「そんなに簡単に認めてしまえるものなのですか?」

 私は内心、いっそ滑稽とも思われるこの鴻巣の口ぶりが気になった。殺人犯人ともなれば言い逃れに次ぐ言い逃れを用意し、どうにかして罪や罰から離れようとあくせくするものではないか、という思考によるものだ。それこそ探偵小説や刑事ドラマで、こんなにも容易く自らの罪状を認めてしまう犯人がいただろうか。否、これは現実であり、その点は、山村でも経験したことだった。

 鴻巣は両手をくるくると回しながら指を閉じたり開いたりを繰り返していた。落ち着いていない、というよりは、それこそが落ち着いているときの癖のようにも見える。

「ええ。もちろん。自分のしたことは、自分が一番理解していますからね。否定する理由がありませんし、否定したところで事実は事実ですから。だからもし潔いと思っているのならばそれは甚だ勘違いというもので、当たり前のことをしているまでですよ。それで、立花さんは、私のことをどうするおつもりで?」

 どうする、と問われたところで、どうしたものか、というのが素直な感想であった。

 そもそも掛布凛子からの依頼は判然としていない。私の恋人が殺人犯人かもしれない、という相談を受けただけであって、では殺人犯人であったからどうしてほしい、というところまでは言い渡されていなかった。現状、調べてみて、そうだった、と言うだけの話だ。

 一方で、警察の守屋の言い分からすれば、確証が得られたならばもちろん、逮捕につなげたいのだろう。

 では私個人はどうだろうか。

 私はそっと、ポケットに手を突っ込むと、レコーダーの録音を停止させる。

「聞きたいことは一点だけです。なぜ犯行を?」

「なぜ。というと?」

「なぜ人を殺し、手を切り離したのでしょうか」

「そんなことを知りたいのですか? ははは、立花探偵はそういうところが気になる人なのですね」おどけた言い草である。「それは探偵として、全く不必要な要素であると私は思っていますよ。犬が逃げ出した、ものがなくなった、不倫や浮気をしているのでは。そんなことにいちいちなぜを求めていると、埒が明かない。探偵はあくまでも依頼に対し解答を用意する職業ですからね。それにたいてい、理由なんてものは些末なものなのです。後学のために、などと言うと失礼に当たるかもしれませんが、少なからず同業からの忠告です」

 鴻巣は酷く楽しそうに、一息に言った。

「つまり理由はないと? しかし殺人ですよ。理由がないなんてことは」と言いながら、私は私自身の悪い癖がまた顔を出しているなと感じていた。「いや、ないのかもしれませんが。同業として、と言うのであればこちらからも言わせてもらうと、探偵は決して稼げるものじゃない。しかしあなたは人望に厚く、十年も交際を続けられる恋人もいた。その満足感ゆえに、ですか? 満たされているがゆえに、これでいいのかがわからない。そういうフラストレーションを吐き出したかった、そういうことなんですか?」

「立花さんはまだまだお若いな。二十代と言えば、私もそういう熱意にあったかもしれない。いいでしょう。これも後学のためだ。こういう殺人犯人もいるのだということを、お教えしましょうか」

 すると鴻巣は眼前の麦茶をぐっと飲み干し、立ち上がるとお代わりを注いだ。部屋の温度は来た時よりもぐっと下がっていたが、私の身体はどうも嫌な汗を掻いていてならない。しかし探偵事務所、ましてや殺人犯人に出されたものに口をつける気にはさらさらならなかった。

「立花さんは、手切り殺人についてはどれほどの知識を?」

 席に戻るなり、鴻巣は講釈をくれる教授然として、前提からを整理し始める。

「いや、ほとんどと言っていいほど」

「そうですか。ではまず簡単にご説明しましょう。最初の事件は千葉で起きた。と言っても市川市ですから、ほとんど都内よりのところですね。それから二件目。これが台東区。三件目が足立区。それぞれの事件の被害者は若い女性。すべて左手を切断され、死体の近くに立てて置かれていた。これが概要です。無駄を排除し言葉にしてみると酷くシンプルなものですね、これが大悪党だと言うのだから面白い。ところで立花さんは、左手にどんな意味があるか、考えてみたことがありますか?」

「左手、ですか。例えば結婚指輪を嵌めるほう、とか、そういうことですか」

「ええ。如何にも。女性的ですね。もちろん、私が左手を切断したのには、そういう意味もある」興に乗ってきたのか、彼はどんどんと説明を続けていく。「それでは、栄光の左手、という概念が存在することはご存知でしょうか」

「いえ」

 その話題の転換ぶりは、過去のものを思わせる。犯人も総じて、自己顕示欲が強い。私はこのようにして、こういう理由から罪を犯したのだと告白することが、彼らにとってはこの上ない快楽なのだ。

「罪人の手を切り落として死蝋化、つまり蝋状にさせたものですね、これを儀式において蝋燭代わりに使うのです。残念ながら今回私が起こした三件においては、死蝋化することはありませんでしたが、私はその概念に則って左手を切断したのです」

「何を言っているのですか?」思わず、本心から尋ねてしまう。「罪人だとか儀式だとか、いったい何の話ですか?」

「立花さんは素直で面白い。疑問に思ったことは聞かねばすまない、ということなのですね」まるで世間話をしているような気軽さである。「私の生家は代々医術の道を歩んできた家系です。私のことはきっといろいろと調べたことでしょう。いや、そうでなくても鴻巣の家がここらでは幅を利かせている医院であることは周知かと。しかし私はそれを継いでいない。こんな薄汚いビルの一角で探偵業なんてものをしている。それこそなぜだろうか、と思われませんでしたか?」

 確かに、往々にして医者の子は医者になるというレールが敷かれている。長男であるかはともかくとして、そういう道が用意されていたことはほとんど確定的だろう。

「ええ、ええ。わからなくても仕方ありません」苦悶の表情でもしていたのか、鴻巣は講釈を続ける。「私が疎外された契機は、妹の死でした。現代医学では施しようのない病で、父も兄弟も、仕方ないと首を垂れるしかなかった。あっけないものですね、人の死と言うものは。あっという間です。つい一瞬前までは同じ空気を吸っていたのに、一瞬後にはそれは後生叶わなくなる。私は悲しかった。同じ親から生まれた、無条件に愛を注げるはずの存在がひとつ、儚く欠如してしまったことが。また、医学と言うものの限界を知れてしまったことが。それで手を伸ばした先にあったのが、魔術なのです。医学とは真逆を行くと言ってもいい。そんなやつに継がせるはずもありません」

 その瞬間、私は理解しようとすることを諦めた。この男の目が、どこをも見ておらず、薄暗い、空洞になっていることに気が付いたからだ。それはおそらく、彼の身内でもそうだったのだろう。

 しかし、理解はできずとも、容認する努力を怠ることはない。

「そして、栄光の左手という概念を得た、ということですね」

「その通りです。様々な魔術書を読み漁りましたよ。十代で、まだ脳も若かった。得ようと思えばどれだけでも得られる。海外からも取り寄せたりして、懸命になっていました。当然、親には気狂いだと罵られましたがね。それも仕方がありません。ネズミに猫に、動物の死肉を持ち帰っては暗い部屋に蝋燭の明かり、ぶつぶつとわけのわからないことを唱えているのですから。許容できるものではなかったでしょう。次第に忌避さえされましたよ。まあ結局、妹は復活なんてしませんでしたしね」

「それじゃあなぜ今さらになってこんなことを」

「凛子には会いましたか? いや、会ったのでしょうね。十年も付き合いのある女性ですから。私の輪郭を作ろうとすれば必ず通る道でしょう。あなたには、凛子はどのように見えましたか? 知的で聡明で、あるいはかわいそうな女、と言ったような具合でしょうか。彼女はそうやって周りの評価を操作することに長けていますからね。さぞ、彼女の満足するような認識をさせられていることでしょう。私にしてみれば彼女も相当な気狂いですよ。よくいる人間、と言えばそれまでですけれどね、そうした輩は何食わぬ顔でそこらを闊歩している。世の中のほうが狂っていると思ったこともありますとも」

 こともなげに恋人を虐げる様子には、しかし感情のひとかけらも見いだせない。

「掛布さんがいったいどう関係するのですか。魔術の話はなんだったんですか」

「彼女を殺そうと思ったんです」

「殺そうと?」

「私と彼女は十年の節目に結婚する予定でした。彼女の左手薬指は、私のものになるはずだった。この安月給には不釣り合いな高い指輪も用意していましたよ。しかしそれは彼女の不貞によって流れてしまう。泣きながら、なぜだか私のせいにする彼女を見ているうちに、ああ、この女は殺してしまうのが最善なのだろうと、そう思いました。これでも探偵は長く続けていますからね、相手の本心が読める、などとは言いませんが、それが本心であるかどうかくらいの差異は見抜けるという自負があります。私を罵り、今度は打って変わって謝罪を続ける彼女が、しかし本当は私のことなどきっとどうでもいいと思っているのだろうと理解できてしまう。こんな悲しいことはありません。十年も、愛した女でしたから。それで殺してしまおうと」

「待ってください」私はすっかり相手のペースの中にあったが、一度制止させると煙草に火をつけて間を取る。「掛布さんを殺害しようと思っていただけならば、殺人が三件も起きるはずはない。どうして無関係な人間を殺したんですか。魔術だかなんだか、それで呪い殺しでもすれば済むではないですか」

「無関係だなんてことはない。ほら、先ほど話したでしょう。栄光の左手は、罪人の手を切り取ることで意味を成す。彼女らもまた、浮気や不倫を行った人間なのです。職業柄、そういう人間の相談はしょっちゅう来ますからね、お誂え向きの人間を四人選んだのです。それこそ、魔術のためにね」

「四人? じゃあ本当はもう一件罪を犯すつもりだったと?」

「ええ。蝋燭は取り囲んでこそ意味がある。ほら」と言って机の下から地図を取り出すと、今までの三件の事件現場を赤ペンで丸く記す。「この図の中で、さらにもう一件事件を起こすとすれば、ここ。松戸市あたりですね。これで四角形が完成する。それを対角線で結ぶと、その交差点が」

 まさしく掛布凛子の住んでいるあたりだった。

「狂っている」

「言われ慣れましたよ、そんなことは。私には私の考えは狂っているようには思われない。美しいとは思いませんか? 不貞を犯した人間の左手で飾った中心に、呪うべき人間が住んでいる、この構図が。素晴らしい、美しいと、私には思える。しかも左手にはあなたの言ったように、愛情を意味する指が含まれているのですから」

 馬鹿げた思想に違いなかったが、馬鹿げていると一蹴したところで状況は何一つ変わらない。

 次第に膨らんでくる恐怖が、今更ながら身体を震わせる。だから殺人事件などに関わるべきではなかった。山村で私はいったい何を学んだというのだろうか。あるいはこれは、柊所長があえて、荒療治として用意した場だとでも言うのだろうか。

 警察とのつながりを持っているということは、彼は過去にこうした事件に何かしらの形で関与したことがあり、信頼関係があるということか。それはつまり、柊探偵事務所を継ぐうえで、殺人犯人と相対することは起こりうる事態のひとつなのだと示唆しているのだろうか。そうすれば私にも、やらねばならない場面が巡ってくると。それは、柊所長という存在を、好意的に捉えすぎだろうか。

 秘密を吐露した彼に、やはり殺されるのだろうか、と思ってのち、いや、鴻巣は決して私を殺さないだろうと確信めいたものが浮かんだ。彼は、彼なりの美学の上に、信念のもとに行動を起こしている。今回の場合それは無差別的ではなく、私はそれには該当しない。狂人には狂人なりの理屈があるのだ。

「逆に質問させていただきたい。あなたはいったいこれから、どうするおつもりなんですか? 罪は暴かれ、自白も済んだ。四人目を殺しに行きますか? それとも掛布さんを殺しに行きますか? 素直に自首、なんてことはしないのでしょう?」

「ええ、どうしましょうか。本当はそれを含めて、あなたに委ねたつもりだったのですがね。どうもうまくいかない。暴かれる時を、内心待っている気持ちもありましたからね。もちろん止めてほしかったのではなく、この美しい構図を聞いてほしかったために。そして聞いてくれた人に、すべてを任せてみようと」ちらりと視線を上げる。「まあ結論が出なかったとしても、そろそろ、ほかの所員も帰ってきてしまう。今更あなたを殺しておこうと大立ち回りをするには時間もありませんし、なによりそれは私には無駄でしかない」

「本当は私は、警察からの要請でここに来ています。いや、相対したあなたならわかるでしょうが、本来それは若輩の私個人にではなく、上司に、ですが。掛布凛子からも依頼がありました。しかし、別に、そのどちらからも、捕まえてこいとは言われていません」

 狂人に違いこそないが、私はあまり鴻巣を悪い人間とは思えなかった。余りにも純粋だからだ。それは間違いなく私の甘さであり、また、重ねうる過去があるせいでもあるだろう。罪を犯す人間にはそれ相応の思想があり、理念があり、もちろん、理由もある。私はそれを理解はしないが、容認はしてしまえる人間なのだ。

 所長は怒るだろうか。いや、彼とてさほど違った人間ではない。彼ならば見逃すだろうか。どうだろう。

 煙草の灰が落ちる。思考の間は僅かであった。

「何かをもって、手打ちにしたい」

 言うと、鴻巣はさして驚いた様子もなく、

「ほう」と息を漏らしてから、「なぜでしょう」

 いたずらをする子どものような顔である。

「殺人事件は、懲り懲りなんです。殺されないのであれば、関わりたくもない」

「なるほど、確かに然りですね。では、取引いたしましょう。なにかあなたにとってメリットがあるもの、であるほうがいいですよね。私はあくまでも弱い立場だ」

「私は今日、ここには来なかった。それだけで構いませんよ。直前までは来たが怖気づいたか、留守だったか。それで構いません」

「確かに手打ちとは言いましたが、本当にそんなことを言ってしまっていいんですか? あなたは探偵だ。これで名を上げることも出来ますよ」

「名を上げる必要はないんです。私は穏やかに暮らしたい。ただし私の気が変わればあなたのことはいつでも糾弾できる。それだけは覚えておいてください。そしてこれ以上の罪を重ねないと、約束してください」

「甘いな、立花さん。それじゃ甘すぎますよ」

「結構です」

「はっはっは、面白いお方です。今ここで私を逃すこと、そして私にとって弱みであるものをあなたが持っているという事実を露呈したこと。それらはいつかあなたの首を絞めることになりますよ。私は気狂いですからね。主義、主張は簡単に覆せる。思いもよらない角度からあなたの首を狙うことになるかもしれない。そういう可能性を、あなたは今放流するんですよ」

「そんなことは、きっとあなたはしないでしょう」

「さあ、それはどうでしょうね。約束を反故にされた人間は、約束なんてものを忌み嫌いますよ」

 時刻はそろそろ二時になろうかと言うところだった。数えてみれば僅かな面会である。

 鴻巣曰く、あと半時間もすればぞろぞろとほかの人間が戻ってくるであろうとのことだった。

「それまでに私の痕跡をすべて回収してください。逃げるかどうか、その後の行動はあなたにすべてを任せます」

「お安い御用で。その偽物の肌も、煙草の煙さえも含めて、あなたの痕跡は残しません。では、これにて」

「ええ、手切れです」

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