第二話『正義の味方になるんです。そう、今日から!』



 加藤檀三は御年二十三、派出所勤務の男性警官である。檀三の勤める派出所は周囲に私立のお嬢様女子校や大使館などがある一等地にあった。


 そのおかげなのか夜勤中に事件やトラブルが発生することは稀。しかしつい先ほど出前のかけ蕎麦を食そうとしたその矢先にその稀が起こってしまい、檀三は住民からの通報を受けて駆り出される羽目になった。通報内容は自宅近所の公園で少年少女らが大声を上げて騒いでいるというものだった。


 実につまらなく、くだらない内容だ。


 いつの時代も、こんな時代でも。ほんの指先ほどの平和があれば馬鹿をやる若者というものは一定数存在してくる。


 困ったものだ。ただそういう愚か者が湧いてくるおかげで自分たちは飯を食えているわけで。


 まあ、そこら辺は永遠の社会の矛盾で、なんとも複雑なところではある。


(けど、やっぱり麺類は頼むもんじゃねえな……。当直のジンクスってマジであるんだな)


 派出所に帰った頃には伸びきっていておぞましい物体に成り下がっていることだろう夜食を想像して檀三は溜息を吐く。


 食事のお預けを食らった上にこれからロクでもない不良どもの相手をせにゃならんのかと嫌気がさしながら派出所から現場に向かうと、そこには悪ガキだけでなく真夏にロングコートを着た変態野郎までいた。


「とりあえず、名前と住所。教えてもらえる?」


 ガキどもは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていたが、要領悪く最後まで残ってしまった変態の調書は取って帰らなくてはいけない。檀三は補導を開始する。


「獅子谷レオです……」


 どうせならこいつも上手いこと逃げ出してくれればよかったのにな。そう内心で思いながら質問を重ねる。


「君、まだ未成年じゃない? 歳はいくつ?」

「じゅ、十六歳です」


 面倒臭いが仕事は仕事。やるべきことはしっかりやる。


 残っちまったもんはしょうがない。檀三はあえて高圧的な口調を使って会話の主導権を握りつつ、調書に書き込む事柄を聞き出していく。


「今何時かわかってる? あ、その顔につけてるの外してね。帽子も」


 サラサラとペンを走らせながら檀三は不審さを演出するセットを取り除くことを求めた。


「あ、は、はい……」


 檀三に対しての大人しめな態度や、自分を棚に上げてだが不良どもに注意をしていたことから彼は素行の悪い非行少年というわけではなさそうだ。


 しかし未成年者でありながら深夜徘徊をしていた事実は変わらない。それに格好もいただけない。檀三の常識が目の前の人物を純正な善意の一般市民と認識することを許さなかった。


 獅子谷レオが帽子を外し、ふーっと息を吐きながら頭を左右に振って乱れた髪を整える。収められていたミディアムヘアがふわりとなびいた。


 柔らかそうで細い癖のある焦げ茶色の髪。続けてサングラスとマスクを取ると、くりっとした瞳や小さな桃色の唇があらわになる。


「え? 女?」


 檀三は驚きに口を開け、ペンを取り落としそうになる。


「え? ……そうですけど」


 目の前の変態、もとい少女は怪訝そうに首を傾げる。


 その所作がまるで子犬のような小動物具合で何とも愛くるしい。卓越した美人ではないが愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしている。


 彼女にするのなら隙のない美女より、かえってこういう緩い雰囲気の普通の子がモテそうだなと檀三は感想を抱く。ま、俺はガキは対象外だけど。


「そんで、獅子谷レオさん? あなたはここで何やってたの」


 とんだ不意打ちにそれなりの衝撃を覚えながらも檀三は平静を気取って質問を続ける。


「悪に染まりかけている少年少女たちを正しく導こうとしていました」


 ……ツッコんだら負けなようなことを言われ、こめかみを押さえたくなる。


「……具体的にはどんなことしてたわけ?」

「散らかしたゴミを片付けて、深夜に出歩くのはよくないから家に帰るようにと注意しました」


 胸を反らして得意げな顔でのたまわれた。

 ……彼女自身も未成年者でありながら夜間外出を行っているわけだが。そのあたりの矛盾はどうなっているのだろう。


 深く考えようとすると頭痛を引き起こしかねない。

 なので檀三は考えるのをやめた。


「で、言っても聞かないから喧嘩しようとしたと?」


 檀三は現場に着いた時の光景を思い出して確認を取る。


 どうしてそんなことをしようとしたのか動機は不明だが、とにかく不良に向かって説教をかましていたことは間違いないようだ。


「喧嘩っていうのか肉体的相互理解コミュニケーションを図ろうとしていたっていうか……」


 自信がなくなってきたのか、彼女の声は段々と弱々しくなっていく。


「複雑に言っても誤魔化されたりしないからね、俺は。つか、そういうのは俺たち警察に任せておけばいいから」


「でもでも!」


 そもそも彼女はあれだけの大人数を相手にどう立ち回るつもりだったのだろう。相手には武器を持った男もいたというのに。


 もし自分が駆けつけていなかったら冗談では済まない事態に発展していたかもしれない。


 今後こういうことをしないよう、彼女にはここでしっかりお灸を据えておかなければならないなと檀三は思った。


「次は学校の名前も教えてもらえる?」


 語気を強めて反論しようとするレオを宥めるように檀三は質問を被せた。


「ふぐぅ……江田園学園です」


 それってこのすぐそばにある有名なお嬢様校じゃねえか。あそこはてっきりお淑やかな少女ばかりがいるものだと思っていたが、こういうのもいるのか。


 それとも獅子谷レオが異端なだけか。

 できればそうであって欲しいと檀三は願った。

 そのほうが夢を壊さなくて済む。


「……ところでその下って、服着てんの?」


 過去の経験を照らし合わせると彼女の服装は高確率であの性癖のそれだ。


「着てますぅ! だってわたし、変態じゃないですから!」

「……露出狂じゃ?」


 檀三は疑念をたっぷり含んだ冷めた目で見下ろす。


「違いますぅ! わたしそんなんじゃないですぅ!」

「じゃあなんだよ、その格好は」

「これは……。ばぁーっと脱いで、驚かせるためにですね」

「やっぱり露出狂じゃねえか! この変態め! 変態痴女め!」

「仕方ないじゃないですか! 現実じゃ変身エフェクトとかないんですから!」

「わけのわからんこと言うな!」

「本当に違うんですよ! わたしは正義の味方なんです。いや、正確には正義の味方になるんです。そう、今日から!」

「…………」


 エキセントリックすぎる言動に檀三は唖然として言葉を失ってしまった。


「あ、うん。まあ、夏だし暑いからな……。そういう方向に突き抜けちゃうこともあるよね」


 我に返った檀三は一転、優しい言葉で肯定し調書の作成を進め出す。

 ……これは重傷である。


 もう自分では対処しきれない領域にまで達しているのだな、この獅子谷レオという少女は。


 ひょっとしたらこいつはもう何も言わない方が実は良策なのかもしれない……。


「憐れむような目で見ないで下さいよ! もう、さっきからみんな何なんですか! 暑かったらヒーローになったら駄目なんですか!? 寒くないと活動しちゃいけないんですか!? 活動シーズンが法律で制定されてたりするんですか!?」


 獅子谷レオは唐突に怒り心頭となって捲くし立ててきた。

 さっきからってなんだよ! 

 知らんわ! 季節とかそういう話をしてるわけじゃねえんだよ!


 いや、そもそもヒーローって何なんだ。

 どういう経緯でそんなおかしなものを目指す思考になっちゃったわけ? 


 収集のつけ方が見えてこないこの場を放棄し、立ち去りたい心境に陥りながら咳払いをして檀三は口を開く。


「とりあえずさ、その格好はどう見ても不審者か変態にしか見えないよ」


 猛る少女をいなすように、客観的な事実を述べた。

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