第一話『ヒーローデビュー初日』



 七月上旬の深夜。

 月明かりが暗くなった街を照らす、健全に生きるまっとうな人々はとっくに寝静まっているようなそんな時間帯。


 その者、獅子谷レオは見るからに怪しげな服装に身を包み、こそこそと自室の窓から夜の街へ繰り出さんとしていた。


 今日のためにネット通販アマゾンで購入したロープを使用し、三階にある寮の部屋からキャッツアイよろしくな脱出を試みる。


 寮の門限はとっくに過ぎていて、夜間の無断外出は当然のことながら禁止。見つかれば寮母から大目玉を食らうことは間違いない。


 もちろんレオはそんなことなど百も承知である。それでもレオに計画を中止するという選択肢はなかった。


 窓の縁に足をかけ、準備を整えてから用心のため室内をそっと覗く。相部屋の住人は今日もしっかりと熟睡している。


 眠りの深い体質のようなので朝まで目を覚ますことはまずないだろうが、念のため出入りの際には物音を立てないように細心の注意を払おうと決めていた。


 同居人はいろいろとレオの生活態度にまで口喧しく説教を垂れてくるお節介な性格であるため、この深夜の特別活動は極秘にしなければならない。


 バレれば反対されることは目に見えている。


「よーし、頑張るぞ!」


 レオは囁き小さくガッツポーズを決めると、するすると手慣れた調子で地上へ垂らしたロープを伝って下へ降りて行った。





 寮を抜け出したレオは市街地へ続く坂道を下っていた。

 レオの在学している江田園学園高校の寮は学校の裏手にある山地を切り崩した小高い丘のような土地に建てられており、登下校はいつもこの緑の多く茂った道を通っている。


 緑が多いと言っても決して未開発な僻地というわけではなく、場所は都心。歩道や車道はアスファルトできっちり舗装されているし坂を下りればすぐに最寄駅に到達できる。


 都心にありながら自然に囲まれたその立地はさながら都会のオアシス。


 落ち着いた住宅環境を求める富裕層のニーズに応えた結果、辺り一帯には大規模な高級マンションが樹林と渾然一体となって群居していた。


 そんな閑静な住宅地域をレオは早々に消沈しながら歩んでいた。


(あ……あっつうぃ……)


 レオは真夏の夜の項垂れるような暑さに参ってしまっていたのだった。


 それもそのはず。レオの現在の服装は怪しさ満点の重装備なのである。


 季節に見合わないロングコートに白いマスク。さらに目元を覆い隠すサングラス。


 手袋をはめて野球帽を目深に被った実に不審者然とした身なりは自らの恥部を他者に晒すことで快感を覚える方々のフォーマルスタンダードファッションに近い。


 だがレオはそういう属性の人種ではない。それは、断じて、ない。


 このような格好をしているのは一応レオなりの考えがあってのことなのだが、きっとその意図は説明したところで誰にも伝わることはないだろう。


(我慢だ。頑張れ、獅子谷レオよ!)


 レオは首筋を伝う汗を拭って自分を鼓舞する。夜であると言っても季節は夏。蒸し暑く気温も高い。もっさりと着込んだその装いは快適とは程遠かった。


 血気に逸り、外の気候をすっかり失念していた。

 痛恨のミスだ。もう少し対処法を考えて行動すべきだったなと後悔する。あくまでも現行の衣装の変更は選択肢に入れず、レオはそう考える。


 ところで、レオはなぜそこまでしてこの真夜中の逍遥をしようと試みたのか。それは普通の感性の人間が聞けば唖然としてしまうような理由が根源にあった。


 レオが夜間外出を敢行したその目的。

 それはヒーローになるため。正義を行うためだ。そう、獅子谷レオはいい年をしていながらヒーローに憧れヒーローを目指していた。


 その昔、様々な家庭の事情によって塞ぎ込んでいたレオは中学一年生の時に本物の『ヒーロー』と出会い、所謂パラダイムシフトに相当する出来事を経てそう思うに至った。


 彼の人のようなどんな逆境にも諦めない、弱きを守る不屈の精神を持った正義の味方を志そうと。


 その目標を糧にレオは念入りに下準備を重ね今日に備えてきた。

 心の師と仰いで尊敬する名も知らぬ人物を思い浮かべながら、いつか彼女の隣に並んで立つことを夢見て。


 レオは自らが思い描く理想のヒーロー像へ近づくべく体を鍛え、武術を学び、日々精進してきたのだ。地道な下積みを続けていけばいつの日か誰しもに認められる本物のヒーローへなれると信じて。


 今夜はせっかくのヒーローデビュー初日。暑さに負けている場合ではない。戦うのは悪。平和な日常を脅かす悪の芽を摘むのが今の自分に課せられた使命だ。


 レオは勝手に使命感に燃え、気力を再度漲らせていった。


 そうやって歩み進めていると、坂の途中にある公園が昼下がりとは違った雰囲気に包まれていることに気が付く。


 何事かと思い、入り口から園内を覗き込んでみる。


「…………!」


 そこでは未成年と思しき中高生くらいの少年少女たちの集団がゲラゲラと大きな笑い声を立てて騒いでいた。


 いつもレオがこの場所を通っている時間帯では近所の小さい子供や老人たちがくつろぎ遊び、にこやかな場景を繰り広げているのだが現在はそれとは打って変わって喧しい、不快、そう感じさせる嫌な賑わいを見せていた。


 ロケット花火を炸裂させ、バイクのエンジンを勢いよく吹かし、騒音を立てながら少年らはなぜか腹を抱えて絶倒し大喜びしている。


 しかも辺りには彼らが飲み食いをしたと思われる菓子類の袋やペットボトル、カップ麺の容器などが散乱していてゴミだらけ。


 地域の清掃活動に頻繁に参加し、この公園でゴミ拾いも度々行ったことがあるレオからすれば卒倒物の光景であった。


 こんなものを見せられては怠さなど一瞬に吹き飛ぶ。

 この辺りは坂下の喧騒とは隔離された穏やかな区域であるため、大きい音を立てればそれが強調され殊更に目立って周囲の住宅に反響する。


 彼らは自分らがどれほど迷惑な行いをしているか自覚していないのだろうか。そもそも未成年がふらふらと夜中に外を歩き回っているなどとんでもないことだ。


 ……それはレオ自身にも当てはまるのではないのかとかはツッコんではいけない。


 自分は正義を行っているのであって、非行とは違うのだというよくわからない判断基準がレオの中にはあるのだった。


「君たちィ! こんな時間にこんな場所で何をしているんだね!」


 いても経ってもいられなくなったレオは園内に駆け込むと、声を張り上げてそう叫んだ。


 テレビなどで見るヒーローの姿を脳内でイメージしながら、右の手の平を突き出して声高らかにそう言った。


 レオの声を耳にした彼らは騒ぎを中断して一様にこちらを振り向いてきた。


「なんだ、コイツ」


一人の少年は胡散臭いものを見るような目でそう言う。


「このクソあちーのになんでコート着てんの? 変態かよ」


 バイクに跨るオールバックの少年は随分と心外なことを言ってくる。


「何アレ、ウケるんですけどー」


 三人ほどいる少女たちは馬鹿にしたように笑いながら、あろうことか携帯電話のカメラをこちらに向け、なんと無断で写真を撮り始めてきたではないか!


 どうなっているのだ! 日本のモラルはここまで崩壊していたのか! 


 レオは普段自分の周囲にいる人々との人間性の違いに愕然としながらもめげずに説法を説き、彼らの心に訴えかけようとする。


「君たちは未成年だろう! こんな時間までふらふらして遊んでいるのはよくない! 今すぐに家に帰りなさい!」


「何言ってんだ? このチビ。お前よりかは大人だっつーの。引っ込めクソガキ」


 暴言を吐くとペットボトルを投げつけてきた。


「なっ、クソガキィ!?」


 確かにレオは身長151センチと上背はない。

 だがクソガキはあんまりではないだろうか。自分はまだ成長過程にあるだけだ! 

 少年の暴言に憤慨しつつも、その感情を胸の奥に押し止める。


「いいか、君た……」


 足元まで転がってきたペットボトルをゴミ箱にとことこと捨てに行き、再び彼らと向かい合う。


「いいか君たち! 夜中に大声で騒ぐんじゃない、そしてゴミはその辺に散らかさずゴミ箱へ捨てるんだ! 君らの行為は近所迷惑だ! もっと他の人を考えるんだ!」


「いやいや、そんな格好してる変態に言われても全然説得力ないんですけど」


「てか、こいつひょっとして狩られたいんじゃね?」


「あ、それな。ぜってーそれよ」


 少年たちはニヤニヤしながら新しい玩具を見つけたとばかりに集まってきた。中には金属バットを持っている者もいて、平和的に済みそうな気配はない。


「君たちがそういう心構えでいるのなら、わたしも正義の味方として悪の道に染まりつつある君たちを正しく導かねばならない」


 多勢を相手にしながらもレオは一切怯むことはなく毅然とした態度で、熟達した武の構えをとった。


「正義の味方? おいおい、こいつマジで痛いやつじゃねーの?」

「まあ暑いしな。しょうがねーんじゃねえの」


 少年たち一同は爆笑の渦に包まれる。


(むぐぐぐぅ~)


 マスクとサングラスで隠したその奥で、レオは嘲笑を受けた悔しさから鼻の穴を広げて涙目になっていた。


 ヒーローとしてこの場に現れたのでなければ地団太を踏みだしかねない勢いだった。


 そんなふうにレオが少年たちからの容赦ない煽りに言葉を失い打ち震えていると


「お前ら、そこで何やってる!」


 唐突に野太い男性の低い声が響き渡った。

 レオを含め、公園内にいた少年少女たちは一斉に振り返る。若い男性警官が入り口付近でライトをこちらに向けて立っていた。


「げっ。マッポだ」

「やべ、退散退散っと」

「きゃー捕まっちゃうじゃーん」


 少年たちは警官の登場に慌て、やおら逃げ出し始める。ただそこに緊迫感めいたものはなく、あくまでゲーム感覚で楽しんでいるかのようだった。


「おい、こら待て!」


 当然、警官のその言葉に耳を貸す者はいない。


「待ちたまえ、君たち! まだ話は終わっていない!」


 ここから去るのはいいことだが、まだ彼らを説得し更生させてはいない。

 それでは問題を半分しか解決していない。

 逃げる少年少女たちを追いかけレオも走り出す。


「いやいや、お前も待てよ!」


 さりげに自らを対象外とするレオに男性警官はツッコみの声を飛ばす。


「うぎゃっ」

 慌てて駆け出そうとしたレオは、長いコートの裾に足をもつれさせ頭から地べたに倒れ込んでしまった。


「ふぐぅ……痛い……」


 レオはぶつけた鼻を押さえながらむくりと上体を起こす。


「あー君、……大丈夫?」


 いたたまれなくなったのか、警官は可哀想なものを見るような目でレオに手を差し伸べてきた。


「ちょっと足元が見えづらくて……。もう平気です……はい」


 気恥ずかしさを覚えて頬をほんのり赤く染めながらレオはその手を取って立ち上がり、コートについた砂を払う。


「まあ、夜中にサングラスかけてりゃ視界も悪くなるよ。なんでそんなもんかけてんの? 若い子の間じゃそれが流行ってんの?」


 そんなわけはない。


「あっ、あの少年たちは!?」


 レオがハッとして辺りを見渡すと、園内はすっかり静かなものになっていた。残っているのは少年らによって捨てられたゴミだけ。


「逃げられたよ。もう追いかけるのは無理だな」


 どうでもよさ気な口調で警官はやる気なくそう言った。少年たちがこの場からいなくなればとりあえず騒ぎは収まるからそれでいいという判断なのだろう。


 どうやら彼はそれほど勤務熱心ではないようだった。


「そうですか……」


 レオはがっくりと肩を落とす。


「まあそれはそれとしてね」

「はい?」

「とりあえず、名前と住所。教えてもらえる?」


 追い打ちをかけるように黒い名簿のようなものを取り出して、警官は無慈悲にそう言った。

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