもすごく、そうしてもらいたいんです。そうしたら、私も前に進めるような気がしています。
いつでもいいので、お返事ください。
途中まで携帯のメール編集画面で書いていたがさすがに嫌になって、結局パソコンに打ちこんで仕上げた。プリントアウトしてバイト先に持参し、お茶に来ていた和宏さんと幹夫さんに目を通してもらった。
「やっぱ、
「これ、メールで出したとして読んでもらえますかねえ」
「パソコンのメールに送ったらなじらね。これ、携帯らと大変らわ」
「うーん。手書きで送ってみればいいんじゃねえか」
「手書きですか。
「そんげこと言うてんなや。学校やめたっけペン持つのなんか久々らろうけど、頑張ってみれば」
「ああ、手紙はいいわ。ほんに大事な話なんだすけさ。普段あんた達ぐらいの子はなんでも携帯とかパソコンで済ましてるんだすけ、ちゃんと手書きの手紙送れば、
「ほんでさ、パソコンの文字らと『長げなあ』て思って流し読みするけど、手書きらと案外あっという間に読み終わるんだいな。最後まで集中して読むっていうかさ」
「ああそうか、和宏は実感として分かるんだわ。若かりし頃、先代から『どうか立ち直ってくれ』いう手紙を貰うたんだすけ」
「貰ってねえてば、そんげの」
「内容とか、大丈夫ですかね。最後のほうとか、上からな感じになっちゃってるけど」
「内容は全然問題ねえ。大丈夫」
「まあ、思いの丈をぶつける、いうことでいいこてね」
そして結局、私は父にメールではなく手紙を送ることになりレターセットを買いに走った。そんなものを買うのも、父に手紙を出すのも小学生以来のことだった。
手紙は届いたかな、と思い始めてから三日間は音沙汰なしだった。そして投函から一週間後、ランチの時間に父がお店にやって来た。冬の閑散期だからお客は近郊の会社に勤める人が二組だけ、それからカウンター代わりの大きなテーブルの片隅で悌市さんがカレーを食べていた。父は悌市さんを見てぎょっとしたような表情を見せた後、カレーを頬張る悌市さんの傍らに立って声を掛けようとした。しかし悌市さんは「飯を食っているのが分からないか」と言わんばかりに父を見やり、またお皿に目を落とした。
父は悌市さんに変にゆっくりと会釈した後、四人掛けのテーブル席に陣取って私が焼いたパンとコーヒーをオーダーし、食べ終わった後もみぞれが降り始めた店外を眺めていた。悌市さんも、しばらく席を立たずに康祐さんと世間話をしたり、猫を抱き上げて背中を撫でてやったりしていた。
二組のお客が帰った後、悌市さんは父に言った。「娘さんの手紙、読んだかい」
手紙のことは悌市さんに絶対知られたくないと思っていた、でもきっと幹夫さんか誰かが言ってしまったのだろう。いろいろ共有しすぎなのは田舎の悪いところだな、と思っていたら、悌市さんはこう続けた。
「俺、あんたのことなんかもうなんとも思ってないからさ。十七の時にあんたが勤めてたキャバレーの裏に行って、殺すつもりで夜中まで待ってたけどあんたが出てこなくて、自分のことを馬鹿みたいだな、て思ってさ。それで『もういいや、しょうがない』って思いながら生きることにしたんだ。それっきりだよ。
許したような気もするんだけど許してないのかもしれない、それもよく分からないんだ。なんせ昔のことだし後遺症でちょっと頭が働かなくなって、いい具合にいろいろ忘れたりもしてるしさ。
あんたもテレビでご活躍だったり、ここでバイト始めた子がほんといい子だと思ってたら実はあんたの娘だったとか、いろいろあったけどさ。
まあとりあえず、あんたの子とあんた自身とは俺に言わせれば全くの別物だし、あんたの子にはこれから世話になると思うけどあんたは別世界の人、テレビの中の人だよ」
ちょっと意味が分からなかったが、とりあえず悌市さんは父にそう言った後すぐにお会計を済ませて帰ってしまった。
後片づけをしてから、普段はそのままお店を開けておくが康祐さんがドアに「本日貸切」のプレートを掛け、黙って奥に行ってしまった。田中さんも帰ってひどく静かになったが音楽のボリュームが少しだけ上がった、布佐子さんが気を利かせてくれたのかもしれない。
「手紙、読んだから来たんだよね」
父は頷いた。少し
「思い詰めてた、ってそういうことだったのか」
「そうだよ。悌市さんとは、若い頃は面識なかったんだよね」
「話に聞いたことはあったけどな」
「とりあえず、お父さん刺されなくてよかったよ。そんなことになってたら、私生まれてないんだし。
やっぱり、ばれたのってショックだった?」
「そりゃもちろんそうだ。
やっぱり、お前とママには知られたくなかった。それが一番だった」
「お父さんもトラウマになってたんでしょ」
「多少は、な。その後忙しくなってたまに思い出す程度にだんだんなっていったけど、それでもさ。
俺だって成り上がりたかったし、先生に目をかけてもらってるあいつが羨ましくてどうしようもなかったしさ。成り上がりたかったんだよ、あの世界で」
「でも、商売の世界で成り上がれたからいいんじゃないの。
あのね、訊いていい? もしかして、私が松谷温泉でバイトするって言った時点で、悌市さんのお兄さんを思い出してた?」
父は頷いた。「それだけで、怖ろしくなった。早いとこ帰ってこさせなければいけない、と思ってた。お前が新潟の大学に行くと言った時もぎょっとしたけど、あいつの故郷が具体的にどこだったかは記憶が
お前がここで働き始めてから、松谷温泉に母親と弟がいるって言ってたのを思い出して、まさか、ってさ。それでもあいつの家族やら墓やら考えたこともなかったし、お前があのことを知る可能性なんてないに等しい、とも思ったけど、どうにも怖ろしかった。お前があいつの故郷にいて、しかもそこを気に入っている、というのが」
「うん、気に入ってる。でもそれとこれとは別だ、って思ってほしいんだ、手紙にも書いたけど。
なんかね、お父さんには『娘の人生だから』って応援してくれて笑顔で送り出してくれるお父さんであってほしい。私がお父さんの理想の娘になろうとしてないのに、自分の理想ばっかり押しつけて申し訳ないんだけど」
「あーあ、もうなあ」父はうなだれて頭をかいた。「やっぱり、パパがひどいパパだったからそういう道を選んだのか。テレビに出て馬鹿やってたり、人の店乗っ取ったり」
「いや、だから別の話だって。たしかにお父さんはきっつい人だけど、私がいい職場に巡りあえたこととは関係ないじゃん。ほんと偶然だから、当てつけとかじゃないから」
「でもほんとに、偶然にしてもなあ」また頭をかいた。
「パニクるのは分かる気がするけど」
布佐子さん夫婦に助け舟を出してほしいところだった、でも「話は耳に入れないから」とばかり音楽のボリュームを上げて居住スペースに引っこんだ二人にそれを期待することもできない。
「分からん。分からなくなってきた」
「ほんとごめん。でも、気持ちはもう変わらないと思うんだ」
父はかすかに「あんな」と呟いた。何が「あんな」なのか、と訊き返したくなった、でもそんな言葉をかけても耳に届かないだろう、と思わせるような表情を父はしていた。
「やっぱり、さっきの男に謝らなきゃ駄目か」
「う、うん。できたら」
父はかなりきつい口調で言った、怖くなるほどだったが私もなんとか言葉を返してみた。
「俺のことはもうなんとも思ってない、って言ってたんだからいいだろ」
「うーん、でもね。さっき言ったのと同じだよ。そういう、昔辛い思いをさせた人にお詫びできる人であってほしい、みたいな」
父はやっと顔を上げた、私の進路の話をしたあの時と同じ顔をしていた。
「なに言ってんだ。
あんな奴、どうせ兄貴の腰巾着で生きることしかできなかったんだろ、だからあんなざまになっちゃったんだろ。死んでおけばよかったんだよ、あいつも。所詮は芸者の
それにしても兄貴の真似して善人ぶってさ、あの
ちょっと騒ぎ起こしてみたら勝手に死んじまった兄貴と、弟は聖人気どりの障害者か。笑わせんな」
「あのね、お父さん。ごめん」
「なんだ」
「本当は、ずっとそんな風に思ってきたんじゃないの。それとも、罪悪感はあったけど相手を
「意味が分からん」
「なんかさ。お父さんは悌市さんを今『聖人気どり』って言ったけど、なんていうんだろ。私もあの人のことは仙人ぽいっていうか、ちょっと不思議な人だと思ってる。でもね、ごめん、人間的にお父さんより全然大きい人かも、って今思った。
お父さん多分、自分がひどいことした相手にそこまでキレて暴言吐きまくれる、っていう時点で負けちゃってるよ、悌市さんに。誰が見ても、お父さんより悌市さんのほうが立派だよ。
私だって二十歳すぎて、いろんな人と喋ったりしてさ。自分とは価値観が違う人とも出会うし、気が合う人とも出会えるし。
そうしてるうちに、自然にね。お父さんって人としてどうなんだろう、って考えたら、私と全然価値観が違うんだ、って。これはかなり最近、ていうかたった今思ったことだけど。お父さんの実家がないとか仕事の場でどうのとか、そんなことは今、全然関係ないの。ただ、人としてどうなんだろう、って考えたら。
私は、お父さんとは違う。これをお父さんと、お父さんが苦しめた人に分かってほしい、って今すごく思ってる。
ごめん。私は、お父さんとは違う」
次の瞬間、父は私をグーで殴った、そして店を飛び出した。しばらくしたら外からこんな声が聞こえてきた、電話で話しているようだ。
「ああ、今松谷温泉の、パン屋の前にいるんだけど。なんていうんだ、ここ。あ、そうそう。それだそれだ。まったく馬鹿みたいな名前だな。とりあえずこの店まで一台。通りに出たとこに立ってるから。倉本です。はいはい、よろしく」
私が床に倒れこんだままで父のそんな声を聞いていると、物音や声に驚いた布佐子さんと康祐さんがフロアに飛び出してきた。康祐さんは私の体を起こしながら小さな声で「よく頑張った」と言い、布佐子さんはいつかのように「もういいんじゃないの」と言った。そしてそのまま三人で康祐さんの車に乗りこみ、病院に連れて行ってもらった。怪我というほどの怪我でもなかったが精神的なダメージがかなり大きくて、イベント後のようにまた数日間アパートに引きこもる羽目になった。それでも、松谷のみんなが頻繁に体調を気遣うメールや電話をくれたのがあの時とは違った。
私から父に連絡をとるなんてもう一生ないかもな、とまだ思っていた頃、いきなり父から「まずは好きな道を歩んでみろ。じゃあ」とかいう内容のメールが来た。同時に「銀行に行ってみろ」などとあやしい一言もあったからそのとおりにしてみたら、私名義の口座に馬鹿みたいな額のお金が入っていた。父なりに反省し
年末年始、惣兵衛さんのかまどはしっかり休む、というスケジュールになった。帰省などできる訳もない私はフル稼働する宿のお手伝いをすることに決めて、年明けを
それから空いた時間に不動産屋さん巡りをして新居探しに精を出したり、松谷の人になる準備は着々と進んだ。そして雪景色もろくに見れないまま立春が過ぎ、
数日後、母の署名が入って返送されてきた書類には、こんな手紙が同封されていた。
奈央もいよいよ門出の日を迎えるんですね、おめでとう。たくさんの問題を乗り越えて新しい道に一歩踏み出すところまでこぎつけたあなたの強さには、本当に頭が下がります。
あなたの心の強さ、それはお父さん譲りなんですよ。地味な子、お父さんと全然違うってからかわれたこともあったみたいだけど、でも芯の強さがある子だった。それはあなたのお友達には伝わっていなかったとしても、お母さんはちゃんと分かっていました。そして、お父さんのいいところをちゃんと受け継いでいるなあ、と思っていました。
あなたが松谷に馴染み居場所を見つけ、周りの人からも受け入れてもらえたというのは、あなたがお父さんから貰ったものを駆使して道を切り開いたということでもある。あなたは、やっぱりお父さんの子なんだ、ということを忘れないでね。
お母さんだけでなく、お父さんもあなたのことを、父親譲りの面がすごくあると思っていたんです。自分に似ているどころか分身のような存在、だから必ず戻ってきてくれる、巣立つ日なんて訪れっこないんだ、と信じていたようです。
でもあなたはお父さんの存在など飛び越え、よりによって一番知られたくない過去が隠されていた場所に旅立とうとしています。やはりそれがショックで、裏切られたという思いもやはりあったでしょう。
東京は相かわらず、お母さんが退屈なのも相かわらずです。
ただ、お父さんはさすがに少し変わりました。騒がしいというか落ち着きがないというか、よくいえば賑やかな人でしたが最近は少し静かになって、少し優しくなりました。それから、強いていうなら、前ほど独りよがりな人ではなくなったかもしれません。
お父さんとあなたが、あなたの職場でどんなお話をしたのか全て聞かされた訳ではないから分からないけど、お父さんにとっては「私とお父さんは違う」と言われたことが何よりもこたえているようです。お父さんなりの頑張りを家族に認めてもらいたいのは当然だし、お母さんやあなたにはそういったことを理解する義務のようなものがあると思います。お父さんにとって、認めてほしい人から貰う言葉としては一番辛いものだったでしょう。でも、あなたはお父さんを一人の人間として見て、そのうえで「違う」という言葉を突きつけた。あなた自身がそう思ったのであれば、それは誰にも覆せるものではありません。
お母さんも、実は松谷の宿であなたから聞かされた話が頭から離れなくなって、帰ってきてからしばらく悩みました。でも、夫なのだから、と思うことにしました。何年かしたらあなたも「里帰りしようかな」なんて思ってくれるかもしれないし。
それぞれの選択があって、それぞれこれからも生きていかなきゃいけないんですものね。
あなたが宿で言った言葉を、最近しょっちゅう思い出すようになりました。松谷に来たのは「呼ばれた」からなのではないか、という言葉。お父さんのせいで亡くなった方が眠る場所、その方の弟さんが暮らす場所。そこに奈央は呼ばれた、そういう運命だったのかも、という意味ですよね。お母さんも、最近そう思うようになりました。
ちょっとおかしなことを書きます、ごめんなさいね。
これは亡くなった方流の、お父さんへの復讐だったのではないか。奈央がお父さん譲りの性格で松谷に馴染み根を下ろそうとしていること、そのためにお父さんを全否定したこと。それが一番ショックだろう、と、その方はお見通しだったのではないか。娘を絡めとる=お父さんが今まで
それから、もうひとつ。
お父さんにとって、亡くなった方の弟さんの言葉がかなりダメージになっているようです。
はじめは、あなたがお願いしたとおり弟さんに頭を下げて、それから東京に帰ってくるよう説得するつもりでそちらに伺ったんです。
でもあなたの職場で弟さんと鉢合わせして。弟さんは、お父さんに「今はなんとも思ってない、許したのか許していないのかさえ曖昧だ」とおっしゃったそうですね。それでちょっと分からなくなってしまったようです。混乱させられる出来事だったのがだんだん心に刺さってきたようで、それを糸口として、今は自分を見つめ直そうという心境に達した、というところかもしれません。
お父さんは、自分を勝ち負けの対象として見ない人、ある意味受け入れている人に出会ったのが初めてだったのではないか、と思うんです。ここまでフラットな視線で自分を見れる奴がいるのか、と。なんていえばいいのか、「自分にとってのあなたはこういう人だ」という思いを、一切の嘘もてらいもなしにぶつけることができた人だったのでしょう。
正面切ってぶつかってくるか、絶対服従か。そういう人との関わりに慣れ過ぎて、弟さんのような人とどう接していいか分からず半ばパニックになり、それで暴言を吐いたりあなたに手を挙げてしまったのではないでしょうか。
弟さんも若いうちに大変な思いをされて、でもそれを受け入れるしかないと悟って今までの人生を過ごしてこられた訳でしょう。そして今穏やかに暮らしていらっしゃるのなら、今さら何を、という思いになるでしょう。それは当然といえば当然です。
でもお父さんには、恨まれているほうがまだ理解できる。
お父さんも、本当は可哀想な人なのかもしれませんね。
今年は雪が少ないまま春を迎えられそうだということで、お母さんも安心しています。引越しの時に雪が残っていたら大変でしょうから。当日はお手伝いに行きます、その時またいろいろお喋りするのが楽しみです。彼氏も紹介してくださいね。
では、またね。
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