第七話 「ら、ランニングウェアっす……」

※※※



わたしが泣くとあの人が怒るから、わたしは黙ってそれを見ています。

わたしが誰かに言うとお母さんが困るから、わたしは叫びたい言葉をお腹の奥に仕舞い込んで知らんぷりをします。

顔で笑って、何でもないように振る舞って、心で泣きます

そうするとあの人は何もしてきません。

でもたまに機嫌が悪いとへらへらするなと言って蹴ってきます。

いつもいつでも思っていることはただ一つ。誰かに救いを求めてる。

でも他の人は誰も気がついてはくれません。

救いようのないこの世界にわたしは絶望しています。

誰か助けて下さい。誰かわたしを、わたしたちをここから連れ出して。

誰か、誰か。待っても待っても、誰も来てはくれません。

誰も救いになんて来てくれません。

そうです、わたしは知っています。

だって正義のヒーローなんて、この世界にはいないのだから。



※※※

 


 第一級安全区域であるレオの街にデウスが出現し、撃破された時刻から数時間後。

 早朝の時間帯。


 寝不足と疲労で重くなった身体を引きずりながらレオは寮の廊下をこそこそと足音を立てないよう忍び足で歩いていた。


 時間的にもう皆は学校へ行っているはず。

 自分も早く準備して向かわなくてはならない。


「ふわぁ……」


 昨日は結局徹夜。

 つい先ほどまで拘束されていたため気を休める暇もなく。


 目はしばしばするし頭痛はするし肩こりもすごい。レオは欠伸をしながら瞼を擦り、自室のドアを開ける。


「あれっ、みんな!?」


 無人であると踏んで入った室内で、なぜかクラスメートの友人達が集結してテレビを見ながら団欒していた。


「チィーッス、レオ。おかえりー」

「お邪魔してます」

「ヤクシミズー!」


 レオの帰室に気が付いた三名の来客たちはそれぞれのキャラに見合った三者三様の挨拶をしてくる。


 一つ挨拶じゃないのが混じってたけど。

 薬師水?

 愛知県の観光名所かな。肌によさそう。


「みんなどうしてここにいるの?」


 疑問が渦巻き、レオがそう訊ねると、


「レ、レオぉぉぉぉうぉ~」


 涙と鼻水で端正な顔をぐしゃぐしゃに歪めたメイド服の少女が呻き声を上げながらすごい勢いで駆け寄って抱きついてきた。


「…………ふへっ!?」


 抱きついてきたのはレオのルームメイト、犬馬場マコだった。

 ちなみになぜ彼女がメイド服を着用しているのかというと、それはすなわち彼女が本物のメイドだからに他ならない。


 マコはレオの実家である獅子谷家に雇われているレオ専属のメイドなのである。

 マコとはもう数年来の付き合いで、ただの主従関係だけではなく唯一無二の友情で結ばれたレオの一番の親友だ。


 マコは通学時には校則に則って制服を纏っているが、私生活では寝る時以外は常にメイド服だ。


 これは別にレオが服装を規定しているわけではなく、マコ自身がメイド服は自分の戦闘服だと言って聞かず自発的に身につけている。


 一応私服は所持しているが、それらがタンスから引き出されることはほぼない。

 マコの私服姿を目撃することができればそれは幸運の兆しだと一部では言われていたりすることもあるとかないとか。


 彼女は職業意識が高いのである。

 少なくともレオはそういうふうに認識していた。


「何、マコ、どうしたの? 何でそんな泣いてんの? っていうか学校は?」

「うおぉぉぉ~ん!」

「…………」


 親友の号泣についていけず、困窮したレオは二人の抱擁をニヤニヤしながら観察している来客三人衆に視線を送る。


「今日は学校、休校だよ」


 答えたのはロングの茶髪の美少女。座っていてもわかるすらっと長い美脚の持ち主、御門チハルだった。


「休校? 今日って何かの記念日だったっけ?」


「ちゃうちゃう、出かけてたなら見なかった? 学校に行くまでの坂の途中でガス管の爆発事故があったみたいでさ。通学路がもうぐっちゃっぐっちゃ。歩けるような状態じゃないんだって。だから安全性を考慮して休校」


 サバサバとした口調で簡潔にレオの疑問に答えるチハル。

 ガス管の爆発……? 


 ああ、そういうふうに情報操作がされているのか。真相を知っているレオは余計な情報を漏洩せぬよう口をつぐむ。


「だからもう、レオが事故に巻き込まれたんじゃないかってすっごく心配したんどぅわからぁぁ! ぐもおおおぉぉっ! ……はふはふ!」


 レオの胸にぐりぐりと顔を埋めてマコは泣きじゃくる。


 どうやらマコにはいらぬ気苦労をかけてしまったようだ。レオはよしよしとカチューシャをつけたマコの頭を撫でる。


「うーん、やっぱ寮からじゃ全然どうなってんのかわかんないよねー」


 チハルが窓から身を乗り出し、外を眺めながら言った。

 確かに寮の窓からは角度のせいで前述の道路は視界に入らない。目に映るのは街の景色と学園の校舎。


 そして学園の中庭ある国から保存樹に指定されている欅の木。

 そんな見慣れたいつも通りの平和的な風景ばかり。


「つーか、さっきから気になってたんだけど、そのビビッドなタイツは何?」

「え? あーっ……と」


 レオはチハルに指摘され、自分の服装が黄色いヒーロースーツであったことに気が付く。


 出かけた時に羽織っていたコートは騒動のどさくさに紛れてどこかへ行ってしまっていた。


 どうせ誰もいないだろうと高を括り、隠すことをせずにそのまま入室したのが仇となった。油断大敵とはこういうことかとレオはあたふたしながら思い、自身の気の緩みを猛省する。


「あれ、その……あれ。そう、ランニングウェア……」


 適切に納得させられる答えを用意していなかったレオは、咄嗟に思いついた苦しすぎる言い訳を述べた。


 述べた直後に後悔する程度にガバガバな言い分であった。


「レオ、こんな服持ってたっけ? レオの衣類は下着も含めて全種類把握してるけど、こんなのはなかったはず……。それに……ふんすふんす! ……いつも使ってる洗剤と違う匂いもする……」


 マコは顔を押し付けたまま、タイツの袖部分を摘まんで訝しげに言う。

 さすがはマコ。

 メイドだけあって家事スキルが高い。鋭い。


 実はこのヒーローコスチューム、マコに見つからないよう細心の注意を払ってレオ個人で管理していた。


 だから彼女に見覚えがないのも当然だ。なぜ秘密にしていたのか? 

 それは、ヒーローはヒーローであることを身近な人にも話してはならない。そういうお約束があるからだ。


 単純にして至高の理由である。


「全部把握してるってなかなかカオスだな……」


 チハルがボソリとそう呟く。


「え、どこが?」


 レオの衣服の洗濯はマコが全て執り行っている。

 知っているのは当たり前だと思うが。


「えっ」


 なぜかチハルは表情を引きつらせ、絶句。

 その他の二人も同様に微妙な顔で沈黙。


「ま、あんたらがそれでいいならいいのかな……」

「…………?」


 チハルはよくわからないことを言い、仕切り直すように手の平をポンと合わせて


「で、レオ、あんたどこに出かけてたの。男? 男と会ってきたの?」


 その美貌とスタイルを生かし、読者モデルも務めているシャレオツなイケイケガールであるチハルはこういう話が大好物だ。


 嬉々とした表情でレオに詰め寄って訊ねてきた。


「男! レオに……彼氏……!?」


 マコはチハルの言葉を受けると口を金魚のようにパクパクとさせて明らかな動揺を見せる。


「あー、えーっと」


 レオがチハルの好奇心への対応に苦慮していると、別方向から救いの手が差し伸べられた。


「もう、チハル。下世話なことをしつこく訊いたら駄目でしょ。それにレオに限ってそんなわけないでしょう」


 チハルを窘めたのは黒髪のツインテール、九竜ヨモギだった。

 ヨモギは幼少の頃からバイオリンやピアノなど、いくつもの楽器を嗜み、そのすべてにおいてコンクールで入賞を果たすほど優れた音楽の才能を持つ演奏者である。


 またインターネットの動画サイトに自身で作詞作曲した楽曲を投稿し、かなりの再生数を獲得する人気クリエイターとしてもこっそり活動していたりする。


「ゲセワ……。シモの、セワ!」


 だいぶギリギリな発言をしたのは銀髪の少女、恋中シルラ。

 彼女はレオよりもさらに輪をかけて低身長で、一見小学生にも見間違えてしまいそうな容姿だが正真正銘、れっきとした高校一年生。レオたちの同級生だ。


 独特のテンションと言語を用い、理解不能な発言を多発する彼女だが実は文武両道であり芸術面にも優れた超天才児なのである。


 彼女ら四人がレオの高校生活において普段行動を共にしている主な友人たちであった。


「ねえレオ、逢引き? 逢引きなの!? どうなの!?」


 一方、ショックを受けたように固まっていたマコは唐突に我に返ると血走った目でまるで恋人の浮気を問い詰めるかのような鬼気迫る形相をしながらレオの胸倉を掴み上げてきた。


「マコ……苦しい……違う、違うって!」

「ま、あたしもその格好で本当に色っぽい話なわけないって思ってたけどさ」


 チハルが頭を掻きながら前言が冗談であったことを明かす。


「だよね、信じてた!」


 マコは手を離し、澄み切った笑顔になってそう言った。


「アハハ……そう……ありがと」


 レオは襟を正しながら親友の豹変に対し曖昧に笑って受け流した。

 深く意図を考え込んではいけない。そんな気がした。


「それよりもみんな、このことは三神さんにはどうぞ内密に!」


 レオは手を合わせ、友人たちに拝み倒す。

 三神さんこと三神歩美はこの女子寮の寮母を務める女性である。


 彼女は基本大雑把な性格で大抵のことは大目に見てくれるのだが無断外出に関してはなぜか病的に厳しい。


 夜間に外出したことが知られれば大目玉を食らうことは間違いない。彼女への発覚は何にも増して避けておきたい事柄であった。


「ごめんなさい、それはちょっと無理かな……」

「うん、無理だね」

「ですね」

「ムリムリッシュ!」


 あっけなく断られるレオ。

 そんなに無茶苦茶なお願いをしたつもりはないのだが。


「どうして! まさか、みんなわたしをこれから告発しに行くつもりなの!? わたしを売るの!?」

「これからっていうかさぁ。もうバレてるし」


 チハルがあっさりととんでもないことを言った。


「なんで!?」

「マコがさ。レオがいなくなったって朝に大騒ぎしちゃったんだよね」

「だって、レオが爆発の事故に巻き込まれてたらって考えたらもうそれだけで……」


 ズビビッと鼻をかみながらマコが気まずそうに告解する。


「……ってことは、三神さんはわたしが夜に外出したこと知ってる?」


 冷や汗をかきながらレオは訊ねる。

 一同は頷いた。

 そして揃って合掌を重ねる。

 不謹慎なことはやめろ! やめるんだ!


「レオ、ゴシュウショー!」


 シルラがレオの背後を指差し暢気にそう言った。


「だからそういう不謹慎なことは……?」


 なぜだか唐突にチハルは目を塞ぎ、マコは耳を押さえだした。

 見ざる聞かざる。

 やーやー、一匹足りないなぁ。

 そんな現実逃避に浸っていられる時間は可及的速やかに終わりを告げ、


――ズオォォォッ


 不吉なオーラを感じ取り、レオが背後を振り返ると、そこには般若を背負ったおぞましい笑顔を浮かべた寮母(26歳)が拳をベキベキと鳴らしながら立っていた。


「ハハッ。おっかしいなぁ。入り口を固めて出待ちってたのに一体どっから忍び込んだんだ? このほっつき娘は」

「ひぃいいいいいい! ……あがっ!」


 寮母(26歳)の秘奥義の一つ、アイアンクローによって顔面を掴まれたレオは物理的に物云えぬ存在となり、必然的に三匹目の猿となった。


「ウッキッキー!」


 説教部屋に引きずられていくレオを見ながら、シルラは無邪気に笑い、無駄にクオリティの高い猿の鳴き真似を披露する。


「ところでその変なタイツは一体なんだ?」

「ら、ランニングウェアっす……」


 本日二度目の強制連行をされる道中、レオは寮母とそんな会話を挟みながら数時間前に身に降りかかった半拉致行為を想起した。

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