第三話『その名も、仮面ライガーです』
だらっとして正義感も特になさそうで、街の平和などどうでもよいと思っていそうなやる気のない警察官によるレオへの補導は未だ続いていた。公園の入り口前に停めた警官の自転車の横で、二人は向き合ってやり取りを交わす。
「最近、よく通報が入ってんだよね。ローブ? っていうの? そういうのを着てマスクをつけた、見るからに怪しい不審人物が街を徘徊してるって」
警官はちろっとレオを流し見て。
「それって君のことじゃない?」
疑惑の視線を向けてくる。
(何と失敬な!)
先程からこの警官は人のことを変態か痴女だと決めつけ、こうやって執拗にそのことを認めさせようとしてくる。
わたしをろ、露出狂だとかまで言ってきて!
これはセクハラだ!
国家権力による言語的ハラスメントだ!
確かに高校生にもなってヒーローに憧れを持つというのは幼稚に思われるかもしれない。だけどここまで露骨に馬鹿にして見下してくるなんて。
酷い、あんまりだ!
そもそもレオがこの姿で外に出たのは今日が初めてなのだ。
今日以前のことなど身に覚えはない。
とんだ濡れ衣である。
だからここは徹底抗戦だ。
断固としてこの圧力に屈するわけにはいかない。
「わたしじゃないです。わたしは正義の味方なので」
「いや、変態だろ?」
「ヒーローです」
ブォオォォォォン。
この近辺のこの時間帯では滅多に通らない車の走行音が無言の二人の間に割って入る。
「…………」
「…………」
どちらも主張を譲らず、睨みあうようにして見つめ合う。通り過ぎていくトラックのライトが二人の顔を明るく照らした。
そしてその直後――爆発音が轟いた。
音の発生源は恐らく先刻二人の横を通過したトラック。
カーブに消えていったその刹那に音がしたことから、曲がり際に何かしらのトラブルによって事故を起こしてしまったのだろう。
「行かなくちゃ!」
大事件の匂いを感じ取り、レオは駆け出した。
「待て、まだ話は終わってないぞ! 逃げるな!」
警官の声が聞こえるが、そんなものは無視する。
自分は逃げるわけではない。
今は非常事態だから。
「聞く耳持ってねえのかよ……」
レオが言うことを聞かないと判断したのか、警官はやれやれと息を吐きながら後をついて追いかけてきた。
別にあなたは来なくていいですよ、どうせ適当にやるんでしょう? とレオは冷めた目線を送る。
それほどまでにレオの中でこの警官への評価は低いのだった。
「なに……これ……」
レオは目前に拡がる光景に呆然とする。
過去の記憶が呼び起こされ、全身が強張った。
横転し、炎上するトラックが視界の先にはあった。
燃え盛る炎が辺りの景色をオレンジ色に照らしだす。
そして、その奥に控えていたのは――
「デウス……?」
燃え盛る炎の中に、おぞましい姿をした異形が屹立していた。十数年前に世界中に現れ、今もなお破壊と殺戮を繰り広げ続ける人類最悪の敵だ。
未確認生命体、デウス。
姿形、個体は違えども。
かつてレオがこの目で見たあの禍々しい存在と同一のものがここにいる。
数年ぶりに相対した災厄に使命感に燃えていたはずのレオの頭は冷や水をぶっかけれたようにクリアになっていく。
全身を巡る血液は冷たく感じられ、心臓の鼓動は強く高鳴って聞こえ始める。
「どうして、ここに……?」
ここは政府が指定した第一級高等安全区域。
国がデウスの出現は皆無だと安全性を保証した場所だ。
裁定の基準は明らかにされていないが、そのお墨付きがあったからこそ、この辺りの土地の値段は高騰し富裕層がこぞって集まる高級居住区となったのである。
だが今その安全が覆され、現れることがないはずのデウスが出現している。もしかすると自分は国家の信頼を揺るがす事態に直面しているのではないだろうか。
『ギィアァァァアッ!』
複数の脚を携えた蜘蛛のような形状をした、全長六メートルほどの化け物が唸り声を上げる。
基盤は蜘蛛でありながら蟹のような左右二本の鋏を構えており、さらにその全身は硬そうな殻に包まれて防備されている。
蟹と蜘蛛を掛け合わせた複合型のデウス、ということだろう。
レオが敵の戦力と形態を分析していると、へこんだトラックのドアをこじ開けてジュラルミンケースを大事そうに抱えた眼鏡の男性が車内から飛び出てきた。男性は額から血を流しながらも、レオの姿を発見すると必死の形相で駆け寄ってきた。
「お願いします……これをどうか基地にまで……!」
よっぽど切羽詰まっているのか、男性は呼吸を荒くして息を切らしながら初対面で素性も知れないはずのレオにそう訴え、ケースを託そうとしてきた。
基地とは一体なんだろうか?
レオは自分が預かっていいものかと困惑しながら手も伸ばす。
すると次の瞬間、どこからか飛んできた『何か』が男性の胸部を貫通し、抱え込んでいたケースごと突き破った。
「あっ……」
噴水のように吹き出した鮮血にレオは目を見開く。飛沫のように散った血液がレオの頬に微量ながら降りかかる。
「ぐはっ……」
男性は吐血してガクリと膝から崩れ落ちた。
木端微塵になったケースには石製のベルトらしき物体が入っていたようで、それは奇跡的に破損を免れた状態で地面に落下する。
うつ伏せで倒れた男性は車道に血だまりを形成し、数秒間の痙攣の後、やがてその身体の動きを完全に停止した。男性の胸を貫いたのはデウスの口から勢いよく発射された長い舌のようなものだった。男性を殺めた舌はするすると引き戻されて再びデウスの口内に収納されていく。
蜘蛛なのだから放出されるのは糸ではないのか?
そう思うかもしれないが、デウスの姿はあくまで地上に似た生物がいるというだけのこと。決してそれらに準じた構造や性質を備えているわけではない。
「おいおい……何だ何だ? このでかい蜘蛛は」
教科書などにも載っているような事柄をレオが心の中でそらんじていると、男性警官が銃を構えながら走り寄ってきた。
こんな異常事態に直面していながら、マイペースな調子は変わらずであった。普通ならもっと取り乱してもいいシチュエーションであろうに。
存外、彼はただ者ではないのかもしれないなとレオは思った。
「まさか、こいつは……デウスってやつか?」
変人女子高生獅子谷レオを追いかけたその先で檀三の視界に飛び込んできたのは炎の中で蠢動する巨大蜘蛛だった。
特撮映画の撮影ではないのか?
そう願いたかったが、どうもにも残念ながらリアルであるようだ。
デウスの写真や映像は警察学校で一通り見せられており、その形状などは把握していたが現物をこの目で見るのは初めてだった。
しかしこの地域はまだデウスの出現が一度も確認されたことのない安全区域のはずである。それがなぜいきなり現れたのか。
デウスの接近を知らせる警報も発令されていないというのに……。
デウスの出現は彼らが放つ独特の粒子を感知して、現在ではほぼ完璧に把握できると檀三は聞いていた。
だがこいつがここにいるということは、このデウスは対策本部の目を掻い潜ってこの都心部の街中に入り込んだことになる。
何だそれは、ガバガバではないか。
こんな簡単に侵入を許して完璧もクソもあったもんじゃない。
「ちっ、どこから湧いてきたんだ、このデカブツは」
機能しないセキュリティへの不満をデウスへ毒づくことで置き換える。ギイギイと生理的に不愉快になる音を奏でる巨大蜘蛛を見て、檀三は顔をしかめた。
「そういうものですよ。やつらは」
レオは虚ろな目で淡々と状況を受け入れていた。
機械的な仕草で、妙に落ち着いている。
熱狂的にヒーロー云々を語っていたそれまでの幼稚な印象との落差に檀三は奇怪さを覚えた。
「お前、何を知っている?」
「何も知りません。教科書に載っている以上のことは何も。だけど……」
足元で倒れる穴の開いた死体を横目にし、檀三はごくりと唾を飲みこんで喉を鳴らす。
どうしてこいつは目の前で人がこんな惨い死に方をした隣でそんなに冷静でいられる?
人の死を見るのは初めてではないのか?
職業柄、檀三は向き合えばその人物が堅気かどうかは何となくわかる。
ヒーローになるなどと抜かしていて残念な頭をしているやつだと思ってはいたが、彼女の根っこの部分にある匂いは堅気の人間のそれだった。
さっきまでは確かにそうだった。
だが今はいくつもの修羅場を潜り抜けてきたような達観した凄みがある。伊達や酔狂でごっこ遊びに興じている輩にはもう、到底思えない。むしろ正義に対して何か執念めいたものさえ抱いているように感じ、狂気を覚える。
「だけど、わたしは一つだけわかってます。こいつらに教科書の常識は何も通用しないんだってことを」
そう言うとレオはしゃがみ込んで亡骸に手を合わせる。
そうして、覚悟を決めたかのような顔つきで立ち上がった。
……何かよからぬことを考えていそうだな、この女。
直感でそう思った。
「とりあえず逃げるぞ。逃げ切れるかはわからんが」
嫌な予感がした檀三は、獅子谷レオが変なことを言い出す前にここから退避させようと試みる。最悪、自分が囮になって彼女の安全を確保することも選択肢に入れつつ、檀三は職務を全うしようとする。
ところが。
「変身!」
獅子谷レオは突如何の前振りもなく謎の雄叫びを上げ、ロングコートを脱ぎ捨てた。
「…………」
だが別に変身などしていない。
何も起こりはしない。
コートを脱ぎ捨てた。
本当にただそれだけだった。
「は……?」
ただ、コートを脱いでも彼女は裸ではなかった。
獅子谷レオは中に黄色いタイツを着込んでいた。首にスカーフを巻いた、まさしくヒーローのような格好だった。
ちょっとした期待外れ感を覚えながら檀三はレオの奇行を観察する。
厚みのあるコートで隠されていてわからなかったが、こいつ、何気に出るとこが出ててんなぁ。
チビだしどうせ体型も平坦でガキ臭いのだろうと勝手に決めつけていたが、なかなかどうして小柄なくせにけしからん体をしてやがる。
緊急事態にあるまじき不埒な品評を檀三が繰り広げていると、
「……なんですか?」
自分がいかがわしい視線で目視されていることに気が付いたのか、プロレスラーが被るような覆面を尻ポケット取り出しながらレオが胡乱な目で訊ねてくる。
「……あーえっと。なんだ、そのビビッドカラーのタイツは?」
視線に勘付かれた気まずさを覚え、誤魔化すために檀三は訊いた。
平時ならマスクについても容赦なく言及していただろうが、卑猥な目を向けていた後ろめたさが檀三に遠慮を生み出す。
「正義の味方です。その名も、仮面ライガーです」
ポージングを決めながらレオはライオン風のマスクを装着する。
「……その、仮面ライガーってのは?」
「仮面ライガーはわたしがヒーローとして活動する際に使う、もう一つの名です」
「……何言ってんの?」
「仮面ライガーはどんな逆境にも屈しない、どんなに劣勢でも諦めない、守るべき平和のために身を挺して戦い人々の希望になる。鋼鉄の意思を持った正義の戦士です。そういう設定なんです」
「あ、設定なのね。へー」
ものすごくどうでもよかった。
訊いたのは自分だが、今はこんな脳内設定に耳を貸している余裕などない。
「とにかく、ライガーでもライダーでもなんでもいいから来い。あのバケモンがこっちに照準を合わせてきたら逃げ切れんぞ」
「それなら大丈夫です」
「なんだと?」
レオはしっかりと親指が反ったサムズアップを見せながら、
「お巡りさんが逃げる時間くらい、わたしが足止めをして稼ぎますから」
ほら、やっぱりな!
こういうことを言い出すんじゃないかと思ってたんだよ!
まあ、自分が倒すという最上級のトチ狂ったことを言わなかっただけましか。
ピンチになったら不思議な力に目覚めて強くなれるとか本気で思っていそうだったし。そこまでお花畑でなかったことに檀三は一安心する。
「あのな、警官が民間人を置いて逃げれるわけないだろ。お前も行くんだぞ。大体、勝算どころか一分持つ確証すらないのに何が足止めだ」
「でも!」
「ここでお前が命を張る意味はあるの? お前が死んだら悲しむ人もいるだろ。そういうのは勇気って言わないよ。ただ無謀なだけ。自己満足って言うんだ」
真剣な眼差しを向け、檀三は少女を見据える。
「お前はこの状況で自分が何かできると本気で思っているのか?」
足元で倒れる亡骸。
燃え盛るトラック。
見ているだけで身がすくむような脅威を振り撒く化け物。
それらを目線でなぞり、念押しをするようにして、問う。
人死にも出ている。
ここにはヒーローごっこが許される遊びはない。
非情な現実がもうすぐ目の前に自分たちの死を運んできている。そのことすら理解できないのなら、もう力ずくでどうにかするしかない
「でも、正義の味方は逃げ出さないんです……」
悔しそうに顔を歪めて反論してくるが、その声は尻すぼみでか細くなっていく。
見れば彼女の小さな肩が震えているのがわかる。
無鉄砲なことを言っていても、きちんと恐怖は感じているのだろう。
ならば本人もどれだけ自分が向こう見ずなことをやろうとしているのか自覚しているはずだ。
「お前がどうしてそこまで無茶しようとするのかは俺にはわからないけどさ。自分も守れないやつに他人は救えないよ。明らかに自分より弱っちいやつに身代わりで助けられても全然ありがたくないし。それなら強くてちゃんと戦える、本物のヒーローに任せたほうがいいと俺は思うぜ」
「……っ、わかりました。わたしも行きます」
レオは何か言いたそうにしていたものの結局は同意をした。まだ彼女に聞く耳があってよかったと檀三は胸を撫で下ろす。
「そうだ、ならせめてあの人がわたしに託そうとしたものを持っていかないと」
思い出したレオが地面に転がったままになっていた石製品を拾い上げた。
するとそれまで大人しく佇んでいるだけだったデウスに動きが見られ始める。脚をググッと折り曲げ、低重心に構えて体を左右に揺らし始める。
ぞくりと悪寒が駆け巡った。この動作、もしかしたら……。
『グキャアアアアアアッ!』
鼓膜が破裂しそうなほどの咆哮が上がる。
脚を屈曲させて力を溜め込んだデウスは爆発的な推進速度を伴って檀三とレオに突進してきた。
やはり、猫が獲物を狩るときに行う予備動作と同じものだったか!
(見た目は蜘蛛で、動きは猫ってどういうことなんだよ!)
ギャップでの可愛さでも狙っているのか。
ただただ気持ちが悪いだけだぜ、そりゃ。
「くそったれが!」
弾丸の如き速度で驀進してくる異形。
追突を回避するため、檀三は無防備に立ち尽くしていたレオを抱え込んで身体を投げ出し、横へ大きく跳躍した。
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