取引

 改めて倉庫の中を見ると、先ほどは見えなかったものがいくつか見えてきた。

 まず、倉庫内で死亡していた中町譲は確かに監禁されていたものらしく、中に据えられていた背の高い棚の柱に右手を繋がれていた。繋ぐのに使われているのは麻紐で、結び目はどちらもきつく締めてある。戸が開いたとしても、この状態で中町譲は出られたのだろうか。

 死因は出血性ショック死と思われる。背面を大きく縦に切られた後、留めに一撃、深くまっすぐに刺されたようである。それらしい痕跡が中町譲の背中に残されていた。慣れた手つきに思われる。

 そして最たるは、中町譲の指である。

 左手小指が欠損している。

 この事実が示すことは、なんであろうか。

 私は鶴婆に、

「家から雑木林を越えて石狩村長の家を見ていた、という話でしたが、その間に、倉庫に近づいた人影を見ましたか?」

 そう聞くと、彼女はふるふると首を振り、

「いや、誰も居なかったと思うよ。と言ってもそんなに見通しが良いわけではないから、正確なところはわからん」

 質問を省略し視線を田島老人に向けると、

「私も見ていないね」

 二人はそう言った。

 石狩村長宅で私を囲んでいた取り巻きのうち、庭のほうへ視線を投げていた老人へ同じように問いかけたが、答えは同様のものだった。

 つまり事件発生時誰も、あの倉庫には近づいていなかったということである。

「村長」

「なんだ」

「倉庫の鍵はどこで保管していますか?」

「さっきまであんたがいた、居間に置いてあるよ」

「確認させていただいても?」

 案内され、鍵の保管状況を見る。表と裏、ともに同じ鍵で開くようだが、確かにそこに存在した。合鍵の有無を聞くが、独り身に二つも鍵は要らんと返される。

 ということはどういうことになるのか。

 私が石狩村長と話をしている間中、居間から出入りしたものは居ない。もちろん鍵は一度も取り出されていない。

 中町譲は密室状況下にありながらして、明らかな他殺死体へ変貌した。


 私はまず、柊所長へ現状報告を入れる。

「なるほど、死んでたか」

「ええ。ようやく見つけたと思ったら、亡くなっていました」

「よしわかった」柊所長はまるで調子を変えずに、「それじゃあ帰ってきなさい」

「帰る?」

 私は思いがけない返答に目を瞬いた。

「当たり前じゃない。僕らは探偵とは言っても殺人事件を担当するような優秀な部類じゃない。人やペットを探したり浮気調査をしたり、その程度が精々だよ。人間誰しも、身の程は弁えないといけない。君には無理だ。だから帰っておいでと言っているんだよ」

 私はどこか釈然としない気持ちのまま、

「依頼人にはどのように説明するんですか?」

「亡くなっていたと実直に伝えるとショックが大きいだろうから、うまく誤魔化すよ。亡くなったことに対して我々は直接的に関係があるわけではないし、適当に匂わせて、向こうが勝手に悟って、勝手に納得してもらうしかない。ま、とりあえずこれにて調査は終了。朝霧くんのお仕事も終了」

「あっさりしてますね」

「朝霧くん」向こうでため息が漏れている。「君くらいの年齢だと色々なことに夢を見がちだけど、そんなことに意味はないんだよ。余計なことに首を突っ込んで余計な荷物を背負うのは、賢い生き方じゃない。これは僕の信念だと何度か話したね。殺人事件の管轄は警察だ。我々は、善良な市民として知りえる情報を提供するだけ。捜査を行う必要はないし、しゃしゃり出るとかえって邪魔になる場合もあるんだから」

「そうですね。わかりました。ただ、ひとつ気になる点があります」

 食い下がると、呆れよりも好奇心が働いたらしく、

「何?」

「中町譲は、正確にいつの時点からその倉庫で監禁されていたのか、今のところはまだ聞いていないのでわかりません」

「そうだね。それが?」

「一週間か数日か、ともかくそこまでは生かされていた彼が、私が来てから殺された。これは、私が事件に直接的に関係がある、ということにはなりませんか?」柊所長は唸った。「さらに言えば、私が倉庫に視線を投げたタイミングを狙ったかのように、悲鳴が上がったのです」

 柊所長は搾り出すような声音で、

「偶然、というのは、人生の中でもそう少ないことじゃない。それをいちいち運命的に、ドラマティックに捉えると疲れるよ」

「何より」私は引かない。「私個人が、すでにこの事件に対して興味を抱いてしまったのです。このまますごすごとは帰れません。依頼人には、中町譲死亡の旨を伝えて、調査は打ち切りにして構いません。ここからは有給を消化する形で、個人的にもう少し滞在します」

 柊所長は浅くため息を吐くと、

「だから若者は我が強すぎる……」独りごちる。「とりあえず依頼人への連絡は保留にしておくよ。調査結果の如何に関わらず、朝霧くんが帰ったら、君が最後まで責任持って報告してくれ。そういう約束で構わないなら、続けていいよ」

 約束。

 私はそれを反芻する。

 指を切らずに中町譲に会えたことは幸運だったかもしれない。

「わかりました。呑みましょう。依頼人本人とも今日明日で、という話になっていますから、なるべく早めに切り上げますよ。私と将棋を指せなくてさぞかしお暇でしょうから」

「大したやつだね君は」

「どういう意味ですかそれは」

「いや、なんでも。ま、十分気をつけておきなさい。それから君、有給残ってないから、むやみにそんなことを言い出しても無駄だからね」

 そうして通話が切れる。


 携帯電話をポケットに押し込むと、

「ちょいと良いかい」

 背後に田島老人が立っていた。まるで気配を感じなかったため、私はひどい狼狽により、肩をびくつかせてしまう。

 その様子をにこにこと見ながら、田島老人は振り返り、先を歩く。私は無言でそれを追いかける。

 田島老人について、石狩村長の家へと戻る。そこには村長はもちろん、鶴婆や、取り巻きたちがいた。

「おお田島さん、悪いの」

「ええですよ。さ、立花さん、お座りなさい」

 田島老人に促され、座布団の上に胡坐を掻いた。今回は輪の一部として、鎮座する。

「警察へは?」

 と聞くと、石狩村長が、

「わしが入れておいた。とはいえ隔離された村だからの、来れても二から三時間後だ。あんたが倉庫内に入ったことは伝えたが、彼らも怒ってはおらんかったよ。ただ、もう入るなと言われたから、両面の戸を閉めて施錠してある。鍵はわしが持っておる」

「わかりました」

「しかし二時間も待ち惚けているだけではわしらも落ち着かん。あんたにはもちろん、わしらに聞きたいこともあるだろう思って、つれてきてもらったということだ」

「それは質問をさせていただける、ということでいいのですね?」

「ああ、それ以外に意味はない。強いて言うなら、わしらからもいくつか質問をさせてもらう。ま、交換条件というやつだな」

 石狩村長は大仰に笑みを浮かべると、巻き煙草を作り始める。私は主が火をつけるのを待ってから、自分も煙草を咥えた。

「わかりました。いいでしょう。私がひとつ質問させていただくごとに、その分質問に対して答えます」

「物分りの良いやつだ。わしらはそういう人間が好きだよ」

「その前にひとつ、これを質問としても構いませんが、皆さんの名前をお教えいただきたい」

「構わん構わん」

 そうして石狩村長から時計回りに、富樫老人、山辺老人、田島老人、私を挟んで鶴婆、冬島老人、榎本老人であると説明を受ける。田島老人と鶴婆を覗いた五人が、中町譲死亡時に私を囲んでいた五人となる。彼らは石狩村長を中心に、結束していると見て間違いなさそうだ。

 個々人の特徴はこれと言ってなかった。赤ん坊がみんな同じように見えるのと同じで、老人も似たり寄ったりだ。

「あんたは立花さんやったな」

 と問いかけてきたのが茶色のベストを着込んだ冬島老人である。頭はすっかり禿げ上がり、皮脂でてかてかと光沢を帯びている。

「ええ。立花です」

「あんたいくつや」

 そう問われるので、私は石狩村長を見た。これはたった今交わされた条件のひとつとして受け取っていいのかどうかの確認である。石狩村長は煙を吐きながら頷いた。彼らにしてみれば、ゲーム感覚のもので、この条件に深い意味はないのかもしれない。

「今年二五になります」

 冬島老人は意外そうな顔をしてから、隣の榎本老人に耳打ちをした。伝言ゲームのように、その内容が石狩村長に回される。

「今度はこちらから、宜しいですか」

「構わんよ」

「殺されていた男性、中町譲さんと言いますが、彼を監禁し始めたのは、正確にはいつからですか」

「さて、どうだったかな。ここに来たのは一週ほど前。閉じ込めたのは四日前くらいだったか」

「少なくとも三日間は、彼は普通にここに滞在していた、という意味ですね?」と聞いてから、「ああ、次はそちらの番でした」

「律儀な人やの。構わんよ。本当にひとつに対しひとつ返しているようじゃ、二時間じゃとっても終わりそうにない。関連事項は一緒で構わん。さくさくと行こうじゃないか」それで、と石狩村長は呟き、「中町譲は、確かに最初のうちはわしらと友好に接しておったよ。出会い頭には随分と暗い顔をしておったが、わしが面倒を見てやるとすっかり元気になった。そう、ちょうどこの部屋で、酒を飲ませてやったりもしたよ」

 暗い顔。

 そういえばタクシー運転手も同じようなことを言っていた。

 思案に耽っていると、

「じゃあ、こちらの番でよいかな。まだなんかあるかい」

「いや、結構です」

「そのピエロのお人形、どこで買ったものや」

 私は石狩村長の方を見たが、表情に変化はない。

 本当に、ただのお遊びなのか?

 私はストラップを掲げながら、

「これは買ったものではありません」

「貰いもん、ということかね?」

「それも違います。拾ったんですよ」

 石狩村長は顔をしかめたが、隣の田島老人が、

「それであなたはここに中町さんが来ていることを、確信していたわけだね。買出しの日、ああいう言い回しをしたのは、あの段階ですでにあなたには我々が嘘を吐いていることが見抜かれていたと」

 解説をしてくれる。

「ええ。理解が早くて助かります」

「そういうことだったんか」石狩村長はしげしげと私を見る。「狡猾な人だ」

「それは、お互い様でしょう。ほかには?」

「これを関連事項としてよいかわからんが、あんた、中町譲の婚約者ではなかったんだな?」

「ええ、私は中町譲を、その婚約者から探してくれるよう頼まれただけの、しがない探偵です。彼とは先ほどが初対面でした。もっとも、亡くなっていましたけれど」

 その発言に対しぐうと唸ったのは鶴婆だった。彼女には私が独り身であることは説明したはずだが。

 しかしこの会話において、いくつか解消された疑問があった。

 それはひとつに、石狩村長が先ほど私に求めた約束の内容である。

 会おうとも会わずとも小指を切る、というリスクを犯す可能性のある立場に私が居ると、彼らは勘違いしていたわけである。確かにこんな山奥の村にまでわざわざ中町譲を探しに来た若い女を、中町譲の婚約者と勘違いしても仕方あるまい。だから彼らは私がすんなりその契約を呑むと思っていたのだ。

 そして私の年齢を言った際の伝言ゲームで、こいつは婚約者ではないかもしれないと、疑問が生まれたのだろう。中町譲が話したかどうかはわからないが、彼とその婚約者金子菜々美は、同年齢なのだから、私では条件に満たない。

「こんななあんにもないところに若い女が一人でやってくるものだから、わしらはすっかり中町譲の婚約者が後を追ってきたのかと思っておった。追ってきたのは間違いないが、探偵さんであったか」

「それで妙に冷静だったわけだね」

 石狩村長に続いて田島老人が感想を独りごちる。

「探偵と言っても、殺人事件に出くわしたのは初めてですよ。冷静に見えたとしても、内心は吐き気で一杯でした。ただ、幼い頃に大切な人を亡くしてからは、そうした起伏も他人よりは少なくなったと思いますが」それでは、と前置きをする。「質問しても宜しいですか」

「ああ、構わん」

「中町譲さんと交わした約束の内容を教えてください」

「簡単じゃよ」石狩村長は豪快に笑う。「わしが彼をここで世話してやったことは言ったな。そのとき、彼が興味を示すもんで、この村の謂れを教えてやった。ただ、その情報を外へは漏らさぬよう、約束したんだ」

「正確に教えてください」

「もしこの村の秘密を外部へ漏らそうとしたら、わしらはお主を帰さんと、それだけじゃ。彼はしかし逃げ出そうとした。だから約束違反のために指を切り取り、監禁した。事実はそれだけじゃ」

 大層なことを、いとも簡単に言ってのける。

 尋常ではない。

「あなた方がそこまで約束に執着するのはなぜなのですか?」

 私の問いかけに富樫老人が微笑む。

「そう考えているうちは、答えは見つからん」

「どういう意味ですか?」

「そのままだよ」

「こらこら、余り余計なことを言うんじゃないよ」山辺老人が咎める。「この人はもう関係ないことがわかった。余計なことを言って、巻き込む必要はない。せっかくだが帰ってもらったほうがいいだろう、探偵だぞ」

 私はこの発言に違和感を覚えたが、付け入る隙は与えられなかった。

「さて、今度はこちらからよろしいかな。これは質問というよりは、お願いに当たるかも知れん」

「なんでしょうか」

 私はまだ富樫老人と山辺老人の会話に気を取られたままだった。

 だから次の予期せぬ台詞を、危うく聞き逃しそうにさえなった。

「わしらとひとつ、約束しようじゃないか。あんたはこれから警察がここへ来るまでの二時間のうちに、中町譲の死の真相を究明する。それが出来なければ、わしらに指を差し出すと」


 しばし沈黙の間が生まれた。

 老人たちは私の返答を待って、私の顔をじっと見つめている。相好を崩しているもの、真面目腐ったもの、心配を寄越してくれるもの。表情は様々である。

「断ったら、どうなります? まだ、約束をする前ですが」

「断ったら、どうもなりはせん。このままお帰りいただくだけさ。そして二度とこの地に訪れない、この地を詮索しない、ここでの今回のことを全て忘れるという、別の約束を交わすだけ」

「なるほど」私は懸命に頭をめぐらせる。「私に中町譲の死の真相を調べさせる理由はなんですか? それこそ二時関すれば専門家がぞろぞろ来るはずですが。彼らを信用していないと?」

「そうじゃあないよ」代わりに田島老人が答える。「私たちはあなたに、チャンスを与えているんだ」

「チャンス、ですか?」

「ああ。殺人事件に出くわしたことがないと言っていたろう。探偵として名を上げるには、そうした事件も解決に導いていかないといけない。これを最初の事件にしてみてはどうかなと、そう思ったんだ」

 これは嘘だと私にはわかる。

 彼らは相談をしていないからだ。

 彼らが私を巻き込もうとしていたのは、最初から決まっていたことなのだろう。

 さてその理由はなんだ。

「考えさせていただくことは?」

「構わんが、結論を先延ばしにすればするほど、引き受けた時の制限時間は短くなるぞ。わしらは優しくはないからな、考えているうちはうんともすんとも言わない。協力はしない」

「なるほど」

 大見得を切った手前、このまま帰るわけにも行かない。

 これは意地だ。

「引き受けましょう」

 田島老人が、にこりと笑う。

「じゃあ、約束だ」

 そして小指を差し出した。

 私もそれに応える。


 指きりげんまん嘘吐いたら針千本飲ます。

 指切った。

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