帰還
「全く、よくもあの場面でそんな嘘を吐けたものだな」
応接ソファにどっかと腰を落ち着けて、生形は煙草を吹かして大声を出した。対面には私と柊所長が居る。それぞれが煙草を吹かしている中、いかにも煙たげな顔をして吉原美津子がお茶を持ってきてくれた。彼女はこちらには座らず、デスクに戻って雑誌を繰り始めた。
「だから冗談で余談だと言ったろう。僕と朝霧くんが親子だなんて、ありえないよ」
「ありえません」
「本当なのか? なんだか二人とも嘘を言っているのか本当のことを言っているのか、私にはわからんよ」
「いいかい生形。真実なんてものはいつも我が物顔をしているが、それで居て虚像なんだ。結局はその人その人が何を真実とするか、ということが大事なんだよ。僕たちに血縁関係があるのかどうかは、お前が決めればいい」
結局あの後、私は鶴婆の手引きによって解放された。
柊所長の顔を見た瞬間にぐったりと力が抜け、その後のことは余り覚えていない。気付いたらこのソファに寝かされていて、吉原美津子が様子を見ていてくれていたのだと知った。
あれからすでに三日が経っている。
生形は秋田での旅行を満喫した帰り、この事務所へ足を運んできた。
「お前はそうやってすぐにはぐらかす。なあ朝霧ちゃん。実際はどうなんだ?」
「だから、ありえませんよ」
「本当なのか?」
「ええ。私は確かに片親ですが、父は所長ではありません。とはいっても、詳細は良くわからないんですけど」
「怪しいなあ」そう言って煙草を灰皿へ押し付ける。「どうなんだよ」
「だから、お前が決めればいいんだよ、生方。それに、そんなことは些末な問題じゃないか。世の中は詭弁で出来ているんだ。何でも真に受けていたら疲れるし、何も信用しないのも堅苦しい。お前が好きなように解釈すればいいのさ」
柊所長もひとつ笑うと、四口目を終えて煙草を揉み消した。
「結局私たちはあの村の真相を知れなかったわけだが、あの村の秘密というのはなんだったんだ?」
「生形」柊所長が呆れたようにため息を漏らす。「朝霧くんはそれを約束で口外できない。話したら僕は指を全て献上しなくてはならなくなるんだよ、これがどれだけ重大なことかわかるか」
「盗聴器があるわけでもなかろうに。お前も律儀な男だな。ただ私は、嘘か真かを判断する材料だけでもと思ったんだよ」
「ほうら、やはり世の中は詭弁だろ」
二人は旧来の仲らしく、確かに会話は心地よく耳に浸透する。
私はそうして夢うつつにまどろみながら、抜け切らない身体の緊張を感じていた。
私の中で、事件はまだ完結していない。
ここに帰ってきてなおさら、それを感じる。
「朝霧ちゃん、探偵なんてものは辞めて劇団に入らないか?」
「何を言い出すんだよ。彼女はうちを継ぐ立派な探偵の一人だ。劇団になんてやらんよ」
「お前の意見は聞いていないんだよ、柊。この美貌、そして淡々と仕事をこなす様、舞台上で存分に映えると思うんだがな。どうだい本当に。劇団の連中も歓迎するだろうし、私も君のためなら良くするよ」
「売れない劇団にやるくらいなら売れない探偵事務所に居たほうがましだって言っているんだ。わからんのか」
「うちはお前のところと違って流行っているんだぜ。巡行だってして、それなりに入るんだ。儲けはちゃんとあるぜ」
「知ったことか。とにかく朝霧くんはやらん。彼女は僕の後を継ぐ大事な我が事務所の探偵なんだから」
喫茶店の暖房の下に身体を入れると、強張った筋肉が弛緩していくのがわかった。私はこの瞬間が好きだった。
ほっと息が漏れる。
狭い店内、金子菜々美は喫煙席の一番奥に腰を据えていて、私の姿を認めると軽く会釈を寄越した。私もそれに倣って会釈をやる。
「遅れてすみません」
言いながら対面に腰を落ち着けると、早速煙草を取り出した。
金子菜々美は無表情のまま、
「構いませんよ。私が早く来すぎただけですから」
小さく呟く。
私はひとつ頷き、
「では早速ですが本題に入らせていただきます」煙草に火をつけると、彼女を避けるようにして煙を吐き出した。「中町譲さんですが、今回私どもの調査では発見には至りませんでした」
私がそう言うと、金子菜々美は少々意外そうな顔をした。
というより、素直に驚いているように見えた。
それは私の予想したとおりの反応と言っていい。
「見つからなかった?」
私は一語一語を置くように、ゆっくりともう一度告げる。
「ええ。残念ながら。見つけることは出来ませんでした」
「でも、経過報告では手ごたえがあると。そういう話だったと思うのですが」
「早計でした。申し訳ありませんが、私の力では結果までは伴いませんでした。大変な失礼をここに詫びます」
彼女に向け、深々と頭を下げる。
金子菜々美は、視界に戻った私の目をじっと見つめた。
顔が強張っている。
それが何によるものか。
私は知っている。
「嘘は止めて下さい」
低く唸るような声音だった。
「嘘、ですか?」私は呆けたように聞き返す。「一体何をどう嘘にすると言うのですか。私は嘘は言いません」
「いい加減にしてください。本当は、譲はもう見つかっているんでしょう? でも彼に口止めされた。だから私に言わないんですよね。彼が怒っているから。ねえ、いくら払われたんですか? 彼からいくら貰ったんですか? 倍払います。倍払いますから、居場所を教えてください。これを新しい依頼ととっても構いません。お金はいくらだって払います」
今度はこちらが、彼女の目を見つめる番だ。
そして殊更ゆっくりと、
「そんなことはありません。お金の問題などではないのです。ただ至極単純に、見つからなかったのです」
私は言った。
「冗談じゃないわ」
彼女は立ち上がらんばかりの勢いでテーブルを叩いた。
昼過ぎで周囲は閑散としていたが、それでも数人の視線がこちらのテーブルに向くのがわかった。
私は誰にともなく軽く頭を下げる。
しん、と静まりかえった喫茶店には場違いなオールドロックが耳にうるさい。
私は彼女の目を再度、しっかりと見つめる。
「冗談ではないんです。完全に私の力不足でした。ご不満でしたら、今までに頂いたお金は満額返金いたします。誠に申し訳ありませんでした」
「お金の話なんてしてないの」金子菜々美はすでに混乱を極めているらしい。「どうして見つからないの? 場所はわかっているんじゃないの?」
彼女の様子を見ながら、煙草を吸う。
天井へ向け吹き出してから、私は思わず笑みを浮かべてしまった。
怪訝そうな顔をして金子菜々美がこちらを向いた。
「金子さん。ここからはお互いに嘘をやめましょう」ようやく、私の中での本題へ入る。彼女の反応のひとつひとつが私の推論を補強した。「あなたは指きり村についてご存知だった。そうですね?」
金子菜々美は瞬間、目を見開いた。
同時に顔面の筋肉が更なる緊張を帯びる。
「何を言っているの?」
「細かいいきさつが正確かどうかは私の与り知らぬところですが、おおよそはざっとこんなものかと思います」煙草の煙が中空に広がる。「あなたはどこで仕入れたものか、指きり村に対する知識を僅かながら持っていた。それでいて中町譲さんに結婚前最後の記念にと言って中町病院へ訪れてみることを勧めた。恐らく中町さんは、中町病院についても指きり村についても、全く知らなかったのでしょう。自分の名前と同じところか、面白そうだなあとでも思ってあなたの勧めに乗った」
「意味のわからないことを言うのはやめて」
「きっと中町譲さんは道中になってようやく、病院や村のことについて調べたのでしょう。彼は仕事での立場が変わった都合、日々新たなことを覚えるのに忙しなくその余裕がなかったから、新幹線のシートにでも落ち着いてようやくこれから向かう場所について検索をかけた。そしてその場所、つまり中町病院が存在する指きり村という場所がどういう意味を持つ場所なのか、出先で気付いた」だから彼はタクシーで暗い顔をしていたのだ。彼には一抹の不安があった。「そしてあなたがそこへ自分を導いた理由を考えた」
「やめて」
「でも彼は多分、真意には気付かなかったのでしょう。あるいは気付きはしたが内々に揉み消そうと試みた。確かに中町病院は有名な廃墟としてインターネットに載っているし、純粋な好意だったのかも知れないと彼は思った。いや、そう思いたかった、というのが正確な表現かもしれませんね。何より二人の間で指きり村に関する話題はなかったのだから、きっと金子さんもこのオカルトな噂話は知らなかったのだと彼は思い直すことにした。そういった無理やりな思考の展開を彼はタクシーの中ででも行ったのでしょう」中町譲はそれが金子菜々美の純粋な好意だった場合、ないがしろにはしたくなかった。「そして調べているうちに、情報の薄い中町病院や指きり村について写真や秘密を持ち帰ることが出来れば、高く買い取ってくれるというサイトを見つけてしまった。これは千載一遇のチャンスだと思ったに違いありません。これを結婚費用に回せるかもしれないとさぞかし躍起になったことでしょう。なんとしても情報を持ち帰ろうと、金を手にしようと」
金子菜々美は押し黙った。
私は彼女から視線を外さない。
「あなたが噂話を知りながらも中町譲さんを指きり村へ導いたのは、約束の重みを知ってもらいたかったから。そうですね? 彼は約束を重んじる人なんだと思い込むことは出来ても、実際には指輪もくれない。収入も少ない。何より未来に対する展望が後ろ向きなことも、あなたには理解が出来なかった。そんな彼に、婚約という約束の重みを知ってもらいたかった。そういった背景ですよね」私は確認のために間を持ったが、彼女は眉ひとつ動かさず、じっと俯いてしまう。「しかし彼は本当に、その重みを理解していなかったのでしょうか? 私はそうは思いません。彼が色々と考えた末結局は情報を、金を欲したところを見る限りは。あなたに対しては、あなたとの未来に対しては、前向きだったのだと、そう思います。……ですがあなたは付け焼刃の知識で彼を導いたために、失敗したんです。逆効果だった。甘く見すぎた」
沈黙に、煙が飛ぶ。
灰を落とす。
「不運だったと思います。誰も彼もが、甘く見すぎていたんだと、そう思います。いや、違うかもしれませんね。指きり村という名前を、好意的に見すぎたんです。彼らは約束を重んじているわけではなかった。それを、私は知りました。あなたや中町譲さんはそれを知らなかったし、今もっても良くわからないでしょう。全てはたったそれだけの、ちょっとした思考のすれ違いだったんです」
「彼は」
泣き声のような、か細い声音で金子菜々美が漏らした。
上げた顔は今にも涙が溢れんばかりに溜まっている。
しかし私は首を振った。
「残念ですが、見つかりませんでした」
そして深々と頭を下げると、今まで受け取っていた額の入った茶封筒をテーブルの上に差し出し、そっと退出した。
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