Welcome to SGC !
#1Better the devil you know than the devil you don't.
アリーの朝は、悪夢とノイズ音、そして鼻腔をくすぐるトーストの匂いで始まる。
六時五十分。チェストの上の、とりわけ大きなベルがかわいい目覚まし時計は、最初にセットした時間から十分も時間が経っていた。
「ふわぁ」
欠伸をしながら、のろのろとピンクのパジャマのボタンに手をかける。
元々朝は弱い方だけれど、たっぷり眠っても近ごろの目覚めは最悪だ。
リドルを解放してから一週間、一日のほとんどをベッドで過ごした。それほど、リドルを使う負担は大きいということだろう。
アリーの衰弱ぶりを見るに見かねて、ネイトも十分回復してからSGC――スケープゴート・キャストの門を叩くようにと配慮してくれた。
(ううう、虚弱体質がにくい……)
二度寝したい衝動をこらえて、アリーはカーテンに手をかけた。差し込んできた朝陽に、思わず目をつむる。
けれども、陽の光は瞼の裏を焼くほどではないようだ。
曇天からわずかに覗いた陽光は、やわらかにアリーの金の髪に絡んでいる。
新調したエイムズ校の指定制服を眺め、アリーはすぐに目を落とした。
(……ブルーノ・パウエル)
彼の血と涙雨を吸った制服は、ついに一昨日の晩に棄てられてしまった。ここ数日ろくに眠れず物凄いくまをこしらえてしまったせいで、コーディが心配したのだ。
だからといって、あの夜がきれいさっぱりアリーの記憶から消えてくれるわけでもない。
(マックス、だいじょうぶかな)
強盗誘拐犯とその被害者、という関係でしかなかったアリーでさえ、ブルーノのことを考えると胸が締めつけられるように痛む。
善い人なのか、悪い人なのか、それすらわからないまま、彼は還らぬ人となってしまった。
ブルーノが死んだというニュースは、結局一週間経っても流れなかった。それどころか、ズワルト地区にスフィンクスが現れた大事件も、公になっていない。変わったことといえば、指名手配犯リストのなかから、彼の名がひっそりと姿を消したことだけだ。
コーディに理由を尋ねてみたけれど、いつもうまくはぐらかされてしまって結局聞けずじまいだった。
(たぶん、今まで見えていなかったことがたくさんあるんだ。知りたい。……ブレットさんが変わってしまった理由も)
「起きなきゃ」
まだ、だるいと文句を垂れる身体を宥めすかして、伸びをする。
今までクラスメイトとの折り合いが悪くて、何度も学校をさぼってきた。けれど、閉じこもってばかりでは、なにも掴むことができない。
アリーは、クローゼットの扉に吊り下げられた制服に手をかけた。
袖を通してみると、真新しいぱりっとした糊のきいたシャツはまるで肌に馴染まなかったが、しゃんと背筋が伸びるような心地がした。
不意に、こんこん、と扉をノックする音が響く。それに応えるよりも早く、がちゃりと扉が開いた。
顔を覗かせたのはコーディだ。
朝っぱらから、文句のつけようもない王子スマイルを浮かべている。今日は緊急出動がない限りオフだと言っていたが、まるで雑誌から抜け出てきたような恰好をしていた。グレージュのセーターに、ネイビーのチノパン。シンプルな格好なのに、目が惹きつけられてしまうのはきっと素材の良さゆえだろう。思わず妬みたくなるくらい、足が長い。
彼はヒーロー業のかたわら、モデルとしても活躍している。別段珍しいことでもない。ヒーロー業界と芸能界はほぼ同義語となって久しかった。
とはいえ、出かける予定もないのにベルガモットのコロンまで爽やかに香っているのはやりすぎだと思う。
「あれ、アリー、どうしたの? 制服なんか着ちゃって」
「……今日から、学校、行こうと思うの。あと、放課後……は、SGCにも行く、から」
「ええー、もうちょっとゆっくりでもいいんじゃない? あんなことがあったんだよ」
そう言って、コーディはアリーのベッドの上に腰掛ける。スプリングが跳ねた拍子に、前髪のあたりがきらりと輝いた。ゆるいパーマのかかった髪を遊ばせるのがいつもの彼のスタイルだけれど、オフの日はアリーの野暮ったいヘアピンで長い前髪をまとめるのが、彼の最近のお気に入りらしかった。
「コーディは、わたしを、甘やかしすぎ、だよ」
「ちがうよ。僕が君に甘やかされてるの。ねえアリー、お兄ちゃん、ストレス社会に負けそう。癒して?」
「……だめ。学校に、行くの」
「ええ~、アリーと今日いっしょに過ごすことだけ考えて昨日のお仕事がんばったのに」
やだやだ、などと聞き分けのないことを言いながら、コーディが足をばたつかせる。
我が兄ながら、アリーは一週間前のあの日からますますコーディという人がよくわからなくなってしまっていた。
おそらく嫌われてはいないだろう、と思う。
けれど時々、本当に血がつながっているのか疑りたくなるのは、許してほしい。
出身大学は、グリモアでも有数の有名大学(しかも首席卒業)。在学中はヒーロー業のかたわら、バスケットボール部に所属し、当然のように最優秀選手に選出されていた。おまけにリドルとしてはイレギュラーなことに、交友関係も幅広く、やたらとモテるときている。
そんな彼が、どんくさくて根暗で内気な妹にかまう理由がわからない。
(ううん、理由なんて、はっきりしている)
コーディの肉親は、アリーだけだ。両親は、アリーが生まれて間もなく死んだと聞いている。このアパートメントに引っ越してくるまでは、孤児院で二人、身を寄せ合うようにして生きてきた。
ニューファームで二人暮らしをするようになった今でも、コーディはやたらと過保護で、アリーとの時間を大切にしようとしてくれている。
昔はアリーも、やさしい兄をただただ慕っていた。けれど、ある程度世慣れてくると、どれほど兄が出来がよく、自分が不出来な妹かわかってくる。
アリーのダメダメっぷりを否定せずに全部丸ごと受け入れてくれるのも、息苦しい。むしろ非難されたり軽蔑された方がまだましだったかもしれない。
たまの休日くらい妹をほっぽりだして、恋人の元に行ったってアリーは怒らないし、天罰だってくだらないのに。
そういえば、コーディの今度の恋人は誰だっただろう。彼の恋人はまるで目まぐるしく移り変わるファッションのトレンドのように、次から次へと変わっていく。
「……コーディも、羽を伸ばしてきたら」
「ここが、お兄ちゃんの羽を伸ばす場所なの」
「わたし、学校に行きたい、の。ネイトさんとも、ちゃんと、これからのこと話さなきゃいけないし」
「じゃ、充電して」
「……じゅう、でん?」
首を傾げるやいなや、アリーはコーディに抱き寄せられた。
髪に、額に、頬に、キスの雨が降る。
もう慣れっこだが、コーディの愛情表現はいささか過剰だ。
内心うろたえながらも、アリーはしばらくの間無表情を貫き嵐が過ぎるのを待った。
いつもはそうして耐えていれば、そのうちコーディが離れてくれる。けれど、今日はどういうわけか、コーディが離れようとしない。
「ん」
そう言って、コーディは自分の頬骨のあたりを人差し指で軽く叩いた。
「……ん?」
きょとん、と目を瞬くと、コーディは蜜がしたたりそうな極上の微笑を浮かべた。
こういう顔をするとき、彼はたいていろくなことを考えていない。
「たまには、アリーからしてよ」
「……………………」
長い沈黙のあと、ようやくその意味を理解する。
けれども、アリーには唇を固く引き結ぶのがやっとだった。
グリモア人はみんな、おおげさなくらいのスキンシップを得意としている――というのは大きな間違いだ。少なくとも、アリーはその例にあてはまらない。
コーディの瞳と間近でかち合い、アリーは口をもごもごさせて俯いた。
「……なんてね、じょーだん」
くすりと笑って、コーディがベッドから滑り降りる。その横顔がどこか寂しげに見えたのは、気のせいだろうか。
アリーは口を半開きにしたまま、ぎゅっと手を握りしめた。
思えば、一週間前のズワルトでの夜のことも、コーディに礼のひとつもしていなかった。
あのときは自分本位にしか考えられなかったが、彼がきてくれなかったら、アリーもマックスも今頃、冷たい土の下に葬られていたことだろう。もっとも、食い散らかされた肉片か骨が残れば、の話だが。
(お礼……お礼だと思えば……)
アリーは意を決して床に膝立ちになった。瞼の端に、掠めるようなキスをする。
コーディの眸の碧がかった青い湖面が、さざ波だった。
アリーはその間にスクールバッグを掴むなり、さっと扉の前に移動する。
「……アリー、」
ドアノブに手をかけてようやく、コーディの声が追いかけてきた。どこか上擦った声から逃れるように、廊下に飛びだして後ろ手に扉を閉める。
もう二年近くは自分からはしていなかったから、余計に変な感じだ。
やはり、慣れないことはするものではない。
アリーは心のゴミ箱に先ほどの出来事をえいや、と棄てると、朝のニューファームの雑踏のなかへと足を踏みだした。
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