真相
柊所長はピースに火をつけると深々と最初の一口を吸い込んだ。私はそれを漫然と眺めながら、彼の次の言葉を待った。
「朝霧くんはさすがに、僕の見込んだ人間というだけはあるね」
私は柊所長に倣って煙草を吸い始めると、盤上の駒を片付けながら、彼のほうへ視線を向け、外さなかった。
「所長は私の敵だった、という解釈で宜しいですか?」
「敵なんてものじゃないよ。ラスボスだね」
大仰に声を立てて笑う。
「どこからどこまでが仕込だったんですか? 金子菜々美も、生形さんのところの劇団員ですか?」
「違うよ。生形はそこまで情に厚い人間じゃない。金子菜々美は純粋に、タイミングよく現れただけの、ただの依頼人だ」
「鶴さんとは内通していた、ということでいいんでしょうか」
柊所長はにこにこと笑みを崩さないまま、二口目を吐き出す。
「内通なんておどろおどろしいものじゃないよ。彼女はまた別件の依頼人だった。それだけだね」
「別件の依頼?」
「そう。さっき君は、なぜ鶴さんは自分を解放してくれたのか? という疑問を僕にぶつけてきたね。答えは簡単さ。君は実際に彼女と関わりを持ったからよく知っていると思うけど、彼女は村の因習、というよりは宗教に近いな、田島氏を中心とした指きりの儀式に否定的だった。それはわかるね?」
私は頭の中で、鶴婆との会話をいくつか思い出す。
確かに、肯定派とは言いがたいのかもしれない。
「彼女は隣人の凶行を止めたかったんだね。隣人愛なのか恋愛なのかは知らないが、彼にそんなことをして欲しくなかったし、亡き夫のために切り落とした指の大事さから、幻想を崇拝する人々を嫌悪さえしていたかもしれない。その辺の心情は僕には知れないが、ともかく彼女から先日一通の手紙が来てね。どうも村の悪行を止めて欲しいとそういうことだった。どうしようかなと思っていたところに金子菜々美がやってきた、それで、トントントンと、そういう調子にね」
「私を行かせたのはなぜですか?」
「甘く見ていたんだなあ僕も」三口目を吹かす。「こうまで危険になるとは」
「警察に知らせなかったのは?」
「鶴さんの意向だよ。君の安否や僕の内情は関係ない」
「彼女に私のことは?」
「知らせていたけど口外するなと約束したんだ。お互いにとってプラスはない。君は純粋に自分の依頼を遂行するために動けば動くほど都合が良かったんだから。何も知らないほうが楽だろう」
「鶴さんの家に私がたどり着かなかった場合は?」
「タクシー運転手を雇っていたんだ。彼に、まっすぐ上れば鶴さんの家が見えるような位置を教えて、そこで君を下ろしてもらった。彼が中町譲を連れた本人とは知らなかったけどね」
「それは、なんてこった、というところですね」
「ま、そういうこった」
「金子菜々美が来なければどうするつもりだったんですか?」
「さあ、断っていたかもしれないが、それはイフの話だからね。しても無駄だと思うな僕は。タイミングよく現れたと言ったが、どちらかと言うと現れたタイミングが良かった、というほうが近いかね」
「何か変わりますかそれは」
「ニュアンスの話さ。彼女は僕たちのために現れたわけではないからね。僕たちの都合にたまたま合致していた、というだけの話で」
「僕たち、ではなく、所長のみですけどね」
「あれ、怒った? まあみんな無事だったんだし良かったじゃないか」
「私は死に掛けました」
「自業自得だよ。それに鶴さんは必ず、どこかのタイミングでは止めるはずだったさ。彼らの思いが誰かに捻じ曲げられた瞬間にね」
「私が生きているのはたまたまですか」
「人生に運命的なことは早々ないからね。ま、探偵としての経験だよ、死線を乗り越えると言うのは。僕の若い頃なんかねえ」
そうして武勇伝を語り始める四十半ばの男を前に、私は辟易として俯いた。
視線を上げる前に、四口目を吸い終え灰皿に煙草を押し付ける柊所長の指を、ちらりと盗み見る。
私は彼に、今後も敵わないだろう。
了
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