殺人
石狩村長の家へ連れて行かれると、そこにはまだ、数人の老人たちがひしめいていた。私は彼らの作る輪の中央へ放り出され、すっかり包囲された格好になる。上座に村長が腰を据えると、人の牢獄が完成された。扉はない。
石狩村長は、胡坐を掻くと巻き煙草をこしらえ、火をつける。
「さあて、あんた、何の用でこの村を訪れたんだって。もう一度話してみんさい」
周囲の人々の、弾圧するような視線に負け、私は子犬のように鳴くしかなかった。
「男性を一人、探しております」
「あの写真の男じゃね」
「そうです。先ほどみなさんに見てもらった男性です」
煙を吐き出しながら、石狩村長はにこにこと微笑んでいる。
「わしらのう、あの後ちゃあんと話し合って、思い出したんじゃ。その男なら、一週間近く前に、この村に訪れおった」
石狩村長の大きな声は耳を劈くようにうるさかったが、私はまさしく、この一言を待っていたのである。状況を差し置き、興奮するのがわかった。
「来たのですね。それは確かに?」
「確かじゃ確かじゃ。のう」
そう言うと、取り囲んだ村人たちはうんうんと頷いた。
「それで彼は、まだこの村に?」
「おるともおるとも」
「一体どこに」
「わしの家の倉庫の中じゃ」
あっさりと言ってのけたが、ということはやはり、監禁という説が正しかったらしい。
「その方に会わせていただきたい」
「すぐには出来ん」
言下に返ってくる。
「なぜですか?」
「ふうむ。どこから話したものか」
思案顔を浮かべると、石狩村長は大仰に煙草を吸い込んだ。
緩慢に、細く長く煙を吹き出すと、
「あんた、わしらの指がないことを、どう思う? なぜないのだと思う?」
突拍子もない質問を繰り出してくる。
鶴婆と同じだ。
私は圧迫感によりまともに思考を展開させることが出来ず、
「それは、約束のため、ですか」
安直な意見を返したと思ったが、石狩村長をはじめ、村人たちは納得したように頷いた。
「そのとおり。これは、約束のために切断されたのだ。あんたは、この村のことを、なんと聞いている?」
「約束に執着した村人たちの住むところ、と窺っております」
「そりゃ、大きく間違っては居ないが、正解でもない」
「どういう意味ですか」
食い下がったが、石狩村長は煙に巻く。
「細かい説明はこの際良かろうと思う。わしは、あんたをその男に会わせてやることができる。ただしそこには、ひとつ約束が生まれる。あんたがそれを守ろうと守らなかろうと、わしらはあんたのその、左手の小指を頂きたい」
私は眼前の、白髪の男が何を言っているのか、ひとつも理解できなかった。
「小指を?」
「ああ。わしらは約束によって指を切っている。指きりげんまんじゃ。あんたはわしらと、その男に会わせてくれたら小指を切り落とす、と指きりをするんじゃ」
まるで「嘘つき村」の話のようだ。
約束どおり、私が中町譲と顔を会わせれば、私は彼らに指を渡さなければならない。また、約束を破り、私が中町譲と会わせてもらったのに指を渡さなければ、指きりの歌に乗っ取って、彼らに指を切り取られる。どちらも地獄だ。
私は頭の中で、約束に執着する、という点に関して、否定も肯定もしなかった石狩村長の真意を推し量ることが、出来ていなかった。
「そのような約束をすることは出来ません」
石狩村長は少々意外そうな顔をした。
「いいのか。すぐそこに、捜し求めた会いたい人がおるんだ。小指一本、安い取引だと思うが」
「あなたはこの男性と、どのような約束をしたんですか?」
言うと、石狩村長ははぐらかされたことに目を瞑り、にんまりと相好を崩した。
「なかなか面白い若人じゃ。あんたは、どんな約束をしたんだと思う?」
なぞなぞでもしている気分に浸ってくる。
中町譲は確かにこの村に来た。そして彼らと、何かの約束をした。彼はそれを守ったために監禁されたのだろうか。否、それよりは、破ったために監禁されていると考えるほうが自然だろう。
ではその約束とは何か。
今のところは何も思いつかない。
「彼は、指を切ったのですか」
「面白い面白い」石狩村長はご機嫌になって煙草を吸い込む。「わしはけちじゃない。質問は何回でもいいぞ。その質問の答えは、イエスだ。男は、指を切った」
「今の私のように、指を切ることが約束に含まれていたのですか?」
「それは答えられない。ただ、結果的には指を切った。それは間違いない」
今の質問はナンセンスだった。同じような約束を行ったのならば、守ろうと破ろうと指は切られると、先ほど考えたばかりだ。これは約束の内容を聞いているようで、実は何の意味もない質問だった。
中町譲は責任感の強い男だったと聞いた。それは関係があるだろうか。
「監禁は、約束の事項に入っていたことですか」
「いや、直接的には入っていない。ただし、これは随分寛大な措置だと、わしらは思っておる」
寛大な措置に恵まれた男だこと。
スパア、と音が聞こえてきそうなほど、わざとらしい吸い方をする。
つまり彼らは、殺すことさえ厭わないということだろうか?
果たして全ては石狩村長一人の手になるものか。そこは大きな問題だ。
現在ここには石狩村長を含め五人の老人がいる。鶴婆は付いてきていない。少なからず、ここに居る人間たちは全てが共犯者と思ってよかろう。老人相手とは言え、この人数に襲われればひとたまりもない。
さて、どうしたものか。
私は時間稼ぎに、煙草を取り出し、断りもなく火をつける。
石狩村長は楽しそうに笑みを浮かべたままだ。
「どうした。もう終わりか。答えはわからんか」
はっきり言えば、ひとつもわからない。
だがそのように答えてしまうよりは、黙秘を続けたほうが効果的だろう。
「じゃあもうええ。どうする、あんたの約束は。断ってしまってええか」
「指を切ることは致しません」
「すぐそこに、男は居るで」
そう言って石狩村長は立ち上がると、ふすまを開ける。そちらに視線を向けると、庭のほうに確かにそれと思われる倉庫がひとつあった。周囲に人影は見えない。
「あそこに、その男は居る。あんたが指を切る約束をしてくれたなら、すぐに会わせてやる。さあ、どうする?」
こうして見せられると、一瞬とは言え、心が揺らいだ。左手の小指一本欠損したところで、大した問題はなかろう。馬鹿を言えば、指を欠損してまで依頼を遂行したとなれば、柊探偵事務所の評判はうなぎのぼりになるかもしれない。
しかし頭には、柊所長の「依頼人は大事だが、それより僕には所員が大事だ」という言葉が浮かんでもいた。普段適当な人間な分、こうした何気ない一言が心に残ったりするものだ。
私が思案に耽っていると、その耳に、まるで場違いな悲鳴が響いた。
男のものである。
それは間違いなく、視線の先の倉庫から聞こえた。
石狩村長はこちらを振り返ると、驚きの形相で声を上げた。
「何事だ」
それは不測の事態が起こったときの対応として、不自然があるようには、このときの私には感ぜられなかった。私を取り囲んでいた別の村人たちも一様に腰を浮かせ、はらはらと倉庫のほうへ視線を投げる。
外に出てみると、すでに人だかりが出来ていた。とはいえ、ここは住人自体が三人分の両手があれば数えられる程度なので、その規模は高が知れている。野次馬根性むき出しの、私の同年輩の人間たちに比べれば、それぞれの反応も控えめなものである。
その人ごみの中には、鶴婆や、会釈をくれた老人の姿もあった。
私は鶴婆のところまで歩いていき、
「ここに私の探している男性が居ることは知っていましたか」
と自分でも妙に思うほど、冷静な質問を繰り出した。
鶴婆は首を振ったが、言葉は何も発さない。
すぐに視線を倉庫のほうへ向けるので、私も釣られてそちらを向いた。
人々は群がるばかりで、誰も中に立ち入ろうとはしていない。
私は遅れて出てきた石狩村長の元まで近づくと、
「先ほど仰っていたように思われますが、ここはあなたの所有する倉庫で、間違いありませんね?」
まるで刑事ドラマの登場人物のように、事実確認を行う。現実感がかい離していたのか。
「間違いねえ。ここに、男が入っておることも、間違いねえ」
ひとつ頷くと、私は正面、つまり私が石狩村長宅から見ていた方面にある戸に、手を掛けた。すると当然ながら、外から施錠されているらしく、戸は開かない。
石狩村長を振り返ると、彼はぶんぶんと空気を切り裂き、子どもを叱りつけるように声を張り上げた。
「開けちゃならん」
「なぜですか?」
私は戸から手を離すと、身体の前面を石狩村長に向けて、やや見上げる格好で、彼の表情を観察した。そこに実際にあったのは、怒気ではなく焦りに思えた。
「開けてはならんのだ」
石狩村長の取り巻きは、自我などないのか、村長の発言に大きく賛同を示し、私を責め立てるように雑言を吐き捨てる。だが私はそれらには一切耳を傾けない。
「なぜですか?」
私は語気を強め、再度問い質した。石狩村長は狼狽したのか、身を引いたように見えた。
「約束だからだ」
「約束?」
「わしと彼の、約束だ」
倉庫にちらりと視線を放る。中で物音はしない。
「ただ事ではないと思われますが。応急の手当てが必要な場合もあります。簡単なものですが、私はその手順を心得ております。鍵を開けてください」
「これは罠じゃ。罠に違いない」
「今度は罠ですか……」
すっかり駄々を捏ねる子どものような調子である。
「あの男はここから出たいがために、一芝居打ったんじゃ。家での話し声を聞きつけて、村の外からやってきたあんたなら自分を救ってくれるとそう思ったに違いない。だから今の悲鳴は、偽物だ」
「それを確かめるためにも、一度開けたいのですが」
頭の中ではシュレディンガーの猫の話を思い出している。
「いかん」
呆れてぐうの音も出ない。
私は向き直り、倉庫の外周をぐるりと回った。入り口は、始点となった正面口と、その向かい側に当たる裏口の二つがあった。当然裏口も外から施錠されている。裏側に回って初めて気が付いたが、ちょっとした雑木林を挟んで奥にある家は、私が寝泊りさせてもらっている鶴婆の家だった。鶴婆の家から石狩村長宅までは確かに大した距離を歩いたわけではないが、それでもうねうねと遠回りをしていたらしい。合間を縫ってこちらが見えるあたり、身なりを気にしなければものの一分程度で移動できただろう。
倉庫の壁面には一応穴がひとつあったが、通気のためと思われ、手を伸ばしてぎりぎり届くか否かという高さにある上、横長で、とても人が通り抜けられそうには見えない。おまけに言えば、格子状に鉄棒が埋め込まれているため、通れるのはせいぜいねずみくらいの大きさまでだろう。このような穴であれば、特殊なトリックを駆使した場合を除けば、なきものとしても問題はなかろう。
一周してみたが、やはり物音らしいものは聞こえてこなかった。
私は不安そうな顔をしている鶴婆のところへ再度足を向け、話を聞くことにする。
「あそこにあるのは、鶴さんの家で間違いないですよね」
「ああ。間違いない」
「鶴さん、今の悲鳴は聞きましたか?」
「聞いたよ。ちょうど外から、石狩さんちのほうを見てたんだ。こっちの」と言って一人の老人を示す。会釈をくれた、鶴婆の隣人である。「田島さんと」
田島老人は鶴婆の言葉に、ゆっくりと頷いた。私は彼に向けて、
「本当ですか?」
「うん。そうだよ。私と鶴さんとで、鶴さんの家の庭から、こっちを見ていた。あなたが村長の家に連れて行かれて心配だからって、気にしてたんだ」
目で問うと、鶴婆は顔を逸らしたが小さく頷いた。
「わかりました」
私は鶴婆と田島老人から離れ、石狩村長のところへ戻る。
彼は私を見るなり、
「開けんぞ」
と低く唸った。
押し問答を繰り返しても無駄だと思ったので、妥協案を伝えてみる。
「何か台を持ってきてください。そうですね、五十センチくらいの。開けてくれないならばあそこの穴から覗きます。中の様子を確認して、彼に何か異常が起きたようならば、戸を開けてください。もちろん、村長ご自身にも確認いただいて、彼が逃げられる状態にあるかどうか、判断してからで構いません」
石狩村長は苦悶の表情を浮かべたが、取り巻きの一人に命じると、五分足らずで台を用意してくれた。台と言っても、洗濯籠だった。
私は受け取ったそれをひっくり返し、穴の下に設置する。乗ってみると若干弛んだが、壊れそうにはない。
格子状ということもあり、中の様子は判然としない。光源もこの穴しかないため、中は湿っぽく薄暗かった。
倉庫という割りに、物は少ない。裏口に当たる戸の近くに背の高い棚があるくらいで、そこにも何かが載っている気配はない。
視線を下げると、部屋の中央に、人が倒れている影が見える。
生死の様子ははっきりしない。
「懐中電灯をください」
私が言うと、今度は集まってきていた群衆から近所に住んでいるらしい老人が一人抜き出て、家まで取りに行ってくれた。私は礼を伝えそれを受け取り、中を照らす。
私は、多大なる吐き気と後悔を、瞬時に胸のうちに抱えることになる。
中央に倒れこんでいた男はうつぶせの状態で、顔の右側面が上部を向いていた。顔全体に長髪がまとわりついていたが、耳の下にポツリと、黒子が打ってあるのが確認できた。
その他の点を見ても、彼は中町譲で間違いないだろう。
そこまでは良かった。
彼の身体を取り囲むように、丸い血の池が出来ている。
洗濯籠からそっと降りると、石狩村長に懐中電灯を手渡し、中を見るように促した。私はどんな表情をしていたのか、石狩村長は恐る恐る洗濯籠に乗った。そして、ぎゃっという短い悲鳴を漏らし、籠から転げ落ちそうになったが、周囲の人間がすぐに手を添えたので事なきを得た。
私は何も言わなかったが、石狩村長は二つある戸を両方とも解錠した。十分な光量を得るための配慮だと思われる。
極力周囲のものに触れぬよう、と言っても大して物などないのだが、私はそっと足を踏み入れる。倉庫とは言え床は剥き出しの地面のため、本当は足跡を残すのも無作法なのだろうが、そんなことは私の与り知らぬところだ。私は刑事ではなく探偵であり、ここで血を流しているのは依頼人に頼まれた目的なのである。生死は重要なファクターで、ここまできてそれを自分で確認しないわけにはいかない。
中町譲の頭部は、正面口のほうを向いていた。私は血の池に飲まれぬよう距離を取りながら、その場に屈みこんで軋むほど手を伸ばして彼の首に触れる。
脈はない。
だが、皮膚はまだ温かく、弾力もあった。
死後間もないと見て問題はなさそうだ。
ということは、まさしく先ほど、あの悲鳴の時点で、彼は殺されたものらしい。
触れるときは恐る恐るで時間が掛かったが、反動から、引っ込めるのは一瞬だった。勢いをそのままに立ち上がると、大きく深呼吸をする。
倉庫の外へ一度抜け出して、煙草を吹かす。
どうにも落ち着かない。
「あなた、やけに冷静だね」
心中とはまるで正反対の言葉を、田島老人から掛けられる。
「これで冷静に見えますか?」
灰を落とすことを忘れて間断なく吸っているため、煙草は半分ほど灰色に変わったままだ。
田島老人は笑った。孫の顔を見て喜んでいるような、朗らかな笑みだ。
「そうやって言えることが、冷静なんだよ。全部自覚してやってるだろ。こうすれば他人にどうやって見られるか、それを計算した上で、今の台詞だ」
なるほど。
私はじっと、田島老人に視線を据える。
「意識か無意識かはわからないが、あなたは頭が良い人間だろう。そういう言い方が癪に障るなら、世渡り上手と言い換えても良い。頭の良し悪しは勉強の出来に思われがちだが、そうじゃあない。もちろん、数学が出来れば回転が早く応用に強く、国語が出来れば相手をまくし立てることが出来るかもしれない。でも、実際はそれだけがあっても、無意味だからね。相手にどう見られているかを自覚すること、またそう思わせるように情報を操作できること、これが一番大事なことなんだ」
田島老人は訥々と、笑みを絶やさずに言った。
「私には、あなたのほうが博識に思われます」
「知識量もまた、関係ないことだよ。私はただ、色々なことを考えるのが好きなだけなんだ。考えることは自由だし、タダだからね」
「田島さんは」私はふいに疑問に思い、彼に問う。「なぜ初対面のとき、私に会釈をくれたのですか?」そして声を潜め、「鶴さんはともかく、ほかの住人は、敵がい心に燃えているような応対でしたが」
田島老人は全く気分を害したようには見せない。
「それはあなたが私たちの顔色を必要以上に窺うから、だよ。ここの人に限らず、人間はみんな、性根は優しく出来ている。あなたが疑うから、相手も同じように疑うんだよ。それだけの話さ。誠意を見せれば問題は何も起きない。今だって、私たちとあなたの間では、本当は何も起きていないのかもしれない」
「そうでしょうか」
なんとなく煙に巻かれたような印象を覚える。
田島老人はそれを知ってか知らずか話を続ける。
「なぜ会釈をしたのか、と聞いたが、私があなたに会釈をしたのに、深い意味などはないのさ。私はこれまでの人生で、数限りない人間に会ってきた。性別も出身地も血液型だって関係なくね。そういう人生を歩んできたからか、一目見れば、それがいい人間かどうか、私にはわかるんだ。私はあなたに敵意を感じなかった。そしてあなたも私に敵意を感じなかった。だから好意的に見えた。それだけの話なのさ」
確かに考えれば、私の穿ちすぎだったのかもしれない。
人に会えば会釈をするなど、当然のことだった。都会の生活に慣れ心が荒んだだけかもしれない。
しかしどこか思考とは別のところで、引っかかるようなものを感じる。それを何ということは出来ないし、この直感が正しいものなのかどうかは、判然としない。
「さ、私はあなたの導く結論を、早く知りたい。だから煙草はもう終わり。調査を続けなさい」
田島老人は、私の目を見て、言った。
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