第六話 「勝利、そして」
信じられない現実を前に、レオは警官を座布団にしている現状を忘れて頬をつねる。
しかしながら硬質な鎧兜を装着しているその御顔は摘まむことはできず、狙い通りに痛みを誘うには至らない。
「夢かどうか確認できない! どうしよう!」
「してるよ、今回は本当にな!」
警官の口から第三者視点の証言が舞い降りた。
「だからさっさとどいて――」
「……お、お。うひょおおおぉぉぉぉっー!」
してるって!
わたし、本当に変身してるって!?
聞いたよ、この耳で確かに今!
ヒーローものお約束のピンチで覚醒という熱血展開にレオのボルテージはぐんぐん上昇していく。
さらにこれまた変身ヒーローお約束のベルトが腰に巻かれていることに気が付き、その興奮は最高潮に上り詰める。
「喜ぶのは結構だが、ほんと、頼むからどいてくれ……。お前は俺を押し潰して糠漬けにでもするつもりなのか?」
「あ、すいません」
顔を歪めながら訴えてくる警官の抗議を受けてレオはようやく冷静さを取り戻す。
煌びやかな光沢を放つ重装な鎧の騎士が頭を掻きながら恐縮そうに謝罪をする姿はまことにシュールな光景だった。
「よいしょっと」
立ち上がり、地面を踏みしめるとずしん、という重量のある足音が響いた。確かにこの重さで上に居座られていたらたまったものではなかっただろう。
(どうしてこんなことに? あのベルトのせい? いや、でもあれはどっか行っちゃったし……。というかこれ、元に戻れるのかな?)
まさかこれが紛失した物品というわけではないだろうし……。ささやかな疑問たちを募らせながらレオは逡巡する。
「…………」
……いや待て。
レオはとある特撮シリーズのヒーローの設定を思い出す。
それになぞらえれば、あながちありえないとは言い切れないかもしれない。
さっきの腹痛の原因。
今はすっかりと治まっているが、あれがもし腹部にベルトが吸収されたことによる反応だったしたら。
「…………」
改めて鏡を仰ぎ見て、己の姿を目視した。
両腕に備えられた半筒状のガンドレッドには三本の刃が並列して装飾品のように取り付けられている。
こういうのは鉤爪として使えるように手甲部分から伸ばしておくものなのでは? これではリーチを生かした攻撃ができず、武器としてあまり意味がないような……。
身に着ける前はオレンジ色の宝石が埋まっていたベルトのバックル部分には、先程レオたちを救った光の盾と同じ紋章のプレートがはまっている。
(そういえばこの姿はまるで、あの日見たあの人と同じ……)
デザインや色は違えども、同種の何かであることは疑いようもない。漲ってくる力にレオが言いようのない期待と高揚を覚えていると、
――ビクンビクンッ!
唐突に、焦げついた跡を残して地面に拡がったままになっていたデウスの長舌が地響きを立てて痙攣しだした。
ぎょっとしながら挙動を視線で追っていくと、舌はずるずるとデウスの口に引き戻されて内部に再装填されていった。
最初に見た時ほどスムーズな巻き取りではなかったのは恐らく先刻の紋章の小爆発でダメージを負ったせいだろう。
行動を停止していたデウスが活動を再開する。小休止は終わりだ。
「お前、あの化け物と戦うつもりか?」
レオが乗っていた腹部を擦りながら、警官は上体を起こして訊ねてきた。
「はい、今のわたしなら多分、いける気がするから」
警官の問いにレオは淀みなく答える。
「そうか」
「あれっ? 止めないんですね」
「止めねーよ。今度は俺もそう思うからな。お前みたいな馬鹿が力を持ったら何でもできるんじゃねーかって。不思議と期待しちまってんだな、これが」
意外な反応に拍子抜けしたレオが訊くと警官はそう言った。その言葉にしばし黙してから、レオは口を開く。
「……お巡りさんのこと、少し誤解してたみたいです」
「なんだって?」
「最初はだらしない人かなって思ってたけど、結構いい人だったんですね。さっきも身を挺してわたしを守ってくれたし」
「お、おう?」
「わたしもそういう、理屈で考えないで迷わずに人を助けに行ける人になりたいんです。自分が憧れてるヒーローになりたいんです」
「だから、わたしもちょっとだけ格好つけさせてもらいます」
「セイッ、ハァぁぁぁッ!」
レオは掛け声とともに足を踏み出し、腕を中段に構えた。鍛錬を重ねて慣れた武術の型で遠距離攻撃を仕掛けようとしている外敵に立ち向かう。
対するのはこちらに敵意の照準を合わせ、身体の正面を向けてくる巨大蜘蛛。
見かけに騙されるな。敵の大きさに臆するな。
レオはバイザーの奥で深く息を吐き、呼吸を合わせる。
――ドシュッ
耳を打つ舌の発射音。
この攻撃を目にするのは三度目だ。
前二回は眼にもとまらないスピードであったはずなのになぜだろう、今はものすごくゆっくりに見える。
速度自体はそれほど変化してはいないはずだ。
だけど軌道が、動きがわかる。
きっと鎧を纏ったことで動体視力が強化されているのだ。
レオは迎え撃つために拳を握る。すると。
――ガシャン!
右腕の手甲に装備された刃がネズミ取りのように百八十度回転して、鉤爪の機能を果たせる形状へと変化した。
「これなら斬れる!」
直線で迫りくる舌をギリギリまで引きつけ、薙ぎ払うようにして斬り裂いた。
「せいやぁぁぁぁッ!」
伸びている舌がデウスの口内に戻る前にレオは巻き取られていくスピードを上回る速度で残っている舌を斬り刻みながら接近し、自分の得意な間合いに詰めて行く。
遠距離攻撃に用いる舌がなくなれば警官との距離を気にせずデウスに近づいて格闘戦が可能になる。
真正面の位置まで接近をはたすとレオは素早くデウスの体の真下に潜り込み、膝を屈曲させて渾身の掌底を頭部に見舞い、突き上げた。
『グゲェェェェェッ!』
顎に強い衝撃を与えられ、かち上げられたデウスは緑青色の体液を口から吐き散らしながら苦しそうな声をだして仰け反った。
効いている。
どうやっても敵わないと思っていた異形の怪物に自分の攻撃が届いている。
いける、この力があれば戦える。
あの人のような、たくさんの人を救える正義の味方になることができる!
その実感を得ながら、レオは掌底を食らわせた左手を見つめた。
『ギィアアアアアアアアァッ!』
デウスが苦悶に近い声を上げながら狂ったように鋭利な足先を振り下してきた。
悪足掻きのような反撃をレオは跳び上がって回避する。
最初に感じていた身重さはすでになくなっている。漕ぎ出して勢いに乗った自転車の車輪のように今はむしろ普段よりスムーズに体が動く。
「……って、すごく高いィ~っ!」
浮遊感に違和感を覚え、視線を下方に移すとレオの身体は上空数十メートルほどの高さに浮かんでいた。
「わわわっ!」
レオは手足をバタつかせ空中でもがく。
どうやら脚力も想像以上に上昇していたらしい。
ちょっと気を抜いて無意識に力を込めると想定以上の勢いが出てしまうようだった。これはいらぬ事故を起こさぬために一挙一動の加減に注意を払わなくてはならないかもしれない。
そうこう思案している間に、重力に従った落下が始まる。
地上を蠢くデウスを見下しながら、
(ちょうどいい、このまま決める!)
落下の速度を上乗せして、とどめの一撃を叩き込んでやる!
「うおおおおおオッ!」
右手を耳元まで引き上げ、背を弓なりに反らし、目測で刃を突き立てる標的に狙いを定める。
――ズクンッ
右腕に熱持ったような疼きを覚え、頬の横で圧倒されるような気配を感じた。
何事かと流し目を送ると、なぜか右腕のガンドレッドが自分の全身と同等の大きさにサイズアップしていた。
おっきくなった?
これではまるで盾じゃないか。
どうしてこんな変化が?
レオの頭に疑問がよぎる。が、
(ま、いっか)
「このまま叩きつけるッ!」
質量が大きい方が威力も増すだろう。
爪部分も同等に巨大化しているし。かえって好都合だ。
そんな思考にレオは瞬時に切り替え、パーツの突然の変質にも戸惑うことなくまっすぐに腕を振り下した。
「おおおおおおオッ!」
デウスは地面に縫い付けられたように身動きせず、こちらを見上げたままでいる。
真正面から受け止めようとしているのだろうか。
……いいだろう、受けて立とうじゃないか。
レオは強者と対峙した組手を思い出し、その時のように気を昂ぶらせる。
「せいやあぁぁあッ!」
――ズバァアッ
頭部と胴体部分のつなぎ目に巨大化した刃を突き立て、デウスの首を斬り落とした。
そのまま着地を決めると速やかにその場を離れ、安全圏へ撤退して距離を取る。刃爪を一振りして、べっとりと付着したデウスの血液を払い飛ばす。
頭部を失ったデウスは二、三歩、足を震えさせながら後退する。
そして胴を支える力を失い、地面に潰れて伏す。
やがてその身は徐々に膨れ上がっていき、巨大な音を立てて爆散した。パラパラと舞い落ちる化け物の残骸。くゆる爆煙。
「勝った……の?」
レオは勝利の実感の湧かないまま、ぼやっとその場に佇む。
どうしよう、今頃になってここまでに起こった出来事が信じられない夢の中のことのように思えてきた。
現実味のなさを受け入れ、冷静に見つめ直す時間が欲しい。
いや、本当に今さらの話であるが。
だがそんなレオの願いも虚しく、また生死を賭けた戦いに勝利した余韻に浸る暇もなく。次なる試練が訪れる。
――カッ
四方八方から視界が眩むほど強い照明が向けられ、人工的な白い光がレオを包んだ。
「うわっ!? 何?」
『そこまでだ。変身を解いて、無駄な抵抗をせず我々に同行してもらおうか』
拡声器から野太い男性の声が響いた。
視野を広げて辺りをよく見渡してみると警官の姿はどこにも見当たらず、レオは軍用車やライフルを手にした自衛官たちに囲まれ完全包囲されていた。ライフルの銃口はレオに向けて構えられており、明らかに穏やかな雰囲気ではない。
「わ、わたし別に怪しい者じゃありませんよ! こんな格好してるけど! わたし、人間です!」
顔の前に手を突き出して振り、敵対する意思がないことを必死にアピールする。そもそもどうやって変身を解けばいいのかがレオにはわからない。
説明書があれば速やかに武装解除するところなのだが。このままでは敵意があると見なされて銃撃による集中砲火を浴びてしまう。
それは困る。非常に困る。
装備の勝手がわからずパニックに陥りかけていると、
「おっ、おっ?」
鎧は粒子状に分解され、自然と身体から剥がれ落ちていった。
(よ、よかった~)
これで一安心だとレオがほっと息吐いていると。
「じゃ、準備できたみたいだし」
「大人しくしてたら痛くはしないから、な?」
「……へ?」
屈強な体つきの迷彩服を着たナイスガイな軍人男性二人に左右から脇を抱えられ、レオは車の後部座席に放り込まれる。
「え、あの、ちょっと……」
両隣の席にはそのまま剛健な肉体の男たちが座り込み入り口を固める。逃げることはもうできない。
――ブロロロロロロッ……
どこかもわからない場所へ向かって走り出す車。
「え? え? これってどこに向かってるんですか!?」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと協力してくれればすぐに帰れるから」
「そうそう。天井のシミを数えてる間に終わっちゃうから」
ヒイィィィィッ!
何を言ってるのこの人たちは!
泣きそうな目で交互に左右を見ても彼らはにんまりと不敵に微笑むばかり。
違うよ、笑って欲しいんじゃないよ!
むしろ恐いからその反応はいらないよ!
あまつさえ、機密保持のためだと言われ目隠しまでされてしまう始末。
この仕打ち!
ドーナドナドーナ♪
深夜の街に、売られていく子牛の歌が流れたような気がした。
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