#4Playtime is over.

「なんだよ、あいつ。マジでいけすかねえ野郎だぜ」


 ブレットが出て行った扉に向かって中指を立てて、マックスが毒づく。


「アリシア、あいつになんかされそうになったら言えよ。俺がボコってやる」

「け……喧嘩は、ダメ、だよ。それに……ブレットさんは、ヒーロー、だから……やなことは、しない、はず」


 アリーの希望的観測にマックスは呆れ顔でため息を吐いた。


「出逢ってものの十分で女の首に手をかける奴に、なに言ってやがんだ」

「そ、それはたぶん、わたしが……わたしが、いけなかったん、だと思う、の」

「は? あんたは俺の命救ってくれたんだぜ」

「でも……」


 アリーはスカートの裾を握りしめて俯く。

 合衆国法を犯したのは、事実だ。

 リドルの力は、時に人を脅かす。分かっていたはずなのに、あのときは罪の意識ももたずに、ただ自分が死にたくないという衝動のままに世界の理を外れた力を発現した。


「――大人しく死んどきゃよかったってか」


 穴蔵の底から響いてきたような、昏い声。弾かれたように顔を上げると、マックスがひどく強張った顔でアリーを睨みつけていた。

 左右に力いっぱい首を振る。


 そうは、思わない。思えない。

 何度あのときをやり直したとしても、アリーはみっともなく生きることを選ぶだろう。死にたくないと願うだろう。


 けれど、結果は変わらずとも、本当はもっとちゃんと考えなければならなかったはずだ。

 リドルの力を発現すれば、もう徒人ではいられない。その重さをまるで理解しないで一線を越えてしまったことが、どうしようもなく不安を煽る。

 合衆国法は、能力を発現したリドルを守ってくれない。普通の女の子として生きる道は、もう完全に閉ざされた。その意味が、アリーにはまだよくわからなかった。


「アリシアにとって、あいつがどんだけトクベツな野郎か知らねえけどな。あいつは俺たち二人ともあのケダモノに喰われてりゃよかったって言ってんだ。あいつにおもねる理由なんてどこにもねえだろ」


 マックスの声は、今まで聞いたどんな声よりも低く、押し殺したような怒りで震えていた。

 アリーはますます小さく縮こまる。マックスは舌打ちをするなりドアを蹴り開けてどこかへ行ってしまった。

 アリーはマックスの方へと伸ばしかけていた手を引っ込めて俯く。


「……ったく、青くてになるねえ」


 それまでだんまりを決め込んでいたネイトが冷めたエスプレッソを啜り、おもむろにタブレットを起動する。


「ところで、アリーちゃん。女のヒーローだと誰推しなの?」


 突拍子もない質問に、アリーは面食らった。


「……え。考えたこと、なかった、です……あ、でも、ブラックローズとか……」

「ぶは、ブラックローズて。アリーちゃん何歳のときのヒーローだよ。やっぱアリーちゃん、重度のヒーローフリークだねえ」


 からかうようなネイトの声音に、アリーは頬を染めた。


「で、でも、最近のヒーローはあんまり、詳しくない、から……」


 ヒーローになる夢を追いかけていたころは、各社のヒーローのデータブックを自作するほどのマニアだった。けれども夢を諦めてからは、せいぜいブレットの活躍をスクラップする程度で、知識レベルは一般人とさほど変わらないはずだ。


「最近のヒロインズじゃ気になるのいないの? ほら、アリーちゃんどういう方向で売り出すか、ちょっと参考にね」


 ネイトは、たとえばさ、とタブレットに指を滑らせる。


「この子とかは知ってるんじゃない? リドルじゃなくて、ノーマルだけど」


 アリーがおずおずと液晶画面を覗き込むと、ポップなメロディが流れ出した。あまりテレビを見ないアリーでも何度も耳にしたことのある曲、「QUEEN」だ。


(ううん、聞いたことがあるどころか……)


 エキゾチックなブルネットの髪が揺れ、真紅の唇が誘惑するようにアップで映し出される。視線が交錯し、アリーは思わず目を伏せた。


「レベッカ。ヒューマン・アライアンス所属の歌って踊れるスーパーヒロイン。たしかアリーちゃんと同じ現役女子高生で、学校はエイムズ校――ってあれ? たしかアリーちゃんって」


 そうなのだ。

 レベッカ・ハーヴェイはアリーのクラスメイトにして、クラスの女王だった。

 アリーがクラスメイトのジェーン一派から嫌がらせを受けるようになったのも、どうも噂によるとレベッカに地味で陰気で辛気臭くてウザイというレッテルを貼られてしまったから、らしい。


(その通りすぎて、言い返す気にもならないけど……)


 教室の隅っこで空気みたいに存在していることくらい、許してほしい。

 話したことがないので、いまいちどんな子なのかわからないけれど、アリーとは一生縁がないタイプの女の子だということくらいは理解している。


 全世界で五億回も再生されている彼女のミュージック・ビデオも、アリーはビルボードで流れているのを見たことがあるくらいだ。

 歌手にモデルに女優にと活動の幅を広げる一方で、ヒーロー業はおまけ程度の扱いではある。

 だが、彼女もまたヒーロー名鑑に名を連ねたれっきとしたヒーローのひとりだ。


「まずはメディア戦略からいこうかと思ってね。うちのしみったれたキングもアリーちゃんも見てくれはいいから、CMとかで大々的に売り出すってのが理想だな。お披露目ついでにどっかでかいとこにスポンサーについてもらってさ。あ、手始めにデュエットソングでも出す?」


 アリーは卒倒しそうになった。

 ありえないことだらけでどこから突っ込んでいいのかわからない。

 日常生活ですらまともに顔を晒していないのに、公共の電波に乗って自分の顔を売るなんて考えられないし、まともに口を利くことすらできない相手とデュエットだなんてハードルが高すぎる。


 最近のヒーローは単純なスフィンクスの撃破数などでは人気を計れなくなった。

 その容姿やメディアでの活躍の度合いに左右され、人気ヒーローランキングはシーズンごとに目まぐるしく移り変わる。

 とはいえ、レベッカやコーディの真似ごとをするくらいなら、スフィンクスと戦っているだけの古典的ヒーローになった方がまだましかもしれなかった。


「わ……わたし、人気出ない……出るわけない、です……。だって、友達もいないし……、あ、あの……ひ、ひとりも……いないの……」


 消え入りそうな声で、しかし目に涙を溜めて力いっぱい主張すると、ネイトは苦笑いを浮かべた。


「そうはいってもねえ。要はキャラづくりだよ、キャラづくり。べつに素のままのアリーちゃんじゃなくたっていい。うちも経営が苦しいから稼げるヒーローになってくれないと。なにもいきなり脱げとは言わないし」

「ぬ……!?」

「グラビアだよ、グラビア。レベッカも毎月脱ぎまくってるだろ。まあでも……アリーちゃんはなんつーかそそられるって感じじゃないわな。こう、小動物系っていうの?」


 ネイトの率直な言葉にアリーは反応に困って沈黙した。

 そそられると言われてもどうしていいかわからないが、魅力がないと言われるのもなかなか悲しいものがある。自分でも自分に魅力があるとは思えないので、異論はないけれど。


「ま、レベッカとは路線変えた方が売れそうだわな。逆にその陰気キャラ生かしてバラエティなんか意外といけるか……?」


 零細企業の社長はアリーの心中なんておかまいなしに、ニューヒーローのマーケティングについてああでもないこうでもないとぶつぶつ呟いている。


「で、ででででも、ブレットさんも、もう何年も『HEROES SHOW!』以外の番組には出て、ませんっ」


 アリーとのバディ解消を望んでいる彼が、後輩ができたからといって一緒に愛想を振りまいてくれるはずもない。


「そう、そこなんだよなあ。ヒーローなんて目立ってなんぼの世界よ? それなのに二人して引きこもってどうするっての。自堕落ニート系ヒーローコンビで売るか? ん?」


 アリーは雇ってもらっている手前、押し黙った。

 これからは学校と自宅の行き来のほかは、SGCで過ごすことになる。最初のうちは、その大半が身体能力向上のためのトレーニングと戦闘訓練に費やされるそうだ。だがそのぶんの給料はきっちり支払ってくれることになっている。

 色々だらしないところがあるネイトだが、この間家にやってきてコーディも同席のうえでみせてくれた雇用契約書は意外にちゃんとしていた。


 このままヒーローとして不良債権になってしまうのは、忍びない。

 たとえ晒し者になるのだとしても、監獄に収監される運命ではなく、ヒーローになるという自由をくれたのはネイトだ。

 自分になにができるとも思えない。だけど、今や人前に出るのが苦手だとかなんとか御託を並べている場合ではないのは確かだった。


(がんばら、なきゃ)


 そうしたらいつか、ブレットもアリーを認めてくれるかもしれない。

 頑張ることを最初から諦めている自分とはもう、さよならをしたかった。


「……あっ」


 突如上がったネイトの声に顔を上げる。

 アリーと目が合うと、彼はにたっと満面の笑みを浮かべた。先ほどまでの資金繰りに苦悩する経営者の顔はどこへやら、やけに上機嫌にスマートフォンをタップしている。


 なにかいいアイデアでも浮かんだのだろうか。


「……あ、の?」

「あ、いーのいーの。も、アリーちゃんのプロデュースは任しといて。いいこと思いついちゃったから」

「いい、ことって……?」


 ぐふふ、と妙な笑い声を溢しながらも、ネイトは結局肝心の策については沈黙を貫いた。


(……なん、なの……!?)


 なんだか、一気に不安が倍増した気がする。

 頑張らなきゃとせっかく思えていたのに、早くも気持ちが挫けそうだった。


「そうと決まったら、まずはイメチェンかね」

「イ、イメチェン!?」

「その前髪は、切らないと。あとはまあ順当に、ヒーロースーツオーダーしないとだし」


 ヒーロースーツ、の言葉にかつてのヒーローフリークの心がきゅんと疼く。そういえばブレットのヒーローカードを大事に握りしめていた幼いころ、各社のヒーロースーツの性能数値表をつくったこともあった。


 だが今はそんな懐かしさに囚われている場合ではない。

 アリーは思わず前髪を引っ張った。


「……切るの、嫌?」


 ネイトの問いかけに思わず頷きそうになるのを堪えて、俯きがちに首を横に振る。

 昔は覆面が主流だったヒーローも、今やトップヒーローを目指すならレベッカのように顔と名を売るのが一番の早道だとすら言われる。

 ヒロインズは特にそうだ。女性ばかり実績はそっちのけでルックスを求められるのはどうかと思うけれど、それが今のヒーロー業界の実態だった。


 アリーはトップヒーローなんてそもそも目指していない。

 だけど、女のヒーローで覆面なんてよほど奇をてらってみたか、さもなくば顔を明かせない後ろ暗い事情があるとしか思われないにちがいなかった。


 それは、『銀の弾丸』ブレット・ロウのバディとしては相応しくない。そんなことは、幼いころのアリーが赦せない。

 瞳に涙が溜まるのを感じて、アリーは表情筋に力を込めた。


 ネイトが苦笑して、アリーの前髪に手を伸ばす。ぐしゃぐしゃと無造作に掻き混ぜられ、アリーは目を瞑った。


「明日は学校終わりにエスコート役に迎えに行かせるからさ。その足でヘアサロンにでも行っておいで。ヒーロースーツの製作は、とっておきのとこにアポとっとくからそのうちね」

「……エスコート、役?」

「それは明日のお楽しみってことで。今日はもう日も暮れるし、走り込みでいっかな。アリーちゃん今までなんかスポーツとかやってた?」


 走り込みという言葉に頬が引きつる。

 ふるふる首を振ると、ネイトは予想通りとでも言いたげに肩を竦めた。


「それじゃ、まずは二・五マイルくらい頑張ってみるか」


 言うと、ネイトは立ち上がって窓際に身を寄せた。振り向いてアリーを手招く。

 窓の外を覗くと、スウェットを腰で履いたマックスがストレッチをしていた。先ほどはあれだけ文句を言っていたというのに、意外と熱心に取り組んでいるようだ。

 マックスをまじまじと眺めていたネイトが、ハァァァァアと大仰なため息をつく。


「あの恰好、どうにかならないもんかね。トランクスもろ出しってどうよ」


 ネイトの言葉に、アリーは視界を両手で塞いでその場にしゃがみ込む。

 頬が熱い。

 アリーは今どきのファッションについて語れる素養がないけれど、それでもパンツが見えているのはどうかと思う。


「あんなのがお供で悪いけど、最初、一人で走るのきついと思うからさ。アリーちゃん、あいつと一緒に走ってみない? ついでにあいつのパンツしまってきてあげて」


 アリーは青ざめてネイトを見上げた。

 マックスのパンツについては難易度が高すぎて共通言語として認識できなかったが、それ以前に先ほど険悪ムードで別れた相手とどうやって接していいのかわからない。


「む、むり……。だって、マックス怒ってた、から」

「あんなの、アリーちゃんが笑顔で話しかけてやりゃ、なんも問題ないって。思春期男子ってびっくりするくらい単純なんだからさ」


 そうだろうか。

 あのときのマックスの声は、今までのものとはなにかちがった気がする。ネイトにとってはそれもひっくるめて、問題ないのかもしれないが。


「これに着替えて行っといで。ま、初日だし無理はするなよ。でもある程度は俺の計画通りにトータルで身体能力上げてもらうから、そのつもりで」


 何食わぬ顔で恐ろしいことを宣言して、ネイトがアリーにジャージを押しつける。どうやらジョギングからもマックスからも逃れる術はないらしい。


「……かえりたい」


 つい先刻の決意もどこへやら、アリーは蚊の鳴くような声で囁く。

 案内された埃っぽい更衣室の壁に凭れかかると、欝々とした気持ちで制服を脱ぎ捨てた。

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