#9The flower that blooms in adversity is the rarest and most beautiful of all.

 土曜日。ニューファームの街は、浮かれた気分の人たちでごった返す。

 にもかかわらず、アリーは地中海の国からやってきた派手なスーパーカーの助手席で、むっつりと臍を曲げていた。


「コーディが、年中パパラッチの餌食になってるのは、コーディの責任も大きいと、思う、の」


 アリーは隣で鼻歌をうたっているコーディに唸るように言う。

 サングラスこそかけていたが、コーディはお忍び姿でもなんでもなく、洒落たスーツに身を包んでスター感を丸出しにしていた。

 そんな姿でこんな馬鹿みたいに目立つ赤い車に乗って道行く女性に声をかけたりしていたら、パパラッチはコーディの記事のネタに事欠かないだろう。

 今だって、もしかするとアリーを新しい恋人と勘違いしたカメラマンがファインダー越しにシャッターチャンスを窺っているかもしれない。そう思うと、なんだかもう呆れて物も言えなくなってくる。


「うん、お兄ちゃんって罪な男だろう? でもアリー、君も人のことは言えないよ」


 赤信号の手前でブレーキを踏んだかと思うと、すかさずコーディがシートベルトをずらして帽子を取り去り、アリーの額に掠めるように口づける。

 今まではカーテンのような髪がそれを防いでいてくれたけれど、ナイジェルの手によりそれも叶わなくなってしまった。

 アリーは無防備な額を両手で押さえてから、抗議するようにコーディをじっと見つめる。

 本当にパパラッチに写真を撮られていたりしたら、たまったものではない。

 アリーの心配もよそに、コーディーはいつもより三割増し甘ったるい表情で微笑んでいる。


「アリーがどれだけ天使みたいにかわいいか、知ってるのは僕だけでいいって思ってたはずなのになあ」

「……」


 シスコンもここに極まれり、とコーディの顔にペンで書き殴ってやりたい。もちろん油性で。

 アリーは頬を染めると、くるりと反転して窓の外の景色に集中する。


「ほかの奴らに見られるのは癪だけど、でもお兄ちゃんもアリーを見ていたいから、許してあげる」


 ちっとも懲りずに呟いたコーディは、滑るように車を発進させる。

 もういい加減黙ってほしかったけれど、どうしてわざわざ週に一回あるかないかの休日にコーディが車を出してくれたかわかったから、アリーはなにも言わず、着替えを詰めたバッグを抱きしめた。


  $$$


 裏通りに入ってしばらくして、車は路肩に停まった。

 ドアを開けてすぐ、計ったみたいにスウェット姿の人影が過ぎる。マックスだ。羊柄の妙にかわいらしいネックウォーマーを首に巻いているのが、目つきの悪さとちぐはぐでおかしい。

 マックスはすぐそばに停まったド派手な車の様子を窺うように、なにやら胡乱げな視線を向けている。無理もない。合衆国は広しといえど、銀の跳ね馬のエンブレムのついた南欧生まれのスーパーカーはなかなかお目にかかれない。

 けれども、アリーは兄がどこぞのセレブなご婦人から貢いでもらった高級車のことなどどうでもよかった。


(……今日は、わたしから挨拶、するんだから)


 今朝起きてから何度も言い聞かせた言葉も、いざマックスを目の前にすると、わけがちがった。壊れたみたいに鳴り始めた心臓を押さえつけて、アリーは地面に足を下ろす。

 臆している場合じゃない。

 今日からのアリーは一味ちがうのだ。だれかに声をかけてもらうのをただ待っているだけのアリーは卒業する。


「お、お、お……! おひゃよう、マックス」


 自然にスマートに言おう言おうと思っていたのに、緊張しすぎて噛んでしまった。

 恥ずかしくて頬から火を噴きそうだ。耳まで赤くして、アリーは俯く。

 マックスはまさか車にアリーが乗っていると思わなかったのか、驚いた様子で近寄ってきた。


「その声、アリシア? なんだよそのバカみたいな車は――」


 ドアのすぐそばまで来て、いきなりマックスの声が途切れた。

 まるで電池の切れた機械仕掛けのおもちゃみたいに、その場に硬直している。肩にかけていたらしいスポーツタオルがずり落ちても、まるで気づいた様子がない。

 アリーが屈んでタオルを拾ってようやく、縺れた吐息が吐きだされた。


「――は? え、なに、あんた、え? ……は?」


 なにやら支離滅裂な言葉を発すると、マックスは口元を手で覆った。


「き、今日はいいお天気だねっ」

「いやお天気の話なんかしてねえっての! は? まじでアリシア? え?」


 マックスに顔を覗き込まれるのが速かったか、それとも間にコーディが割って入るのが速かったのか判断がつかない。

 気づいたときには、外面笑顔を貼りつけたコーディと青筋を浮かべたマックスがガンをくれ合っていた。


「やあ、イディオット。いくら学習能力のない猿だからって、僕のアリーにちょっかいを出すのはやめてくれるかな」

「――んだと、この腐れディック野郎!」


 とんでもないスラングの応酬に眩暈がする。

 なにがどうして、こんなに柄も仲も悪いのだろう。マックスもマックスだが、コーディはもう少し自重してほしい。彼は歴としたプロヒーローだし、いい大人なのだ。これでも。

 だれかに止めてほしかったけれど、遠目に見える通行人は面倒ごとには関わりたくないとばかりにそそくさとビルの影に消えて行ってしまう。

 仕方なく、アリーはコーディの服の裾を引っ張った。


「コ、コーディ、送ってくれてありがとう。もう大丈夫だから……か、帰って」

「ええ~、つれないなあ、アリーは。でもね、今日は僕もお招きを与かっているんだ」

「はあ? ライバル会社のビッチヒーローなんて誰もお呼びじゃねえよ」


 蠅を追い払うみたいに右手を振ったマックスに、コーディは薄く笑った。


「それが、君のとこのボスからのご指名でね」


 そう言ってコーディは上空を指差す。

 見上げると、六階の窓が開いて、ネイトがひらひらと手を振っていた。


  $$$


「こりゃあ、化けたな」


 事務所の扉を開けるなり、ネイトが深くチェアに腰掛けたまま、しげしげとアリーを眺めて呟いた。

 ソファの背には、こちら側に背を向けてブレットが座っている。昨日少しだけ打ち解けられたかと思ったけれど、ちらりともこちらを見ないあたり、アリーの勘違いだったのかもしれない。


「その服もナイジェルにもらったの?」


 アリーは自分の服を見下ろして、躊躇いがちに頷く。

 チャコールグレーのニットワンピースはざっくりとした模様がかわいらしいが、丈が短くてちょっと裾が気になってしまう。普段は履かない黒いストッキングもなんだか素肌を晒しているよりも透けた肌が強調されているような気がして気恥ずかしい。

 去年、コーディがプレゼントしてくれたつば広のガルボハットを合わせると、なんだか女優気取りの勘違い女みたいなファッションに見えて仕方がなかった。


「……あの……ナイジェルは、本当によくしてくれて、その、少しはましになったとは、思う、の。でも、やっぱりすぐには、レ、レベッカとかみたいに、なれなくて……」


 そう言ってから、アリーは穴を掘って地中に埋まりたくなった。いきなり比較対象にレベッカをもってきたりしたら、自意識過剰だと思われないだろうか。

 悶々としていると、ネイトは少し呆れたようにブレットとマックスを見やる。なにか言いたげに三拍ほど二人を見つめていたが、諦めたようにため息をつくと、アリーの方まで歩いてきた。


「うちにろくな紳士がいないことを忘れてたわ。アリー、こっちおいで」


 手招かれていった先には、姿見があった。

 蜂蜜色の長い髪は、ゆるくパーマがかかり、胸のあたりで切り揃えられている。少しパサついていた髪もヘアオイルなる液体のおかげか艶が出て、アリーにはよくわからないいい匂いがしていた。

 前髪は左サイドに流され、青い眸を覆い隠すものはもうなにもない。

 今まで化粧っ気のなかった顔も、眉毛を整え、ナイジェルに教えてもらったアイメイクだけはするようになった。

 グロスの色は、オレンジだ。コーディが化粧品会社のCMに出演したときに何故か貰ってきたものを拝借した。いまいち自分に合っていない気もしたし、コーディもそう思ったのかピンクのグロスを買ってあげると言われたが、どうせなら自分の給料が出てから買いたかったので固辞した。


「ん~~~~。もちっと、女度上げたいな」


 ネイトはそう言って、チェストから真っ赤なルージュを取りだす。

 ごくごく自然な手つきでグロスを拭われ、ぼけっとしている間にネイトは器用にアリーの唇の色を塗り替えてしまった。

 我に返ったアリーは、そっと唇を押さえる。

 モノトーンでまとめられたコーディネートにたしかに赤は映えて見えたが、ますます勘違いを極めている気がした。


「ネ、ネイトさん、わ、わたし、おか、おかしくない、ですか」

 ネイトはとっておきの冗談を聞いたとでも言いたげに、くっと身体を折った。


「べっぴんだよ。……あー、べっぴんって死語?」

 えーと、とネイトは腕を組んで視線を彷徨わせる。


「――きれいだよ。とびきりな。見違えた」


 飾り気がない、けれどそれゆえにまっすぐに飛び込んでくる言葉に頬が熱くなる。

 ナイジェルの腕を疑うわけではないが、正直、今の今までちゃんと見られるような容姿になったのかどうかわからなくて不安だった。

 なにしろ、昨日ブレットはイメチェンしたアリーに一切コメントしてくれなかったし、マックスも驚いていたようだったけれど、やはりなにも言ってくれなかった。

 唯一まともな褒め言葉をくれたのはコーディだが、彼が妹を大げさに褒め称えるのはいつものことなので、全くあてにならない。


「あ……ありがとう、ございます」


 もじもじと袖を引っ張りながら、アリーは呟く。

 たぶんネイトは気も遣ってくれているのだろう。けれど、ボスのお墨つきを得て、ようやくほっと肩の荷が下りた気がした。


「やっぱあいつの腕は一流だな。これでいちいち抱きついてこなけりゃ、お抱えスタイリストにしたいくらいだが」


 あいつとは、ナイジェルのことだろう。

 昨日、アリーの髪を切っておまけに服やメイク道具まで餞別として贈ってくれた後に、ナイジェルのタイプはネイトみたいな男だと教えてくれた。ちなみにそのときアリーも好みのタイプを聞かれたけれど、レモネードを噴き出して噎せてしまって答えられずじまいだった。

 今度一緒に恋バナしましょうね、と約束してくれて、アリーは内心言葉では言い表せないくらい嬉しかった。女友達ができるというのはたぶん、ああいう感じなのだ。


「ったく、普通は周りの男どもが崇め奉ってしかるべきなんだがな。なーにをやってんだか」


 じろりとネイトがマックスとブレットを睨みつける。

 だがブレットは肩を竦めて欠伸をひとつこぼしただけで、やはり一言も言葉を発してはくれないし、アリーの方を見ようとはしない。

 マックスの方はというと、玄関に立ち尽くしたままだった。目が合うと顔を逸らすのはいつもアリーの方だったのに、今日はマックスの方から顔を逸らされてしまう。

 それがどうしようもなく心細い。

 それではじめて、自分も周りの人をこんな気持ちにさせていたのかもしれないと思いいたる。

 あんなに怖いと思っていたし、今でもマックスのことは怖いけれど、彼に嫌われたりしたらアリーはしばらく立ち直れない気がした。


「……待った! 間違えた。わりい」

 叫ぶように言って、マックスはつかつかとアリーの目の前までやってくる。肩を勢いよく掴まれ、アリーは目を瞬いた。


「その、なんだ。あー……いいんじゃね?」

「ほ、ほんと? あり、がとう」


 素っ気ない言葉だったが、彼の言葉には嘘がない。

 気恥ずかしくて俯きそうになるのをこらえてはにかむと、マックスはネックウォーマーに顔を埋めた。心なしか、鼻の頭が赤くなっている。


「で? ネイトさん。僕を招いてくれた用件をそろそろ伺いたいんだけどな。ネイトさんのことだ。父兄参観日ってわけでもないんでしょう?」


 耳のすぐ後ろで声が響いたかと思うと、浮遊感がして危うくアリーは悲鳴を上げかけた。膝裏に手を入れられ抱き上げられている。言うまでもなく、犯人はコーディだ。

 アリーの抗議の声にもどこ吹く風で、コーディは我が物顔でソファに腰掛ける。まるで家でしているみたいに膝に乗せられ、顔が火照った。

 もう少し、場所を弁えてほしい。


「と、そうだった。悪いね。天下のプリンスを待ちぼうけにさせて。まずはお茶を――と言いたいとこだけど、今日はFBSの本局に用がある」


 FBSの言葉に、アリーは表情を失くし、マックスが殺気を撒き散らす。コーディだけは平静を装っていたが、アリーの肩を掴む力が幾ばくか強まったのは気のせいではないだろう。


 FBS――Federal Bureau of Security。連邦保安局。

 合衆国司法省管轄の法執行機関であり、スフィンクスやリドルに関わる事件の捜査及び治安維持活動を主な任務としている。

 ノーマルのみで構成された彼らの任務には、違法なリドル発現者の摘発や監視も含まれ、リドルのギャング集団との抗争がしばしばニュースになっていた。公的機関でありながら、リドル差別者の温床となっていると警鐘を鳴らすネット記事を何度も読んだことがある。

 そんなこともあって、リドルのなかにFBSに好感情をもっている者はほぼいない。

 アリーは必要最低限の関わりしかもってこなかったので、本局を訪れたことはなく、毎年の検査月に地方局に顔を出している程度だ。

 リドルの義務として、能力を発現していなくとも、年に一度はFBSに必ず足を運び、身体検査を受けねばならない。まるで虫けらを扱うかのようなFBSでの扱われ方には、アリーもショックを受けてきたクチだ。

 最近ではコーディのようにリドルでも人気を博し、リドルの人権を訴えるノーマルのファンも増えてきているせいか、FBSも秘密主義を一転して「HEROES SHOW!」の番組に出演している捜査官も存在する。

 だが、その全貌は謎に包まれたままだった。


「マックスもだけど、アリーちゃんの検査、まだだったからさ。建前上は、保護者がついていく権利があるから、呼んだわけ。俺に任せてくれるってなら留守番してていいけど、どうする?」


 コーディから表情が抜け落ち、冷めた視線がネイトを射抜いた。ネイトは変わらず飄々とした笑みを浮かべている。

 なんだか、いつものコーディじゃないみたいで胸がざわざわした。

 そんなアリーの胸中に感づいたのか、コーディはすぐにいつもの微笑を取り戻すと、髪を撫でて頭を引き寄せてくれる。


「アリー、言ってなかったけど、リドル発現者はFBSでその個体の能力から身体組成に至るまで徹底的に調べられる。これもヒーローの義務なんだ。苦々しいことだけどね」

「……い、痛いことされたり、する?」

「大丈夫だよ。アリーのリドルは腐食だし、なにしろヒーロー事務所所属のリドルは粗雑には扱われない」


 ということは、ヒーロー候補以外のリドル能力者は酷い扱いを受けるようなこともあるのだろうか。


「ブルーノの野郎は、あそこに一度ぶちこまれたときに拷問されたって言ってたけどな」


 アリーの疑念を裏づけるようなマックスの恐ろしい言葉に、悲鳴を飲み込む。

 押し殺したような怒りがマックスの身体から立ち上って、空気が震えているような気がした。


「心配しなくていい。ヒーロー事務所所属のリドルに手を出せば、マスコミが徹底的にFBSを叩くからな。それで一度長官が更迭されて、あいつらも懲りてる。手出しはさせない」


 思いがけないネイトの力強い言葉に、アリーは息を呑んだ。

 てっきり、ぼろぼろになろうが君らが選んだ道だ、くらいは言われるかと思っていた。


「やっぱり、うちとちがってネイトさんはやさしいねえ」


 瞳を細めて、コーディが歌うように囁く。

 最初はアリーもフランクな物腰とは裏腹に、甘えを許さない人だと思っていたけれど、実はコーディの言うとおりなのかもしれない。そういえばナイジェルもネイトのやさしいところが好きだとこぼしていた。


 ネイトは皮肉っぽく唇を吊り上げただけでなにも言わない。

 くたびれたコートを羽織るなり、ブレットに車のキーを放り投げて、ネイトは部屋を後にした。

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