幽閉

 警察が捜査を行っている間、私は石狩村長宅の二階、というよりは屋根裏部屋に近い、階段を上ったところの部屋に隔離された。ここも倉庫と同様に外から鍵が掛けられる仕様になっており、窓は無かった。

 ひとまず指を切られることは無かったが、ちょっとした猶予が出来ただけだ。携帯電話は取り上げられてしまったため、柊所長及び事務所へ連絡を取ることはできない。何より猿ぐつわをされている上、両手を後ろで縛られているので、奪われていなくても連絡は難しかったろう。警察が撤収すれば、先ほどの続きが間もなく始まるのに違いない。

 彼らは指が欲しかった。そのために約束、つまり「指きりげんまん」の歌は最適だった。ただそれだけの話だったらしい。人々はあそこまで簡単に狂気に転じることが出来るのかと思ったが、柊所長との例外に関する問答を思い出すと、そもそも私と彼らは同じ土俵の上に居なかったというそれだけの話なのだろう。田島老人が先導していたのはほとんど確定的に思われるが、石狩村長もほかの村人たちも、鶴婆も、結局は全員私とは違う側の人間だった。

 私は諦めの悪いことに、何とかして逃げ出せるような隙間が無いか、屋根裏部屋を回ってみた。脚が自由なのは幸いであった。

 一階部分と同程度の広さが仕切り無く存在するのだから、スペース自体はかなり広い。屋根裏と言ったが屋根自体は別付けになっているため、傾斜はないが、代わりに天井は近かった。鍵がついていることもあり、本来ならばここも物置に使用されるスペースなのだろう。

 出入り口から対角線上の位置に、三段の引き出しがついた小ぶりな棚が据えられていた。私はもちろん嫌な予感を抱いていたが、開かずには居られなかった。好奇心が膨らんでしまったのだ。

 あくせくしながら開いてみると、中身は予想通りであった。

 醜悪な臭いを放つ、人々の指である。

 人差し指もあれば小指も、薬指もある。

 男のもの、女のもの。

 老齢のもの、幼年のもの。

 様々あった。

 それらが溢れんばかりに収納されている。

 一段目も二段目も三段目も、である。

 全てでいくつの指があるのかわからない。

 腐敗の限りを尽くし、骨だけのものもあった。

 私は悲鳴を上げることは無かったが、その場に胃液を漏らした。


 誰かの話し声が聞こえる、と思い散策を再開すると、ちょうど居間に当たる位置の床、居間から見れば天井の部分に、穴が開いているのがわかった。と言ってもようやく下の様子がわかる程度の、小さな穴だ。声は僅かながらここから漏れ聞こえているらしい。

 居間には警察の人間と石狩村長と取り巻き四人の老人が居た。事件発生時の状況を確認しているものらしく、本来であれば私もそこにいたはずなのにと思わずには居られない。

「ええ、ここでみんなで囲碁をしておりました」

 石狩村長はぬけぬけと嘘を吐いている。

「ふうん、囲碁を。お好きなんですか?」

「ええ。普段からやっておりますよ。今はもう片してしまいましたがな」

「そのときは誰と誰が打っていたんです?」

「わしと冬島さんじゃ」

 富樫老人が手を挙げた。

「本当に?」

「ええ」警察の確認に対し冬島老人が頷く。「私が劣勢で、どうしようかとあぐねていたら悲鳴が聞こえて」

「ほかの皆さんは? どこから見ていましたか?」

 架空の碁盤を挟む形で富樫老人と冬島老人が位置につくと、山辺老人と榎本老人が庭に背を向けた形で座り盤上を覗き込んでいたことを説明する。

「あなたは?」

「わしは富樫さんの後ろから見ておった」

 そうして私の視界から消える。富樫老人の背後に立ったものと思われる。

「なるほど。悲鳴が聞こえたとき、ふすまを開けたのは?」

「わしじゃ」石狩村長が答える。「みな座って居ったからな」

「それは間違いありませんね?」警察の人間が聞くと、全員が賛同の意を唱えた。「わかりました。それでは倉庫の鍵の件ですが、確かにここにしか保管されて居ないのですね?」

「ええ。間違いありませんよ。でもそれは余り関係が無いのでは?」

「そうですね、鍵は表も裏も掛かっていませんでしたからね」

「いつも開けっ放しなんです。盗むものも盗む人もありませんからな」

 石狩村長の乾いた笑いを遮り、

「それはそうと石狩さん」

「なんですかな」

「倉庫内を検証したところ、どうやら死体の向きが変えられたと思しき形跡があるんです。これについてはどう思いますか?」

「どう、というと?」

 老人たちが構えたのがわかる。

 警察の男はそれでも淡々と、

「なぜ犯人は犯行後、一刻も早くその場を立ち去りたいだろうに、そんな手間を犯したんでしょう」

「わしにはわかりませんよ。犯人じゃあないのでね」

「これは失礼。しかし疑っているわけではなく、純粋に聞いてみただけですよ。ほかのかたがたはどうです? 参考までに聞かせていただきたい」

 老人たちは返事をしない。

「生形さん、でしたかな」石狩村長が警察の男を呼ぶ。生形は見たところ柊所長と同年輩と思われる。頭髪にちらほらと白髪が混じっているのが、上から覗いていると良くわかった。「わしらは不安なんじゃ。こんな辺鄙なところでうとうと暮らしていたら、急に若い男の刺殺体が見つかった。怯えているんじゃ。それを、そんな威圧的に来られたんでは、たまらない」

「それは失礼しました。警察に居るとどうしても高圧的なものの言い方になってしまうんです。よく妻や友人にも咎められますよ」生形は小さく笑った。「じゃあ状況確認に戻りますね。この中で煙草を吸われる方は?」

 石狩村長は急な方向性の変異に戸惑っている様子だった。

「……わしと山辺さんじゃな」

「石狩さんは巻き煙草でしたね。山辺さんは?」

「セブンスターを」

「ふうん。この村でほかに吸うのは?」

「何人かはおりますが、銘柄はまちまちですよ。それが何か?」

「そうですか。いえいえ純粋に気になりましてね。それらはいつも、どのようにして入手しているんですか?」

「月に一度、買出しの日が決まっております。そこで一緒に」

「なるほど。それはいつ?」

「先日行ったばかりですから、次は来月の予定ですな」

「じゃあ今すぐ煙草は手に入りませんね?」私は遅ればせながらようやく、生形が何を言いたいのかがわかった。彼は部下を一人呼ぶと、「今すぐここにこの村の喫煙者を全員集めて。両切りを吸っている人間が居るか確認したい」

 中町病院か村内かはわからないが、私が携帯灰皿を使わなかった場面のどこかから、ゴールデンバットの吸殻を拾ったらしい。まさか居間の灰皿には残しておかなかっただろうから、倉庫付近かも知れない。

 露骨な反応を見せたのは富樫老人だった。

「そんなこと意味あるのか」

「ええ」生形の声音は場違いなほど穏やかだった。「私にとってこの事件は違和感の塊なんです。こんな山奥の村で若い男が殺されて、死体を動かした形跡さえある。そして両切りの煙草の吸殻だけがその辺に点在している。何かあなたたち以外の人間の影を感じるんです」

「わしらは何も知らんよ、生形さん」

 石狩村長がたしなめるように繰り返した。

「ええ、それが普通ですよ。私は先ほど言ったとおりあなた方を疑ってはいません。ただ、あなた方以外の何者かが彼を殺したのではないかと、そう考えているだけです」

「ああそうに違いない」富樫老人が大きく頷く。「わしらの知らない誰かが居たんじゃ」

「知らない、と言い切っていいんですね?」言下に食い込む。「私は今、吸殻が点在していると言ったんです。あちこちにね。本数から見て一時間かそこらいただけ、とは思われにくい。しかも人を殺したとされる人間が、村のあちこちに吸殻を残していること自体が不自然だとは思いませんか。あなた方はその人物を知らないと言う。でも本当は、迎え入れていたんではないですか?」老人たちは黙る。生形はにこりと、いかにも胡散臭げな笑みを貼り付ける。「まあそれも、この村に両切りを吸う人間が居れば、何も問題の無いことです。さてそれでは皆さん、囲碁を打っていたと言う話でしたが、それを盤面に再現していただけますかな」

 唐突な物言いに、少しの間を持って、

「そんなもの覚えとらん。覚えているはずも無かろう」

 石狩村長が答える。

「皆さん盤面を見ていたはずでは? それも冬島さんは劣勢で随分悩まれていたらしい。皆さんも自分が打つ手側になって状況を見ていたはずです。五人もいて誰も覚えていないはずがないと、私はそう思いますけどね」


 私は生形の来訪に内心で歓喜していた。彼ならば私の存在を発見してくれるかもしれない。そういう期待があった。

 しかし苦心しながら腹ばいになって穴に向かって呻いてみたりもしたが、下では着々と捜査が進むだけで気付かれる気配は無かった。猿ぐつわさえ何とかなればと思ったが、縛られた両手はぎりぎりで後頭部には届かなかった。人生、そう簡単にはいかない。

「生形さん、悪いがわしらも動転しているんだ。あんたのように後からやってきて冷静で居るのとは話が違う。盤面を覚えていないくらい、どうってことは無いだろう」

「そうですね」生形は存外あっさりと身を引いた。「いやいや、普段からお好きでやっていると言う話でしたから、もしかしてと思ったんですけどね。私も囲碁は打ちますから、興味があったんです。私なら起死回生の一手を思い浮かんだかもしれない」

「あんたみたいな若い人の記憶力とは違うんだよ」

 嫌味ったらしく山辺老人が呟くと、

「囲碁の盤面以外は覚えていらしたじゃないですか。まさに同じ時間の話ですよ」

 生形はひらりとかわした。

「全ての石がどこにあったかなんて、あんたならわかるのか」

「ええ、見ていればね。それじゃあ、冬島さんは劣勢という話でしたが、何目差くらいついていたんですか?」

「ええっと……」

 冬島老人がたじろいだ。

 彼らは自分たちで警察を呼んだのだから、ある程度の打ち合わせは事前に済んでいたのだとは思われる。出し抜けると思っていたのだろう。出し抜けるならば自分たちで死体を処理するよりも警察に引き取ってもらったほうが良いと、そう考えたのだろうか。

 いや、本当に彼らは自分たちで警察を呼んだのだろうか。

 私はその疑問を浮かべる。

 彼らは私に約束を持ちかけた際、二から三時間程度で警察が来るといった。そしてそれを制限に私に捜索を行わせた。結果如何を問わず二時間後に私に解説を求め、そこで指を切るなり何なりが行われる。しかしそれは警察が来る時間と同一なのだ。まさに今そうだったように、私の指を取って喰わんとしたところで警察が来ると考えるのが普通で、そこまで彼らの知恵が回らなかったとは思えない。そんな間抜けな話は無い。

 彼らが警察を呼んでいないとすると、第三者の介入があったと思われる。

 それは現状、柊所長しかありえないだろう。私がこの村に居て殺人事件に出くわしたことを知っているのは彼だけだからだ。殺人事件の管轄は警察だ、と言っていたあたりにすでに通報していたのなら、時間的に不都合も無い。

「ま、そんなことはどうだっていいんですけどね」生形は冬島老人の肩を叩いてにこりと微笑む。「私はあなた方に嘘を吐いてほしくない。それは結果を先延ばしにするだけの無駄でしかないですから。本当に囲碁をしていて、盤面も差も覚えていないと仰るなら、それで構いませんよ」

 生形がそう言ったところで、部下がやってきて何かを耳打ちしている。先ほどの煙草の件に関してらしく、生形は満足そうに頷いた。

「何人か、と仰っていましたが、本当に数名なのですね。集めるまでも無く彼が逐一現物を見せてもらいながら聞いてくれましたが、両切りを吸っている人間は居ないそうですね。これはどういうことになるのか、楽しみになりますねえ」

 老人たちはじっと何も言わずに、生形のほうを見ているようであった。

 それからいくつか簡単な事実確認が続いたが、老人たちはすでに警戒心を強め、余計なことは言わなかった。生形もそれに気づいていたため無闇に突っかかることはなく、全体としてみれば、そつなく終わった。

 その間私は呻き続けてみたり、右往左往していたが、とうとう気付かれることは無かった。ジャンプをしてみたりもしたが、誰も視線を上に向けなかった。聞こえていないはずはないと思っていたが、こういうものは存外、響いていないものなのだろう。

 私にとっての問題は警察が帰ってしまうことだった。彼らの目が離れた隙にあっという間に私は殺され、死体はまたここに閉じ込めておくのだろう。屋根裏の鍵はなくして久しく開いていないとか何とかと言えば、こじ開ける権利は今のところ警察にもないだろうから、それでゲームオーバーだ。その前に何とかして気付いてもらわなければならない。


 正確な時刻はわからないが、居間の電気が点いているのでもう夜にはなっているのだろう。かれこれ数時間はここに幽閉されたまま、という状況だ。いい加減猿ぐつわにも慣れてきてしまっていたが、腕のほうは締め付けが強く、痛かった。

 警察はまだ仕事をしているだろうか。居間に出入りする人間が少なく、状況が掴みにくい。時折石狩村長が煙草を吸っているが、それも短時間だ。鶴婆や田島老人はどうなったのだろう。

 どんな状況であれ腹は減ると言うもので、腹が音を立てていることに私はひどい屈辱感を覚えていた。本当に、余計なことに首を突っ込んでさえ居なければ、今頃はぬくぬくと自宅で飯を食らっていた頃だろう。それが、気分良く美味しく食べれていたかは知れないが。

 寒気が身体の芯を一気に冷やしていく。警察が居る限り、誰かが私の様子を見に来ることはないだろうから、彼らが気付いてくれない限りは万事休すと言ったところだ。

 石狩村長がまた、せっせと巻き煙草をこしらえている。私も煙草を吸いたくなってきた。制限されることで人間の欲求は肥大化するものらしい。

 そこへ生形がやってきて、

「私も一本宜しいですかな」

 腰を吸えると懐からシガレットケースを取り出した。

「構いませんよ」

 いまだ警戒しているのか、低い声音だった。

 それに比べ生形は、随分愉快そうに声を弾ませる。

「いやあ本来私は煙草を吸わない人間なのですが、どうもいけませんね。こうして煙草を吸っている人間を見ると吸いたくなってしまう。人間には模倣癖というものでもあるのですかね。私は大抵人間と関わっていると、相手の真似をしたくなってしまうんですよ。石狩さんはそんなこと、ありませんか?」

「生形さんは随分切れ者のように思いますが」生形の言葉をまるきり無視して、石狩村長は真面目腐った声を出す。「階級は何ですか」

 生形はそのことを気にしていない風で、

「警視ですよ。ノンキャリアなもので、ようやく、と言ったところです」

 大きく煙草を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 石狩村長は、今度は苦々しそうな声音で、

「警視ともあろう方がわざわざこんな山村にまで、テクテク歩いて来たって言うんですか」

 皮肉を垂れたが、生形はそれもさらりと避ける。

「ええまあ。色々事情がありましてね。しかし大変ですな、こういうところに住んでいるとそれこそ買い物も不便でしょう。私にはここでの生活は厳しそうですな。老齢の方が多く、不自由なさっているんでは?」

「そんなことはない。みな仲良くやってる。不便だなんだと、それだけに固執するほうが、生きるうえでは不自由だと思うがね」

「はっはっは、これはこれは、そのとおりですね。さすが、言うことが私のような若輩者とは違う」

 生形はぷかぷかと煙を吐き出した。

「あんた、ほかのものはどうした」

 石狩村長は周囲の異変に気が付いたようだ。

「もう帰らせましたよ。用は済んだので」

「あんたは帰らんのか」

「ええ。私の用はこれからです」

「私の用、だと?」

 生形は緩慢な動作で煙を吹き上げる。

「なんだと思います?」

 挑発するように、視線を石狩村長に向ける。

 石狩村長は威圧されたように、少し仰け反った。

「知らんわ」

「そうでしょうね、困ったことに私も良くわかっていないのですから」

 そうして四口目を吸い終えると、灰皿に煙草を押し付けた。

「一体どういうことだ」

「それはこれから彼が説明してくれるはずですよ。なあ、柊よ」

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